Neetel Inside ニートノベル
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「本当に、もう行くのかい?」
「ええ。食料をいただけるだけでも有り難いのに、長居なんてできません」
 農園に踏み入って食い荒らさん勢いの明穂を呼びながら、武藤は旅立つ準備を始める。
 ここはもう大丈夫だ。よっぽどのことが起こらない限り、この人が繭化してしまうことはない。武藤はそう判断した。彼の目からは、繭化への恐怖など微塵も感じなかったからだ。
「世界中を旅するのが僕たちの目的ですから。それに疲れたら、何年かかったとしてもまたここに来ます。その時は、そうですね。とびきりの秋野菜を食べさせてください」
「そうそう。夏野菜ばっかりじゃ飽きちゃうわ」
「本当に不躾だなあ明穂は。……もちろん、その腕に抱えてるとうもろこしは置いていってね」
「えー、せっかく収穫したのに」
「ははは。君たちがいると退屈しないね。またおいで」
 青年はにっこりと笑い、かぶっていた麦わら帽子を手に取る。
「この帽子は明穂ちゃんにあげよう。白い肌が日焼けしちゃうといけないからね」
「おっ、ありがとうお兄さん。さすが大人の男性は違うわね。どこかの誰かさんと違って」
「……誰のことを言っているのかは分からないけど、それを貰うことは出来ませんね」
 え、と意外そうな表情を浮かべる男に、武藤は笑顔で答えてみせた。
「帽子は『借りる』だけです。そうすれば返すために、また会いに来れますからね」
「はいはい似合わない台詞言ってないで速くスタート」
 後ろに座る明穂は強引にアクセルを握り、勢い良く原付を走らせる。
 慌てふためく武藤。したり顔で笑う明穂。それを見送り、手を振る男。
 これでいい。これでいいのだ。
 また、ここにやって来る。
 そういう約束をしてしまえば、それが「生きる理由」になる。

「そういえばまだ、目的地を決めていなかったね」
 ブウゥ――……ンと原付を鳴かせながら、ハンドルを握る武藤が言う。
 目の前に広がるのは途方もなく続く道路に、段々と白んでいく風景。しばらくすればまた真っ白な世界に放り込まれる。見慣れた光景だからそれで気が狂うことはなかったが、かと言って悠長に構えているだけの余裕もない。
 タイムリミットはそう遠くない。
 こうしている間にも世界の繭化は、血が染みるように進んでいるのだから。
「……以前にも、この旅に明確なあてはないって言っていたよね」
 首から下げたペットボトルの水を飲みながら、明穂は言う。
「いい加減、どこかを目指す気になったの? それとも提案してみただけ?」
「いつも思うけど、よく後ろで僕に掴まりながら水を飲めるね」
 一応、改造した原付には武藤と明穂と荷物を積めるだけのスペースはあって、間に挟まれている明穂は確かに手放しでも問題ないのだが、それにしても不用心だ。もし事故でも起こせば無事ではすまないだろう。
 もっとも、最近車が走っているのを見たのは何ヶ月も前だが。
「確かに、目的地はなかった。とにかく旅に出たいと思っていたからね。だから旅の途中で、その目的地を決めてしまえばいいと思っていた。明穂はそういうの、嫌いだろうけど」
「まあ別に嫌いじゃないけど、目的がないと『旅』にはならないからね」
「そういうこと。そして今日、僕はあるひとつの目的を見つけた」
 武藤は言う。
「それは、海だ」
「海?」
 肯き、言葉を紡ぐ。
「海に出よう。たかが三割の陸地にこもっていても仕方がない。海だ。大海原に向けて旅に出るんだ。それが僕の出した結論」
「それはまた、随分と突然の発想ね」
「そんなことはないよ。きちんとした目的はある。たとえば、ラジオ放送によればオーストラリアの地では繭化の被害が少ないらしいから訪れる価値はあるだろうし、北欧の方は繭化が発生していない国なんかもあるという。意図せず繭化を防げているということだ。だから繭化を防ぐための旅としては、分相応な目的地だと思うよ」
「へえ、ちゃんと考えてるのね」
「もちろんだよ。世界中を旅するには、いずれ海を渡る必要があるからね」
「だったら飛行機でびゅーんと飛んでしまえばいいじゃない」
「ん、まあ確かにそれも捨てがたいけど、僕ら二人で操縦できるとは思えない」
「それなら船も同じじゃないの? 船舶免許なんて持ってないよ」
「大丈夫。船は沈みさえしなければ、いずれどこかへ辿り着くからね。その地でまた旅を始めればいいんだ」
「言葉が通じなかったらどうするの?」
「……航海中に、英語の書物を読むとか」
「それ、なかなかの三半規管がないと難しそうね」
「確かに。自慢じゃないけど僕は乗り物に弱い。船に乗り込んだだけで吐くかもしれない」
「ホント、なんでこんな奴と旅に出ることにしたんだろ……」
 言いながら、明穂は武藤の腰に腕を回す。
 控えめな胸が押し付けられるのを背中に感じながら、武藤はグリップを握りしめる。
 たとえ、辿り着いた場所が地獄のような場所だったとしても構わない。
 長旅の末に、野垂れ死んでしまうようなことがあったとしても構わない。
 それも含めて、すべてが旅だ。

「行こう明穂。僕らの旅は始まったばかりだ」
「うん。どこまでだってついていくよ」

 この世界はまだ、分からないことの方が多い。
 にも関わらず、少年はその世界の命運を見届けることになった。
 白く息絶えようとしている世界に、歯止めをかける役目を与えられた。
 だから旅を始めた。
 分からないことを知るために、世界を救うために。
 ……もちろんそれは大義名分で、本当は約束を果たすために。
 この旅に、始まりはあっても終わりはない。
 生きていることが、旅だから。
 旅をすることが、生きるということだから。


 ――――さあ、終わらない旅を続けよう。
 

       

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