Neetel Inside 文芸新都
表紙

ジェンガを続けるために
1、飛田礼子

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 嫌いなもの、納期をきちんと言わない奴、学歴コンプレックスがある奴、無能なくせに口うるさい奴、女は可愛げが一番だと思っている奴、自分の立ち位置を把握していな奴。とりあえず今は目の前に居る肉達磨。
「飛田君彼氏はいるの?」
「はぁ、まぁ一応……」
 苦手な質問に苦笑いでビールを注ぐ。別にこの程度でパワハラだのセクハラだの騒ぐ様な感性は持ち合わせていないけれども、お前みたいな女に男なんて居るのかみたいな心情が透けて見えていて不快だ。
 部署での送別会と言う名の飲みで、課長がビールを注がれるついでに話した言葉に作り笑いで応える。二十人ほどの宴会場は皆フリーになった部長に取り繕うか、好きな者同士で学生みたいに輪を作っていて、部長のご機嫌取りに疲れたという風情を取っている課長にはノータッチだ。関わりたくない気持ちもわかるけれど、と飲み物補給をしてくれている左近君と目を合わせる。出航してきた身分としては微妙で、お客様扱いのようなそれでいて年下で女なので雑用係のような。
「そうなのかー、結婚は、結婚。飛田君も適齢期?ん?いくつだっけ?」
「二十五です」
「いい年じゃないのー、僕スピーチするよー」
「ありがとうございます」
 丁重にお断りさせて頂きます、という言葉を飲み込む。自分の話に踏み込まれるのは嫌だから課長の生まれたばかりのお子さんの話に変えて流す。見たくも無い乳児の写真を見て、可愛いーと言って似てますねーとお決まりの言葉を喋る。
 ビール瓶を持ったまま、私のコップはどこに行ってしまったのだろうとぼんやりと親バカの話を聞く。宴会でコップを失うのは彼氏の家でピアスを無くすのと同じだと思う。出てきたらラッキー、口がつけられている可能性があるからもう要らないけれどみたいな。ピアスもピアスとピアスホール両方見つかったらラッキー、ただ耳に通すのは何故か抵抗がある、どんな埃が付いているのやらと思って。どっちも好きなお酒が入っていたら、高いピアスだったら出てきて欲しい。今回はそっちの方だ、好きなウィスキーが分けてもらって入っていたから。
 課長が無駄な気を回して新しいコップを貰って私もビールを手に持つ。とても気が付く人なのだが、その気遣いが今は邪魔なのだ。他に一人が課長の隣に来たので、バトンタッチとばかりにお手洗いに立った。その隙に廊下で店員にもう次のお料理、締めのデザートだったのだけど、持ってきて下さいと頼んで、女子トイレに入った。
 個室に入って人差し指と中指を突っ込んで喉を刺激して嘔吐する。ずっと気持ち悪かった。ラムだかなんだか食べ慣れない肉を食べて胃が気持ち悪かったのだ。一度洗面台で水を補給して胃洗浄するように全てを吐き出す。こういう飲み会で苦手な物が出てくると困る。ポーチに入っている水入らずの胃薬を飲んで口周りを重点的に化粧を直してスマホをチェックした。 
 彼氏である中井さんからの連絡は行ってきます、だけで行ってらっしゃいと返信した。
 中井さんは現在イギリス勤務の高校時代からずっとお付き合いしている一つ上の彼氏だ。時差が酷いのとお互い銀行の総合職勤務で忙しく、全然連絡は取り合えないが、それはそれで有難い関係の人だ。彼との関係性は付かず離れずで心地よく、私が尊敬している男性の一人だ。課長に聞かれた時に言ってやりたかった、私の彼氏はT大出身他のメガバンク勤務で今イギリスに居るエリートなんですよって。顔はそこまで格好良くないけれど某沖縄出身芸人に似た高身長で、スポーツも出来て、博学で、少しオタクっぽいけれど凄くいい人なんだって。私は彼氏以上のスペックの揃った人間で、私を愛してくれる男を見たことが無いし、彼氏以上に良い男がこの日本に居るとは思えない。面倒臭いから会社の席でそんな事は言わないけれど。そんな色惚けた事を仕事場で話してはデメリット以外何もない。
 きっと私が居ないうちに宴会場では色々言われているのだろう、社会に出て私は男の方が女より女々しい事に気付いた。女々しいとは男のための言葉だと気付かなかったのが鈍いのだろう。
 スマホには高校時代の同級生のグループ通知と、資格予備校で一緒になった藤原さんからのメール、同期からのグループ通知が来ていたので、同級生以外には簡単に返信をして同級生のグループはきちんと確認する。
 高校時代の同級生三人でグループを作っていて、彼女達はそれぞれに自分の道を歩んでいて中井さんと似た心地よい関係だ。大学では別々になってしまったが、同じ都内だったので定期的に会っていた。芸大を出てフリーで色々な芸術活動をしている谷山琴乃、去年歯学部を出て歯科医師をしている水沢亜美、毎回時間に余裕のある子がお店を予約したり連絡をしたりしてくれて、私は結構寄りかかってしまっている。今回は琴乃が連絡をくれている。比較的フリーで仕事をしている彼女が予約等の面倒事を請け負ってくれる。彼女から、タイ料理のお店でタイビール飲もうよ、と食べログのアドレスが添付されたメッセージにスタンプがいくつか送られてきていた。面白いスタンプを見て笑っていると、既読無視かこらーというスタンプが送られてきた。トイレで吹き出しそうになりながら、了解のスタンプを送る。飲み会なの、続きの修羅場に身投げしてくらぁと水泳のスタンプを送って画面をロックした。
 一つ大きく溜息をついて、席に戻る。部長の輪に入るようにして全然話に参加出来ない女を装った。丁度良い、さっき回収出来たウィスキーの入ったコップにちびちびと口を付けながら、男達の話に耳を傾けた。
 出世や色々な事のために一生懸命頑張っていて凄いな、と半笑いで胃薬をウィスキーで上塗りをした。


 
「霜、もう降りた?」
「まだかな、異常気象で雷雨みたいのが凄いよ、そっちはどう?」
「んーこっちは夕立?ゲリラ豪雨みたいのがまだ少しあるよ」
「礼子今日の予定は?」
「この後からジム行って、予備校行ってーって感じ、中井さんはもう寝る?」
「うん、あと少しだけね」
「眠いのにごめんね。私は試験近づいて来ちゃってさ、怖いよね、落ちたらヤバイんだもん」
「大丈夫、過去問は何回回した?」
「全部三回は回して苦手なところは四回回してる」
「じゃあ大丈夫だよー、俺もうかったんだから」
「だーかーらー中井さんと私違うじゃんー」
 スカイプで会話をしながら、眠そうな中井さんに対して、寝起きで軽く化粧をした私は頬を膨らませる。時差九時間は結構なすれ違いを起こして、ただサマータイムより案外二人の時間を合わせやすいことを学んだ。あっちが深夜でこっちが早朝、あっちが早朝でこっちが夕方、必然的にこちらが早朝の時間に合わせて通話するようになった。うとうとしている中井さんを見るのはちょっと可愛くて嬉しかったりする。隙のない男性の見せる顔が可愛らしい。ただ、あまりに長引かせると可哀想なので二人で時間を決めて通話は切るようにしている。結局通話出来るのも週に一、二回で、会えるのなんて数ヶ月に一回で、超遠距離恋愛は辛いものがあるが、自分の生活を邪魔されないメリットもある。私は仕事や資格試験、習い事等の自分の事に忙しいので願ったり叶ったりだ。
 パソコンに映された中井さんの顔は昔には無かった消えない隈が付いていて、撫で付けられた前髪は少し寂しくなったけれど、目の奥はギラついていて大好きな顔だった。だらしなく緩められたネクタイが胸元を露出させ、禁煙した代わりによく飲むようになったウィスキーが見え隠れして、ダブルのグラスを掴む手に浮き上がる骨が節くれた指を強調していて退廃的で官能的だ。眠る前、シャワーの前の中井さんは疲れているのか取り澄まされた身形が崩れていて、見ていて胸が締め付けれらる色気がある。
 中井さんにいくつかアドバイスを貰っているうちに、規定の時間になって二人でおやすみ、頑張ってと言い合って通話を切った。それからジムの用意をして、軽く掃除をしてから家を出た。ジムは家から歩いて二十分くらいの少し遠い場所にある。道中イヤホンで英語の教材を聞き流しながら、ウォーキングをした。十一月の柔らかな日差しの中汗ばみながらジムまで向かった。
 ジムで汗を流して、着てきたジャージから普段着に着替えて化粧をすると、いつも通っているパン屋さんのイートインスペースに入ってサンドウィッチとグレープフルーツジュースを飲む。一口サイズを小さめのサンドウィッチは薄めのライ麦パンに挟まれたクリームチーズとハム、薄焼き卵と海苔、レタスとトマト、カツと千切りキャベツ、ポテトサラダ、五種類全て違うものが入っているのがお気に入りだ。味も素朴で、このグレープフルーツジュースも果肉が浮いていて生であることがわかる。少し割高だけれど、全てが丁寧に作られたこのお店のパンは大好物で毎土曜日に昼食と明日の朝食のパンを買いに通っている。顔見知りになってしまった店員さんに、顔馴染みの昼ご飯をとるメンバー。見慣れた窓からの景色は雑踏の中で、行き交う人々の服から流行を読み取りながら、英語を聞き取った。イヤホンからは聞こえる話では、メアリーがワゴンセールで買い物をした後、ビルが郵便を出そうとしている。全ての器官を使いながらゆっくりとサンドウィッチを咀嚼した。
 その後、ネイルサロンに行って無難なフレンチネイルを剥がしてオイルマッサージをして貰った後に、ピンクベージュを基調にホログラムを飾って貰った。月に二度程通っているネイルサロンはアロマが焚かれいて、店員さんも全て女性で落ち着く。マッサージの時にぐりぐりと押されて痛いと言うと、胃腸がお疲れですよ、と笑われた。
「胃腸?何だろ、あんまり思い当たる節無いなぁ」
「飲み会とか、コーヒーとか、気付かないストレスとか、そういうものだと思うんですけどねー」
「あー飲み会はありました。それかな」
「飛田さんってお酒強いんですか?」
「んー全然です。飲み会あると胃腸って気遣えないですよね、一応ウコン飲んだのに」
「飲み会後タンニンとかタウリン採ると良いらしいですよー」
 某栄養ドリンク飲んだらいいのかなと笑って話をしながら、ネイルを終えて、予備校に向かう。朝一で来ないと自習室は確保出来ないので、途中でコーヒーショップに寄って一時間程自習で時間を潰すと、残りのチャイラテを予備校の飲食スペースで飲みながら参考書をめくる。今日の授業は六時からだから後二時間くらい時間がある。コーヒーショップの後でコンビニに寄っておにぎりも買って来て、いつものスタイルだ。九十分授業が二コマあるので休憩中に夕食をささっと採るのだ。カロリーメイトでもパンでの良いのだけど、昼に美味しいパンを食べている手前コンビニのパンを食べる気がしない。たまに無性に食べたくなるときあるけど。
 ぱらぱらと参考書で一問一答をシートで隠しながら確認していると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと藤原さんが居た。
「お疲れ様です、どうですかー調子は?」
「ふふっ、微妙です、藤原さんはどうですか?」
「一緒です」
 藤原さんが椅子をひいて隣に座る。手には私とは違った参考書が載っていて、それいいですか?と聞きながら目の前の一問一答を進めた。藤原さんは長所短所を述べた上で見せてくれて、もう結構な書き込みがあったので、凄いですねーと笑いながら机に向かった。
「今日も朝からですかー?」
「はい、いつも通りの時間に来ないと調子狂っちゃうんで」
「凄く規則正しいですよね。あ、問題出し合いっこしませんか?」
「是非!」
 そこで、二人で持っている参考書を見せないように持ちながら一問一答をした。

     

 藤原さんと話ながら授業の教室に向かって、顔見知りの数名に挨拶をする。大学生の金田さんが待ち詫びていたかのように話しかけてきて、彼女の勉強の進んでいなさとその原因となっている彼氏との不仲の理由を聞いた。三十人程が入れる教室に大分生徒が揃ってきて、金田さんの後ろの席で私と藤原さんは話を聞く。細長いテーブルとパイプ椅子を教室のように白板に向けて配置されている部屋で、金田さんは振り向いて私の机の上に寄りかかってくる。私も女性で年齢の近い、といっても五歳も違うのだけど、彼女との関係は友達以下知人以上で無碍にしたくない。
「でー理恵言ったんですよー、こっちにも勉強があるって。そしたらそれで金発生すんのかよって意味わかんなくないですかー?バイトと資格試験に上下あるみたいな言い方」
「それは無いよねー」
「ですよね!!あーもー理恵ばっか譲歩してるんですよー。あー別れたい……」
「そう言いながら金田さん別れないじゃんかー」
 私の机の上に突っ伏した金田さんが藤原さんの言葉にびくっと震え、そっぽを向きながらそーですねーと返す。この二人はそんなに馬が合わないのだ。
 藤原さんは私とよく対比される私立大学の法学部で博士号を持っている。そのまま公務員浪人をして結局失敗して、一度も社会に出ないまま現在私と同じ資格を目指している三十二歳のフリーターだ。彼の収入源はよくわからないけれど、小太りなその見た目と言動から勝手にネットや株なんかの収入源を持っているのではないかと邪推している。年齢のわりに何をしているのかわからない期間があって私もよくわからない。
 それに対して、金田さんは現在大学二年生で二十歳、私はぎりぎり八十年代生まれで、彼女は遠い世界の九十年代生まれだ。私でさえもそう思うのだから、一回り違う藤原さんなど遥か遠くに思えるだろう。一度彼女からお二人は付き合っているんですか、と聞かれて、私彼氏居るよと中井さんの写真を見せたところから、彼女の彼氏の写真も見せて貰って仲良くなった。ただ、若い彼女の話は眩しすぎて、私は只管頷いているのだが、藤原さんは違う。
「あれだよ、金田さん、そう言われたら資格取る事で就職したら他の人より給料が高く出るんだよ、って言い返すべきだよ。資格勉強すること自体が金銭を生むわけじゃないけれど資格を取ることが金銭を発生させるんだからさ。そういうのわかんない男って目先の利益しか考えてないよなー、金田さんの意見もわかるよ」
「…………理恵もそれが言いたかったんですよねー」
「だよなー、でも金田さん彼氏を立てたんだろ、一般的に男は立てとくのが正解だよ、偉いよ」
「ねー!金田さん偉いよね!!別にお互い忙しいのはわかってるはずなのにねー!」
 必死に口を出すと金田さんは顔を私に向けてそー!と笑った。
 別にどっちが悪いわけでもない。藤原さんの言っていることは正論だしわかっているけれど、一々わかっている事を指摘されるために金田さんは愚痴っているわけではない。話を聞いて同意してもらいたいだけだ。助言のような誰もがわかりきった言葉が欲しいわけではないのだろう。金田さんも悪い子ではないのだ、態度に現れすぎなだけで。
 営業スマイルを顔に貼り付けながら手に持ってきたテキストの付箋の付けた場所を開く。板ばさみだ、藤原さんの若い女に対する上から目線のアドバイスも面倒臭いし、金田さんのおじさん五月蝿い的なあからさまな態度も面倒臭い。職場ならば仕事だと思って乗り切るのだが、金が発生しない、むしろ払っている予備校で面倒事は避けたい。避け切れていないが。ここは試験に対する情報が対価だ、と思って乗り切っている。どこもかしこも柵は人間関係ばかりで感情をコントロール出来る薬なんかが開発されたら飛ぶように売れるだろう。
 適当に笑顔で空気を悪くしないように努めていると、講師が入ってきて金田さんは前を向いた。私も心の中で一息ついてノートや筆箱を開いた。
 授業中が一番安息出来るので、頭を切り替えてテキストとノートに授業内容を書き込んだ。前の席の金田さんが小柄なので白板が見やすくて有難い。指定席ではないが、数ヶ月授業を共にするうちに暗黙の了解のような席順が形成されていた。
 一時間目の授業は問題なく進んで、休み時間にポーチを持ってお手洗いに行って戻ってくると藤原さんと金田さんはお互いスマホをいじっていて会話をしていなかった。何だろうこの関係は。何歳になっても人間関係というのは複雑怪奇理解不能だ。金田さんが私が帰ってきたのに気付いて振り向いてきた。若い女の子、というか女のこういったあからさまさは苦手だ。ちょっとでも不快なところがあったら仲間外れ、仲間意識が大事、そして仲間の頂点は自分、みたいな歪んだヒロイズム。
「飛田さんと彼氏は絶対こんな喧嘩しなさそー」
「喧嘩はするよ、しないカップル居ないでしょ?」
「えーどんな事でー!?」
「普通普通、ちゃんと話聞いてたの?とか、意見の食い違い、普通に夕飯食べたいもの違うとか」
「ホントだフツー!」
 にこにこと笑う金田さんに、こちらも笑いながら買ってきてあるおにぎりの包装を外す。この三角おにぎりの包装を考えた人は天才だ、矢印に従って慎重に外すとパリッとした海苔とご飯が食べれる。ただ慎重に外さないと海苔が包装紙に巻き込まれてしまうところをどうにか改善して欲しい。
 金田さんはまた自分の彼氏の話を始めた。彼女と出会ってから、彼女の彼氏は二度代わっている。可愛らしく小柄でふわふわとした格好をした彼女は大層モテるらしい。
 彼女もお菓子を摘みながら会話は続く。
「金田さん、もうすぐ授業始まるよ」
 藤原さんが急に声を出して、金田さんは、ごめんなさーいと言って体勢を戻した。始まるのは三分後だからいいんじゃないのか、と思うが藤原さんがお疲れ様と口を動かして笑う。……何とも言えない、こういう時笑顔は便利だ。日本人の曖昧な文化に感謝しながら、早く講師が来る事を願った。
 
 

 資格試験が近づくにつれ余裕は無くなると同時に仕事も無駄に忙しくなった。試験期間は繁忙期ではないと思ったのだけれど、ゴルフでの接待や九月転勤で入ってきた新人さんが慣れたと思った矢先にミスをやらかしたりして、平日の夜や休日が忙殺されてしまった。その分予備校には必ず通ったし、料理教室と娯楽の海外ドラマを見る時間は真っ先に削られることになった。性欲も全然湧かないくらい夜は疲れていた。朝起きて暗記項目を壁に貼ったものを見ながら身支度をし、会社でもちょっと暇があれば勉強をして、移動のタクシーの中ではイヤホンをして参考書を見て勉強をしたが、これは少し気持ち悪くなったのでイヤホンだけにした。
 同じ業種で働いているのに、中井さんも同じように忙しいようだ。私自身中井さんの業務は知っているが、詳しい話は同業他社なので聞かないようにしているし、有益な情報は常識の範囲内で交換している。彼はとても人がいいから、色々な仕事を引き受けてしまっているようで、お互いに健康第一と通話で話し合った。試験も近づいて色々教えて欲しい事が多いのに、あまり頻繁に連絡が取れない状況になってしまった。

 お昼を取るために入ったカフェは人がまばらで、案の定あまり美味しくなかった。ワンプレートランチで、カップに入ったコンソメスープが付いて来たが、このコンソメが凄く濃い。真っ白な皿の上には、こだわっているのか知らないが古代米だか何だかわからない米が三分の一以上のスペースを占めているのに水っぽい。傍らの豆とサニーレタスサラダにかかっているドレッシングは市販の物買えばいいのにと思うような手作りだった。無駄にハーブを乗せているせいで味も香りもわからない。メインである酢豚みたいな炒め物は変な酢の味がして、全く和洋折衷何なのかわからない本日のランチだった。せめて、と食べた付け合せのラタトゥイユも酢豚に侵食されていて可哀想な事になっている。
 物を残すのは好きじゃない。外れてしまったランチを何かに昇華できる能力が欲しいと切に願いそうになったが、それよりこれを我慢するから資格試験にうからせてくれ、と念じた。フォークで少しずつご飯を切り崩しながら、投げやりに咀嚼をして手元にある暗記項目を並べた自作のプリントを眺めた。この強烈なランチの記憶と相まって覚えるかもしれない、とまばらな店内と共に目に入れた。お客さんは皆諦めたような顔をしていて、一人の女の子は彼氏にランチプレートを投げやっていた。店主と思われる女性はカウンター席の常連であるのだろう女性と話しこんでいて、彼女の手元には本日のランチではないグリーンカレーがあって、それが正解だったのかと何とも言えない笑顔になった。まばらな客足に店主は危機感を感じないのだろうか、私だったら絶対何か改善しなければと思うだろうけれど。ここら辺でこんなに客足が無いなんて大変だと思う、人口密集地だから客は絶対来るはずなのに。店の閉店開店のスパンも早いのは家賃の問題かしら。
 一日平均二万から三万くらいしかランチに無いんだとしたら大問題だろう、まず趣味であるのだろう置物をもう少し明るいテイストにするか置かないようにして、照明をデザイナーに頼んで作ってもらって、料理は古代米と白米選べるようにしたり、その常連さんにアドバイスを貰うとか、絶対美味しい料理には人が付いてくるし、と店の改善点を考えている自分の頭を振った。初めて入った店では、すぐに回転率や利率とその改善策を考えるのは悪い癖だ。何の役にも立たない趣味みたいなものだ。
 自作プリントに目を落とすとその横のスマホが震えた。画面に藤原さんのメッセージが出てきて、今朝連絡をしていた試験直前期の過ごし方についてのアドバイスが書いてあった。長いメッセージにこちらも感謝の言葉と、頑張るとか適当な言葉を送る。とても有難い、直前に支えて貰えるのが精神的に支えて貰っている気がする。
 返信してランチを味の無いものと思い込ませて口に運んでいると、またスマホが震えた。返事早いと、画面を見ると上司からの着信だった。
「はい飛田です!はい、はい、書類はファイルの最初のところに見本が挟んであります。あ、はい、はい、一度先方にご確認頂いて最終的に締め切りに間に合うように、はい、はい、そうですね。一覧はいらないとの……はい、はい、付けておきます。はい、すぐ戻ります。はい、はい、失礼します」
 通話を切って、ランチが三分の一程残っているが仕方ない、と立ち上がる。いつもは嫌な呼び出しがこのランチから逃れる良い口実になった、食べ物を残すのは憚られるけれど。紙ナプキンで口を拭いて、ブレスケアを飲むと立ち上がった。昼に外に行けただけマシだと思おう。店主を常連さんから引き離してお金を払うと、ごちそうさまでしたと言って店を出た。寒空が広がって、一伸びすると外の涼しい空気を肺に入れ込んで歩き出した。スマホが鞄の中でもう一度震えて、画面を見ると藤原さんだったので既読無視が面倒なので未読にしておいた。夜に暇でもあったら通話で聞けばいい。職場に戻るとその事はもう忘れていて、パソコンでの資料作成と没頭した。資料作成、お茶配り、電話応対、このミルフィーユで就業時間は過ぎていった。忙しい時に限って意味不明の説明をする相手からかかってきたりして、少しずつ余裕が磨耗する。説明が下手なら下手なりに道筋立てて説明しろよジジイ、そういうのは男が得意と威張ってくるくせに。
 当然定時で帰れるわけもなく、パソコンに集中していた私の肩は後ろの席の同僚に叩かれて、下のカフェでコーヒーと軽食を買うが何か欲しいものあるか?と聞かれた。一緒に行きますと言って、財布を持って立ち上がる。残っていた数人が欲しい物を口々に言って、こういう時だけ何故か姉のような母性に包まれる気分になる。見渡せば自分より年上の男性職員ばかりなのだけど、私が買ってきてあげようという気になるから不思議だ。灰色のような色あせた職場に私が癒しを送りたくなる。ビルの一階にある常連となっているカフェに一先ず電話連絡を入れて、数分後に同僚と二人で数人分のコーヒーとサンドウィッチ、お持ち帰り用のパスタとキッシュ、サラダを受け取ってきた。オフィス街にあるカフェのわりにはフード類が充実していて美味しいのだ。
 てきぱきと皆に配って各自デスクで仕事をしながらご飯を食べる。私もキッシュとコーヒーを片手にスマホの確認をして藤原さんに返事をした。細々と面倒くさい気持ちもあるが、色々と情報や支えて貰って有難い気持ちもあり、無碍に出来ない。その後一度通話がかかってきたみたいで、仕事終わりの徒歩の間にかけなおした。
「お疲れ様です、夜分遅くにすみません飛田ですー」
「お疲れ様飛田さん。忙しかったかな、ごめんね電話して」
「いえーこちらこそ取れなくてすみません」
「試験前に大変だね、残業続きでしょう?」
「そうなんですよー、ホント早く勉強したいんですけど、ってか私も藤原さんの勉強時間奪ってますね、ごめんなさい」
「いや、丁度一息入れるところだし、これくらい前になったら勉強よりメンタルじゃないかな」
「確かに!メンタル大事ですよねー私削られてますよー」
 そのままちょっと愚痴を喋ってしまって、ごめんなさいと言って、藤原さんの話を聞いた。あまり具体的話はなくて、一々通話してくる必要があったのか疑問に思ったので愚痴を喋っておいた。仕事関係の人ではないから気をあまり遣わなくて良く、話しやすいものの、疲れている時に人の話を根気強く聞いて、盛り上げるようなサービス精神も持ち合わせていないのではけ口に利用させて貰った。中身の無い試験対策の繰り返しとなる話や精神論は疲労困憊の脳にはキツイのだ。だって急用じゃないなら今じゃなくてもいいはずだ、と通話しながら化粧落としや着替え、軽い掃除、バスボムを入れて風呂を溜めたりした。
 何とか通話を切って、風呂に入ると脱力した。張ったお湯の中に口まで沈めて水の中で文句を言う。
 忙しいっつってんのに何で電話かけてくんだよ、そりゃあかかってきたら取るだろうがよ、かけて貰ってって着信あったら折り返すわ、折り返しの遅さで気付かねぇかなぁ。つか補佐言ってることコロコロコロコロ変わり過ぎなんだよ、コロコロはてめぇの体型だけにしとけよ三重苦。てめぇが付けんなっつたから付けなかっただけであって、あーそれで出し抜けるとでも思ったのかなー、バーカ作ってあるっつーの。何をコンプレックスに感じているか知らないけど意味不明の嫌がらせするなっつの、でも嫌がらせされてる面子見ると皆出来る人ばかりだからちょっと嬉しいかも。僻まれてるって快感なんだよチビハゲデブ。あーもー中井さんからはメール一往復だけだし、勉強は進まないし、変なジジイからの粘着質な電話あったし、男の声でガツンと言ったら効くだぁ?だったら最初っからこっちに回してくんなよ、ガツンと言うだけで何の役にも立たないくせに。
 よし、終わり。
 愚痴を吐きまくって栓を抜く。勢い良くお湯は流れていって、その間に私は身体と髪を洗って風呂から上がった。鏡に映るスッピンの私は血色は良いものの、隈は消えていない。試験まであと少しだ、と気合を入れなおして部屋に戻った。

       

表紙

53 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha