Neetel Inside ニートノベル
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 アラガキ――自分のことをそう名乗って、男は話し始める。
「私が愛したこの街は、繭化によって滅びつつある」
 アラガキが窓を開けると、そこからはこの街の全体が見渡せた。
 繁栄している頃ならさぞかし綺麗な夜景が望めただろうが、今となっては白んだビルが所々崩れ、象牙のように虚しく聳え立っているだけだ。武藤は自分たちがいた街のことを思い出して、少し胸糞悪くなった。過去をあまり顧みない武藤にとってそれを見せられることは一種の刑罰だ。
「繭化は無情にも、私から街を、自然を、大切な研究員を奪っていった」
 ごさごさと伸びた白髭を撫ぜ、アラガキは言う。
「こうなればいっそ私も繭化してしまいたいところだったが、どうもそうはいかないらしい。私の身体はいつまでたっても繭糸に覆われはしないのだ」
「ええ。つまりはあなたが繭化の条件を満たしていないということです」
 武藤はナイフを仕舞い、恐ろしく愛想のよい笑みを浮かべる。
 アラガキは武藤という少年に対してどこか違和感を覚えていたが、言葉には出来なかった。
「あなたの事情はよく知りませんが、僕の見立てではあなたは繭化するに相応しい人間じゃない。僕らをこうして捕らえたのも、きっと繭化について聞き出すための行為でしょう」
「そこまで物分かりがいいと逆に恐ろしいな。君は繭化専門の研究者か何かなのか?」
「いいえ、あてもなく世界を彷徨く旅人風情です」
 嘘だ。アラガキはそう思った。
「あるいは」武藤は付け加える。「繭化から逃れようとしているうちに、その仕組みが見えてきてしまった葬儀屋の末裔、と言ったところでしょうかね」
「……旅をする過程で、否応なしにその深淵を覗いたと」
「そういうことになりますね」
 やはりこの少年は聡い。アラガキはシケモクを指先で弄りながら考える。
 繭化という未知の現象を目の前にしても、武藤は全く怯えた様子を見せない。会話に皮肉を織り交ぜるほど落ち着いていて、その達観ぶりには怖気が走りそうだった。
 どうにもならないことを悟って平静を装っているのか、繭化への何かしらの対抗手段を確固たるものにして冷静でいられるのか。それを推測するのは難しいが、武藤が『ある情報』を手にしているのは明らかだった。
「君は知っているな」
 アラガキはくわえていた葉巻を灰皿に置く。
「繭化の正体――――いや、繭化の原因そのものを」
「そうですね。一から十まで知っているわけではありませんが、貴方よりは見識が深いつもりでいます」
 武藤は不遜に言い放つ。次いで繭化について話し始めようとしたのを、アラガキは制止した。
「ああいや待ってくれ。まずは私の見解を語らせてくれないかね」
「……分かりました。どうぞ」
 何か言いたげだったが、武藤は渋々閉口する。
 アラガキは、二人に空いた椅子へ座るように促してから話し始めた。
「私が思うに、繭化の原因とは『存在理由の消滅』だ」
 武藤の眉がわずかに動く。
「そこに在る理由がない、そういった状態に陥ったものから繭糸がどんどん絡みついていき、やがては完全に繭化してしまう。まず繭化の被害に遭ったのは人間だ。この世に存在するに値しない人間が次々と繭化して、街には空き家が増えていく。その結果存在理由を失った家屋が繭化して街には住む所がなくなる。住む所がなくなれば生き残った生物も街を離れ、終いには住人を亡くした街そのものが繭化を始める。とどのつまり今の状況だ。残った研究員の精神状態を調べてみた結果、彼らは皆口をそろえて『まだやり残したことがある』と言った。彼らはこの世界に存在する理由があるのだ。だから私は前述した『存在理由の消滅』こそが、繭化の真の原因だと考えた」
「……そうですね。間違っていないと思います」
「いいや、間違っているんだよ武藤少年」
 アラガキはふーっと息を吐き出し、首を横に振る。
「それならば私が繭化しないのを説明できない。私は絶望の淵に立っていて、生きている理由などない。何度もそんなことを考えた。願わくば誰よりも早く喧嘩して早く楽になりたいと考えていた。
 だが蓋を開けてみれば、どうだ。いつまで経っても繭に覆われる気配はなし。余計な荷物も全て降ろしたというのに、世界はまだ私に存在理由があると判断したのだ。私が理解できないのはそれなのだ」
 椅子から立ち上がり、アラガキは窓辺に立つ。こうしている間にも街の繭化は進んでいる。もう新鮮な風が吹き込むこともない。街全体が白い繭で満たされてしまうのはもはや時間の問題だろう。
「結論を言おう」
 アラガキは、目を細めて武藤を見やる。
「繭化の原因は何となく知れた。ある程度の差異はあろうが、根本的なことは恐らく間違っていない。その自信はある。あとひと押しだ。私の考証に何かエッセンスが加われば理論は完璧なものになる。私が知りたいのはそれだ。そして恐らく君はそれを知っている」
 コツ、コツと武藤を眺めるようにして、アラガキは部屋の中を歩き回る。
「他のことは何も聞かない。君の知っている繭化の全てを教えてくれ」
「熱い演説を、ご丁寧にありがとうございます」
 武藤は髪を掻き、口角を吊り上げる。
「ですが、却下。あなたの見解は非常に正しい。これ以上僕が説明することは何もありません」
「嘘をつく人間が嫌いなんだ、私は」
「嘘なんてついていませんよ。僕は真実を伝えたまでです」
「いいから話せ」
 途端、アラガキは凄みのある声で唸るように言った。
 かちゃり、と音が鳴る。
 懐から取り出したのか、アラガキの手には小さな銃が握られていて、その銃口は武藤を向いていた。
「……それが、あんたのやり方か」
「ああ、少々乱暴だがね」
 アラガキは冷たく微笑し、舌打つ武藤の心臓に照準を合わせる。
「私は答えを知りたいだけなのだ。それを知らないと言いはるのなら君に生きている価値はない」
「そうやって何人もの旅人を殺してきたんだな。それで、体内に繭化の原因を解明出来る物がないか解剖して調べ、何もなければ野に捨てた。巫山戯てる。人間を人間として見ちゃいない」
「フン、失うもののない餓鬼に何が分かる」
「分かるさ。今まで<役目>で色んな人の最期を見届けてきたからね。孤独に立たされたあんたの気分も、何となく理解しているつもりだ。もっとも、あんたみたいに自棄になって馬鹿げた真似はしないけど」
「少し口が過ぎるぞ、少年」
「ま、とは言えあんたに僕を撃つことは出来ない」
 どこから自信が湧いてくるのか、武藤は余裕の表情で言う。
 やはりどこか奇妙だ。アラガキは引き金に指をかける。あと少しでも力を入れれば武藤のことを撃ち抜いてしまうというのに、武藤本人も、その後ろで怯えた様子を見せている少女も、全く動じていない。
 まるで――――武藤が生きようが死のうが構わないと言う風に。
「最後の通告だ。繭化について大人しく話せば、撃ち殺されてみすみす死ぬこともない」
「撃てはしない。あんたは臆病者だ」
「……そうか」
 ぐっ、とアラガキは躊躇うことなく小銃の引き金を引いた。
「それは残念だ」

 直後――――廃墟と化した街に、一発の銃声が鳴り響いた。

       

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