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肉種苗
肉種苗#1・#2

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肉種苗――

完全変態と栄養生殖を兼ねて経る事はもとより、この星の生物とは思えない不可解な生態を持ち――

人間の暮らしを、ひいては地球上の生態系を脅かす存在。

我等の敵だ。《エルソウズタイムス社説『天地描線』より抜粋》


嘗ての小都市ウィジルミン。二十年程前までなら、表では映画館やら出版社やら舞台やら、とかくその方面で栄えていた。それも今や誰かの思出話。見渡せば繁栄を築いた筈の人々の脱け殻があちこちに目立ち、溜め息を誘う。
二十年前、今思えばそれまでずっと鳴りを潜めていたであろう奴等が、突如として下界に降り立った。異変の起こりは某日未明、街の中央の通りに、成人のものとされる死骸が粗末に散らばっていた。血痕は死骸を中心として周囲半径六メートルに弾けるように広がり、被害者の服も赤黒く染め尽くして四散してあり、骨は周辺の店にぶち当たってガラスを破って侵入しており、調査の結果、咬み砕かれたような損傷が発見された。そんな事件が二度三度も起これば悪評が立たない訳もなく、第一線の企業は競うが如くに拠点を移動し、残りも経営不振が祟って衰退。斯くしてウィジルミンは坂を駆け降りる様に落ちぶれた。

当時は奴等の実態を把握する者が名乗りを挙げなかったが、現在では世界中で稀に同様の事件が起こり、少しずつ情報を掴んできているらしい。特徴としては――

人間ではない事。
チョウやカブトムシと同様に完全変態を経る事。(卵状のもの→幼体→蛹→成体の過程を発見)
栄養生殖により卵状のものを産み出す事。
成体は様々な形態(人間に似た形態含む)を持つ事。
雑食である事。
人語を操る事。
損傷により生命を維持出来なくなる部位(通称「核器官」)の存在。

以上が現時点で公表されている情報の概要である。
逆に公表されていない情報――

この種の起源及び祖先となる種。
この種の体内の構造の約八割。
この種の幾つかの現象の理論。
この種の個体数の概算。この種の発生の原因。

等だろうか、未だ後者の占める割合が広い。原因としては、この種の死骸は劣化が早い。また諸々の現象も手伝って、一般の生物以上に解明が困難らしい。

…………しかし『肉種苗』とは仮の名に過ぎない。この名は結局かの生物の生態が反映されておらず、未だ改良の余地があるのだ。
解明が進み次第、正式名に変わるだろう。情報も集まってくるだろう。やがて『肉種苗』事件に終焉が訪れ、全ては人の管理下に置かれる。そうすれば、きっと現在の忌み嫌われた街ウィジルミンにも復活の兆しが現れる筈だ。最早そうだと願うしか…………あの街に救いは無いのだから。
かく願う青年フェンはそのウィジルミンにて生を受けた。彼は嘗ての名家コーリー家の末裔である。
「嘗ての」――まさしくコーリー家は「嘗ての」小都市ウィジルミンと運命を共にした。先祖代々慣れ親しんだこの街と――
父方の祖父母と母方の祖母は二十年前の事件から四年程経過した頃から立て続けに息を引き取っていった。あくまでこの三人は病死或いは老衰であるが、周りで呪いの類を勘繰る者は少なくなかった。現在は母方の祖父がウィジルミンに残り、両親は北にしばらく離れた都市ネローシェントへ越した。
そして、フェンはというと、ネローシェントでも両親の現在の居住地からもう少し東の方の地区で――姉のマゼリーと二人暮らしである。
フェンは役所の仕事に就いている、公務員だ。


本日は土曜日。本時刻は十一時二十三分。つまり自分は今OFFだ。
ただし、姉さんはまた仕事が入ったらしい……。もっともこうして休みが合わないのはしょっちゅうだけど。
そういえば……姉さん、今どんな仕事就いてるんだっけ?

ネローシェントの道もすっかり通り馴れたものだ。
オレは越した当時この街並みを見てるのが、とても辛かった。
「失敗例」みたいに落ちぶれた街と、「成功例」みたいに栄え続ける街。一体全体何が違ったって言うんだ……って疑問に思えて、そこから腹が立って仕方がなかったのだ。
それでも暫くここに居て、こうも思うようになった。
『栄える所は栄えるし、落ちぶれる所は落ちぶれる。何が良い悪いとかは関係ない』
その考え方の方が自分には余っ程受け入れ易かった。当時は小学生だったと思うけど、多分それくらい早めに気付いて良かったんだ。
そう考えれば何だって自然に思える……例えば、あそこの広場。二段降りる窪みが有って、池が造られてる。ここには特に人が立ち寄らないし、ましてや催し物なんてない。何でこうなったのかもわからない。だがこれもきっと『来ない所は来ない』という事だろう。
たまたま今日はジーサンが池の隣にいるけど。何か怖い。
「おーい、高校生や」
ヤベェ誰かが話しかけられてるというか絡まれてるよ……でも高校生なんかどこにいるんだ?……そうか独り言なのか、イヤだなぁあんな老け方オレは御免だ。
「アンタよアンタ、そこのサンアレクの黒のスニーカー!」
何故靴で呼ぶんだ。何で銘柄まで。何でこの距離で。
そこ(池の横)からここ(広場の端)までの距離で判るんだ、オレの靴の銘柄まで――
薄気味悪さに何とか目を瞑り、老人に返答した。
「な、何ですか……ていうかオレ高校生じゃありませんよ」
「なんだ中学生かよ判ら」
「流石にそれはない」食い気味に返す。いくら何でも視力の低さを疑うだろう(というか、ジーサンにそんな勘違いされてもそこにオレが喜んで良いニュアンスを孕んでいるとは思えない)
「実はな」本題に入る老人。「自分芸術家でな」「えっ」んな唐突――
「今日のこいつだ」手を向けた方には一昔前の雰囲気を醸し出す人形がそれまで無かった筈の所に立っていた。古臭い錻の玩具の様で、頭は鹿か?麒麟かも知れない、首から下は寸胴の体型プラス可愛らしいフリル付きの服装で愛らしいが、顔は意味深にニイッと嗤って得体の知れぬ雰囲気を醸し出す。
「そんな……きょうのパピーよろしく見せられて、私はどうしたら……」
「一万シキルでどうだ」
「イヤ、それって安いんですか?」見馴れない品で相場が判らない。
「じゃあ、二百シキルで良いよ」
そんなアウトレットがあるか……まあ要らないけども……。
「別に要らないので、あぁ、用事思い出しましたんでこの辺で」
「待ち給え、こいつは特別製のヤツだ、こうやって合図出すとだな」続いて老人は手を鳴らす。

すると人形は寸刻蠢いたかと思うと、忽ち首と手足延びていく。そんな物何処に仕舞っていたんだと言うほど。その長さはまさしく麒麟を彷彿とさせるが、延びた首と手足のその約半分の表面積を複数種の顔のパーツが無秩序に占拠していてどこか肉感的にも思える。然しこの様な動物が存在する筈は無い。そう、有り得る可能性は、唯の一つを残して他に無い。
「アイツはウチのマスコットだったのだが」老人の空言が聴こえる。オレはこれから何をするんだ。通報?周囲に勧告?そんな事より広場から脱出!しようと、思うの、だが――

麒麟の依然として馬鹿長い首手足が遠近感を狂わせる。

嘘だろ?オレは逃げてるんだろ?逃げなきゃいけないんだろ?なのに頭が、身体が、言う事を聞かない。麒麟の四肢は今にもオレの頭を直撃しようとしている。いつの間にオレは取り囲まれていた……。最悪だ。何も考えられない。訳の判らぬ内に死んでしまいそうだ。思えば、こいつらは、故郷を葬った仇だ。身を無慚に食い破られた人々の仇だ。そんな奴等の為にオレは死ぬまいと思っていた。それでももう、手遅れ。
「残念だが、こうなりゃもう手遅れだ。俺達ゃ逃げるぞ」老人は言い放った。

『逃げる?この距離からか?』

あれ、この声、女の人だ。こんな所に何で……。『オマエは逃げられない』
「は?」そう老人は告げた。
――――最期の一言を告げた。
その一言から、老人の最期までに、数秒を要した。
先程の女の人は広場の端にいたのだが、最終警告を終えると同時に激しく唸りながらこちらに駆け出した。
女性は自分と同じ位の年代に見えたが、その走りは目測アスリートに匹敵或いはそれどころでは済まない程の速さ。それでも真っ直ぐ向かってきたので、距離を上手く実感出来なかった。
その時、オレと老人は身体を固めて動かなくなった。何の対応出来なかった。老人は、先程の女性と衝突する、その寸前にやっとの思いで叫ぶ事が出来た。
「クソオオオオオオオオオオオ」
ドスッ。透かさず貫通音。
女性は実は左手で槍を装備していた。中程の場所には既に老人の肉片が突き刺さっていて、その肉片にも目と鼻と口が生えている。眼はギョロギョロと落ち着かなく忙しなく游ぐ。
「あああああああああ」「マアアアアアアアアアアアアア」
老爺と肉片、両者の断末魔の交錯。但し老爺の身体はあっという間に傷口から崩れていき、破片は更に細かく裂け、軈て見えなくなってしまった。後を追う様に麒麟の妖怪もボロボロ砕け散った。
女性は背後の老爺の粉砕された様を知ってか知らずか――
「最初に『肉種苗』とバレた時点で、逃れられなくなってたがな」
そっと呟いた。
ここまでが……僅かの間であった。

役者が二人去り、一人顕れた。平穏は未だ、訪れない。
先ずはヒロインに自らが《しがない街の住人》である事を証明しようか。下手をすれば退場者が一人増えるやもしれない。
「その……オレはただ近くを歩いてて、声をかけられた……そ、それだけで、オっオレは人間だから!!……本当……本当だよ……」
女性は暫く間を置いたが、こちらの言い分には取り合わず。
「私実はここ三日程まともな寝床で寝てないのー。どなたか素敵な紳士か誰かの家に泊めて戴きたいのですけどー」先程とはガラッと口調を変えて返した。にしても、この喋り方に、このいい加減なカマトトに、一体誰が騙されると言うのだろう。寧ろそんな御粗末な手口が通じるチョロい男だと思われた件についてオレは謝罪して欲しい。心底ガッカリだよ。
今更にして気付いたが、女性は中々露出度の高い服を着ている。取り敢えず女性の下着で覆うべき所が鎧の様な物で覆われていたが、その胸の豊かさが一目で判る程に面積は広くなかった。短パン程の下半身に履く物を鎧の下に着けていて、まぁ靴は丈夫そうな革の物を履いていて……と言う有様だ。それだけ軽装であるが故に先刻の身のこなしを可能にしたのかも知れないが、現時点に於いては、オレを誑かす為にしか機能していない。結果的にその見てくれが、よりオレの自尊心を傷付けるに至った。だが話だけ聞いてやらなければなるまい。何にしてもオレはこの人に命を救われた訳だし……。
「三日……ずっとですか?大変ですね。まぁ……取り敢えずわたしは姉と二人暮らしで、別に大した家じゃないですけど、何でしたら泊まっていきますか?」オレは『姉と二人暮らし』という点を重視するように言い放った。『姉さんに弟の初対面の女を軟派して遊んでいる様を見せるだの出来ないだろ?つまりそういう事だ』という事だ。やはりオレはさっきのブリっ子が気に食わなかったらしい。
「……はーい、分かりましたー」女は口を尖らせて了承したようだ。
「ていうかその格好さぁ……なんか別のに着替えてくれたりできる?貴方は良くても、連れてるこちらがちょっと……」と言ってから気付く。この人、さっき突き刺して穢れた槍以外荷物が見えない。
「荷物は?」
「え?槍だけだよー?」またもブリっ子で答える。槍だけでどうヤリ……生活してきたんだこの人……。
「後今更だけど、槍ってコレ人目に付くとマズイんじゃ……警察とか」
女性はハッと驚いた様に見えた。今度は素で反応したらしい。
「戻れ!」と言ってボタンの様な所を女性が押すと、槍は幾つもの箇所が折り畳まってナイフ程の大きさになった。
「これで良い?」
「うん……まだマシ」
オレと女性はまた歩き始めた。

この街ってやっぱり不気味だな……。

     


     

土曜日の昼下がり、オレは女性と歩いていた。

然し、これは何も突然の甘い一時などではない。経緯を辿ればそんな幻想は、事の常軌の逸し振りの中に失せる。

先刻オレは例の「肉種苗」に襲われた。オレはすっかりパニックになり、茫然自失に陥った。鮮明に死を予感させられた。
その時にこの女性が訪れ、奴を槍で一閃、怪物は瞬く間に退治させられ、オレは救われたのであった。
でもって現在に至る訳だ。こうした展開を、小説で読んだ際は、その後少し居候のつもりが何だかんだで馴染んでしまって可笑しな同棲生活に発展するのが関の山だが……この女は果たして何時まで居座るつもりだろうか。前述した様にオレは姉さんと二人暮らしなので、余計な事をされて姉の咎めを受けるのは勘弁願いたい……って考え過ぎかコレ。
「あのーそう言えば御名前なんて言うんですか?」横の女性が言った。そうだ、オレはずっと自分の名を名乗っていなかったのだ。
「あ、オレ……いやわたしは『フェン・コーリー』だよ。えと、貴方は?」
「私は『アンネ・カミュー』です」女性は答えた。先程からずっと口調がしおらしい。
アンネ・カミュー……アンネさんでいいか。響きが良い気がする……。

「偽名です」

思わず咳き込む。偽名使うってどういう事だよ……理由は別に皆まで言って欲しくないけど……。
「……そっか、取り敢えずアンネさんって呼んでおくね……」
にしてもこのアンネさんって人さっき『まともな寝床で寝てない』って言ったけど、そんな事予想だにしなかったな、さっきの走りもそうだけど、髪とかも綺麗だし、話し方も全然疲れてる気がしないというか寧ろ頭の中で凄い色々考えてる様な、そうでもない様な、その辺りがやはり不気味というか……。
「今は家に姉はいないけど多分今日中に帰ってくるよ、家着いた後に着替え用意するから……そのやっぱり着替えてね」
さっきから着替えて欲しいと思っているのはアンネさんの今着ている露出度の高い水着のような鎧の所為だ。実際今この瞬間もオレ等二人(主に隣の人)は端から見れば変な装いで誰かに通報されても可笑しくないのである。こんな格好を例えば姉さんに見付かればたまったものではない。従ってアンネさんには家に到着後即刻まともな服に衣替え戴く。幸い姉が帰る迄には時間に余裕があるのでその間にとっとと換装して貰おうという考えだ。イヤ、直ぐにでも上に何か着て欲しいんだけど。
「そういえばアンネさんは今まで何をしてらしたんですか?」
「……そうですねー説明が難しいんですけどぉ、まぁ色々です」
「あれ、誰かと連絡とった方が良い人っている?電話なら貸せるけど」
「いえ……特にいませんねー」
「……そっか」
なんだろう……何かを隠している感じがするような……とかなんとか考えていると自分の家に到着した。さて服を買わなければ……アンネさんは姉さんよりも背が高いし、自分より多少低い辺りだからLサイズ位だろうか、然し念の為にLLにしておく。
自宅にて――
「一応服買ってきました。大した値段じゃないですけど、あまりださくならないように……とは思ったのですが……」
「いえいえ、ありがとうございまーす。良かったらお色直しの頭からケツまで……」
シカトを決め込みオレは部屋の外で待機する。ここまで来れば、後は姉さんが帰ってきてアンネさんを目にしても、事情を判って……くれるよう説明して…………伝われば大丈夫だ。
着替えの済んだのを確認して、入室する。この服装ならば何処をどう見ようともまともな人に見える筈である。持ち前の整った見目形のお陰か、安物の服を以てしても体良く着こなせるようだ。
「うん、やっぱりアンネさんは普通の服の方が似合うよ。」
「フェンさん」
「なに?」
そう言い終わるのが早いか、アンネさんは直ぐ様オレの懐目掛け突っ込んで来た。
と思いきや僅か数センチを空けて立ち止まった。状況を把握すべく真下を覗くとオレの胸、まさしくその内に心の臓が控える箇所に――刃が向いていた。槍の刃。
身動きを取れなくなる。
迂闊に痙攣でもすれば殺される気がして、オレは身体を止めておく事に全神経を使いガチガチになった。

アンネさんの為すがままに、なった。

「何故私がここに来たか判るか」
明らかに口調の変わったアンネさん。然しその様には何の違和感も覚えない。丁度初対面の時と同じだ。こうあってこそこの人だ。そう思わせる。
「肉種苗に関係する……事柄」
「察しが早いな」
「この槍は人間にも向ける物なのか」
「状況に応じてな、こんな粗末な女に幻滅でもしてくれたか?」
「惚れられもしないのに上機嫌で何より…………ここまでする意味を教えてくれればチャンスはあるかもな」
「肉種苗は肉種苗特有の匂いを放つのだ」
匂い?そんな情報はついぞ聞いた事が無い。少なくとも各報道機関の中、SNSの情報群の中では。
「するとさっきのジーサンもその……」
「勿論だ。然し奴からは人間を食った様な臭いもしていた訳だがな……気が付かなかったか?」
人間を……食った……。
その通り、オレは何も気付いていなかった。不審者だと感じはしたが既に人を食らった身であったという考えは、僅かも過らなかった。
「それを判断材料として躊躇いも無く槍を突き刺した、ってことか……」「判断材料は幾つかあるが……奴はそれらが顕著であったな。そして『肉種苗』と処断された時点で、そいつを人間として扱う意味は無いのだ。例え今まで言葉を交わした相手でさえ、そして」
「そして……」
「それ故に私はここに来た。お前には受け入れて貰わねばならない」
「オレが人間ではないとでも……」
「そんな事は胸に手を当てれば直ぐに判るだろう、だが何をするにもお前の姉君を喚ばねばなるまい。フェン、姉君は何時帰る?」
「夜遅く……九時過ぎになる……」
「そうか、ではこれから私の承諾があるまで、家の外に出たら死ぬゲームだ。共に姉君の帰りを待とうではないか」アンネは槍を抱えながらカーペットに鎮座した。


土曜の午後、オレはアンネと共に家の中、話をしていた。だが少しも気を抜く事は赦されない。アンネの槍は常に、ともすればオレを貫きに行ける位置に陣取っていた。膠着状態の中で、ただ夜を待つ事をのみ許された。
「姉さんが来たらしい」
「そうか、然しゲームは未だ終わらない。佳境に入ろうと言う所だな。」淡々と述べるアンネ。
「ただーいま!」
「お帰り姉さん……」
「貴方がカレのお姉様ですか」
「あら、初めまして?よね?」
「アンネ・カミュー、彼の彼女です」
突拍子も無い嘘に噎せるオレを余所に姉さんは話を続ける。
「そうなんだぁ、いつも御役所で働いていて大変そうだと思ってたけど、とんだ杞憂だったわね、フフッ」
「そ、なこッ……ゲフッ、イヤっ」
「素晴らしい弟さんですよ、仕事の間も私を気に掛けてくれて、まめに連絡をくださるの」
「そうなんだ!何だか二人共新婚さんみたいで、私まで暖かい気持ちになるわね……あっ、そうだ!夕飯はもう召し上がったかしら?もしまだなら私がお二人の分も作るけど」
「それなら私も手伝いましょうか?実は料理するのスッゴク好きで、時々カレに振る舞ったりしてるんです」
「あぁ、そうなの?なら是非とも手伝って貰わなきゃね!さぁ、キッチンへGO!」
二人は厨房へと吸い込まれて行った。ただ一人残されるオレ。厨房からは暫しの間、談笑の声が伝わってきた。が、その後――

その声が、ピタリと止んだ。
リビングにアンネが戻りこう言う。
「キッチンへ」
後に着いてゆくとそこに。


姉さんが床に座り込んでいた。眠った様に瞼を閉じて。
「こいつの事を、お前は――自身の姉君だと言ったな。今からお前には受け入れて貰わねばならない」
アンネはそう告げてから、姉さんの口に右手を突っ込んだ。姉の身体の激しく肢体を動かし悶える様を目の当たりにしながら彼女は醒めた眼で続行した。
熱り立つ激情の抑制敵わずオレは透かさず掌を振り上げたが、アンネの左手に制止された。
「止めろよクソがああああああ!!」
「安心しろ、私が手を下すのは『肉種苗』かどうか判別出来てからだ。」
「はあ?……姉さんが、そんな訳ないだろ!!」
「そんな訳ないって?せめてこれを見てから言ってみろ!」
そう言い放ち、アンネは口に突っ込んだ手を荒々しく取り出した。咳き込んで少しばかり嘔吐した姉のような物体。その中から顕れた物は、赤黒く染まって照る臓物の様ではあるが。
表面はやはり眼球を帯び、人間の臓器ではなかった。
「最早説明の必要はあるまいな。これこそが姉の正体だ」
物体は涙を垂らしながら、床を見つめている。
「何時からだ……」
オレの問いかけに物体は直ぐ様、顔をこちらへ向ける。口許はそれとなく形を変えるが、何を告げる事も無い。その表情は姉さんの深刻なそれにどうしようもなく似通っていて、同情を誘うが――
「何時からだって訊いてんだよ!……返事しろよ!!」
「ごッ……ごめなさ……」泣き崩れるその様相はこちらを罪悪感に囚われさせようとする……卑怯だよこんなの、人間じゃ、まともな生き物じゃない癖に、何で?何でだよ?
「さっ、三ヶ月、はっ……まえから……実際はずっとっ、近く居たけッ……きフっ、君の姉ざっグッ、姉さんと入れ替わっあのは、三ヶ月前ェっ」
「……姉さんは、食べたのか……?」
「違っ……君のね、ェざんぁッ、誰が……しああい人っ、男のひどっ達がぁ連れで、だおぉ」
ボロボロと哭きながらそいつは辛うじて伝わる程の上擦った声で答える。
「生きてるのか」次にアンネが訊ねる。
「その筈ッ、肉じゅ苗は人ゲ、ンどが食べっ生ぎるけどっ……連れで、くのは多ブフ目でぎ違ふを……ッグ、被験とが……でぼ、立場は実質人じぢど変わらないがらっ、下手に動ぐど殺されがねない゛ぃ」
「なぁ」
疑問が一つ浮かんだ。
「……にしても、何で彼処まで姉さんを再現出来るんだ?オレは昔から本当に長く姉さんと一緒に暮らして来たのに、何一つ違和感が無かったんだ。見目形はもとより仕草も声も喋り方も趣向も……考え方とかまで何一つ、何一つだぞ?肉種苗ってのは全個体がこういう事をやってのけるのか?そうまでしてお前等のやりたい事って何だ?」
「やだシスコン」
肉種苗は声のしゃくりあげるのを何とか止めて次の様に述べた。
「……見た目は大体の個体は殆ど完璧に出来る。けど、それ以外は個体毎に何とかする所なの……私は結構昔から君の姉さん、マゼリーの側にいて……もっと言うと実は飼われていて……」
「飼ってた!?」
「肉種苗の栽培と飼育は世界条約に違反する筈だぞ!?それって……本物の姉君もとんでもないな……」
「……実際言うなって言われてたけど、この状況じゃあもう手遅れだから言うね……そうなの、それで本人が連れ去られる前に『私の代わりをお願い』という風に頼まれた。アンネさんの言う通り私は肉種苗とバレてはいけないから、警察やそういう機関には頼れなかった。かといって、本人の弟の君、フェン君がとばっちりに遭ってはいけないと思って相談しないでいて、結局マゼリーの真似をして遣り過ごすしか道が見付からなくて…………でも皮肉な事に、その道を辿ろうという時に嘗てのマゼリーとの生活が活きた――違和感が無かったのはそういう所の所為かも知れない。他の個体がどうあろうと、私の目的はマゼリーを演じる事しか無かった」
自らを偽り続けた事。それもたった一人で抱え込んで。彼女の苦しみは計り知れない。

       

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Neetsha