Neetel Inside 文芸新都
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リサリサ先生結婚してくれ
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●物語の作者は「健全な世界観の再生」にかまけている場合ではない。読者が期待していることは常に「何でもいいから面白いものを読ませろ」ということであって、自分だってそもそも出発点は読者からだったはずだからそんなことは分かりそうなものである。
●「これは同じ作者が書いた話だから前みたいに面白いかもしれない」と直観することがあっても「これは同じ作者が書いた話だからまず面白い物語である」と決めつけてくれる親切な馬鹿はいないであろう。
●小説に限らず物語表現、芸術作品、その他もろもろの創作物全般について言えることだが「優劣は最少単位で評価されるべき」であり作者単位などそういう大雑把なくくりで世の中をとらえているのなら志を改めるべきである。
●つまりたったの1話、極端に言えば僅か1行にさえ切れあじ鋭い印象を読者に刻みこむことをまず考えることにしよう。冗長は憎むべき敵であって「健全な世界」なんかを理想にしているやつの小説は大体そういう風で読むだけで消耗できる。
●自分のために書いてると言えば聞こえはいいが、それも疑い始めればこれほど胡散臭い言い訳は類を見ないであろう。不毛きわまるマスターベーションは他所様に公表していいものかどうか考えなくても分かろうものである。小説には常に読者がおりつまり他人のことを言っている。「何でもいいから面白いものを読ませろ」といつも考えている。
●部分には全体の構成において不必要が存在してはいけない。「寄り道」は「寄り道」以外の意味を持たず念を押すが冗長は憎むべき敵である。なんでもかんでも商業小説を模倣することはあまり良くない。そして我々はそういう商業小説にいつも心を動かされてきた。
●目を見開かねばならない。我々はきっと小説を読みながら捻じ曲がった根性を育んできた。自分が気もち良くなりたいだけのくそったれのボケに半身が染まっている。「健全な世界観」がそこにあると思っている。健全な世界をつくることが物語をつくることだと思い込んでいる。つくられた健全な世界がこれまで自分を幸せな気持ちにしてきたと間違った自己分析を下したりする。はた迷惑な使命感に燃えていやしないか。控えておくがこれは絶対に応援の声明文である。

       

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