Neetel Inside ニートノベル
表紙

滅神時代に生まれました
02.クラスメイトは絶対神

見開き   最大化      


 なんだろう、なんだか妙な感じがする。
 恋咲を部屋に残して、僕は普通に学校に登校した。休むわけにもいかなかったし、むしろ学校をサボって女の子と二人っきり、遠い世間の喧騒のデクレッシェンドを聞きながら何を致せばいいのかまったく分からない僕は半ば逃げるように学校へ来た。登校すれば救われる、昨夜から始まったこの奇妙な現実、許されざる存在を背負い込んでしまったという重圧から逃げられる。そう思っていたのだが――
 なんだろう、不思議な気持ちがする。
 普通に授業を受けているだけだ。クラスのみんなも何も変わらない。バスケ部の田村は早弁したと思ったらすぐに仮眠し動かなくなり、テニス部の吉竹はラケットのガットを机の下で張り直し、帰宅部の本島にいたっては「いま起きた」と僕の携帯電話にメールが届いた。あれだけ夜更かしするなと言ってもやめないのだから本島もサボリのプロ、もう行くところまで夜を堪能しちゃっているのだろう。今月のネトゲ課金額が平気で6ケタ突破したとか言っていたけど、どこからあのお金は来ているのだろう。僕は本島のイケメンフェイスを思い出していた。みんなそれぞれに事情がある。だが、そのどれもが僕には遠い。実感が湧かない。誰にも相談できないという立場は相手への興味を失わせていくものなのかもしれない。僕は黒いオーラを出しながら授業を少しずつ消化していった。書いていかれては消されていく黒板、そのどこにも神様との暮らし方なんて載っていない。ああ、本当に、どうしよう。捕まるのかなぁ。
 重苦しいため息が出てしまう。未来が欲しい。明るい未来が。
 あるって話は聞くけどね。
 だってまがいなりにも、この国は神様に全権を委譲した国なのだ。これはもう自分の心臓を差し出したに等しい。使っていいよ、と。神様はそれを快く受け取り、平凡な女子高生として学校に通って来ている。
 簡単にまとめればフレンドリィ。
 髭もローブも杖も持ってない絶対神は、普通の女の子にしか見えなくて、
 そして普通の女の子みたいに、学校に通っているのだ。

 ○

「上沢ぁ」
 数学の後藤が俯いている女子生徒の背中を教科書でポンと叩いた。少女の身体が「起きます起きますでもいま作業実行中」という感じでぬるぬる動いて、顔を前に上げた。カーテンから差し込む陽射しをモロに顔に浴びて羽虫にタカられたみたいな表情になっているその子が、僕らの住む町の神様。
 その分霊だ。
 名前は上沢梓さんという。町内でも二人同姓同名がいるらしい。それでいいのか女神様。
 そんな上沢さんが今日も寝坊している。どうしても朝、起きられないらしいのだ。地元の床屋さんで切ってもらっている前髪パッツンショート。幼さから手を放すときのあの絶妙な一瞬、プラスコンマ二秒くらいのロリータとガールの間の顔。わずかに開いた唇は赤く、小さく、綺麗で……永久保存したくなるような危うさを孕んでいる。とにかく保存しなければ、保存を最優先。そう思わせる何かが上沢さんの顔にはある。いま半目だし机ヨダレでべっちょべとだけど。
 チラッと斜め前の席に座る丘本(古典部所属)の顔を見るとメガネの奥から「これはお前の仕事だろ?」というありがたい正論がブッ刺さってきたので、僕はハンカチを取り出し、クラスメイトの上沢さんのべっとべとのヨダレを拭くのである。なんだこのシチュエーション? 先生も「葉垣を見習えよ~」とか言ってるし。それがいまどれほどの不安を僕に与えているのか、先生には分かっちゃいないだ。
 なぜって、僕の部屋にはいま、忘れ神がいるから。
 いちゃいけない、いないほうがいいよね、ってことで世界から縁切り状を叩きつけられた存在がなぜか百年ぶりに蘇り、ダンボール箱に入っていた。
 バレたらヤバイ。
 助からない、と思う。
 上沢さんのヨダレ拭いてる場合じゃねーのだ。
 なのに匿っちゃったというのは、やっぱり僕も惑わされたのだろうか。
 女の子と関われる、という莫大なアドバンテージに。
 しかも恋咲は美少女だし。
 ああ、命を捨てても一時の衝動に走る……僕もつくづく馬鹿だなあ。
 忘れ神を拾ったなんてことになったら、血の粛清が降るだろう。
 たとえば想像してみよう。僕の部屋の前で、僕が帰ると、僕の知らない黒服たちが沢山いる。武装した天使たちも。雨が降っていて道はぬかるみ、上沢さんは制服の上からカッパを着せてもらって、メガフォン片手にアパートめがけて叫ぶ。
「出てきてくんない? もぉーこの一帯は包囲させてもらったからぁ!」
 実際、それが出来る子なのである。
 恋咲は出てこない。きっと俺の部屋の中で震えているのだろう。僕は中に入ろうとするが黒服――なぜか美少女黒髪ロング――に足を払われ転倒し、そしてそのまま立ち上がれない。「あっ、あっ」とか言ってるうちに扉が蹴破られて中から恋咲がタワラのように担がれて現れる。きょろきょろと周囲を、敵の中を探して、そして僕を見つける。
「燈七郎っ! たすけてっ、燈七郎っ!」
「…………」
 僕はまともに目が見れず、顔を背ける。傷ついた気配だけ顔の前に残して、恋咲は振り向かされる。その視線の先には青い夕焼けがあり、あとはあのまま沈み行く太陽へとこの幼神を叩き落してやれば、ますます世界は多神教の複雑さから一神教のシンプルさへと変動していく。神は一人で充分で、裏切り者は出させない。それが、僕の斜め前の席でいつも寝ている、追試でよく一緒になる、たまに花壇に水をあげたり野球部にまじってバット振り回したりしている女の子……上沢梓さんの考え方だ。僕もそれでいいと思っていた。
 んだけどなあ。

 ○

「どうしたハガキ、元気ねーな」
「大切にとっておいたプリンが腐っていたんだ」
「そんなっ……そんなひどいことがこの世界には起こるっていうか!?」
「真実(しょうみきげん)はいつもカップの底に書いてあった……それを見誤ったのが運の尽き」
「ハガキっ!!」
 クラスの友達から小さなチョコを沢山もらった。ありがとう、ありがとう、と言いながら僕はそれを机に仕舞った。
「男子にチョコ貰ってもな……」
 おいしそうなチョコがいくつも、いろんな種類で詰まっている。それはいいんだ。だが、僕が昨夜から抱えている問題にはなんの解決にもならない。
「はあ」
「ため息?」
「うん」
「没収です」
「うおえっ!?」
 僕の手からチョコを奪った少女――上沢さんは早くも一つのチョコを小さな舌の上で転がしている。
「う~ん、おいしい! ……君には乞食の才能があるかもしれないねぇ、葉垣くん」
 この神様、超馴れ馴れしい。僕は不愛想に振る舞った。
「神様が糖尿病になったりしたら笑い話にもならないよ」
「大丈夫、あたしストレスないし、健康だし? そんでもって神様だし!」
 だろうなあ、と僕は思った。上沢さんは神様だから、大学へも行かないし、就職もしないし、入っている部活だって帰宅部だ。家に帰ってからはネトゲ三昧と聞いている。ああ、ちくしょう、なんてうらやましい。代わってくれないだろうか、一年くらい。
「ぐぬぬ」
「わはは、口惜しかろう少年。もふもふ」
 僕用のチョコを容赦なく鷲づかみで食っていく上沢さん。活発なショートカットもあってそれは不自然ではないけれど、なんだろう、女の子が手を汚してまで何かを食べているというのは……どうでもいいけど凄くエロイ。
 むっと上沢さんが僕を見た。神様に嘘はつけない。
「何か失礼なことを考えたでしょ。もぉ~葉垣くん、そういうの神様は好きじゃないなあ」
「アハハハハ」
 神様というのは機嫌を損ねたらそれまでである。そこは上沢さんも恋咲も変わらない。
 僕は話を振ってみた。
「上沢さん、甘いもの大好きだよね」
「うん、なにかあったら持ってきてね」
「そのすぐ人からタカっていこうとするスタイル、結構いかつい」
「ふっふっふ。ほれほれ、貢物をよこすのじゃ~」
 バリバリ、とカラフルなチョコレートを幸せそうに食べる上沢さん。
 彼女が、この世界を支配している、本物の神様。女子高生にしか見えないけど。
 でも本気を出せば僕なんかは八つ裂きにされて五臓六腑の色分けまでされてしまうだろう。彼女はやると言ったらやる。そういうタイプだ。
 ひとしきり食べ尽くしたチョコを『スッ……』と脇から手を伸ばしてきた部下に渡す上沢さん。学校には何人も神様を護衛する部下たちがいて、それは普通に学生に混じっていることもあれば、外部から来校していることもある。
「おおう」と上沢さんはまだ中学生っぽさが抜けてない顔に手を当てた。
「糖分が脳に回っていくのじゃ……ああ~」
「脳とかあるんだ、神様にも……」
 もっとふわふわした何かで出来ていると思ってた。
 むっとした顔で上沢さんが僕を見る。そういう目をされると、小学校の頃まで夏休みに遊んでいた従妹の顔を思い出してしまう。僕は今も昔も、こういう顔には怒られる運命にあるようだ。
「うーん……なんかヘンだなあ」と上沢さんが顔を寄せてきた。
「ヘン? なにが」
「今日の葉垣くん」
 ギクッと僕は肩を強張らせた。
 上沢さんはジッと僕のことを上目遣いに見上げてくる。
 本当に。
 ただのクラスメイトにしか思えないのに。
 この子は、神様なのだ。
「……分かる? やっぱり」
「分かるよ」上沢さんはふわりと笑った。
「神様だもの」
「そっか……じゃあ仕方ないな。……においがついてるんだろ?」
「そう、におい……」上沢さんは小振りで傷ひとつない鼻に手を当てて、
「なにか……そう、ケモノ……ケモノくさいにおいがしたんだ、君から」
「うん、そうだろうね。ごめん。実は……」僕は嘘をついた。
「昨夜、ギョーザを三十個くらい食べたんだ」
「な、なんやて……」
「凄く美味しくてさ。ちゃんと歯を磨いたんだけどな……やっぱり隠し切れなかったみたいだね、さすがだよ、上沢さん。カルドの名は伊達じゃない」
「ふーむ、ギョーザか……」
 まだ何か言いたげだった上沢さんだったが、
「葉垣くん、食生活、結構やばいね」
 まァ三十個は話を盛り過ぎたとは自分でも思う。
 あからさまに上沢さんに同情の眼差しで見られてしまった。
「そっか……ダメだねあたし。神様なのに……下っ端をこんなにまで追い詰めてしまって」
「僕って下っ端扱いだったんだ」
 神様なのに言葉のチョイスがヤンキー傾向。それでいいのか。
 上沢さんは「くっ!」と目元にせりあがってきた涙を手で切り、
「わかった……わかったよ、葉垣くん。君の犠牲は忘れない。いつか必ず、あたしは、誰もがギョーザを食べなくていい世界を作ってみせる……!」
「べつにギョーザを食べたのは罰ゲームだったわけじゃないんですけど」
 ギョーザに失礼だよ。
 しかし「グッ」と拳を握って蒼穹を見上げる神様に水を差すのもアレだったので、僕は静かにその場を後にした。もうすぐ昼休みが終わるというのに、もらったお菓子は全部食われるし、急な同居人のせいでお弁当作ってくるの忘れたし、購買は閉まっちゃったし、なんかつくづくいいことない。
 まあ、恋咲のことが感づかれなかっただけで、満足しなくちゃ罰が当たるかな。

       

表紙

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha