Neetel Inside ニートノベル
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オピオイドの繭
五章「コクーン・オブ・オピオイド」

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「個人農園ですか」
 差し出された新鮮なトマトにかぶりつきながら、武藤は男が話した内容を反芻する。
「今の時代売り物には出来ないでしょうから、自給自足ですか?」
「そうだね。もっとも、私一人では持て余すから旅の人にこうして分けてるんだけど」
 男も真っ直ぐなきゅうりをポキリとかじり、満足気に言った。
「思い切って仕事を辞め、農家に転身した途端に世界は“繭”に包まれ始めた。私のいた街も今は廃墟と化しているだろう。そういった面では農家になったことが功を奏していると言えるね」
 麦わら帽を被った褐色肌の男の背後には、青々と畑が広がっている。立ち上がって確認出来るだけでもトマト、茄子、とうもろこしといった食材が肩を並べて実っている。畑の規模はアメリカのそれを思わせるほど広く、アスファルトの国道を挟むようにして延々と続いていた。煌々と照る太陽の下、道の起伏に沿って半永久的に農地が続いている様は、思わず自転車に乗って駆け出してしまいそうなほど陽気に満ちている。とても淘汰されている世界のものとは思えなかった。
「これは全て、あなたの?」
「そういうことになってしまうね。他に持ち主がいないから」
 曰く、彼が元々所有していた畑は、家の近くにある1エーカーだけだった。だが、人の消失とともに持ち主のいない畑が増え、繭化してしまいそうになっていたのを世話しているうちにここまで増えてしまったのだ。
「植物の生命力というものはすごいね。生きる環境を整えてあげるだけで、後は自分の力でどんどん育っていく」
 男――髪の毛が白く脱色してしまっている青年は、見晴かす畑に笑みを浮かべる。
「これから世界がどうなってしまうかは分からないけど、きっと彼らは生き残るんだろうね。この地球ほしでまだごくわずかしか歴史を築いていない私たちとは違う。彼らには自分の力だけで生きる、生き抜く力がある」
 青々と、草木が揺れた。
「私たちも、そうありたいものだ」
 嬉しげに言う男の傍らで武藤は黙り込んでいた。
 彼の前では、自分の考えを言うことすら憚られた。

 武藤学。
 葬儀屋の息子として生まれた少年は、物心ついた時から幼い頭に死生観を植え付けられた。
 彼の親はまだ小学校にも上がってない学を仕事で連れ回し、その全てを目に焼き付けさせた。
 葬儀屋とは正規の職業ではなく、いわば闇稼業のようなものだ。普通の葬儀社に頼めば高くつくものを、葬儀屋ならば人出を必要としない密葬なので半額以下の値段で済む。葬儀屋は武藤の両親だけで切り盛りされていて、一〇歳を越える頃には学もその手伝いをさせられた。
 主な仕事内容は、焼けてしまった骨を骨壷に入れること。どの死体も曰くつきの物ばかりなので、殆どの場合家族が自らの手で骨を収めるということをせず、多くは学の手によって仕舞われた。初めは骨の焼けた匂いが嫌で何度も気分を悪くしたが、数回こなせばもう拒否反応さえ起こらなかった。愛というものを注がれずに育った学という少年には逃げ道というものがなかったので、次第に生活のほとんどが骨を詰める作業になり、彼も幼くして葬儀屋を生業とし始めていた。
「脳は頭蓋骨のせいで火が通りにくいからな。焼けるより前に、目の辺りから水分がブクブクと蒸発する」
 死体を焼いている時、学はいつも父親の話を聞いていた。仕事の区分として死体を焼くのが父親、それ以外の事務を母親が担っていて、事務作業を見ていても退屈な学は父親の作業場で死体を眺めていた。
 赤ん坊は煙が出やすい。小さなおばあさんは早く燃える。人は焼けると筋肉が収縮して前のめりになる。死体に水が溜まっている時は鉄棒でほぐして燃えやすくする。日常生活では決して必要のない知識が、小さな頭にみるみる蓄積されていく。
「お前は俺のようになるしかない、学」
 父親は煤けた人体をひっくり返しながらぼそりと言う。 
「申し訳ないとは思っている。本当ならお前も普通の子のように学校へ通わせて、楽しい毎日を送ってほしいものだったが、この仕事上表舞台に立つことは許されない。だから、理解しろとまでは言わない」
「大丈夫。僕は大丈夫だよ、父さん」
 学は気丈に振る舞うこともなく、当たり前だと言うように笑う。
「こうしているだけで僕は十分だ。焼かれていく人に比べたら、十分に幸せだよ」
「学…………」
 焼け焦げた人体から赤黒い煤が昇る。
 その中には、蛾の鱗粉のような白い粉も混じっていた。

 ある日のこと。
 確かその時は久しぶりに晴れた休みの日で、学はお気に入りの自転車に乗って河川敷に来ていた。休みと言っても週末ではないので人は少ない。物好きな釣り人が居るか、散歩をする年配の人が居るくらいだ。夏と呼ぶにはまだ早いが今日は思いの外気温が高く、裸足で川の中に入っても問題ない心地だった。
 学は橋脚のそばに自転車を止め、平べったい石を集める。
 一人遊びが得意な学にとって、一番の娯楽は晴れた風のない日にやる水切りだった。
 橋脚の陰ならば熱中症になることもなく、人目にもつきにくい。おまけにこの辺りはいい具合に川から岩が突き出しているので、難易度もそれなりに高かった。学は腕まくりし、気合を入れる。
「さて、今日こそ二〇回を目指すぞ」
 今までの最高記録は一三回。対岸までの距離を考えれば不可能な目標ではない。遊びらしい遊びを知らない学は、かつて唯一父親に教えてもらったこの石切りという暇潰しをこの上なく好んでいた。
 普通、石を水に投げても沈んでしまう。石に浮力はないから当たり前だ。だがそんな石でも投げ方次第では面白いほど水面を跳ね、そのまま羽撃かん勢いで飛んで行く。その切り口が面白くて仕方がなかった。
 死体は火に焼べるしか道が残されていないが、石はやりようによっては凶器になり、鳥になり、神様にもなり得た。その可能性を教えてくれただけでも学は父親に感謝していた。元より、誰かと遊ぶよりは一人の方が気楽で良かった。
「そりゃっ」
 掛け声とともに、地面すれすれから石を投げる。最初は三回も跳ねずに沈んでしまうことが多かったが、今では石の選別にも慣れたおかげか一〇回は堅い。たまにコントロールミスで明後日の方向に飛んで行くこともあったが、まだ笑って誤魔化すだけの気力は残っていた。
 一〇個程投げて、今のところ今日の記録は一二回。
「くそ、二〇回にはまだまだ遠いな」
 嬉しそうに舌打ち、学は足元に置いていた石の山から幾つか手に取る。
 その時、学はようやく今日の河川敷がいつもと違うことに気がついた。
 風景自体は大して変わらない。古びた橋脚。通りすぎる車の音。スプレーで落書きがされてある壁。その壁に寄りかかるように止めてある自転車。見慣れた景色だ。いつもと何ら変わらない。
 だが、自転車の隣には、見たことのないものがあった。
 正確には、立っていた。
 壁にもたれかかって、武藤のことを見つめて立っていた。

「楽しそうだね、それ」

 学と同年代に見える、儚い笑顔の女の子。
 後に「明穂」と名乗る少女が、武藤の水切りを後ろから微笑みとともに眺めていた。

       

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