Neetel Inside ニートノベル
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呪い
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彼の訃報を聞いたのは、9月の初旬だった。

具体的に言えば9月5の金曜日で、
ちょうど、彼と巡った”あの場所”についての文章を
纏めかかっている所だった。
黙々とキーボードを叩いていたが、携帯の着信音に
作業を中断させられた。

電話の主はskypeで頻繁に話す「akira」だった。

液晶に映し出された名前を見て、僕は一瞬、不思議に思った。

いつでもskypeで通話できるんだから、
わざわざ電話をかける必要も無いのに。
はっきりとは聞いていなかったが、
彼が無職の状態であることは薄々感付いていた。
だから電話をかける時間なんて、幾らでもあるだろうに。

しばらくの沈黙の後、
「ちょっとなあ、困った事が起きて」と、
本当に困ったような、弱った声で、akiraは呟いた。

「困った事?わざわざ電話で言うような事か?」
akiraは「まあ、言いにくいことなんだけど」と言ってから
「うん、まあ、やめとけばよかったって思ってるんだけど」
と続けた。

何が何やらわからなかった僕は
「え、どういう事?やめとけばよかったって、何を?」
と問いかける。
「ほらこの前・・・あそこ行ったじゃん。やっぱ
あれが原因なのかなあって」
「あれって?”肉の館”か?なんで?」
「うーん・・・やっぱやめとけばよかったかなあ」
「やめとけばよかった?行くことを?」

彼は、言いたい事をなかなか口にしようとしない。
何かに対して恐怖心を抱いているような口調だった。
それを打ち明けることに対して酷く悩んでいて、
本当に吐き出していいものかどうかを迷っている印象を受けた。

「さっきから聞いてるけど全然意味がわからんわ。
何の話なん?はっきり言ってくれんとわからん」
「やっぱそうよな。あぁ・・・じゃ、言うけどさ」

「kiriaが死んだ。」

僕は一瞬フリーズし、目を大きく見開いた。
「え、今死んだって言った?」と聞き返す。
akiraは「信じないんだったら別にどっちでもいいけど・・・
死んだよ。アパートの中で首吊ってたってさ。
俺もう・・なんでそうなっちゃったのか・・・信じれなくって・・」
と、電話越しに、すすり泣きを始めてしまった。

僕は状況が全く掴めなかった。
「えっ、マジなの!?それ!?」と驚く。
「本当だよ。奴の母さんから電話があった。
昨日までskypeやってて、普通だったのに突然だぞ。
意味わかんなかったよ。俺も嘘つけ、って思ったよ」
「マジなんか・・・でも首吊りって、何があったんだろ」
「だからそれがわからないんだよ。あいつ自殺するような
タイプじゃなかったろ?何か悩みを抱えてた風でもなかったし。
それが首吊りって・・・」

確かにkiriaは、普段からホラを吹く奴で、
自慢ばかりの人間で、到底、自殺という思考に至るような
メンタルの人間とは思えなかった。
また、自分も2週間ほど前に顔を合わせていたが、
FPSゲームの事について熱く語っており、
自殺のジの字も話題に出てこなかった。

勿論、明るい性格の奴が自殺しないなんて
個人的先入観でしかないのだが、少なくとも僕らが傍で見ている限り、
自殺という選択肢など、到底実行するとは思えない人間だった。

「奴が自殺・・・そうか・・・」
呟きが、自然と湧いて出る。
正直、悲しみよりも、驚きの感情の方が大きかった。
突然、急な角度でやってきた現実を、僕は受け止められずにいた。

そうやって思案している最中に、
僕はakiraから聞いた先ほどの言葉を思い出し、
ハッとある考えに至った。

「って事は、akiraお前・・・”肉の館”が原因だと思ってるのか?」
「としか考えられないだろ。あんなに明るかった奴が普通、
首吊ったりするか?」
「いやでもっ!・・・うーん・・・」

友人の死という突然の事実に、
僕は完全に頭の処理能力を失っていた。
言葉が全く出てこなかった。

それから僕とakiraは、「どうしてだろう」「どうしてかなあ」と
何の根拠も無い推論を始め、結局纏まる事のないまま、
2時間近くの長電話を終えたのだった。



kiriaの死について語る前に、
まず「肉の館」とは何かという事について、
説明しておかねばなるまい。

「肉の館」とは、
愛知県の某所に存在する、俗に言う「心霊スポット」である。
僕達は2週間前、この「肉の館」へ足を運んだ。

かなり昔の話だが、部落の人達が屠殺場に使っていた所らしい。
豚や牛が大鉈で何万匹も殺される場所だったのだ。
部落の人達が、社会的差別を避ける為、陽の当たらない職業に
就くというのはよくある噂だが、その場所がここだった訳である。

今は廃業し、工場の跡地が残っているだけだが、
その風体は、真っ黒で煤けていて、不吉な雰囲気が漂っている。

まず到着するまでの道のりも、かなり異様だった。
「肉の館」に到着するまでは、
村を抜けていかなければならないのだが、
その村の景色が異様だった。

まず村の場所自体が異様だった。
田舎道をかなり走らないと村には辿り着けないのだが、
その割に発展してるというか、人が沢山いる印象を受けた。

村には民家が立ち並んでいた。
かなり年季が入っているらしく、
ほとんど潰れかけのような家を何個も見た。
その割に、駐車している車は、高級そうな外車ばかりで、
不釣合いに思った。

また、肉が軒先で売られていたり、裸でうろつく人もいた。
通りをうろつく人達は、
こっちを凝視してきて、ずっと目線を離さなかった。
僕らは、絶えず「見られている」感覚を味わった。
その視線は決して「好意」の目線ではなく、
何なんだこいつら、一体何をしに来たんだという、
警戒と疑心の視線だった。

僕らは居心地の悪さを感じ、足早に通りを歩いたが、
背中に張り付いた視線はずっと拭えなかった。

     

村から「肉の館」までは、鬱蒼とした森が続いていた。
高く伸びた木々が陽の光を遮っていて、
昼間なのに薄暗い。
葉の腐った臭いと土の薫りが鼻腔を満たした。
枯れた落ち葉が、靴の裏でキシキシと滑る。

「気持ち悪ぃ村だなー、あれ」
道すがら、kiriaが呟く。
太っている彼は、汗だくで、歩くのが少し辛そうだ。

「明らかに俺らを警戒してた感じだよな。
なんなんだあいつら」
akiraも同意した。語気が強く、怒っているように見える。

「所詮、都会の文化も知らん、土人共なんだろ。
滅多に人来ないから珍しがってんのかな」
「akira、”土人”ってお前・・・」
僕はakiraの言葉遣いを諌めようとする。
だがakiraの怒りは収まらなかった。

「社会の常識も知らんような、あんな奴らは
土人って呼んでいいんだよ。
ここら辺、部落の奴らが沢山いるっつってたけど納得だわ。
本当にB級人間しかいないんだな。
知らない人に会ったら挨拶しろってガッコで習わなかったのかよ」

「まあ確かに、やたらジロジロ見られるのは気になったな。
怖かったもん、通り歩いてる時も」
「”田舎に泊まろう!”なんて嘘だな。
田舎があんなにフレンドリーな訳ねえじゃん」

akiraがヒートアップし始め、
「田舎が実は陰湿論」を語り始めようとしたので、僕は話題を変えた。

「でもあんなに家古いのに、
停まってる車は高級そうだったよな。レクサスとかあったぞ。」
「部落の奴らだから、補助金とか貰ってるんだろ。」
「本当にあんのかな、そういうのって?
部落出身だったら簡単に地方公務員にも入れるとかって噂もあるよな」

kiriaは「え、それマジで?」と驚いた。
職を転々としているkiriaにとっては、就職を斡旋してくれる
という噂は、耳に響いたらしい。

「いや噂だけどね。
今まで差別してきたお詫びに、ボーナスしますよって事じゃない?」
「めっちゃ羨ましいじゃん、それ。マジ俺も部落になるんだったわ~」
「今はそんな特権も無いって聞くけどね。
部落の人らも普通に働いてるし、区別つかないって感じらしい」

akiraは
「部落って在日の奴らが多いんだよな、マジ害悪だわあいつら」と呟く。
その辺の話題に触れると、akiraの逆鱗に触れそうな気がしたので、
僕はそれ以上入っていかなかった。

スマートフォンを立ち上げ、「肉の館」のページを読む。
黒い背景に赤い文字。
足を運んだ人のレポートだ。
ページを作成した人の、恐怖体験が綴られている。
実際に体験した出来事という体で書かれているが、
中盤からの展開が飛躍しすぎていて、僕は創作だと感じた。
電源ボタンを押し、スマホをポーチに戻す。

「屠殺場って、動物の霊が出るとか、あんのかな。
牛とか豚の霊が出ても、全然怖くなさそうだけど」

akiraとkiria、どちらに言うでもなく、呟く。
答えたのはakiraだった。
「大学の同級生から聞いたことあるわ。出るっつってたぞ」
「出るって、豚とか牛の霊が?」
「いや、人らしいぞ。人の形で出てくるらしい」
「人ぉ?殺されてんのは動物な訳だろ」
「俺も詳しいことは知らんけど。でも畜産とかやってる奴らは
めっちゃ見るっつってたな。常識らしい」

牛や豚の霊じゃ体験談としてインパクトに欠けるから、
人の霊が出た、という事にしたのだろうか。
僕はそう推察する。

「鶴の恩返しの逆バージョンだな」
そう呟く。ボケたつもりだったが、
akiraは突っ込む訳でもなく「そうだな」と簡単に返した。

「けど屠殺ってのも、なかなかきつい職業だよなあ。
毎日、牛とか豚を殺さなくちゃならん訳だろ?
相当精神的にクると思うんだけど」
「やってる奴らはそんな意識も無いんじゃないか?
もう動物じゃなくて肉塊としか思ってないんじゃねえか」
「そう割り切れるもんかね。離職率は高いって聞くぞ。」

akiraは思い出すように上を見上げる。
「俺も前にyoutubeで観たわ、豚が捌かれるヤツ。
ナイフがスッて豚の首を通って、血がバーッと出て、
目ェ開けたまま豚が死ぬんだよな」
僕はその絵を思い浮かべた。首の辺りがヒヤリとする。

僕は話を受けて、続ける。
「まあそれも、ひと思いにやってる訳だから、
まだ人道的な方法だろうな。
牛とかも残酷らしいぞ。空気銃で眉間を打ち抜くんだって。
それですぐ死ぬ牛って、そんないないから、
大抵の奴らは、血を流しながら暴れるって」
「いやだなそれ。痛くないようにはできんのかね」
「一応麻酔とかはあるけど、
高くてどこも使わないっていうのは聞くな。
ホントに使ってんのは、道楽で畜産やってる金持ちだけだろうな」

しばらく歩いたが、まだ「肉の館」には着かない。
kiriaは「ちょっと休憩」と言って
岩に腰をかけ、炭酸飲料を飲み始めた。

「意外と遠いもんだな」
適当な休み場が見つからなかったので、僕は中腰になった。

akiraは心底辛そうな顔で「喉めっちゃ渇いたわ」
と呟く。どうやら飲み物を買い忘れたらしい。

「心霊スポットに行こうとか、よく考えるよな」
少し呆れたような声で、akiraが僕に言う。
「肉の館」へ行こうと提案したのは僕だった。
「ネットで公開しようと思ってて。なんかネタになるかなって」
「2chとかに書き込むのか?
”不気味な集落に行ってきたんだが”みたいなタイトルで。」
「まぁそれもいいけど、ニート社のニノベってとこで書こうと思ってて」
「ああ、前なんか言ってたな。ワンパンマンとか載ってるところか」
「今はニート社、抜けてるけどね、ワンパンマン。
あそこはすぐ反応貰えるから面白いんだよ」

その後僕は、乱立する小説家志望サイトについて、色々と文句をつけた。
どの小説も異世界に行ってハーレムやってるヤツばっかりで
独自性が無いだとか、願望丸出しで気持ち悪いわとか、
ほとんど愚痴に近い、批評を行った。
ただkiriaやakiraはネット小説というのをあまり読まないようで、
あまりピンときていないようだった。

それらの議論は僕にとって面白く、
森に漂う鬱屈とした雰囲気が幾分が和らぐような感じがした。

     

「よしっ、行こうか」
腰を上げ、二人を促す。
kiriaはまだ小休憩していたい風だったが、
僕とakiraが立っているのを見て、渋々立ち上がった。

「ホントにこんな山奥にあんのかね?屠殺する場所が」
akiraは僕の計画に、疑念を抱き始めていた。

「サイトではこの先にあるって書いてたけど」
「つっても全然見えて来ないじゃん。
Googlemapとかで探してみたら?」
「俺もそれ一回やってみたよ。でも”肉の館”なんて出て来なかった。
正式な名称じゃないし、名所でもないからな」

一応、Googlemapを開いてみるものの、
画面に映し出されたのは、一面の森、緑のピクセルだ。
中央にぽつねんと、現在地を示す赤い矢印が置かれているだけで、
建物を示すアイコンらしきものは見つからなかった。

前へ前へ進む。
獣道ではあったが、人の通った形跡は随所にあった。

「kiriaは霊とか信じるのか?」
口数が減ってきたkiriaに話しかける。

「俺は信じないかな。一回も見たことねえもん」
「俺も見たことない。霊感無いって事かな」
「霊感ってか、霊なんて基本全部嘘だろ。
霊が見えるっつってるヤツにマトモなヤツがいた試しないわ」
「そうか?でも霊見えるっていうヤツ世の中にたくさんいるぞ。
そいつら全部まともじゃないって事か?」
「霊が見えるって時点でマトモじゃないわ。
マトモな感性してたら見えるって言わないだろ。」

kiriaの話は、何か主述が逆転しているような気がした。

「いやだから見えるんだろ。
本人が見たいと思ってなくても見えちゃうって事だろ」
「なんかの勘違いじゃね?
人影を勘違いしたとかその程度の事だと思うぞ」

kiriaは、
頑として霊の存在を肯定したくないようだった。

「小学生みたいな事聞いて申し訳ないけどさ、
じゃ、真夜中の墓場に行っても全然怖くない?」
「それとこれとはまた別だろ。墓場って、見ただけで
なんとなく不吉だし怖いだろ。仮に霊を信じてなくても
ビジュアル的に嫌だし怖えーよ」

ビジュアル的に怖い。そういうものだろうか。

「じゃあ死後の世界は信じてないって事か?
死んだらハイ全部終わりです、おしまいですって感じ?」
「そりゃ、意識が無くなって終わりじゃないか?
天国とか地獄とか信じてねえしな、俺」

僕も、天国や地獄が存在するとは到底思えなかったが、
死んだら全てが無に帰ってしまうというのも、
それはそれで寂しい気がした。

けれど、死んでしまった人は喋れない訳で、
死後の世界を語る事は不可能なのだし、
天国や地獄の存在なんて証明のしようがない。

自分は霊感というものがなく、
今までに霊と呼ばれるものを見た事は一度も無かった。
霊は一般的に「怖い」ものだとされ、
見えるよりも見えない方が良いとされているが、
自分はむしろ、霊が見えることを羨ましいと思ってしまう。

霊が見えるという事は、裏を返せば、
死後の世界がある、という事にもなる。
あの世が存在するという希望が持てるのだ。
自分は霊を見た事が無いので、死後の世界に対しての
確信が持てない。

死んだら全部終わり。
テレビのスイッチを切ったように全てが終わる。
kiriaの考えと大差ない。
怖いとは思うがその可能性が一番高いと思っている。

だから霊が見えたら怖いとは思うが、同時に
少し嬉しい感情も湧いてくると思う。
幽霊も怖いがそれ以上に死は怖いものだ。

歩を進めていくうちに、
葉と木々が左右から放射状に伸び、
まるで誘っているかのように並んでいる道に出くわした。
「進む先はこっちだ」と暗示しているようであり、
何者かの意思を感じた。
この先に何かがあるに違いなかった。

緑と黒に覆われた道の先には、光がある。
その光に向かってまっすぐ歩いていく。
何があるんだという期待と共に、同時に不安も広がっていく。

走り出して、
この暗い道をすぐに抜け出したいという衝動に駆られたりする。
左右の草むらから、何が飛び出してくるかもしれないという
想像を巡らせたりする。
それくらい闇は深くて、不安と静寂が支配していた。
僕らは何も言葉を発さず、道を歩いた。

「うわっ、なんだこれ・・・」
森を抜けた所で、kiriaが唖然として、思わず声を出した。
自分もその光景を見て、一瞬、血の気が逆流した。


見渡す限りの丘に、墓が並んでいた。


丘は何十段にもなっており、そこに等間隔で墓が並んでいた。
墓は丸くてごつごつした石でできていて、
一般的な四角い墓石ではなかった。
大半が苔に覆われており、
手入れはあまり行き届いていないようだった。

こんな辺鄙な場所に、何故巨大な墓地があるのか、
なのに何故、参拝客が誰もいないのか、それが不気味だった。

「なんでこんな所にでっかい墓地が・・・行く前、看板とか無かったよな?」
akiraに問いかける。

「村の奴らが使ってる墓地かなんかじゃないか?」
「でもさ、普通だったら横にお供え物とか置いてあっていい筈だろ。
こんな墓ばっかり並んでて、何も無いってのはおかしくないか」
「まあ確かにそれもそうだな・・・まあ部落の奴らだから
物を供えるっていう発想が無いんじゃねえか」

墓の表面を見てみる。
ミミズが這ったような字で判別がつかない。
人の名前というよりは呪文のようでもあった。
字の形としては漢字が近かったが、
書き方が古いのか、意味は不明である。

墓場を周りながら「何なんだろうなこれ」と呟く。
kiriaが「何かの儀式かな、これ」と言った。
「儀式?墓じゃないって事か」
「その可能性もあると思うぞ。霊を呼び寄せる的な」
「怖い事言うなお前。墓並べたからって霊が来んのかよ」

辺りは白い霧が立ち込めていた。
だだっ広い墓場に僕ら三人だけが立っていた。

誰もいない代わり、無言の墓達が、僕達を取り囲んでいた。

     

丘には階段があって、
その先に目的地らしき建物があった。

墓に取り囲まれるようにして、「肉の館」は建立していた。
コンクリートで作られた非常に簡素なつくりで、
建物の形状としては、殆ど四角形で構成されていた。

蔦が窓や屋根から伸び、血管のように外壁を這っている。
また、外壁は黒く煤けており、年月の重みを感じさせた。
窓の中は真っ暗で、何があるのか伺い知れなかった。

kiriaが「まいったな」という顔で
「アレかぁ・・・いかにも廃墟って感じの所だな」と言う。
「何で墓に取り囲まれてるんだろうな。
殺した動物とかを弔ってるって事かね?」
「そんな一匹一匹弔ってたら、
どんだけ時間あっても間に合わないだろ。
お前、肉食う前、いちいち動物を弔ったりするか?」
「そりゃしないよ。じゃあやっぱあの墓って、儀式的なモンか?」

kiriaは「わからん」と言って、階段を登り始めた。僕も続く。

「ここまで来て言うのもアレだけどさ・・・あんまり行きたくねえな。」
kiriaが呟く。
「もう来ちゃったんだから最後まで行こうぜ。」
「いや、あの建物が怖いって言ってるんじゃないぞ。
ただなんか雰囲気的に、あんま足を踏み入れたらいけない場所っぽいじゃん。
後で村の奴らから怒られないか心配だわ」
「大丈夫だろ。サイトに載ってるくらいだし、俺らの他にも
結構行ってる筈だって」
「大体、なんでここがいわくつきの場所なんだ?
屠殺場って別にどこにでもあるじゃん。
恐怖エピソードっていうか、そういうのあるの?」
「ああ、あるね。サイトに書いてあったよ」

kiriaは足を止め、
「どんなの」と僕の目を見て言う。

「屠殺場っていうのは本来動物を殺す場所だろ。
豚とか牛を仕入れて、それ捌いて、肉屋とかに運ぶっていう仕事を
請け負ってた訳じゃない?
けどここが違うのは、
動物じゃなくて人間を殺してた可能性もあるって事だよ。
色んな肉に紛れて、人間を殺してたっていう噂があるらしい」
「大方予想はしてたけど、やっぱそういう事かよ。
で、その怨念が祟ってる的な事か?」
「そういう事だろうな。殺された人の怨念が」

kiriaは「マジかよ」と言って前を向き、再び階段を登り始める。
彼はグロテスクな映画などには耐性があったが、
心霊的なものはあまり得意ではなかった。

「肉の館」の前に着いた。
正面玄関らしき所から侵入を試みる。
コンクリートで囲まれた廊下は暗闇であった。

気になったのは、地面に紙が散乱している事だった。
しゃがんで、何の紙が散らばっているのか、まじまじと見てみる。

一枚は、昭和の時代に作られたであろう、求人広告だった。
印刷の方法が非常に古く、字体は手書きのようだ。
時給も非常に安く、現代との貨幣価値の違いを感じさせた。

他の紙を見てみると、成人誌の紙片であったりとか、
怪しげな宗教団体の広告も散らばっていた。
全体的に古く、紙の質が、現代のものではないと感じさせた。

廊下を抜けると、厨房に着いた。

ステンレス製の台が並んでいる。
天井には、かつて動物を吊り下げていたであろう、パイプが伸びていた。
パイプには可動式のフックが付いてある。
動物を吊り下げる為の装置だろう。

壁のタイルには幾つもの「染み」があった。
血痕が壁に染み付いたものだと思われる。黒く浸透している。
ここで屠殺を行っていたに違いなかった。

「動物の悲鳴が聞こえてきそうだな」僕は呟く。
akiraが「やめてモーってか?」と返す。

kiriaは「なんかいわくつきとか言ってたけど、入ってみると
意外と普通だな。どこでにでもある解体場って感じじゃないか?」
と言って、少し安心したようだった。
「けど壁に血とか付いてるじゃん。
こういうの見たらやっぱりちょっと怖くならない?」
「そりゃ屠殺やってるんだから、血が付くのは当たり前だろ。普通だろ」

シンクにはノコギリが置いてあった。
刃先がボロボロで、上の部分が無くなっている。
無数の動物を切り刻んだノコギリだろうか。

シンクの棚を開けてみた。
すると、手帳が中に入っていた。

これもかなり年季が入っている。
カバーが革製で、水分と泥でページ同士が張り付いていた。
ページの中で、比較的張り付いていないページをめくってみる。
中にはメモが書かれていた。
「里崎参加× 洗浄? 琵琶湖誰を向かわせるか
臭いが酷いので要洗剤 」等と、
意味のよくわからない言葉が並んでいた。

akiraに「何だろうなこれ」と言って手帳を見せる。
「書いてる奴しかわからんのじゃないか。
個人的な内容だろこれ」
「ぽいよな。琵琶湖って何だろ」
手帳をスマートフォンで撮影し、棚に戻す。

akiraが「んでさ、なんかネタになりそうなものはあったか?
今見た限りじゃ肩透かしっていうか何もなさ気だけど」と聞いてきた。
「うーん、いや、特にないっぽいな。
俺の編集技術で何とかするわ」

スマートフォンで厨房のあちこちを撮影する。
帰って、パソコンで編集して、アップロードするつもりだった。

     

「2階もあるっぽいから、行ってみるか」

二人に提案する。
さっき外から見た所、この建物は2階建てだった。
外からだと窓の中は暗闇で、窺い知れなかったが、
中からならば、どんな様子かを知ることができるだろう。

厨房を抜け、廊下を抜ける。
廊下の突き当たりに階段があった。

階段を登る途中、踊り場の壁に、ひしぎ形の窓が設えられていた。
窓にはステンドグラスが嵌められていて、
色のついた光を投げかけていた。
中央には十字架が刻印されており、その部分だけが影になっている。

洒落た形というか、変わってる形だなと思った。
屠殺場という場所には似つかわしくない、
宗教的な臭いのする窓だった。

そして2階へと到着した僕らは、また、
唖然とするような現実と対面する事になった。

焚き木が積まれていたのだ。

ちょうどキャンプファイアーをする時のように、
円を描くように焚き木が並べられていた。

更に不可解だったのは、
その焚き木がまだ割と「新しかった」という事である。
苔も殆ど生えていないし、朽ちておらず、
並べ方も妙に綺麗だった。
誰かがここに来て、この焚き木を並べたのだ。

―しかし何の為に?
暴走族や不良が、最近、集会に使ったのか?
いや、だったらスナック菓子とか、缶ビールとか、
宴の後に残る痕跡があっていい筈だが、そんな物は見当たらなかった。

そう考えるとぞっとした。
こんな所に焚き木を並べる理由って、一体何だろう。

「うわ、引くなこれ」kiriaが声を震わせながら、言う。
必死に虚勢を張ろうとしているが、恐怖心が前に出てきている。

歩を進め、焚き木に近づいていくうちにつれ、
僕はある事に気付いた。
「ちょっと待て。焚き木になんか書いてないか」

並べてある焚き木に歩み寄り、至近距離で見てみる。
焚き木には赤いペンキか何かで、十字架が描かれていた。

動悸が早くなる。
ここは、来てはいけない場所だったのかもしれない。

kiriaは「うわー、もう帰るわ俺」と泣きそうな声で言う。
「これ真新しいよな。最近まで人がいたって事か」
「だから嫌だったんだよ。
村の奴らがもしここ使ってたら、どうすんだよ?
あいつらの集会場かなんかじゃね?」
「こんな縁起の悪い場所で、集会する必要ってあるか?」
「”演技の悪い場所”だからこそだろ。
縁起の悪い場所で、集会する事に意味があるって事じゃねえか?」
「縁起の悪い・・・」

思考を巡らせる。
縁起の悪い場所に集まる理由って何だろうか。

「さっき言ってた、霊を呼び寄せるとか?」
「そうそうそういう事だよ。儀式みたいなさ。
そういう事やってる場所じゃないかって言ってる」
「じゃあこの焚き木は祭壇?の役割か?」
「知らねえよ、そうなんじゃね?もういいから帰ろうぜ」

kiriaは、この不気味な場所から、
今すぐにでも踵を返し、帰りたいようだった。
「じゃ、ちょっと待ってくれよ。最後に写真撮ってから帰るわ」
「早くしてくれよ。もうさっきみたいに驚かすのはやめてくれよ」


kiriaの言葉に、僕は一瞬固まった。驚かす?


「驚かす事なんかしてないだろ。俺何もやってないぞ」

kiriaも「え」と言って、固まる。少しの沈黙があった。
「いやいや、さっき俺の肩叩いただろ。何も言わなかったけど
知ってるぞ」
「さっきって、厨房に居た時の話か?」
「そうだよ。叩いただろ、お前」
「叩いてないよ。マジで言ってんの、それ?」
「嘘つくなって。叩いて、何も言わずにどっか行っただろ」

僕はakiraの方を向いて
「akiraじゃないのか?akiraがやったのか?」
と問いかけるが「俺も知らない」と彼は答えた。
akiraの瞳には、明らかに動揺が生まれていた。
彼がイタズラでやったとは考えられない。

kiriaは怒った口調で、「俺はこういう所でつく嘘って、
マジで嫌いだからな。正直に言え。肩、叩いただろ?」と言った。
「だから嘘ついてないって!
そもそもちゃんと見たのか?俺が肩、叩くところ」
「一番近くにいたじゃねえか!お前しかいないじゃん」

kiriaの顔は、顔面蒼白になっていた。
僕が嘘をついて、肩を叩いたという事にしようか迷ってしまうほど、
彼の顔は恐怖心で満ちていた。



結局、誰が肩を叩いたのかは、最後まで分からなかった。
kiriaがかなり滅入っていたようなので、僕は
当初より予定を早め、「肉の館」を後にした。

帰り道、僕は「大丈夫だって」「気のせいだろ」と
何度もkiriaを励まそうとしたが、彼は肩を落とし、
様々なトーンの「最悪だ」を繰り返していた。

     

帰宅し、「肉の館」についての文章を纏め始める。

自分は、文章を書くのが好きだった。
頭を捻り、言葉を駆使して、リズムを整え、
文章を構築するという作業が好きだった。

例えば仕事において、報告書を書くという作業に関しても、
苦痛には感じなかったし、寧ろ楽しい時間といえた。

文章を書くという作業は、彫刻に似ているなと思った時もある。
伝えるべきイメージが思い浮かんだら、
イメージに似ている言葉で固め、その後、削っていく。
この場合、「削る」作業が推敲に当たり、
自分は、その贅肉を削る作業が、気持ち良くて、好きだった。

だから一時、小説家になりたいと思った時期もあった。
しかし今では、自分は小説家になれないと自覚している。

小説は、情景描写や、登場人物の考えている事を
ミクスチャーして、うまく物語の中に乗せなければならない。
しかし自分は、景色を見て、何かを思ったり、考えたり、
感じたりする感性というものが、絶望的に欠けていた。

景色を見ても「ああ景色だなあ」としか思わず、
自分の意見や主張というものが、全く無かった。
だから小説を書こうと思っても、引き出しがすぐ空になり、
手詰まりになってしまった。
要するに小説家の資質が無かったという事だろう。

小説が書けないと自覚した僕は、
体験記なら書けるかもしれないと思い、
こうして「肉の館」へ足を運び、ネタを拾ってきて、
なんとか形にしようと努力していた。

今でも小説家になりたいという気持ちはあった。
しかし自分には資質がないし、そもそも気力も無かった。
会社員だし、目の前の仕事を消化していかねばならない。
だからこうして駄文を書き、お茶を濁していたのだった。

公開するのは、「ニートノベル」という所にするつもりだった。
新都社というサイトの、漫画ばかりが掲載されているサイトの中で、
何故か小説が載っているという、物好きが集まる場所だった。

きっと自分のように、小説家になりたくてもなれない人達が、
沢山集まっているんだろうなと思った。

小説というものは、客観的な指標が無い為、自分の力を
計る事が非常に難しいメディアだと感じる。
例えば漫画なら、10人が読んで8人が面白いと思えば、
それは「面白い」と言っていいだろう。

だが小説の世界においては、10人が読んで、
1人しか面白がらないものが評価されたり、
著名な文学賞においても、わけのわからない小説に対して
審査員が太鼓判を押したり、
一般的な感性と、非常に乖離していると自分は感じていた。

それは商業的に言えば、問題のある事かもしれない。
しかしそれらの事実は、
僕ら夢を追う人間にとって、「隠れ蓑」になった。

実際には実力もないし、長い小説を書く気力も無い。
しかし自分には「センス」がある。
自分のセンスが間違っているのではなく、読み手側の
受信するアンテナが狂っているだけだ。
そう自分に言い聞かせ、
なんとか自分のプライドを守ろうと必死だった。

だからこそ、同属嫌悪で、同じ事を考えている人間が嫌いだった。
言い訳すんなよ、お前の実力が足りないだけだろう、
読む側の責任にするんじゃない―そんな愚痴が飛び出してきた。

「肉の館」の文章を書けば、ある程度の反応はあるかもしれない。
しかしネットの評価というものは、得てして甘いものだ。

特にコミュニティの結びつきが強いサイトにおいては、
内輪での評価に補正がかかってしまう。
ぬるま湯の村社会の中で、過剰に評価され、
俺はできるんだと勘違いし、外に出て、ぼろぼろになってしまった例を
自分は何回も見てきた。
自分は、ぬるま湯の中でしか生きれない、子羊のような存在だった。

とりあえず、冒頭の部分は書き終わった。
多少の文章的装飾は行ったが、嘘はつかないように心がけた。
フォルダに保存し、アップロードの日に向けて、
塩漬けしておく事にした。

     

文章を書き終わり、
ネットサーフィンをしながら、うだうだと時間を潰していると、
「田中」という人物から電話がかかってきた。

彼女は、「もうやだ、また手首切っちゃったわぁ、やだやだやだ!」
と、早口で喋らなければ死んでしまいそうな早さで喋った。

またか、と僕は思った。
これは恒例行事であり、数週間に1回の割合で訪れる出来事だった。
また彼氏に構ってもらえず、凶行に走ったのだろう。

僕は「彼氏はどうしてんの?」と聞いた。
「今仕事に行ってて、寂しくて堪らなくなっちゃって」
「ああわかった。じゃ、僕が行こうか?」
「来てくれる?本当に来てくれる?」
「行くって。けど自宅は勘違いされると困るから、
ファミレスかなんかで会おうよ」
と言って、時間と集合場所を決め、一方的に電話を切った。

近所のファミレスまで、車を走らせる。

会って話す事に、意味がない事はわかっていた。
彼女は境界性人格障害という病気にかかっていた。
その病気は、人との距離がうまく測れないという病気だった。

人間関係において、適切な距離感というものはあると思う。
通常、初対面の人に対して、人はいきなり踏み込んで行かないし、
ある程度の遠慮とか、緊張はあるものだろう。

しかし彼女はその距離感が解らなかった。
各々が持つパーソナリティを飛び越え、
いきなり喉元へ飛び込んだり、かと思えば、遥か遠くまで離れたり、
境界というものが存在しなかった。

逆を言えば、初対面の人とでもすぐに親しくなれるという
事でもあるのだが、
親しくなったが最後、彼女は態度を豹変させてしまう。

「私のことなんかどうでもいいんでしょ?」
「死ねばいいって思ってるんでしょ?」と呟き、
袖を引っ張り始め、無視していたら、
突如、向精神薬を大量に服用し、救急車に運ばれてしまう。

知り合った当初は、
自分も、対話を続けていけば彼女も変わるだろうと思っていた。
根っからの悪人なんていない、愛情によって人は変わるという
性善説を持っていた。

しかしそれは甘い考えだった。
とどのつまり、彼女を救済する方法なんかありはしなかった。
底の抜けたバケツに水を注いでいるようなもので、
彼女に対話なんて何も響いていなかった。

実際の所、彼女は自分が一番正しいと思っており、
いかなる意見も、全て右から左に流れていた。
凶行に走るのも、自分に注目を向けて欲しいだけの一念であり、
衝動的なもので、数日経てば、彼女はケロッとしていた。

だったら今すぐにでも帰って、彼女の話を聞かず、
自宅に居ればいいのだろうが、そういう訳にもいかなかった。

彼女からの着信を無視し続けていれば、彼女は
自分の名前を携帯電話に残したまま、首を切って、死んでしまう
かもしれなかった。
(自分はこの行為をドラゴンクエストになぞらえて
”メガンテ”と呼んでいた。)

数ヶ月前、大学生が、LINEで罵倒する言葉を送り、
メッセージを受けた女の子が本当に死んでしまった、という
ニュースを見ていたので、彼女が死んだら、
自分も、同様に嫌疑をかけられてしまうかもしれないと思って
怖かったのだ。

ファミレスに到着する。

中に入ると、席で顔を伏せている田中が目に入った。
古着屋で買った服装に身を包んでおり、
原色系統が多く、かなり人目を引く格好だった。

近くまで歩いて行き「来たぞ」と言うと、
「あぁ・・・来たんや」と、虚ろげに聞こえる声で言った。
何度もカラーリングを試みた金髪の髪は、荒れに荒れており、
薬の副作用か、頬が不自然に膨れていた。
切れ目は、長い間突っ伏していたせいで、更に小さくなっていて、
狐のような細さになっていた。

     

顔を上げたかと思えば、田中は再び顔を伏せ、
自分の殻に閉じ篭ってしまった。
隙間の無いはまぐりのように、自身の身を閉ざしている。

「また切ったのか」
質問を投げかける。
彼女は、ずり、と頭をテーブルにこすりつけ「うん」の意思表示をする。
「彼氏に対して不満があったとか?気に障るような事を言われた?」
小動物があくびをする時のように
「う~ん」と小さい唸りをあげ、悩みつつ肯定の意思を示した。

大方、原因は推測はできた。
彼氏の言葉が一言二言引っかかったとか、その程度の事だろう。
それも、重箱の隅をつつくような、些事に違いなかった。

今まで何度か呼ばれた時も同様だった。
大半の人は「どうでもいい」で流してしまう事を、
彼女は何十倍にも膨らませて、まるで世界の終わりのように
騒ぎ立ててしまう。

「彼氏が、わかってくれなくて・・・私の事、考えてくれなくて」
テーブルに向かって、言葉をぽろぽろと落としていく。

「まあ彼氏も彼氏で大変だろうし、
彼ばっかを非難すんのはかわいそうじゃない?」
「かわいそうって・・・西ちゃんはソファで寝てばっかだし」
彼氏は「西谷」という男で、略称が「西ちゃん」だった。

「研究職なんだろ?毎日研究で忙しいんだし、
労わってあげる精神も必要でしょ」
「でも西ちゃんは掃除も手伝ってくれないし・・・
晩御飯も毎日アタシが作ってあげてるし」
仕事場までの送迎もアタシがやってあげてるし、と更に付け加える。

田中は「でも」で相手の意見を無効化してしまう癖があり、
僕はそれがあまり好きではなかった。

「まあ気持ちはわからんでもないけど・・・
けどそれが手首を切るほど辛かったのか?」
「そりゃアンタにはわかんないでしょうね。健康な人には
病気持ちの気持ちはわかんない」

彼女の言葉に一瞬ムッとしたが、感情を飲み込んだ。
「俺は田中じゃないから、田中の気持ちはわからんよ。
俺は落ち込む事ってあんまり無いし。
気持ちを想像してくれって言われても無理がある」

田中は弱い声で「辛いよ、本当に辛い」と呟く。
それからぽつりぽつりと、彼氏に対しての愚痴を零し始めた。
様々な角度からの愚痴が飛び出してきたが、
一貫しているのは「構ってくれない」という心情だった。
今ここで反論を唱えても、通じないだろうと思って、言葉を挟まず
黙って彼女の言葉を聞いていた。

彼女の言葉を受け流しつつ、今日行って来た、
「肉の館」で起きた出来事について、反芻する。

―あの巨大な墓場は、一体、何だったんだろうか?

kiriaが推測していたように、霊を呼び寄せる儀式の一環なのだろうか。
等間隔に並べられた石が、魔方陣の様な役割を果たし、
霊魂を顕現させる役割を果たしていたのだろうか。
彼の肩を叩いた「誰か」も、それに関係していたという事だろうか。
また、肩を叩かれたという事は、
霊に取り憑かれたという事になるのだろうか?

それだけではない、屠殺場にあった手帳の、中身の意味は?
祭壇のように組まれた木々の意味は?
疑問は幾らでも湧いて出てきた。

「・・・まあ、こうして私も苦労している訳で」
彼女の愚痴も、佳境に差し掛かったらしい。
正直あまり内容は聞いていなかったが、そうか、と僕は呟く。
彼女の声色は、幾分か明るくなっていた。
黒い感情を吐露し、胸のつっかえが取れたのかもしれない。
―最初から落ち込んでいる演技をしてただけかもしれないが。

少し話をして、落ち着いたようだったので、
適当に話を切り上げ、田中と別れた。

       

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Neetsha