Neetel Inside ニートノベル
表紙

かんけんっ!
#1 猾手段研究会!

見開き   最大化      

 この僕、伊藤一二三は人生の岐路に立たされていた。

 どうでもいい情報だがアダ名は「ひふみん」である。決して将棋は強くない。
 しかしながらその名も中学を卒業し、この超名門高校「私立那谷高等学校」に入学してからはめっきりと聞かなくなった、というのが実のところだろう。
 その理由としては主に二つあるが、一つはこの学校においてはアダ名というような、人と人との距離感を近づける親しみやすいニックネームを呼び合う習慣があまりないということに尽きるだろう、別に生徒同士の仲が悪い、ということではないが、どうにも無意識下でエリートな気質感を出したい輩が多いのか、苗字や名前で呼ばれることの方が圧倒的に多かった。
 当人同士がそれで支障をきたしていないと言うのであればさして問題はないのだろう、僕自身それを特に不快に感じたことはないし、また恐らくそんなことで一々苦言を呈するほどこの高校に通う人間の頭脳は暇を持ちあわせていないので、今後も不変することなく長きに渡って続いていく習慣であることは間違いないであろう。
 何だかこれで九割以上の説明が終わってしまったような気がしないでもないが、この高校において、ではなく、僕において重要なのは何よりも後者なのである。
 つまり僕が人生の岐路に立たされている理由。

 それは、僕がそんな他愛もない友人関係を深め合える余裕を得る前に、この学校を退学しなければならないという危機に瀕しているということであった。

 退学、と言われればまず考えることは不祥事であろう、校外で暴力沙汰の事件を起こした、カツアゲを行った、体育館の裏で煙草をふかしていた、不純異性交遊がバレてしまうなど様々な物事があると思うが、この超スーパーエリート高校、那谷高等学校においてそれはまずあり得ないことだということを先に断っておく。
 エリートだからといって不祥事を起こさないなんて偏見でしかないとは思うが、この高校は超スーパーエリート高校なのである、全国唯一偏差値八十越えの超スーパーエリート高校なのだ、そんな学校に通える人間はくだらぬ不祥事を起こす暇があれば日々の勉学と、完全無欠な将来設計に全力を賭している生き物なのである、ただのエリートとは訳が違うのだ、僕はそれをこの数ヶ月で嫌というほど味わったものだった。
 ならば、そんな超スーパーエリートが集うこの学校で、一体どんなことをすれば退学という事態に追い込まれるようなことが発生してしまうのか、実に不思議なことであろう。
 なに、慌てることはない、少し考えれば分かることである。
 つまるところ学校というものには、どれだけ足掻こうとも上位と下位が必ず存在している、このことが退学に直結していると言えば、もう分かるのではないだろうか。

 そう、この高校は下位に位置する生徒達は問答無用で退学させられるのである。

 そして、僕もその退学候補生の一人なのであった。

 はっきり申し上げよう、冗談ではない。
 本来ならばその場で寝転んで手足を真剣にじたばたさせ、駄々をこねるぐらいの抵抗を試みるのだが、そんなことをした所何も好転しないのでそこは堪えることにする。
 確かに、僕も僕とて責任が無いと言えば嘘になる、それはまともに勉学を励んでこなかったから、ではない、たまたま偶然幸運にもこの高校に合格し、周囲に持て囃され、舞い上がりに舞い上がった末に迂闊にも入学してしまったことが諸悪の根源なのである。
『たまたま偶然幸運にも偏差値八十越えの高校になど入学出来る筈がないだろう、寝言は寝てから言え』と言いたくなるかもしれないが、しかしこれは紛れもない事実なのである。
 何故ならば僕は平々凡々な中学時代において学年成績は中の中、いや下手すれば中の下ぐらいだったかもしれない程度の成績なのである、まずこの一点を見た時点で超スーパーエリート高校に合格する理由が見当たらないことはよく分かって頂けるだろう。
 ならば一体どんな奇跡が生まれれば凡庸でしかないこの僕が私立那谷高等学校に合格することが出来るのか、それはこの高校の入試システムにある。

 そう、何を隠そうこの高校の入試システムはマークシート方式なのである。

 今時高校入試でマークシートなど珍しいと思うかもしれないが本当なのだから仕方がない、無論問題のレベルは高校受験レベルを遥かに越えた難しさではあるが、それを回答する手段はあくまでマークシートなのである、白丸を黒丸に塗りつぶす簡単な作業なのである。
 そして、その方式見て、ほんの軽い気持ちで、完全に記念受験のつもりでこのマークシートに挑み、ほぼ全てを山勘でマークした僕は、天文学的数字の確率で尽く正解へとクリーンヒットしてしまい、合格発表の日頭が真っ白になりながらラグビー部に胴上げされたのであった。

 どこの妄想の産物だと思うだろう、悪いが僕自身未だにそう思っている。

 しかし、現実が現実であることもまた疑いようのない真理であり、知能数最低値の僕は入学して早々の実力テストで創設以来のレコードとも言われるぶっちぎりの最下位を記録し、中間テストにおいても盤石の最下位を獲得、入学すれば当然ながらマークシート問題など激減するのは至極当然のことであり、小テストでさえ白紙提出もままある事態になってきた頃には、教師にさえゴミのような目でみられる始末であった。

 そして迎えるは一週間後の期末試験、ここで意地でも高得点を取り、何としても一学期平均順位を底上げし、下位十五名から逃れなければ、僕の退学処分勧告はまず確定。

 いかに絶体絶命なのかということを理解して貰えただろうか。
 まさにデッドオアデッドの世界を、地で生きているのだ。

 けれども。
 そんな時、噂で聞いのが『かんけん』の存在であった。

 何でもこの部活――いや同好会はどんなに出来の悪い知能を持ち合わせた人間であってもたった数日で瞬く間にこの那谷高等学校に在籍する超スーパーエリート集団の仲間入りが出来る天才へと生まれ変わらせるという、俄には信じ難い、まるで長所だけを見せ続ける深夜のテレフォンショッピング張りの謳い文句を掲げる同好会なのだそうだ。
 だが裏を返せばそんな不気味な存在、普通なら誰も信じはしないだろう、寿命を縮めることと引き換えに脳を弄くり回さなければ不可能な所業と言ってもいい、実際この噂は都市伝説に等しい次元の話であり、その存在を認知しているものもいなければ、その存在を真面目に信じている者もいなかった、生まれながら脳の構造が違う生徒達なら当然の反応ではあるが。
 そして僕もまたこの状況において興味が惹かれない訳ではなかったが、どこの漢字検定協会だよ、というぐらいの感想しかなく、そんなことより来週の期末試験をどうして乗り切ればいいのか、ということで頭が一杯であり、数日もしない内に脳の隅に追いやってしまっていた。

 そんなある日のことだった。

 いつもの様に超スーパーエリート達を脇目に劣等感と憂鬱感に苛まれながら学校へと登校すると――靴箱の中に一通の手紙が入っていることに気づく。
 今時恋文なんてウブおんなおなごもいたもんだぜ、とは思わず何の罰ゲームでこの僕を標的にしたんだこの糞アマが、と半分憤りながらその手紙の送り主に目をやると――

『From かんけん』

 言葉を失った、というのが正直なとこだろう、これなら罰ゲームで女の子に呼び出された方がまだ自虐が出来たというのに、と思ったぐらいである。
 けれど、それと同時にもしこの送り主があの噂に聞く超スーパーエリート養成所であるとするならば、これ程までの千載一遇の好機はないと思ったことも、偽りなき本音である。
 何一つ光明を見出だせずに、日々旧帝大学入試レベルの問題を解き続けることは、最早死体蹴りの行為に等しく、いつ精神に異常をきたしても不思議ではなかった。
 故にこの手紙が胡散臭いものであったとしても、藁をも掴む想いがあったのだ。

 ――そこから先の記憶は定かではない、ただ一つ言えることは授業が終わり、部活動が始まる放課後、僕は気がつくと手紙に書かれた所定の場所にいた、ということである。

 主に文化系の部活が利用する部室エリア、そのもっとも奥に位置する、他の教室からはあぶれるようにして位置する小教室、プレートには『日本文学研究会』の文字。
「……本当にここで合っているのか? やはり何かの悪戯じゃ――」
 しかしここまで来た以上引き下がる訳にもいかない、もし違うのであればその時は素直に頭を下げて間違えましたと言えば済む話だ、少し怪訝な顔はされるかもしれないが致し方あるまい、噂を利用して僕に悪戯を仕掛けた大馬鹿者は絶対に許さないが。
 そう決意を固めつつ、それでも躊躇を隠せないまま――数十秒ほど迷った末にようやく僕は扉と向き合ってみせると、ええいままよと、ゆっくり二度、扉をノックする。

『…………誰だ?』

 誰か出てくるのかと思えば、ノック音から帰ってきたのは、低く渋い男の疑問形であった。
 その返答に奇妙な感覚を拭えなかったが、僕はその言葉に返答する。
「あ、あの……手紙を読んで、来た者なのですが――」
『…………名は何と言う』
 一体何がしたいのだこいつはと少し苛立ちを覚えたが、これでもしこの先があの『かんけん』でないのであれば、それはそれで失礼な反応である、僕は素直に名を述べることにした。
「い、伊藤一二三と……申します……」
 そこから数秒の沈黙が続いたが、程なくして。
『…………よし、入れ』
 という言葉が帰ってくると、小教室のロックが自動で開く音が聞こえるのであった。
 僕はその異様さに増々不安感を増大させてしまったが、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと、警戒心を持ちながら横へとスライドさせていく。

 ――すると。

「ようこそ、ひふみん、私達は君を歓迎するよ」

 そこには手前の円卓席に男と女が一人ずつ、奥の長机にあの低く渋い声の主と思われる男の計三人が、全員揃って手を組み、その両手を鼻の上に乗せ、座っているではないか。
 周囲を見渡せば並び、積み上げるようにして書物やら書類が塔の如くいくつも積み上げられ、加えて何台ものパソコンが合唱のように荘厳にファンを鳴らし続ける。
 だが、それがまた、彼らがスペシャリストである所以を、より彷彿させていた。
 ――これが、ここが、あの……。

「かんけん……だというのか……!」

「そうだ、ここが『カンニング(猾手段)研究会』、通称『かんけん』だよ、ひふみん」


「………………………………………………………………………………え?」

 僕は、刹那でここに来たことを後悔した。

     

「どうしたんだね、ひふみん、早く入り給え」

 そう言われて入るぐらいなら今頃笑顔で入室している頃だ、この大柄で角刈りで低音ボイスが部室に反響しまくりの男は『カンニング研究会』と言ったのだぞ? 要するにそれは勉学によって学力を上げるのではなく、不正によって点数を上げるという意味でしかない。
 そんな場所においそれと入るような奴はそもそも那谷高校など受験していないだろう。
 つうか、こいつさっきからひふみんひふみん馴れ馴れしいな。
「ふっ、部長、一二三とかいう男、怖気づいているんですよ」
「なに……?」
 そう言って僕を煽るような発言をしたのは円卓席の右側に座る、天パに眼鏡を掛けた、見る限りでは実にエリートな臭いを漂わせる男だった。
「事実だろう? 猾手段研究会と聞いて顔色が変わったのを俺は見逃さなかったぞ?」
「この天パ野郎、言わせておけば」
「天パじゃない、地毛だ。生まれてこの方ずっとこの髪型だ」
 やかましいわ、屁理屈言いやがって。
「……ふむ、言われてみればそうだな、困惑するのも無理はない、しかしどうだろうひふみん、得も言えぬ、学校の七不思議とも言われる存在である我ら猾手段研究会に来てしまったのはほかならぬ君だ、確かにきっかけである手紙を送ったのは私達だが――そんなもの普通の那谷高校の学生であればただの悪戯だと思って破り捨てているに違いない、つまりひふみんは救いに近い何かを求めてここを訪れた、違うかね?」
「そ、それは……」
「だがこうも思っている、いざ訪れてみれば点数を引き上げる方法はカンニングなどという薄汚い行為であったと、果たして自分はこんな方法で点数を引き上げてしまっていいのかと、そんなことをして自分にとって意味はあるのだろうかと、これから数年間、自分を嘘で塗り固めて生きていってしまっていいのかと、そう思っているんじゃないのか?」
 あまりに見事に僕の思考を読み当てられてしまい、返す言葉もない。
 この男……ただのカンニング野郎とは訳がちがう……。

「だがねひふみん――そんな甘い考えは路肩の排水口にでも捨て置いてしまえ!!!!」

「!!」
 部長と呼ばれるその男は、突然目を見開いたかと思うとそう怒鳴り声を上げたので、僕はそのあまりの威圧感に、反射的に身体が硬直してしまう。
「ぶ、部長……! 扉が開いている状態であまり大声を出すのは――」
「おっと、すまなかった。悪いがひふみん、一度中に入って貰えるかな」
 円卓席の左側に座っていた、華奢な身体に愛嬌のある顔を持ち、黒髪のボブヘアーがよく似合う女の子が慌てて部長を宥め、我に返った部長が僕を部室に入るように促すので、僕は緊迫感から帰ることが出来ず、言われるがまま部室へと足を踏み入れてしまう。
 最初のような調子が続いていれば今頃『ふざけるな!』とでも一蹴し、憤慨しながら帰ってやったところなのだが、この部長と呼ばれる男のいつ捕食されてもおかしくない存在感に、僕はいつの間にか心を掴まれてしまい、なすがままになっているのだった。
 くそ……ここはただのカンニング同好会の雰囲気とはまるで違う……。
 いや、普通のカンニング同好会がどんなものなのかとか、知りもしないのだが。
 色んな意味で余計に困惑を抑えられない僕を余所に部長と呼ばれる男は話を続ける。
「そうだな……ではひふみん、一つ質問をするとしようか」
「質問……ですか?」
「そうだ、君は根底として、カンニングという行為をどう捉えている?」
「……? それは……あまり好ましい手段とは思っていないですね、確かに短期的には点数を上げることは出来ますが、長期的に見ればあまりメリットがあるとは言えない」
「ほう、それは例えばどういうことかな?」
「カンニング続けるということ自体非常にリスクが高いからです、特にこの那谷高校においてはカンニング対策というものが非常に厳しい――鞄や机の中のチェックは当然のことながら、衣服の中さえもまるで空港の手荷物検査の如く隅々までチェックされる、これをくぐり抜けたとしても、その後に待っているのは教師五人体制による監視、それもただ見回りではなく、生徒の僅かな動きでさえ見逃さない徹底ぶり、仮にその上でカンニングが成功したとしても、何度か続けている内に必ずどこかでボロが出てしまいます」
「……ふむ、中々的を得ているね、というより、それが真理であるのかもしれない、事実カンニングという行為には将来性がまるでない、自分自身の成長に繋がることは決してないと思われているからね、だから多くの場合においてカンニング行為は非常に短期的な、そして魔が差した時の行為になり易い、ましてや那谷高校では君の言うようにほぼ百パーセントデメリットしか存在しない、だから誰もしようとしない――しかし、だ」
 部長を呼ばれる男は目つきを鋭くすると、呼気を強めてこう言う。

「その百パーセントを覆し、長期的にカンニングが可能とするならば、どうする?」

「…………なんだと?」
 この男、今、長期的にカンニングが可能だと、そう言ったのか……?
「はっ、な、何を馬鹿げたことを……そんなこと出来るはずがないでしょう……」
「君がそう思うのも無理はない、だが考えてもみて欲しい、カンニングは科挙制度が始まった六世紀の中国からとも言われている、つまり約千五百年近くもの間カンニングという行為は人類の歴史に深く根付き、そして現代においても当然のように生き続けてきたのだ、きっとこれからも、恐らく人類が滅亡するまでカンニングという行為は続けられるだろう」
「まるでカンニングが崇高な行為のように聞こえてきますが、騙されませんよ」
「ふふふ、ひふみん、重要なのはそこではない、人類と共に生きてきた、ということは文化が進化を遂げてきたように、カンニングも進化を遂げてきた、ということだよ」
「!! ま、まさか……」
「そうだ、我々は創設以来代々『如何にして猾手段を発覚すること無く卒業するか』をモットーに活動をしてきた同好会、研究に研究を重ね、カンニングを成功させる為なら惜しみなく時間と資金を投じてきた集団だ、低次元なカンニングと一緒にして貰っては困る」
「な、な…………」
「ふふ、これを聞いて流石に君も動揺してしまったかな?」
 なんて――
 なんて、アホな集団なんだ!!
 頭がおかしいってレベルじゃない! カンニングに全てを費やしてきただと? 待て待て待て! その努力を勉強につぎ込めば普通にもっと成績が上がるだろ! 努力の方向性をどう考えても間違っている! 最早馬鹿を通り越して天才にさえ思えてくるではないか!
 あまりに頭のネジがぶっ飛んだ集団に目眩がしそうになる――
 まさかここまで清々しい連中だったとは……。

「…………」

 しかし、そこでふと冷静になってみる。
 確かにこいつらは救いようのない阿呆共だ、だがそれでも懸命に勉強をし続けた結果、この超名門那谷高等学校に合格し、これから薔薇色の将来に思いを馳せようとしていた筈、だが周囲の遥かに高い勉学の才能にまるでついていけず、思い悩んだ末にこの猾手段研究会に入り、カンニングという手段によってこの学校に留まり続けているとうことになる。
 死ぬ物狂いで勉強をしてようやく辿り着いた場所から引き摺り下ろされることほど辛いものはないだろう、僕はそんな思いをしたことがないので同情のしようがないのだが、カンニングという行為に甘んじてまでここに残る理由は分からないでもない。
 何故なら、ここにはカンニングをするだけの利点があるからなのだ。

 そう、それは最終的に三年生二学期の期末試験を乗り切った先にあるモノ――

 つまり那谷高校で長く厳しい競争を勝ち抜き、最後まで生徒として生き残ることが出来れば無条件で大学に進学することが約束されているということである。

 東大、京大、阪大、一橋、慶応、早稲田……無論学部、学科問われない、枠数こそ決まっているものの、簡単な面接を突破すれば何処へでも入学することが許される特権。
 信じられないだろうが、それだけ超優秀な人材を大学側も欲しているのだ、高校の時点で上位大学レベルの勉強をこなしているのだから当然といえば当然なのかもしれないが。
 故に、この全国の高等学校で唯一存在する『那谷高等学校特別推薦制度』に目が眩んで入学を志願する生徒も少なくない。
 加えてそれだけはなく、那谷高校から大学へ入学することは将来が約束されたと言っても過言ではない、何故なら優秀な人材が集う那谷高校には当然ながらOB、OGが大企業や政界に必ず在籍しており、就職活動においては彼らの口利きで面接など軽くパスされ、入社後は自動的にエリートコースが確約されてしまうのだ、言わば勝ち組のレール。
 那谷ブランドというのは、それだけで人生を圧倒してしまうのだ。
 そんなエクゾディア並に無敵なカードを、誰が簡単に手放すものだろうか。

 これぞまさに現代の科挙と言っても過言ではない。

 ……そんなものに、もし僕もあやかることが出来るのであれば、これ以上の幸福はないだろう、人生の勝ち組として、自分が望むものであれば地位と名声、そして金で全てを掌握することが可能となる、そんな人間になれるものならなりたいに決まっている。
 だが――今僕にそれを可能とするのは、猾手段という勉学において最低にして最悪と呼ばれる手段のみ、そんな嘘の権化に手を染めてしまって、果たしていいものか。
 きっと那谷高校在籍という免罪符を持っていれば、それだけで他の高校が受け皿となってくれることだろう、多分路頭に迷うなんてことにはならない。
 だが負け組としてのレッテルは一生つきまとうこととなる、おまけに偶然で那谷高校に合格してしまった僕なのだ、転校をしても結果は残せず、より悲惨な運命を辿るしかない――
「――ではひふみん、そろそろ答えを聞こうか」
 静寂した空間に、深い重低音が響き渡る。
「……………………」

 行くも地獄、戻るも地獄。
 ならば選ぶは、光のさす方へ。

「……一つだけ聞きたい、この猾手段研究会に、未来はあるか」
「愚問だな、創設以来、廃部をしたことがないのだぞ?」

「いいだろう……この猾手段研究会に入部してやる!」

「ふっ、その言葉を待っていたぞ! ひふみん! さあこれが入部届だ!」

 こうして僕は、己の窮地と甘い誘惑に完敗し、若干かなり大分テンションがハイになりながら、嬉々と入部届に『伊藤一二三』と名前を書いたのだった。

 この先に過酷な試練が待ち受けていることを、知る由もなく。

       

表紙

山田真也 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha