Neetel Inside ニートノベル
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滅神時代に生まれました
15.闇祭り その2

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 暗緑色に染め上げられたお山を、恋咲を背負った僕と、斧を装備した森崎さんは一つずつ歩を進めていった。時折、祝詞が聞こえる。あの神官服たちが森の梢のどこかから、低い口笛を吹くように呪文を唱えているらしい。そのせいか、僕はもう冬だというのにやけに粘っこい空気を感じていた。どこか土の下から、過ぎ去っていった夏の気配が漏出しているような気がした。
「気を確かに持ってね」
 森崎さんが僕の肩を叩いてきた。真剣な表情をしている。
「暑気あたりになるかもしれないから」
「そんな俗っぽい空気なのコレ……?」
 もっと「闇に飲み込まれる」とか「油断したら帰って来れない」とか、そういうオカルトホラーなニュアンスを期待していたんだけれども。僕は神官服の襟首に指を突っ込んで空気を入れ換えた。
「どうすればいいの、森崎さん」
「お茶が入った水筒を貰ってきたよ。ちょびちょび飲もうね」
 僕たちは実際に、ちょびちょびと水筒を飲んだ。なんだろう、この行楽気分。恋咲が「う~ん、う~ん……」とうなされていなければ、森崎さんとプチ浮気に耽っているようなものだ。僕は森崎さんの暗視ゴーグルつきの顔を見た。
「?」
「ふーむ」
 上沢さんの整った、いかにも「ちょっと前でロリでした」みたいな童顔に比べると、森崎さんは目元がちょいキツイし、唇もすぼみ気味で生意気な感じがするが、またその田舎娘っぽさが純真な男子高校生のハートを鷲掴みにしないでもない。よくよく考えると、普通の人間で僕とまともに付き合っている、数少ない女子なのだよなあ、森崎さん。
「……なに?」
「いえいえ、なんでもございませんよ、姫」
「その呼び方、キライだからやめて」
「呼ばれてたことあんの?」
 僕たちは山を登っていく。
 すると、僕たち以外にも人影があることに気づいた。いくつか道は分岐していて、一つの道を通らなくても山頂を目指せるようにはなっている。だから、一段下とか、二段上とかに、「がさがさ」と誰かが通っている気配と、たまに話し声なんかもする。僕たち以外にもイレコミと忘れ神がいるのだ。
「この闇祭りって、いつもやってるの?」
「毎月新月の晩にやってるよ」森崎さんは顔の前を横切ったバカデカイ蜘蛛をスウェーバックでかわした後、斧でぶっ殺していた。無益な殺生大好き女子高生と名付けよう。
「月の光があると、絶対神の目が届きやすいからね」
「新月の晩には、それがない?」
「そ。だから、こういう夜には普段から信仰不足に悩んでいる忘れ神たちを集めて、一気にヤオヨロズを奉る祭事を執り行う……それでまた、一ヶ月ぐらいはのらりくらりとやっていけるようになるから」
「なんだ、もっと早くに誘ってもらえばよかったな」
「……本当は新参者はもっと審査が厳しいんだよ。天使のスパイとか来るかもしれないし」
「ああ、そうか」
 確かに、ヤオヨロズ殲滅を歌っている天使がこんな秘密の祭事を発見したら、容赦しないだろう。
「私の名前と、それに恋咲様の容体。この二つで特別オッケーって感じかな。ま、もともと緩いから、私がいなくても来れば入れてもらえたと思うけど」
「そうなんだ」
「うん。だって、もう残りの数が少ないのに、身内同士でいがみ合っても仕方ないじゃん。……ヘタすれば絶滅なんだからさ、忘れ神は」
「……絶滅……」
 低くなり、高くなりはすれども、決して明るくはならない祝詞の歌がぼんやりと僕の耳を風のように通り抜けていく。それは悲しげな旋律だった。
 周囲を往く影たちも、明るい雰囲気ではない。
 まるで、罪人のようにその足運びは重い。
「……みんな、どこを目指してるんだ?」
「山頂の祠。そこで神母(カンモ)様にあって、お話を聞くの。それで帰りは来たのと別の道を通ってふもとに戻る。それで闇祭りはおしまい」
「その神母様ってのは? 忘れ神なの?」
「人間だよ」
 森崎さんは道の前に倒れて邪魔になっていたシダや朽木を回し蹴りで跳ね飛ばした。森の梢のどこかから「ぎゃあっ!」という悲鳴が聞こえる。
「森崎さんってお嫁の貰い手に困りそうだよね」
「指、何本ツメたい?」
「どうかゼロでお願いします」
 ああああ、斧が僕の首を、首を。
「ったく。……このお山、登ったことある?」
「いや、ないかな」僕は首をさすりながら答えた。
「聞いておいてなんだけど、たぶん、あると思うよ。遠足とかで来る定番のところだから」
「そうなの? 覚えてないなあ」
「どうせ、お弁当と駆けっこのことしか考えてなかったんでしょ? 男子って、そういうとこあるよねぇ」
 やけにババくさいことを言いながら、森崎さんがビシバシと道を拓いていく。月に一度、祭事で人と神が通るにしては草木が生い茂り過ぎだ……それも今はもう冬だ。枯葉も多いとはいえ、まだ山は緑が残っている。これも、ヤオヨロズの力、なのだろうか。僕は恋咲が学校で倒れた時に呼んだ教科書の一文を思い出した。
 絶対神は歯車の神、
 ヤオヨロズは自然の神――
「燈七郎……」
「おっ、恋咲。気がついた?」
「ここは……どこ……?」
 僕の背で、恋咲が煙った瞳を周囲に向けた。
「私……バイトしてて……それで……」
「ああ、また倒れたんだよ」
「そう……それで、サカリのついた燈七郎にとうとう襲われてしまうというわけね……」
「落とすよ?」
 マジで重たいんで自力で歩いてくんないっすかねぇ。
 ふふっ、と恋咲が力なく笑う。
「嘘よ、冗談。燈七郎はかわいいわね」
「ふざけてる場合じゃございませんぞ、神様」
「そうね……ああ、巫女もいるの。先のことはご苦労だったわね」
「いえ、苦しんでおられたヤオヨロズ様に、当然のことをさせて頂いたまでです、恋咲様」
 森崎さんがスッと美しく一礼する。なるほど、これが女子力か。
「もうすぐ神母のところへ着きます。それまでご辛抱を」
「神母……? ああ、今日はお祭りなのね……」
 恋咲が橙色の髪を流して、首をもたげた。その瞳に新月の晩の砕いたような星空が映る。
「なつかしい……」
 夜空は百年前と何も変わっていないらしい。
「もう覚えてないけれど……いつか誰かに……こうして負ぶってもらっていたような気がするわ……」
「……恋咲様は」と声を作っている森崎さんが言った。
「記憶を失っておいでですか?」
「ええ……気がついたらダンボールに入っていたの……」
「そうですか……」
「でも、それでよかったのかもしれない。ひょっとしたら、辛い記憶だったかもしれない、もの……」
 そう言って恋咲は僕の背に顔を埋めて、
「すう……すう……」
 と寝息を立て始めた。
 僕はそれを確かめてから、言った。
「……恋咲は、やっぱり?」
「捨てられたんだろうね、前のイレコミに」森崎さんはあっさりと言った。
「その時の記憶を、封印してるんだよ。思い出せば、きっと恨んでしまうから」
「……そっか。そうだよな。恨んで当然だよな」
「そう? ……私はそうは思わないな」
「え?」
「イレコミって大変じゃん」と森崎さんは夜空を見上げた。
「絶対神や天使からも逃げ隠れしなきゃならない。こうして神を祭事へと連れて来なければならない。消えたり出来ないから一緒に生活だってするし、誰かに感づかれることだってある。……忘れ神が手から黄金でも出してくれればいいけどね、そういうのもないし。ただそこにいるだけ、そういう神をいつまでも『義侠心』から匿ってあげるなんて、ハッキリ言って物好きだよ」
「……なるほど」
「……葉垣くんも、考えたら?」
「考えるって……」
「イレコミでい続けること。今日は、このまま闇祭りを終えられると思うよ。天使の警戒網にも引っかかってないみたいだし」
 森崎さんは巫女服のポケットを軽く叩いてから、
「でも、いつまでも上手くいくなんて限らない。いつか見つかって、反逆者の烙印を捺されることは、ありえないほど突飛な現実じゃないんだよ。地続きの明日に、それはある……それが嫌なら、やめるっていうのも、手だよ」
「やめるって……」
「次にダンボールを開けるのが、天使じゃないといいよね」
「…………」
 森崎さんは、僕にこう言っているのだ。
 恋咲を捨てること、それを現実の問題として考えろ、と。
 お前にイレコミは無理だ、とも言っているのかもしれない。
 そう、確かに僕はただの高校生。なにがしらの組織や財力を持っているわけでもなく、親元からの補給を絶たれればそれだけでくいっぱぐれるただの高校生だ。とても忘れ去られた神の信奉者など、やっていけるようなスペックじゃない。森崎さんみたいに本職の家系ってわけでもなし。
 でも、それでも、
 僕は……
「着いたよ」
 見上げると、暗緑色の世界の奥に、真っ黒な何かがあった。どうも形から察するに、お寺か祠か、それに類するものらしい。ここが山頂、森崎さんの言っていた『神母』様のおられるところなのだろう。周囲には忘れ神とイレコミのコンビがすでに何人かいて、お堂の前に並んでいた。僕らもその列に並ぶ。あっちこっちでピョコピョコ動くケモノの耳やしっぽに、ああここは神様の土地なんだなあ、などと妙な感慨を覚えた。みんなフードで顔を隠しているが、ほとんどが若い女の子のようだった。地母神とか言うしね。
 イレコミと忘れ神たちは、お堂の中に入っていって、そこから裏へ抜けられるのか、一度入ると戻っては来なかった。
 いや、べつに中で喰われてたりはしないんだろうけどさ。

       

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