Neetel Inside ニートノベル
表紙

生贄の旅
プロットナンバー02.『バトルビースト』筆者:龍宇治(グロ注意)5/15

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 第一の大聖堂があるクリアスの都までは、およそ三日の道のりでした。
 僕たちは通りすがりの行商人と交渉し、その人の馬車に乗せてもらうことになりました。幌(ほろ)のついた二頭立ての荷馬車です。こんな親切な人と運よく出会うことができたのは、きっと日ごろの行いがいいからでしょう。
 僕にとってニノヴァンの村から外へ出るのは、生まれて初めての経験でした。期待が半分、不安が半分。馬車で揺られている間も、身体がウズウズして仕方がありません。その感覚は馬車が石畳の街道に入り、すれ違う旅人や商人馬車の数が多くなるにつれ、どんどん高まっていきました。その道は王国によって整備された商用道路の一つです。僕らはそこを通って各地の大聖堂を巡る予定でした。
 慣れない旅に浮足立っていたのはディリシアも同じで、彼女は何度注意しても自分の頭を馬車の床に連続で叩きけるのを止めませんでした。ウズウズするのは分かりますが、いくら何でもはしゃぎ過ぎです。ディリシアがこのような奇行に走るのは今に始まったことではないので僕は平気でした。とは言え、荷馬車の主である親切な行商人にまで迷惑をかけるのはさすがに胸が痛みます。
 幸いなことに、こういうときのディリシアはお腹の辺りを殴り続ければそのうち大人しくなることを僕は知っていました。スナップを利かせ、なるべく小刻みに、正確に鳩尾に入れることが重要です。今のディリシアは昔のディリシアよりも強情で、僕はほとんど一時間置きに『しつけ』を敢行する羽目になりました。自分でも幼馴染に対して少し厳しすぎる気はしましたが、彼女はもう十六歳になるのです。そろそろ大人の女性になってもらわないと結局最後に困るのは本人なのですから、僕は心を鬼にしました。
 そうそう、僕たちの旅には新しいメンバーが加わったことを伝えなければいけませんね。ミレイがディリシアになったので、僕は近くの村から似たような年頃の女の子を攫ってきて新しいミレイにしました。
 初めの内は、彼女は自分がミレイであることをなかなか分かってくれませんでしたが、腕の指を左の小指から右の小指にむけて順番に折っていくと、三本目ぐらいで彼女はとても素直でかわいい女の子になってくれました(念のため四本目も折りました)。指を折るという方法はとても効果的で、僕らを荷馬車に乗せてくれた行商人も二本ほど折ると、寝る間も惜しんで不眠不休で馬車を走らせ、普通なら一週間かかるクリアスまでの道のりを三日で走りきることを約束をしてくれました。なんて親切なんでしょうか。ちなみに約束を破った人間は殺す必要があります。
 旅は大方、順調でした。問題が起きたのは二日目の夜、クリアスへの最短ルート上にある大きな森を抜ける途中のことです
 日没と同時に、深い霧が馬車の行く手をすっかりと包んでしまいました。すると新しいミレイはガタガタと震えながらこう言いだしたのです。
「この霧は、近頃噂になっている恐ろしい人食いの魔物が出る予兆なんです。今日は、いったん引き返しましょうよ。私の村の狩人もたくさん犠牲になっていて、この道沿いでも腐った食い残しの死体がいくつも見つかっているんです。その魔物に出会って生きて帰って来た人は一人もいないんですよ」
 ミレイがあまりにガタガタ煩かったので、僕は彼女の残りの指を全てへし折りました。足の指もです。
  



 
 その日、僕が走り続ける馬車の中で眠りについたのは、かなり夜が更けてからのことでした。暴れ続けるディリシアと、いつまでも泣き止まないミレイを大人しくさせるのに、だいぶ手間がかかったからです。
 ミレイのほうは手加減しながら顔面を百発ほど殴ると、ピクピクと痙攣を起こしながら静かに眠ってくれました。厄介だったのはディリシアのほうです。彼女の体力は驚異的でした。
 騎士だから、鍛えているのは当たり前――という次元ではありません。彼女の傷が治るスピードは、常人を遥かに凌駕していました。最初に違和感を感じたのは、ニノヴァンで拷問をしているときでした。胸と両膝の弾痕、馬に踏まれた胴体や脚、砕けた顎。初めて出会ったとき負わせたそれらのダメージはほぼ一日で回復し切っていました。さすがに切り落とした右腕は生えませんでしたが、本来ならば再生するはずのない砕けた歯が再生したことには驚きました。そこまで来ると便利というよりはグロテスクです。
 また、彼女は毒に対しても非常に強い耐性を持っていました。大の大人が一瞬で動けなくなる量の神経毒(子供のころ故郷にいた屈強な猟師たちで実験したので効果は確実です。彼らは獣の餌になりました)を喰らいながら、それでも彼女は荷馬車の床に頭を叩きつけるのを止めません。そんなに故郷の外を旅するのが嬉しかったのでしょうか? 
 僕は拷問をルーチンワーク化すると同時に、神経毒の量を段階的に増やし、さらに出血毒をブレンドすることでそれらの問題に対応しました。神経系に作用して肉体の自由を奪う神経毒に対し、出血毒は血液に作用し筋肉を直接的に破壊します。もちろん、肉体的なダメージを狙ったのではありません。出血毒の利点は、喰らった人間に激しい痛みを感じさせるという点です。
 僕はディリシアの心を折ることが必要だと考えていました。致死量の三十倍ほどの神経毒を投与すればディリシアを大人しくさせることはできましたが、備蓄している毒の量には限りがあります。毒なしで彼女と仲良くならなければなりません。そのためには、苦痛を与え続けることで彼女の頑なな態度を軟化させることが先決です。一言で言えば、彼女を洗脳しようと思っていました。
 彼女の脅威的な治癒能力は、言うまでもなく魔法によるものでした。僕はディリシアの命と世界を救うこの旅を達成するためには、魔法はかなり重要な鍵になると考えていました。それは僕がディリシアを洗脳しなければならない理由にも関係があります。
 そもそも魔法とは、古代の人々が自然の中に存在する神々や精霊を祀り、その引き換えとして借り受けた特殊な力だと言われています。正直なところ、僕は魔法に対してあまりいい感情を持ってはいません。初めから願いを叶えることが目的で神様や精霊に祈りを捧げるというのは、何だか即物的な気がしたからです。もちろん、魔法を使うことで自分や大切な誰かの命を救えるという一大事なら、それは迷わず使うべきだとは思います。僕はディリシアの命を守るためなら、己の主義を曲げて惜しみなく魔法を使う覚悟でした。
 エアルドは魔法の剣ですが、僕にとってはあくまで気の置けない友人です。
 実際、僕は彼の助言に助けられたことは何度もありますが、彼の魔法の力に頼ったことは一度もありません。もっとも、エアルドは言葉を話せること以外の力を失っていたので、それは当然のことです。
 王国の各地には純粋な魔法使いの種族――魔族が地上を支配していた時代に作られた遺跡が数多く存在し、そこからはエアルドのような魔法の道具(彼を道具扱いはしたくはないですが便宜的にこういう表現を使います)がたくさん見つかるらしいです。しかしその大半が経年劣化により魔力を失っており、魔力の残ったアイテムはアーティファクトと呼ばれ非常に高い価値を持つ、というのは今の時代の人間ならば誰でも知っている話だそうです。恥ずかしいことに、田舎者の僕はミレイを拷問するまでそんなことは全然知りませんでした。
 エアルドが言葉を操る能力だけを失わずに済んだのは幸運でした。そのおかげで、僕は友達を一人得ることができたのです。もちろん僕は彼を役立たずと思ったことはありません。彼は僕の友達です。役に立つかどうかの尺度で判断するような相手は、友達とは呼べません。また、仮にエアルドが魔法を使えたとしても、彼は安易に僕を助けるようなことはしなかったでしょう。それが僕らの関係でした。
 エアルドは必要なこと以外はあまり言わない性格ですが、僕は彼が魔法の経年劣化によって記憶の大半を失っていおり、心の中では己のルーツを知りたがっていることを理解していました。心が通じた友達ならばそれぐらい何も言わなくても伝わりますし、その手伝いをするのは当然のことです。おじいちゃんは「それはお前の妄想だ! それはただの古い剣だ! ワシの孫は狂ってやがる!」と言っていましたが、ぶっ殺したので問題はありません。 
 おじちゃんを殺した理由はもう一つありました。魔法の道具、アーティファクトを許可なく所持することは、王国の法律によって禁止されていたのです。つまり、もしエアルドが魔法の剣だとバレてしまえば、僕は大事な友達を失う可能性があります。だから、僕はなんとしてもエアルドの正体を秘密にするつもりでした。友達のためなら僕は何でもできます。
 さて、話をに戻しましょう。魔法についての説明です。
 王国が魔法を管理しているのは、同類同士の勢力争いで弱った魔族を一網打尽にして作られた人間の王国だからです。
 王国は魔法を恐れると同時に、民衆を支配する道具として狡猾に利用していました。その最たる例が、ミレイの属する騎士団です。騎士団のトップ、王直属の十三騎士たちの祖先は、王国の建国時、地位と権力の保障と引き換えに魔族側から人間へ寝返った一部の魔族だったと言われています。王国は十三騎士以外の人間が魔法を使うことを――たとえそれが魔族の血を引く十三騎士の親族や、部下である騎士団員だとしても――固く禁じていました。つまり十三騎士は、この時代において独占的に魔法を使うことを許された最強の集団だということです。
 驚いたことにミレイは十三騎士の一人でした。
 若いのに立派なものです。ちなみに驚いた、と言ったのは「弱すぎて驚いた」という意味です。彼女が最初から全力を出していれば、僕を跡形もなく消し去ることぐらい朝飯前だったでしょう。しかし、実際には彼女は魔法を使う暇もなく僕に敗北しました。油断は言い訳になりません。それは弱いということです。
 とは言え、得意とする魔法のことを考えれば、彼女が十三騎士の中でもかなり倒しやすい相手だったというのもまた事実です。十三騎士の中には攻撃を自動で防御したり、治癒能力だけでなく肉体の耐久性を常時強化するといった魔法の使い手もいるそうです。そのような相手を前情報なしで倒すのは困難だったでしょう。もちろん、今の僕は(今はディリシアですが拷問した時点では)ミレイから十三騎士の情報を得たのである程度戦略は立てられます。クリアスの都にも騎士団の支部があり、十三騎士の何名かは『生贄の巫女と護衛の騎士がそろって行方不明』という事態に対応するために集結している可能性がありました。こちらの存在が知れる前に一人づつ暗殺していくのが得策です。
 ついでに言えば、ミレイは他の騎士全員の能力全てを把握しているわけではありませんでした。どうやら十三騎士の中にも秘密主義者――情報戦の重要度を理解している者は少なからずいるようです。そのような戦術的なものの見方という点においても、ミレイは倒しやすい相手だと言えました。
 ただし、さすが騎士なだけあって、ディリシア(ミレイ)の使う魔法そのものに関しては見るものがありました。彼女をぜひとも洗脳したい理由がそれです。
 拳銃を武器とする彼女は、その姿の通り『銃騎士』の異名を持っていました。固有魔法の特性は、弾丸に魔法を込めストックしておけるというもの。シンプルですが工夫をすれば強力な力です。
 言うまでもありませんが、魔法を使うには魔力が必要です。ところが『銃騎士』は魔力を込めた弾丸をあらかじめ用意することによって、その場では一切魔力を消費することなく魔法を行使することが可能でした。実際には攻撃補助や防御、移動に魔力を回すというのがディリシアの戦闘スタイルだったようですが、魔法の源である魔力を大幅に節約できるのは強みです。一方で、大量の弾丸を同時使用すれば、彼女の魔法は理論上はいくらでも瞬間威力を引き上げることが可能でした。長期戦にも短期戦にも対応できる柔軟な魔法。それが彼女の力なのです。
 そして、もっとも重要なポイントは『銃騎士』の魔法弾が、魔力を持たない非魔族、つまり人間にも使えるという点でした。
 つまり、僕にも使えます。
 魔法弾を人間の兵士に配れば即席の魔法兵団を作れますが、王国にそのつもりはないようでした。今は平和で軍を拡張する必要はありませんし、下手にそんなものを作れば魔法弾の技術が外部に漏れる可能性もあります。また、王国の規制によって、魔法の道具を作り出す技術はすっかり衰退していました。そんな中で当代の『銃騎士』ディリシアは王国内で唯一『人間に使える魔法の武器』を量産できる魔法使いです。
 僕は今、魔法弾を独占していることになります。
 騎士が死亡した場合に備え、魔法の技術論は王国側にも貯蔵されているようですが、それを高レベルで実践できるのは現在はディリシアのみ。さらに実戦で通用するレベルの魔法弾を作るには、よほどの天才でもない限り年単位の修練が必要だそうです。つまり、王国がミレイ(僕にとってはディリシアですが王国側はミレイがディリシアになったことを知らないのでこう呼んだほうが正確でしょう)の代わりを急造し、魔法弾を装備した軍隊が僕の敵に回る可能性はほぼゼロパーセントだと言えます。当面の脅威は、残りの十三騎士。王国の少数精鋭主義は裏目に出ていました。
 ミレイ(倒した時点で)の持っていた弾丸は八十一発、その内魔法弾は三十六発ありました。六種類の異なる効果を持った弾丸です。ディリシアは魔法弾にさらに己の魔力を通し、弾道を操ったり、外れた弾丸を結界の触媒にすることができるそうですが、魔族の末裔ではない僕には不可能な技でした。しかし武器としての単純な威力は、非魔法使いの基準からすれば破格です。
 十三騎士の中でもっとも倒しやすく、もっとも倒したときに返ってくるリターンが大きい相手に最初に出会えたのは幸運でした。これも僕の日ごろの行いがいいからでしょう。
 それにしても、ミレイをディリシアにしたせいで、ミレイのことを説明しようとするときミレイと呼ぶべきかディリシアと呼ぶべきかいちいち迷ってしまう、というのは少し考えものかもしれません。ディリシアをミレイに戻してみることも考えてみましたが、そうなると今のミレイ新しいディリシアにしなくてはいけません。今のミレイはただの村娘で、いかにもあっさり死んでしまいそうな気がします。ミレイとディリシアを入れ替えたとたん、ディリシアが死んでしまったというのでは、元も子もありません。
 長い目で見れば、魔法で強化された回復力を持つ死ににくい今のディリシアのほうがディリシアには相応しいでしょう。僕の使命はディリシアの命を守ることなのです。 
 僕は寝る前にへし折ったディリシアの肘と膝の三カ所を縄できつく縛って固定しました。治療ではなく、可動域の逆側に折ったままの状態で固定したのです。そうすることで、破壊した関節の治りを遅らせることができます。傷の治るスピードを観察しているうちに、僕はディリシアが治癒のスピードや部位をある程度意識的にコントロールできるのではないか、という疑いを抱きました。今のところ、たった一晩で折れた手足を完治させるほどの回復力は見せてはいませんでしたが、寝込みを襲われる可能性を考えれば必要な処置でした。
「おやすみ、ディリシア」
 僕が声をかけると、彼女は獣のような低い声で唸りました。
 今のディリシアは昔のに比べて随分と野性的になったな、と考えながら、僕は毛布を被って横になりました。   
 




 旅の疲れもあって、その日はすぐに眠りに落ちてしまいました。
 馬車の揺れは、揺り籠代わりに僕をあやしてくれます。行商人は忠実でした。
 僕に指を折られたとき、彼は自分の故郷と場所と、そこで帰りを待っている妻と娘の名前を教えてくれました。つまり、三日で僕たちをクリアスまで送り届けるという約束には、三人分の命がかかっているということになります。行商人の家族を想う気持ちは本物でした。目を見れば分かります。彼が馬車を止めることは有り得ません。そして、彼が万が一馬車を止めた場合、僕は彼を絶対に許さないでしょう。それはある種の信頼関係に近いものでした。
 馬車が止まったのは、僕が眠りについてからおよそ二時間ほど経った頃でした。
 馬車は次第に速度を落としてき、最後にはゆっくりとその場に停止します。
 その瞬間、急に目が覚めた僕はエアルドを鞘から抜き、元の人相が分からなくなるほどに腫れ上がった顔で眠るミレイを一足飛びで跨ぐと、勢いに任せて行商人がいるはずの御者台に向けて刃を突き立てました。
 刺したのは肩でした。
 荷台と御者台は幌についたカーテンで仕切られていましたが、エアルド越しに伝わってくる肉と骨の感触から、その狙いが正確だったことが分かります。まだ殺しはしません。彼には僕らをクリアスまで届ける義務があります。痛みによってその義務を自覚させることが肝要です。
 同時に、僕はカーテンの向こうで複数の気配が息を呑むのを察知していました。
 馬車の周囲に誰かがいました。寝ぼけていた僕は、一瞬だけミレイの話していた魔物が現れたのかと思いましたが、すぐに思い直しました。馬車は急ブレーキではなく、徐々に速度を落として停車しました。眠りながらでもそれぐらいは分かります。魔物に遭遇したのなら、行商人にそんな余裕はないはずです。
 馬車の近くにいるのは恐らく人間だと、僕は判断しました。
 しかしながら、それはそれで不可解な状況です。行商人はなぜ、馬車を止めたのでしょう。彼のような善良な人間でも、相手とぶつかる瞬間に目をつぶり頭に家族の顔を思い浮かべれば馬車で人を轢き殺すことは可能です。行商には僕からのアドバイスを活かしてはくれなかったのでしょうか。かなり不思議でした。
 何にせよ、僕はまず馬車の外にいる人たちの正体を探らなければいけませんでした。
「……もしもし、そこにいらっしゃるのはどなたでしょう?」
 そう尋ねると、少しの沈黙の後、かすれた声の返事がありました。
「……我々は都の近隣を見回っている騎士団です。その……あなたは一体何をしているんですか? 剣が……刺さっているように見える……いや、刺さっているぞ。あんた、なんてことを……」
 厄介な状況になりました。まさかこんな真夜中に森の見回りをしているなんて、騎士団はかなりの働き者です。目の前で剣を刺してしまっては、さすがに言い逃れはできません。彼らはこちらの言い分を分かってくれるでしょうか。さもなければ皆殺しにする必要がありますが、僕はあまりことを荒立てたくはありませんでした。
 一か所に定住しない旅人や行商人ならまだしも、宮仕えの騎士団員が突然消息を絶つというのは王国側にかなり警戒心を抱かせてしまいます。すでに生贄の巫女の護衛に選ばれた騎士ミレイが行方不明になっている今、騒ぎを起こせば残りの十三騎士全員がクリアスに招集される可能性もゼロではありません。
「……ええっと、変な物音がしたせいで、驚いてしまったんですよ。噂の魔物かと思って、寝ぼけてカーテンを刺してしまったんです。ああ、御者さん! 大丈夫ですか? 今、剣を抜きますから」 
 我ながら酷い演技でした。騎士団員の皆さんは僕のことを疑っているのか、誰も言葉を返してくれません。木製の足場にギシギシと体重がかかる音で、そのうち一人が御者台の上に登ってきたことが分かります。厄介な状況です。僕は自分の迂闊さを呪いました。残念ながら、殺すしかありません。
 しかし、本当に迂闊だったのは寝ぼけたまま何も考えず行商人を刺したことではありませんでした。
「ジャスバル、そいつを殺せ」
 エアルドが、いつものように僕にアドバイスをくれました。エアルドはとても頼りになる剣です。その助言がなければ、僕はカーテン越しに突き刺したエアルドの刃を引き抜いて、そのまま殺されていたでしょう。
 僕はものすごく単純で、ものすごく異常なことを見落としていました。
 剣が肩を貫通したにも関わらず、行商人は呻き声一つ上げなかったのです。それどころか、身動き一つしていない。
 明らかな異常です。
 彼の痛みへの耐性が人並みということは確認済みでしたし、ことさらに苦痛に耐える必要性がある状況とも言えません。エアルドの刃越しに感じる筋肉の緊張から、刺した相手が痛みに正常な反応を示していることは確かでした。確実に生きています。刺されたショックで心臓麻痺という可能性はゼロ。
 刺された拍子に、行商人の肩部分を除いた全身の筋肉が都合よく痙攣した? 有り得なくはない話です。しかし、もっと現実的な仮説がありました。
 それは僕が刺したのは行商人ではない、という説です。
 たとえ騎士団に馬車を止めるように支持されたとしても、行商人がそれに従うことは有り得ません。彼の家族を大切に想う気持ちは本物ですし、彼の心の底に刺さった僕に対する畏怖の感情もまた、本物でした。この二日ちょっとの間、彼は馬車を走らせながら、僕が荷台でディリシアとミレイを拷問するのをずっと聞いていたのです。恐怖心は正常な判断力を奪います。行商人に関して、僕に逆らうなという刷り込みは完璧でした。
 恐らく、この相手は走行中の馬車に飛び乗り、行商人を殺害、あるいは毒などで無力化してから手綱を奪ったのでしょう。馬車の停車と同時にエアルドを刺したので、再び入れ替わる暇もありません。
 馬車の周りにいる騎士団を名乗った連中も仲間です。思い返して見れば、彼らは僕が剣を刺したことを咎める前に、自分たちは騎士団だと名乗っていました。本物の騎士団員の反応としては違和感があります。恐らく予想外の事態に、相手を騙さなければ、という焦りが出たのでしょう。
 ちなみに、僕はその時点で行商人の妻と娘に生まれて来たことを後悔させ、極限まで精神と肉体を追い詰めた状態をキープしたまま天寿を全うしてもらうことに決めていました。あっさり殺せば、それだけ早く家族があの世で再会してしまうからです。行商人の話はそれで終わりです。彼は役立たずでした。
 話は戻ります。
 僕が刺したこの人物の正体は誰なのか。それが重要です。
 まず、ミレイの噂にあった魔物の仕業だという説は却下されます。
 魔物というのは、遥か昔、邪悪な魔法使いが人工的に作り出したと言われている異形の怪物たちの総称です。その姿は千差万別ですが、共通して言えることは人間を害するための強力な武器を備えている点でした。僕は聞いたことがありませんが、人の言葉や馬を操れるほどの知能を持った魔物も、この広い世界のどこかにはいるのかもしれません。
 ただし今回は、そんな魔物の仕業だと考えるには明らかにおかしな点がありました。それはこの街道沿いで犠牲者の死体が見つかっていることです。そこまで頭のいい魔物が道沿いに証拠を放置し、獲物を警戒させるような真似をするでしょうか。野生動物は、しばし生きることにかけて人間を驚かせるような知恵を発揮します。故郷ニノヴァンで長年猟師をやっていた僕はそのことを知っていました。
 加えて、犠牲者の死体が森の中ではなく街道沿いで見つかるという点に、僕は明らかな作為を感じていました。石畳で舗装された街道は、野生動物にとっては武装した人間が通るかもしれない危険地帯です。そんな場所で魔物がゆっくり食事をとるというのも野生の常識には反しています。
 犠牲者の死体は、明らかに『人間が魔物の仕業に見せかけるため』にそこに置いたものです。ミレイから噂を聞いた瞬間に、僕はそれを見抜いていました。
 しかしながら、僕は最後の最後まで、ある感情論的な決めつけのせいで、魔物を騙る人間たちの正体に辿りつけずにいました。
 盗賊、奴隷商人、快楽殺人者。僕はまずその三つの可能性を考えましたが、どれもしっくりとは来ませんでした。
 盗賊の場合、殺した相手から金品を奪うという目的がネックになります。魔物に喰い残されたはずの死体から一切金品の類が発見されなければ、騎士団がよほどの無能でもない限り偽装を疑うはずです。わざと金品の一部を残せば儲けは減りますし、騎士団の常駐する大都市クリアスの近くを根城にするリスクもあります。手間に比べて儲けが少ない。粗暴な盗賊にそれを続ける忍耐があるとは思えません。
 次に奴隷商人はもっと有り得ません。霧の中で来るかどうか分からない旅人を待つくらいなら、人を雇って村ごと襲ったほうがまだ効率的です。また、商売人である彼らは粗暴な盗賊以上にクリアスの近隣で仕事をするリスクを嫌うでしょう。その上、せっかく攫ってきた商品の奴隷をわざわざ殺して偽装に使うとなると、いよいよもって採算が取れなくなってしまいます。
 快楽殺人者。これが一番有り得そうだとは思いましたが、違和感は残ります。彼らは生活のため必要に迫られ人を襲う前二者とは違い、気ままな趣味人です。魔物に偽装しないといけないほどハイペースで殺人を繰り返すとなると、それこそ魔物じみた欲求と体力の持ち主でもなければ務まりません。いささか荒唐無稽な説です。
 エアルドがアドバイスをくれた時点で、快楽殺人者説もほぼ否定されました。僕が馬車の外に感じた気配は複数でした。刺した相手を入れると、少なくとも三人以上。複数の特殊性癖の持ち主が同じ土地に集まり偶然知り合いになることなど稀でしょうし、もし仮に偶然が起こったのだとしても、こんな森の中でなく街中で趣味を満喫するでしょう。快楽殺人者と呼ばれる人々は、人間社会の中に溶け込むことを得意とする一種の野生動物なのです。彼らのやり口にしては、この犯行はいささか原始的な印象を受けました。
 さて、話が長くなってきました。そろそろ結論に入りましょう。
 僕の過ちは、ミレイの言葉を信用しなかったことにあります。同じ旅の仲間であるというのに、僕はどこにでもいる村娘だったという上辺の経歴だけで、彼女を頼りにならない人間だと決めつけていました。かなり失礼な行為です。僕は後でミレイに謝らなければいけません。
「この道沿いでも腐った食い残しの死体がいくつも見つかっているんです」
 ミレイはそう言いました。
 腐った喰い残しの死体。通常ならば、そんなものが見つかるはずがありません。辺境にあるニノヴァンの周辺ならともかく、この道はクリアスへと続く主要街道なのです。毎日、十数組の旅人が通る道沿いで、死体が腐るほどの長期間、誰にも発見されないというのは無理があります。
 腐った死体ではなく、ちょっとだけ腐りかけた死体。単なる言葉のあや。ミレイが不正確な言い方をしただけ。僕はそう思っていました。
 しかし、そうではなかったのです。死体は実際に腐っていたはずです。ミレイの言葉が正確と考えれば、全ての辻褄は合いました。
 腐った死体しか、捨てない。
 逆に言えば、それを捨てた人間にとって腐ってない死体は価値があるということになります。盗賊も奴隷商人も快楽殺人者もそんなものに価値は見出しません。そして、『彼ら』には快楽殺人者と違い、人間を定期的に襲わねばならない切実な事情があります。
 なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのでしょう。
 この世に、腐っていない、新鮮な死体でなければ価値を見出さない、そんな人々が一種類だけ存在します。
 それは人間を主食にする人間です。
 僕はエアルドを刺したまま、もう片方の手で腰から拳銃を抜き、カーテン越しに相手の頭を撃ち抜きました。
 脳症がカーテンに飛び散ちります。
 直後、そのカーテンを突き破って伸びてきた槍を、僕は紙一重で回避しました。
 エアルドの忠告から二秒後のことでした。あと一瞬でも気づくのが遅ければ、僕は串刺しになっていたでしょう。
 後ろに飛んだ僕は、ミレイの鳩尾辺りに思い切り着地しました。どこかで潰れた蛙が一鳴きします。
 その時点で、僕はすでに拳銃を持ち替えています。二丁ある拳銃のうち、腿のホルスターのほうには通常弾、ベルト背面のホルスターに差したほうには魔法弾が装填されていました。
 破れたカーテンの隙間からは、槍の持ち主が顔を出していました。ぼさぼさに伸びた髪に、やせ細った髑髏のような顔。一つ一つのパーツが異様に飛び出し自己主張した顔つきは、人間中心の偏った食生活の弊害でしょう。
 引き金を引くと、その顔を炎が焼き払いました。 
 爆炎を生み出す魔法弾。頭を撃たれた御者台の男、槍を持った髑髏顔、そして幌の前半分が一瞬で吹き飛びます。なかなかの威力でした。
 それは攻撃であると同時に、逃げるための作戦でした。
 荷台の中から御者台のほうに炎を放ったということは、その先には馬がいます。かすめた炎をたてがみのように纏った二頭は、いななきとを上げながら動き出していました。しばらくで馬はダメになりますが、逃げる距離としては十分です。
 ところが次の瞬間、僕はその作戦が裏目に出たことを悟りました。
 馬車の前方は崖でした。
 獲物が逃げた場合を考えて、彼らは二重の策を張っていたのです。野蛮なように見えて、やはり野生生物に近い。そのやり口の周到さには、ある種の感動すら覚えました。
 エアルドと拳銃を納めた僕は、足元にいたミレイの腕を掴み、馬車の後ろの出入り口に向かって走り出します。途中にいたディリシアの脚をもう片方の手で掴むと、僕はめいっぱいの力を込めて二人を幌の外に向かって投げ出しました。続いて、僕自身もジャンプして外へと抜け出します。
 飛び出した空中で、僕はエアルドと通常弾の装填された拳銃を再び手に取り、一瞬で敵戦力を把握しました。
 相手は二人。
 フードを被った小柄な弓使いと、身の丈が僕の二倍ほどの大男。先ほどまで馬車が止まっていた辺りに彼らは立っていました。
 次の瞬間には、弓使いの放った矢は空中でディリシアを撃ち落とし、大男のほうは持っていた大鉈で飛んできたミレイを叩き割っていました。首を絞められた鶏のような声が漏れ、ミレイはくたばります。結局、彼女に謝ることはできませんでした。
 まぁ、悔やんだところで仕方がありません。
 そもそも二人を先に脱出させたのは防御のためです。
 敵の注意がそれぞれの囮に向かったことで、僕は攻撃のチャンスを作り出すことに成功していました。僕はエアルドを投げつけ、同時に拳銃を構えます。
 崖の淵に着地。
 エアルドが大男の喉に刺さる。
 三連発の銃弾が弓使いの右肩、頭、胸に命中。
 全ては同じタイミングでした。
 残念ながら、それでは終わりませんでした。弓矢使いは倒れましたが、大男のほうはなかなかにタフなようです。首に刺さったエアルドを抜こうともせずに、こちらに突進して来ます。その顔には、狂った笑いが浮かんでいました。
 僕は冷静に拳銃を構えます。
 大男の頭がジャガイモのように歪んでいることに気が付いたのはそのときです。怪我ではなく、金属の覆いを釘で直接頭に取り付けていました。防御のための、原始的な身体改造。その腕はお粗末で、頭蓋骨に比べ覆いのサイズが小さく、脳を圧迫しています。
 魔法との併用を前提としたミレイの拳銃では打ち抜けない。
 とっさに判断した僕は、金属板で守られていない目玉に狙いを切り替えますが、それでも引き金は引きません。
 大男には左目がありませんでした。
 何もないくぼみの底は、頭にくっつけた金属板と一体化しているように見えます。
 単に失った眼孔を防ぐだけなら、くぼみになっている必要はありません。僕はそれを手術の失敗跡だと思いました。眼球の裏側に金属板を仕込むことで、目玉を撃たれても生きていられるという手術です。
 左目は失敗し眼球を失った。では右目は?
 振りかぶられた斧のように巨大な鉈を、僕はギリギリで避けました。
 六連発の回転拳銃を、僕はすでに四発撃っています。残り二発。無駄弾は撃てません。眼球を潰し視力を奪ったとしても、霧の中で狩りをする彼らなら、嗅覚や聴覚を頼りに戦闘を続ける可能性があります。また、頭をこれだけ厳重に守っているなら心臓もガードしているに決まっていますし、腕や脚は太すぎて有効なダメージを与えることは不可能でした。
 大鉈の二撃目は、僕の頬をかすります。
 回避と同時に僕は弓使いのほうを確認しました。まだ倒れたままですが、もし大男と同じ手術を受けていればすぐに復活するでしょう。そうなればこちらは圧倒的不利。
 少なくとも、こちらの大男は即座に始末する必要があります。
 一方で、むこうも僕が弓使いに気をとられた一瞬を見逃しませんでした。
 地面をひっかくように振られた大鉈は、こちらにむかって土砂を飛ばしていました。単純な目潰しでしたが、回避できないタイミング。
 頭をガードしながら、僕はその場に尻もちをつきました。
 高く掲げられた大鉈が、それを狙って一直線に落ちてきます。飛んできた人間をひらきに変える威力。当たれば即死。しかし、使い手の頭は単純です。
 隙を見せたのはわざとです。あっさり大男の足元に退避した僕は、地面に刺さった大鉈を握る男の右手に拳銃を添えます。
 弾道は、人差し指から小指まで一直線。
 銃声とともに、肉片が周囲に飛び散りました。
 同時に、大男の左手にはナイフが刺さっていました。ミレイ用に、神経毒をたっぷりと塗ったナイフです。この男なら、二十秒もあれば全身に毒が回るでしょう。もっとも悠長に待つつもりはありません。
 がむしゃらに振り回された丸太のような両腕を、僕は難なく躱しました。
 むこうは大鉈を拾えません。右手には指がなく、左手は毒の痺れが表れはじめています。加えて、僕は今まであえて利用しなかった相手の左目の死角を使い始めていました。こちらの急な動きの変化に混乱する大男の背後をとるのは簡単でした。
 僕の狙いは、地面に刺さった大鉈。
 引っこ抜けた勢いを利用して、僕は大男の足首を丸太のように切り落とします。さらに横回転を加え、もう片足も。
 勢いを維持したまま、大鉈の軌道は尻もちをついた大男の股間に導かれます。
 豚のような悲鳴がしました。
 間髪入れず、僕は地面に刺さった大鉈の柄を踏み台に、大ジャンプ。もちろん着地地点は、大男の喉に刺さっているエアルドの柄の上です。
 落下してきた僕の体重によって押し込まれたエアルドの剣先は、大男の首を貫通し地面に達していました。大男はまだ動いていますが、エアルドと大鉈の二本で地面に固定されており、両手はものをつかむことができません。このまま放置すれば神経毒が身体の自由を奪います。
 即座にエアルドの柄から飛んだ僕は、地面に伏せ弓使いの倒れた方向に銃口を向けました。しかし、弓使いは消えています。
 僕は魔法弾入りの拳銃を構え、通常弾の拳銃を再装填しながら周囲を警戒しました。結局、霧のむこうから矢が飛んでくることはありませんでした。頭と心臓への弾丸は防がれましたが、右肩にはダメージが通ったのでしょう。弓を構えることができなくなった敵は、撤退を選んだのです。
 僕は真っ二つに裂けたミレイを無視し、ディリシアの元に駆け寄りました。腹に矢が刺さっていましたが、基本的に彼女は丈夫です。僕は倒れた彼女の横にひざまずき、腹の矢を力任せに引き抜きました。
 ディリシアはかなりワイルドな雄たけびを上げました。僕の幼馴染はなんてワイルドな女の子なのでしょう。少しは慎みを覚えたほうがいいと思います。
「大丈夫? ディリシア」
 そう聞くと、彼女はものすごいしかめっ面で僕を睨んできました。こんな真夜中に叩き起こされたなら、不機嫌になるのも仕方ありません。しかし悪いのは僕ではないのです。八つ当たりはやめてほしいと思いました。
「違うぞ、ジャスバル。そいつはツンデレだ」
 エアルドがそう言いました。ディリシアはツンデレです。つまり、今までの彼女の刺々しい態度は、僕への好意の裏返しということになります。ちょっと待ってください。ディリシアは僕にとって家族のような存在で、急にそんなことを言われても心の準備ができません。僕は自分の顔が赤く染まるのを自覚しました。
 僕がディリシアの青い瞳の中に、自分以外の人影を発見したのはそのときです。
 僕は彼女の左手を掴み、武器として使用しました。
 体重の話をすると女の子は怒るかもしれませんが、ディリシアは元騎士のミレイなだけあって筋肉質で、そこそこの重みがあります。適度な鈍器でした。
 背後から僕を襲おうとした不届き者は、ディリシアにぶっ飛ばされます。
 骨が砕ける音がしました。恐らく、その中にはディリシアの骨も含まれているでしょう。僕はディリシアをその場に捨てると、相手の姿を確認しました。
 相手は弓使いではなく、二番目に倒した髑髏顔の槍使いでした。全身黒焦げで人相は分かりませんでしたが、体格からして間違いはありません。この状態で動けるとは驚きです。
 顔面に蹴りを入れると、かろうじて形を保っていた髑髏顔の鼻がボロボロと崩れ落ちました。
 蹴った感触から、髑髏顔の頭にも金属版が埋め込まれているのが分かりました。恐らく、手術をしたのは僕が最初に撃ち殺した御者台の人物でしょう。自分で自分の頭を切り開く手術はできません。走行中の馬車に飛び乗り行商人を暗殺するという役割から考えても、彼はかなり有能で、この人喰いたちの主導的な立場だったことが伺えます。最初に倒せたので幸運が重なった結果でした。
 崖の下では、焼け死んだ馬の炎が、周囲の木々に燃え広がり始めていました。
 人喰いたちの全体数が分からなければ、敵の増援を避けるため僕たちは逃げるしかありませんでしたが、髑髏顔が生きていたことで状況は変化していました。僕には自白剤の用意があります。ミレイに使っていた毒とは別の種類の成分で、脳の思考と精神活動を司る部位を麻痺させ、相手を従順にします。単純な麻痺毒にくらべ生成は難しいですが、背に腹は変えられません。
 僕は髑髏顔の腕をへし折って地面に押さえつけ、焦げた首筋から何とか血管を探し出し、自白剤を注射しました。
 その間も、崖下では数度の爆発が起こっていました。行商人を人間爆弾として利用するために荷馬車に積んでいた火薬と油が引火したのです。爆弾そのものは不発に終わりましたが、いつでも使えるように毒と弾薬を肌身離さずリュックに入れて持ち歩いていたことは幸いしました。馬車は失いましたが、戦力的な損失はほとんどありません。
 なんだか、旅に出てから怖いぐらいに幸運ばかり起こっているような気がしました。ここまで極端だと、逆に不安になってきます。
 しばらくすると、髑髏顔がよだれを垂らし「うげっ……げっ……げひっ……」っと薄気味の悪い呻き声を出し始めました。薬が表れて来たようです。
 僕が知りたかったのは、彼らの残り人数とアジトの位置でした。 


 
 
 人食い人種の一味は家族でした。
 髑髏顔によると、気付かれずに馬車を乗っ取ったのが父親、弓使いが母親、残り二人は息子たちで、あと一人、アジトで留守番をしている一番歳下の妹がいるらしいです。
 人喰い一族は、一時期は人里離れた山奥で攫って来た人間を家畜にし、五十人以上の大家族で生活をしていたこともあったそうです。そこを王国に見つかり、騎士団に壊滅させられ、命からがら逃げた二人がこの一家の両親でした。ちなみに二人は夫婦でありながら兄妹でした。なかなかエグイ話です。
 大男に止めを刺した僕は、エアルドと大鉈を回収し、いったんディリシアをその場に残して、髑髏顔にアジトまでの道案内をさせました。
 ここでも幸運がありました。アジトの場所は、馬車が落ち火事になった辺りの向こう側だったのです。母親である弓使いは炎を避け迂回するしかありませんが、こちらは魔法弾を使って通り道を作れば先回りができます。
 僕は氷の魔法弾で火事を一部分だけ鎮火しました。少し勿体ない気もしましたが、出し惜しみをしても意味がありません。
 自白剤で朦朧として髑髏顔を崖から突き落とした僕は、それをクッションにして下へ着地しました。落下したときに脚を怪我したようで、彼は途中何回か転びながら僕をアジトへと案内してくれました。足元には血が垂れています。
 炎を抜け、百歩ほど歩いたところに、一家の家はありました。ボロボロな一階建ての小屋でした。言われなければ、人が住んでいるとは思えません。
 一家の末っ子は、小屋の前の切り株に腰かけていました。
 年齢は十代半ばぐらい。ぼさぼさの髪に、猫のような大きなギョロ目。化粧のつもりなのか、目と口の周りに赤黒い染料を塗りたくっており、白骨死体を使ったおままごとに興じています。実年齢に比べ精神的に幼いような印象を受けましたが、返って好都合だと思いました。
 僕と、僕の拳銃を頭に突きつけられていた髑髏顔の姿を認めると、それまで楽し気だった彼女の表情は一変しました。真っ黒焦げだというのに、彼女にはそれが自分の兄だと分かったようでした。
 顔に浮かんでいたのは、明確な敵意の表情です。
 人骨を削って作られたと思われるおままごとのナイフを手に取ると、彼女は獣のような四足歩行でこちらに向かって来ました。僕は銃口の先をずらし、それを狙います。
 次の瞬間、動いたのは髑髏顔でした。
 姿勢を低くした彼の足払いによって、銃弾の狙いは大きく外れます。
 もちろん、僕はディリシアの件から髑髏顔が魔法による高い治癒力・毒耐性を持つ可能性を考慮し、背負った大鉈の柄に手をかけていました。崩れた体勢からでも、軽く振り下ろすだけで人間一人を殺すには十分な重量です。
 父親に仕込まれた頭蓋骨の金属板は切れ味の悪い大鉈の刃を止めましたが、首から下はその衝撃に耐えられず一気にひしゃげて潰れました。
 地面に到達する前に大鉈を手放した僕は、その柄を足場にして水平方向に飛んでいます。
 向かって来る相手の速度の、およそ二倍。
 僕はその勢いを腰から抜いたエアルドの刃に乗せ、相手の鎖骨を貫きました。
 地面を滑りながら、僕はさらに彼女に馬乗りになり、刺された痛みに声を上げる間も与えず顔面を殴ります。
 ひたすら殴りました。百発以上は殴ったでしょう。ミレイのときのように手加減はしていません。僕は彼女の額に残る縫合の跡をちゃんと確認していました。金属板の手術は成功しています。妻と上の二人で練習した分、父親の腕は上がっているようでした。
 彼女はしばらくして、動かなくなりました。
 生きてはいますが、精神は折れています。奇抜な外見に反して、なかなか素直そうな子だと思いました。
 僕は彼女を引きずり、小屋の中で弓使い――彼女の母親の帰りを待つことにしました。大鉈を脳天に喰らい、素直方向に全身骨折した兄の死体は放置したままです。そのほうが、相手には分かりやすいでしょう。万が一の抵抗を想定し、僕は人質の肩を外しておきました。こうすることで、後で付け直すことができます。
 ほどなくして母親はやって来ました。
 ゆっくりと小屋のドアを開いた母親は、僕と、エアルドを首筋に突きつけられた娘の姿を見ると、全てを悟ったようでした。
「武器を捨てろ」
 母親はこちらの指示通り、左手に握っていた短剣をその場に捨てました。拳銃で撃った右肩はやはり動かせないようです。弓矢で僕だけを打ち抜くことはできません。予想通りでした。
 人喰い一味にも仲間意識があります。
 彼らが家族であること、髑髏顔が身をていして妹を守ろうとしたことから、僕はその絆が利用できることを確信しました。弓使いが撤退を選んだことも、末娘の身を案じたからでしょう。そこまで分かれば後は簡単です。
 手、足、胴に合計六発の銃弾を撃ち込むと、弓使いは力なくその場に跪きました。
 ここからが仕上げです。僕は拳銃を持ち変えると、さらに炎の魔法弾を彼女にむけて放ちました。彼女はそれでも倒れはしません。人食い一族はやはりタフです。
 その姿を見た末娘は、急に我に返ったように暴れ始めました。
 僕は銃床でその泣き顔を殴りつけ、さらに母親に向かってもう一発銃を撃ちました。
 次弾に装填されていたのは、氷の魔法弾です。冷気は炎を引きはがし、程よく焼けた母親はやっと力尽きてその場に倒れました。それから僕は、泣きじゃくる末娘の襟首を掴み、まだかろうじて息のある母親のすぐそばに連れて行ってやりました。
「喰え」
 末娘はこちらの命令に従いませんでした。仕方ないので僕はエアルドの刃を彼女のふくらはぎに突き立てます。そのまま刃に捻りを加えると悲鳴がしました。逆らうことはできません。どうせ時間の問題です。僕は同じ命令を繰り返しました。
 しばらくすると咀嚼音が聞こえてきました。
 娘に腹を喰い破られた母親はびくびくと痙攣し始めています。
 僕の分析では、人喰いの一族が魔法によって作り出された人種でした。自身の魔法によって肉体を強化しているディリシアとは違い、彼らはの身体能力は生まれつきの特性でしょう。ディリシアにはない優位性はもう一つ。彼らは人間の肉を喰うことで、自らの回復力を爆発的に高めることができます。それに気づいたのは、髑髏顔にアジトまでの道案内をしてもらったときでした。自白剤が効いているふりをした彼は、わざと転び、僕の死角になる胴の下で自分の腕を喰っていました。むこうは隠したつもりでしょうが、歩いている途中で急に血を流し始めたらさすがに誰でも気づきます。
「ゲヘッ……ゲヘへへへ……」
 咀嚼音には、いつの間にか笑い声が混じっていました。
 人喰い一家の末娘――新しいミレイは、泣き笑いをしながら先ほどまで母親だったものを食べ続けています。彼女を『僕のために戦う獣』として飼いならすことは、どうやら上手くできそうでした。
 ミレイを仲間にした経験は、僕に一つの教訓を与えてくれました。
 相手と効率的に仲良くなるためには、痛みや恐怖だけではなく、もっと根本的に相手の人間性を踏みにじる必要がある。
 その教訓は、ディリシアとの関係にも活かせるでしょう。思えば、僕は魔法や騎士としての仕事のことばかりに注目し、彼女自身の生い立ちについてはまったく知ろうとは考えませんでした。俄然、興味が沸いてきました。後で聞いてじっくり聞いてみましょう。
 しばらくすると、小屋の外からパチパチと木の焼ける音が聞こえてきました。火の手がここにまで迫りつつありました。僕は喰いかけの死体にむかって名残惜しそうに手を伸ばすミレイを引きずって、外へと脱出します。 
 その後、ディリシアを回収した僕たちは、通りがかりの別の馬車を襲いスケジュール通りにクリアスの街へと到着しました。


(あとがき)
 
 無駄に長くてすみません。『狂人の一人コント』みたいなノリで書こうと思ったのですが、書いてるうちに普通のサイコ野郎になってきました。
 続きがあれば、ジャスバルの仲間探し(使い捨て)はまだまだ続く予定です。

       

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