Neetel Inside ニートノベル
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 街というより、集落と呼んだ方が良さそうな廃墟だった。
 煉瓦造りの家々はどれも部分的に壁が崩れていて、家の中身が顔を覗かせている。碁盤目状に並ぶ建造物たちの中央には開けた空間があり、更にその真ん中には大きな時計台が建てられている。中世ヨーロッパを思わせる大きな時計台で、ギリシャ数字の並ぶ数字盤の針は動きを止めていたが、繭化している様子は見られなかった。
 それは、時計台だけに限らない。
 人の気配がない家も、長年使われていないポストも、錆びついたガス灯も、黒塗りのベンチも。
 街にある何もかもが、本来持っている色素を失っていなかった。
 武藤の脳裏に、疑問がよぎる。
(あの唄い人以外には誰も居ないように見えるけど、繭化は全く進んでいない……?)
 なぜだ、と考える。おそらくここは、公園に住んでいたナオキ達兄妹の住んでいた街に違いない。しかしそうであるならば、彼らの言っていた通り壊滅状態になっていなければ説明がつかなかった。
 確かに街は一種の壊滅状態だ。住民と呼べる人々はおらず、住居もかなりの部分が崩れ落ちてしまっていて、生活圏としての形を成してはいない。ここで普通の生活をおくれと言われてもきっと挫折してしまうだろう。
 しかし街は、住んでいる人間だけを切り取ってしまったかのように、今もまだ『街』として生き続けている。
「不思議な街ね。誰も住んでない建物がこうして無事に残ってるなんて」
「うん、こんな症例は今までに見たことがない」
 武藤は手ごろな場所に原付を停める。
 建物や施設に何も手を施さなくても街が繭化しないということは、この街には恐らく、街が滅びないための方法が隠されている。何が起因しているのかは知れないが、その秘密を握っているのが時計台の唄人であることに間違いはなさそうだった。
「ともかく、彼に話を聞いてみよう」
 武藤がそう呟いて、ふっと時計台の方を見上げた時。
 街に鳴り響いていた歌声と演奏が、不意に消えた。

「やあ、お客様かな?」

 音の風が止んだ代わりに、透き通った声が投げかけられる。
 見上げた先に座っているギターを抱えた唄人は、歌う時そのままのクリアな声で、恐らくは武藤たちに話しかけていた。指先の演奏はまだ続いているが、口元は歌う代わりに、武藤たちに向けた言葉を吐き出す。
「ここは人々から見放された街。呼び鈴を押しても誰も出てこない、命に欠けた街。繁栄も衰退もしない、ボクの愛しい生まれ故郷。ボクが主で、君たちはお客様。どうか一曲、聴いて行っておくれ」
 ぽろろん、と唄人はギターを弱く鳴らす。
「故郷? 貴方は、この街で生まれ育った人なんですか?」
「ボクはかつて流浪の旅人」
 指板をピシャリと叩いて演奏を止めると、その唄人は。
 高さ十数メートルはあるかという時計台から、一瞬の躊躇もなく飛び降りた。
「ちょっ、待っ……!」
 それに気付いた武藤は、慌てて時計台の下に駆け寄ったが。
 垂直落下した唄人は、猫がそうするように、事も無げに地面に降り立った。
 武藤は思わず、足を止める。
「今は歩くのを辞めた、名も無き唄人だ」
 唄人――背格好からして恐らく男――は、ギターを背負ったまま微笑んだ。
「この街で時を止め続けているボクに、君たちは何か、用があって?」
 笑顔を浮かべる男に、立ち止まった武藤は若干鼻白む。
 理解が追いつかない。なぜこの男は、あの高さから飛び降りて平然としていられるのか。
 身のこなしが軽いからという程度の理由では片付けられない。普通の人間なら大怪我をしているところだ。だというのに目の前に立っている男は、それが当たり前とでも言うようにごく自然に飛び降りた。
「……僕たちは、旅の途中で、ここを通りかかっただけです」
 疑問に思いながら、質問に応じる武藤。
「僕の名前は武藤、後ろに立ってる少女は明穂といいます。貴方の名前は?」
「名前。うーん、そうか名前かあ」
 神妙な面持ちの武藤に対し、男は指を顎に当て、さも愉しげに考える。
「名前なんてものは遥か昔に捨ててしまったからねえ。思い出そうとしても思い出せないよ」
「遥か昔。その、昔っていうのは、三年よりも前のことですか?」
「当然さ。三年なんかよりもずうっと昔、僕がまだ小さな子供だった頃の話だ」
 それならば繭化で名前を失ったというわけではないのか、と武藤は半信半疑考える。
「貴方はいつから、この街で歌を唄っているんですか?」
「それも覚えてないね。赤ん坊がいつから歩けたのか覚えてないのと同じで、僕も自分がどの瞬間から歌い始めたのかさっぱり分からないよ」
「記憶はあるにはあるけど、思い出せないってこと?」
「つまり、そういうことになるね」
 明穂の問いかけに笑いながら答える、唄人。彼が嘘を付いているようには見えなかった。
 だが、本当のことを言っているとも思えなかった。
「名前がないと、話すのにも一苦労ですね」
「そうでもないよ。名前なんてつけようと思えばいくらでも付けられる」
 男は銀色の髪をくしゃりと弄りながら言う。
「呼び名が必要なら、創ってしまえばいいのさ。ボクの場合歌うことが好きだから『カジン』と呼んでくれても構わないし、こんな髪の毛をしているから『ギン』と呼んでくれてもいい」
「『ギタリスト』とか、『ウタ』とかでも良いということですね」
「お、良いセンスしてるね、武藤くん。よし、今日からボクの名前は『ウタ』だ」
 愉しげに、嬉しげに。
 男は脳天気な笑みを崩さない。
「ボクの名前はウタ。ここでひとつ休んでいくのなら、ボクは歓迎するよ」
 風が、ざわざわと吹き始める。

       

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