Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

     ○

「武藤はさ、」
 手渡されたペットボトルの水をんぐんぐと飲んで、明穂は言う。
「今の生き方に満足してる? そうぎや……だっけ? それの手伝いをしてる、今に」
「唐突にえげつなく鋭い質問飛ばすよな、お前」
 平日の昼間。武藤はいつも通り水切りに勤しんでいたのだが、いつも通りに現れた明穂に手を引かれ、今日は苔むした寺社に連れて来られていた。
 石段にまで苔が侵食し、少しでも気を抜けば転んでしまいそうな、古めかしい寺。そんな手入れの行き届いていない寺社の手水舎ちょうずやに寄りかかり、アブラゼミの声を背景に明穂の話に相槌を打っていた。生い茂る木々で日光が遮られているため、思った以上に涼しい。それでも何故か、明穂は少し汗をかいていた。
「満足してるわけないだろ。骨を詰める仕事の何が楽しいんだよ」
 手持ち無沙汰に拾った石を、水切りのように放り投げる。
 カンカンと跳ねた石は、石段の向こうへと消えていった。
「僕だって、まぁ、ひねくれた性格だと自覚はしてるけど普通の子どもだ。並程度には娯楽に興味があるし、このままじゃ到底満足の行く生活なんて出来ないだろうな」
「へえ……ゲームとかは買ってもらえないの?」
「そういうわけじゃないけど、一人でゲームやるくらいなら水切りやってたほうが面白い。つーか、ゲームが好きならわざわざこんな所まで来てねえよ」
「あはは、確かに」
 無垢に笑う明穂の顔を見ていると、武藤は柄にもなく笑みを浮かべてしまいそうになった。
 明穂は不思議な少女だ。出会ってから一ヶ月、最初の頃は振り回されてばかりで嫌悪が絶えなかったが、話した時間が増えていくにつれ、明穂のペースに飲まれてしまうというか、不快感を覚えることもなくなった。むしろ話していて心地よさが生まれるような気がして、ぎこちない笑顔を披露してしまうことも幾度なくあった。
 理由は分からない。明穂の言動に裏表がないからとか、会話上手だからとか、そういうことだったかもしれない。武藤にはまだそういうことが分からなかった。でも、明穂と話していると肩に乗っかっていた重い荷物を下ろしたような気分になって、どこか心がほどけていくのは感じていた。
「ねえねえ」
 髪留めのリボンをいじりながら、突然、明穂が言う。
「このままどこか、二人で旅に行っちゃおうか?」
 ちょうどペットボトルを受け取っていた武藤は、口に含んだ水をブフーッと吐き出した。
「ゲホッ、オェッ、おっ、お前いきなり何言ってんだ!? 旅に出るって言っても、それなりに準備が……」
「あはは、冗談だよ。変なところ冷静だね」
 冗談かよ、と吐き捨てながら武藤は口に付いた水を拭う。
 明穂の言うことはいつも突飛で常識に欠けているが、こんなことを言ったのは初めてだった。
 大体は冒険に行ってみたいとかパンダを見てみたいとか、自分の願望。
 たまに世界平和だとか、自分一人の規模ではない小難しい願望。
 “二人で”なんて言ったのは、今日が初めてだ。
「でもね。なんか、武藤とだったら行けそうな気がしたんだ」
 遠くの風景を眺めるように、体育座りの膝に顔を乗せて明穂は言う。
「山の向こうだって、海の向こうだって、武藤と力を合わせれば乗り越えていける。そんな気がしたんだ。……あはは、何言ってるんだろうね、私」
 明穂の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
 武藤はなんだか気恥ずかしくて、目をそらしたまま答える。
「どうだろうな。お前、勝手にそこらへん歩いたりするから、はぐれて餓死するかも知れねーぞ」
「あはは、そうかもね。じゃあさ、」
 明穂はずいっと、武藤の視界に顔を割りこませて、言う。
「もしそんなことが起こったら、武藤は私を探してくれる?」
 小さく白い顔に浮かぶ、屈託のない笑顔。
 そこに僅かばかり宿っていた憂いの表情に、武藤はまだ気付けなかった。
「私がいなくなったりしたら、どんなことが起こっても見つけ出してくれる?」
「はは、何だよそれ。……そんなもん、探すしかないだろ」
 赤らめた顔を悟られぬよう、ペットボトルで顔を隠しながら。
「人がいなくなったら、探すのは当然だ。お前、放っておいたらすぐ死んでしまいそうだからな。だから必ず……」
「約束だよ」
 武藤が話し終わるよりも前に、明穂は右手の小指を差し出した。
「どちらかがいなくなったら、必ずどちらかが探しだす。約束。破ったら、針百本だから」
「……それ、針千本の間違いじゃないか?」
「あれ、そーだっけ? まあいいや! とにかく、約束だよ!」
 明穂は無理矢理に武藤の拳をほどき、小指同士を絡める。
「指きりげんまん、嘘ついたらローリングソバットかーますっ」
「おいおい殺す気か」
「あ、武藤笑ったね。私の前で初めて笑った。嬉しくて涙が出ちゃうよ」
「……全く」

 二人しかいない場所で、二人にしか分からない、二人だけの約束。
 武藤には、分からなかった。
 最後に明穂が流した涙の、本当の意味。
 武藤には、知る余地がなかった。
 明穂が背負っていた荷物の、大きさ。
 武藤には、とうとう教えなかった。
 教えたくなかった。
 終わりを知りたくなかったから。
 約束を、守って欲しかったから。

「明日、またここに来てね」
「ああ、分かったよ」


 明くる日、空は泣いていた。
 それでも約束通りに、武藤は誰もいない寺社へとやって来た。
 そこに、あの元気で天真爛漫な明穂はいなかった。
 代わりに――――

 赤いリボンを留めた少女が、力なく石畳の上に横たわっていた。


     ▽▽

       

表紙
Tweet

Neetsha