Neetel Inside ニートノベル
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 武藤は昔から、嘘をつくのが得意だった。
 会ったばかりやそれほど親しくない人ならば、一切疑われることなく平然と振る舞うことが出来たし、慣れ親しんだ人でさえ条件が整えば、嘘交じりに会話することも出来る。それは生まれ育った環境が故かもしれないが、とにかく武藤は嘘をつくことに関しては比類なき才があった。昔やっていた葬儀屋の手伝いは、便宜上悲しんでいる振りを装わなければならなかった。だから、ただでさえ得意だった虚構の鎧は、日に日にその硬度を増していった。
 武藤の嘘は、世界にとって真実となり得ていたのだ。
 それでも武藤は、必要以上に嘘はつかなかった。嘘をつくということは、曲りなりとも相手を騙すことだ。それを心得ていたからこそ、親しい間柄の人間に対しては仮面を取って正直に生きていた。
 だから、武藤は誰にも言えない苦しみを抱えていた。
「この世界に、明けない夜はない」
 屋根の上に寝る武藤の横に、ウタが腰掛ける。
「朝になれば太陽は昇る。武藤、キミの抱える闇だって、そのうち照らす人が現れるはずさ」
 夜は薄闇を纏っている。あと一時間もすれば、太陽の光は世界に戻ってくる。
「明けない夜はない。止まない雨もない。
 だけど、ボクはずっと立ち止まっている」
 武藤は答えない。
「ボクが何者なのか、ボクは知らない。ボクが何者なのか、キミは知っている。キミが何者なのか、ボクは知らない。キミが何者なのか、武藤自身が知っているかどうかは、ボクには分からない」
「分かっていたら苦労しないね。自分の目では、自分の姿は見えない」
「いかにも。他人の目に映るのは自分だ。相対する人の瞳を見れば、手前の姿は自ずと見えてくる」
 ウタは星をつかむように、両手を掲げる。
「誰かの存在なくしちゃ、自分のことなんて分からない。一億円の鏡を覗いてみても、そこでは反転世界のおどけた生き写しが笑っているだけだ。一人じゃ何も分からない。だからボクは自分のことは何も分からない。だから歌うんだ」
 ウタは言う。
「自分の歌は自分にも聞こえる。歌っている間はまだ、ボクはボクを見失わずにいられる。この歌こそがボクの存在理由だから、ボクが歌っている間は何も失くならない。この街の沈黙もまた、ボクの歌を欲している。だからボクは歌う。ボクがボクという存在を忘れないために、いつまでも歌い続ける」
「歌い続ける限り、存在は消えない」
「そう。絶対に消えない」
 武藤は眉をひそめる。理論としては間違っていないが、いくらなんでも飛躍しすぎだ。
「全く、アンタと話していると頭がおかしくなってしまいそうだ。僕はもう寝る」
「ああ。おやすみ武藤。ボクはまだ、歌っているよ」
 勝手にしてくれ、と言い残して武藤は目蓋を閉じる。
 
     ○

 白々と夜が明け始める頃、武藤は出発の準備を始めていた。
 やけに静かな朝だった。街には生活音も、歌もギターも響かない。不意に、弄っていた原付が鳴いた。
「チャーリー、お前もやれば出来るじゃないか! 見直したぞ!」
「…………」
 ちょうど起きてきた明穂が寝ぼけ眼で見たのは、原付に向かって語りかけている可哀想な少年の姿。
「おや、おはよう明穂。今日は船出には最高の日だ」
 武藤は原付のシートを叩きながらにこやかに笑う。
 対して、明穂は引き気味な視線を向けながら。
「武藤。残念だけど病院に行こう」
「ちょっと待ってくれよ明穂。僕は別に頭を打ってオカシくなったわけじゃないよ」
「そうね。頭がイカれてるのは元々だわ」
「……この野郎」
 口論では勝てない。それを既に何度も悟っていた武藤は、口を閉じて原付に向き直った。
 明穂が、その傍に屈む。
「直ったのね、バイク」
「ああ。何が良い方に働いたかわからないけど、神様はまだ僕らを見捨てていなかったようだ」
「やれやれ、一時期はどうなるかと思ったわ」
 実はただの整備不良だったんだよねー、と武藤は続けて言いそうになったが、その後に待ち受けている鉄拳のことを考えると生存本能が何とかそれをとどめた。ここで死ぬわけにはいかないのだ。
「さて、あんまり長居をしていられない。僕たちの旅はまだまだこれからだ」
「それはいいんだけど、目的地はあるの?」
 明穂は問う。
 まだ旅を始めたての頃、武藤は別段目的地はないと言っていた。旅をするには何かしら目的が要るだろうと考えていた明穂にとって、ただ漫然と原付を走らせるだけの旅は旅とは言えなかった。
「あるさ」
 だが武藤もその考えは見透かしていたようで、遠くの地平線を指差す。
「南へ――――南へ向かう。理由はまたおいおい話すよ」
「ふうん。まあ当てがあるのなら構わないけど」
 武藤から受け取ったヘルメットを、頭に被る。
 二人分の体重がかかる原付のエンジンを、武藤はブルルンと勢い良く掛けた。
「ウタに挨拶は、いいの? 仮にも彼はここの……」
「いいんだ」
 後ろを振り向く明穂の言葉を遮って、武藤が言う。
「そのうち、そのうち明穂にも分かる時が来る。彼がここで何をしていて、どういう人だったのか」
「なんですぐに教えてくれないのよ」
「なんでって、そりゃあ」
 肩越しに笑顔を向けて。
「僕たちはまだ、旅に生きているからね」

「キミたちが旅を続ける限り、道はきっと途絶えない」
 時計台の上で、墓標に腰掛けたウタが笑う。
「ボクが歌い続ける限り、この街が生きているようにね」

「え?」
 街を離れ、道路を走る原付。
 それを操る武藤の後ろで、明穂は何かを聞きつけたように振り返った。
「武藤、今何か聞こえなかった?」
「さあね。僕は何も耳にしちゃいないけど。ついに明穂も呆けてきたかな?」
 おどけた口調で答える。
 腰に回されている明穂の腕の力が強くなるのを感じながら、武藤は小声で囁いた。
「サヨナラ、亡国の主」
 ブロロロ、と二人を載せた原付は走る。
 遠く離れる街の音楽は、消えずに鳴り続けていた。


       

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