Neetel Inside ニートノベル
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『続いてのニュースです。今この世界では、繭化による被害がおびただしい勢いで広がっています。繭化の原因や予防方法につきましては専門家が総力を上げて調査しされているそうですが、今だ決定的な要因というものは見つかっておりません。全世界を蝕んでいる繭化。一刻も早く防がなければなりません。さて、続きましては今週の……』
 狂っているとは思わないか。
 武藤は独り言か、語りかけているのか分からない大きさの声で、そう言った。
「狂っているって、何が?」
 訊き返す明穂に、武藤はインスタントラジオのイヤホンを付けたまま微笑む。
「質問に質問で返すのはタブーだよ、明穂」
「君の質問に主語がないのもタブーだと思うけど」
「違いない。僕が言いたいのは『未だに誰も繭化の原因を突き止められていないなんて甚だ可笑しい』という事だ」
 ラジオをポケットに仕舞いながら、武藤は空を見上げる。
「僕みたいな一介のクソガキでも繭化の原因は何となく掴めているというのに、彼らにはそれが分かっていない。彼らはきっと僕よりも博学才穎、頭でっかちな人ばかりだ。繭化に科学的根拠があるとするならば、とっくに原因が分かってもいい頃だ」
「にも関わらず、そいつらはまだ繭化の原因が分かっていない」
「そういうこと。狂っていると思わないかい。彼らまだ、繭化に常識的な根拠があると思い込んでいるんだ」
「私も良く分かっていないから、偉ぶって言えたことじゃないけれど」明穂は、んー、と伸びをする。「いつまでも常識に囚われているようじゃ、繭化に抗うことなんて出来ないでしょうね」
「ああ。彼らはもっと早く理解するべきなんだ」
 武藤は言う。
「繭化というのは人知の範疇を容易に超える、超常現象だってことに」

『それでは最後に今週のCD売り上げランキングです――――』

 ラジオ越しに耳に流れてくるのは、繭化のこととヒットチャートと、戦争と天気予報と、連続殺人と誰かの不倫と、凋落と深夜の生放送。変わってしまったことも確かに増えたが、変わらないものもどこかにあった。
 だから武藤は、ラジオを聴き続けた。
 狂ってしまわないように、聴き続けた。
 聞き覚えのある陳腐なヒットソングを、誰かの声を、明日の天気を。

     ○

 原付という貴重な移動手段を失った二人は、夜半に一本道の続く荒野を歩いていた。
 動かない原付を武藤が押して、その横に明穂が並び立って。
 車二台がすれ違えるかどうかといった広さの道以外は、全てが朽ち果てている。地図が確かなら、ここも元々は何かしらの名前がついた街だったはずだが、その面影はどこにもない。鉄筋コンクリートのビルも、人も動物も、きっと全てが繭化に陥って、真っ白な蛾となって消え去ってしまったのだ。この道路だけは武藤たちのように通る人間がいるからなのか、今もその原形を留めている。だがそれも、端の方から少しずつ、白く染まり始めていた。
 もう夜も深い。いつもならばこの時間には二人共眠りに落ちている頃だ。
 だが、武藤と明穂はアスファルトの上を、月明かりだけを頼りに歩いていた。
「特別な移動手段を持たないナオキが、どうやってあの公園まで来たのか疑問に思っていたんだ」
 原付の汚れを払いながら、武藤が言う。
「妹さんの車椅子を何日もかけて運ぶなんて真似を出来るはずがない。だけどナオキは、街から逃げてきたと言っていた。それはきっとだいぶ昔の話というわけでもないだろう。つまりは、こういうことだ」
 二人の目の前に見えているのは、明かりがぽつぽつと灯っている、小さな街。
「あの公園と彼らが逃げた街は、さほど距離がないんだよ」
「ま、不幸中の幸いって所ね」
 街というより村という名前のほうが似合いそうなほど、本当に小さな街だった。
 街は煉瓦造りの壁によって、城を守るがごとく環状に囲まれている様に見える。その壁の一部にただ崩しただけと思われる入口があって、そこからは中の様子が窺えた。同じく煉瓦で作られたと見える民家が点在していて、その奥に聳え立つ大きな時計台は、辺りが暗闇に隠されていてもはっきりと視認できた。
「不思議なもんだ、ここまで綺麗に街が残っているなんて」
 武藤は城壁に触れながら呟く。繭化に襲われるのは、街のような無機質なものでも関係ない。条件さえ満たしてしまえば煉瓦だって繭化に罹る。だから二人の通ってきた道は、道以外には一本の木すらもなかった。
 だがこの街はどうしたことか、ほとんど全てのものが色素を失わずに居る。武藤理論を正しいとするならば、この街はまだ、“誰かに必要とされている”ということになる。
 つまりこの街には、繭化に抗っている生存者が居る可能性が高い。武藤の胸は高鳴った。
「ねえ武藤、ちょっといい?」
 ふと、明穂が耳に後ろに手を添えて、武藤を見る。
 ん、と相槌を打ちながら、武藤もそれを真似る。明穂がこうした時は、同じようにしろという合図だ。一体どうしたんだと武藤は疑問に思ったが、少しだけ聴覚を集中させるとそれはすぐに感じ取れた。
「何か、聞こえない?」
「……聞こえるよ。すっごく小さいけれど、音が聞こえる」
 街に少し足を踏み入れたところで、二人は足を止めた。
 別に、音が聞こえる程度ならおかしなことじゃない。生き延びている鳥が啼いたり、生命維持活動をしている人の、生活音が聞こえたりもするだろう。別段珍しいことではないのだ。
 明穂もそういうことがあるのを、きっと知っている。
 その明穂がわざわざ聞き耳を立てるたので、武藤は何事かと耳を澄ましたのだ。
 聞こえたのは、二人が今まで聞いてきた音とは、少し違っていた。

「唄と、ギターの音――――」

 鼓膜を響かせたのは、弦を弾く音と、凛とした歌声。
 人の気配がしない静かな街で聞こえてきたのは、誰かの歌う唄。
 思わず歩みを止めてしまうほど、美しいと思える唄だった。歪みのない透き通った歌声が、心地良いギターの旋律とともに透明な風となって、二人の周りにも流れ込んでくる。どうやら街の中でのみ響き渡っているようで、城壁の中に入り込んだ途端、並び立つその音ははっきりと、明朗に耳を打った。
 隣に立つ明穂はいつの間にか腕をおろして、その音に聞き入っているようだった。
 武藤はというと、同じく腕を降ろしていたが、その目は明穂とはおそらく違うものを見ていた。
 月光に照らされた、街の中心部。
 周囲の建物よりやや大きな時計台に、誰かが月を背にして、腰掛けていた。
 音楽はそこから、流れ出しているようだった。

       

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