Neetel Inside ニートノベル
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オピオイドの繭
二章「キングス・オブ・ニューイングランド」

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 プスン、プススン、プススプスン。
「エンジンが、プスンプススン、プススプスン」
 字余りだしこれじゃ季語がないな、とおどけていられるほど、武藤少年の置かれている状況は甘くなかった。
「雨は降れども、メーターの針は振れず」
 途中から考えるのをやめた下の句を吐き出し、武藤は溜め息を一つ吐く。
 空は曇天、雨は猛烈。
 終わる世界へお遍路の旅に出た二人を運ぶ命の綱、原動機付き自転車が早くも音を上げた。どれだけエンジンをかけてもプスプス笑うだけで、マフラーを震わせて駆動することはない。かれこれ小一時間は粘っているが一向に事態は進展せず、少年の精神だけがごりごり削られていた。
「参ったな……まさかこんなに早く壊れてしまうだなんて」
 この原付は旅に出る少し前、繭化してしまいそうだったのを武藤が見つけ、なんとか動くまでに回復させた代物だ。古いものには見えなかったのでしばらくは持つだろうと考えていたが、甘かった。繭化こそしていなかったが、内部の機構が恐らく異常をきたしている。素人の武藤では到底直せるとは思えなかった。
 顔を油で黒く汚したまま、はあ、と武藤は転がった一斗缶に腰掛ける。
 ガレージを出てから、三日が経つ。
 男が蓄えていた食料のおかげで、二人は衣食住のうち食はそれなりに満足のいく生活を送っていたが、残りの二つに関しては当然不満が残る。衣服の替えは一日分しかなく、寝泊りも手ごろなベンチを探してその上に寝るしかない。四日目の今夜に至ってはあいにくの土砂降りで、なんとか公園らしきものを見つけて、そこの東屋で一休みしていた。恐らく今日の宿は、ここになるだろう。
 雨か、と武藤は呟く。
「僕らの旅において、雨は天敵なんだよなあ」
 服は濡れる、その所為で風邪は引く、焚き火がおこしにくければ、散歩も出来ない。挙句の果てに原付はすっかり機嫌を損ねてしまった。明日の朝もこの雨の調子だともはやお手上げ状態だ。
 懊悩する武藤を余所に、明穂はベンチの上で寝息を立てている。
 珍しく文句を言わず寝ている明穂も、武藤の懸念事項の一つだった。
 雨が降り出したのは東屋に着く三〇分程前だったので、それまでは雨を全身に受けながら原付を飛ばしたわけである。武藤は服が濡れる程度で大した被害はなかったのだが、問題は明穂だった。
 武藤は、少し苦しそうに息をする明穂の額に手を当てる。
「……うーん、思わしくないな」
 微熱を感じ、明穂の毛布をキチンと掛け直す。
 ここにきて明穂が、体調を崩してしまったのだ。
 明穂の性格上、雨が降っても構わず原付を走らせろと武藤を煽りそうなものだったが、今日はどこかで休みたいと武藤の背中に告げていた。鈍感な武藤でもさすがにこの異変にはすぐに気付き、同時に原付の異変も覚えながら東屋に何とか辿り着いたというわけだった。
 天候、相棒、移動手段。
 全てが最悪の状況の中、武藤は必死に思考を巡らせていた。
「大丈夫だ。地図を信用するなら、あと少し南に向かえば集落があるはず。そこへ行けば薬もあるだろうし、原付を直す手段だってあるかもしれない。そこへ行ければ……きっとなんとかなる」
 明穂を見遣る。苦しそうにうなされていて、連れて行けそうにない。ならば、ここに明穂を置いて自分だけで集落まで走ろうか。そうも考えたが、病人を放置してどれくらいかかるかも分からない旅路を走る勇気はない。
 ならば、このままじっと待機するか。
 しかし、明穂の容体が自然と良くなる保障はなく、雨が止む可能性も高いとは言えず、原付が息を吹き返す未来も今のところ見えてこない。可能性を探る度、詰将棋のようにどんどん選択肢が削られていって、終には考えが尽きてしまった。
 どうすれば、どうすればいい。
 騒がしい雨のノイズが思考回路をかき乱す。
 妙案が全く思い浮かばず、思わず武藤はがしゃがしゃと頭を掻いた。
 まさかこんなところで旅を諦めたくはない。自分の唱える、繭化の原因とその予防法。それを一人でも多くの人に知らせたい武藤としては、限界まで旅を続けていたかった。何よりも、明穂と共に旅をしていたかった。
 だって明穂は、武藤の――――
「……ダメだ、こんなことを考えている場合じゃない」
 状況は刻一刻と悪くなっているのだ。
 武藤は両頬をペチペチ叩き、己を叱咤激励する。今出来る最低限のことで、生き繋いでいくしかない。そう考えた武藤はとりあえずリュックの中身を整理しようと、リュックを縛り付けてある原付に目を遣った。
 そして。

「あ――――――」

 その瞬間武藤は、明穂以外のヒトの存在に、気が付いた。
 雨音に紛れて、完全に気配を消していた、その影。
 「それ」は、リュックが紐で縛りつけられている原付に忍び寄って、何かをまさぐっていた。
「やべっ…………!」
 目線に気付いたのか、影は小さく呻き、公園の茂みへと消える。
 それを見て、反射的に武藤は立ち上がった。
「こ、んの野郎!」
 怒声を聞き、ガサガサと音を立てて雨の降る公園の雑木林に消えていく影。
 武藤はその後を追おうとしたが、横目に明穂の姿が入って、東屋から飛び出すという所で留まった。
 忌々しげに舌打つ武藤。急いでリュックを確認する。
「……くそ、因果応報って奴なのか?」
 リュックは僅かであるが、被害に遭っていた。
 食料品であったスパム缶が、三つほど無くなっている。
「ロクなこと考えてない奴が、ここにもいるってことか」
 武藤は公園を見渡す。途端に背筋をなぞられるような、気味の悪い寒気が身体を走る。
 この公園には、何者かが潜んでいるのだ。
 武藤と明穂を付け狙う、何かが。

       

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