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からっぽのアクアリウム
からっぽのアクアリウム

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からっぽのアクアリウム

 僕の存在と状況を正確に伝達するには難解さを伴う。『六次元空間の特異点において高密度なダークマターを溶媒とし安定したボソンを循環生成させることで情報の累積・判断・処理を可能とした質量を持たないエネルギー体が僕である』と言ったところで、この世界を解析するツールを持たない大多数の者にはインスピレーションの影さえ与えることはできないだろう。

 だが、多少の齟齬には目を瞑り、比喩的な表記を使用すればどうだろうか? 例えばこんな具合に。

『僕のいる空間はこの世界からずれた所にあり、通常の世界から僕を認識することはできない。そして僕の周りには青々とした水が満ちている。遙か彼方からこの空間を観測すれば、それは水で組成された星のように見えるだろう。美しき星は不純物を含まず、その青き水中には白き光を揺らめかせるばかりだ。そして僕はその青き空間に遍在する実体をもたない思念体だ。僕はこの、からっぽのアクアリウムのような空間で終わりのない思索に耽っているのだ』

 いささかローマン的に過ぎるが、僕が美しく穏やかな物質に包まれ、僕以外の何者も存在しない空間で情報の生成を行っていることは理解してもらえたと思う。では、次のステップに移るとしよう。
 ここは穏やかな空間だが何の刺激もないわけではない。水に揺れる光、これは圧縮された情報の白き影である。さらに付記するならば、この白き影は三次元空間の事象の影でもあるのだ。具体例を挙げよう。
 僕が白き影に意識を寄せる。すると僕には、アンドロメダ星雲でひとつの星が生涯を終えたと知ることができる。別の影に意識を寄せれば、母鳥の目の前でヒバリの雛が大鷲にさらわれる場面を目の当たりにすることもできる。
 僕にとって距離と時間は知覚の障害とはなり得ない。三次元空間のいついかなる瞬間も、すべては僕の認識のなかにある。それをもって自身を「神」と呼称するつもりはないが、人という存在が定義する「神」の一能力は備えているのだ。
 過去(僕にとって事象の因果関係を示す便宜的な言葉でしかないが)、それに気付いた僕は三次元空間で神を装ってみたことがある。様々な制限を受けるが、六次元空間の存在である僕が、三次元空間で実体を持つことは不可能ではない。だがその結果、僕は死という苦い経験を得ることになる。死の寸前、僕は消滅という名の絶望を味わった。しかし、からっぽのアクアリウムはすべての情報を保持したままの僕を事象の影から再び生成した。その瞬間、僕という存在はこのいとおしきアクアリウムに未来永劫あり続けると知ったのだった。

(ベニアレ……ベニアレ……)

 乱れの兆しを見せた僕の思念に消え入りそうな響きが混じり込んでくる。小さな、けれど凛とした彗星のような光がアクアリウムを流れていく。それはたったひとり太陽系を離れていく探査機のようでもあった。

(ベニアレ……ベニアレ……)

 ベニアレ、それは僕を表すシノニム。僕は光を追い、自分の思念をそこに重ねた。

(……モルタリア……モルタリアかい?)
(ベニアレ? ああよかった。気付いてもらえた)

 僕とモルタリアの思念が繋がる。モルタリアの喜びは波となって僕を生成する粒子を揺らした。

(ねえ、頼みがあるんだ。近いうちに会えないかな?)
(頼み? タワー・タウンの崩壊に関すること?)
(……すごいな! ベニアレはなんでもわかるんだね)

 僕がモルタリアの思念を先回りすると、ここちよい驚きの波が僕を包んだ。けれど僕はそれをかき消す情報を伝えようとしている。するとそれだけでモルタリアの波長が何かを察知したように変化した。僕はその変化を呑み込むように思念を送った。

(タワー・タウンに近づくのは賛成できないよ。スケルタの内部は消滅への罠で満ちている。動的要因が多いからセーフティルートを確保することもできないんだ)
(危ないってことだよね。でも大丈夫だよ。スケルタさえ抜けられればタワーまでいけると思うんだ)
(根拠は?)
(ないよ。でも大丈夫。約束するよ)

 約束。それは根拠の後払い。因果律に支配される三次元では意味をなさない行為。僕は根拠が欲しくて未来を探る。けれど僕が関わる可能性がある未来を事象の影で読み取ることはできなかった。

(……だめかい?)

 モルタリアの思念がエネルギーをなくしていく。僕が断ればモルタリアは諦めるだろう。それは僕の望むところではなかった。

(……いいよ)
(本当かい!)

 僕の許可を受けてモルタリアの思念が輝きを取り戻す。それに連られて僕の思念もエネルギーを増していくようだった。

(大丈夫なんだろう? モルタリアがそう言うなら問題ないさ。目的地は08のタワー・タウンだね。スケルタから20ヘクト南にライ麦の丘がある。そこで会おう)
(わかった。ありがとう、ベニアレ)

 僕とモルタリアの思念が遠くなっていく。白い影は青の彼方へと流れ去ってしまった。喜びに満ちたモルタリアの波動。タワー・タウンの崩壊を間近で見るという望みが叶えば、その波動はさらに強くなり、僕を満たしてくれるだろう。それこそが僕の望みなのだ。

 ――(問)もしも、モルタリアが消滅してしまったら?

 その問いは僕のエネルギーを減衰させた。だがその場合は、また別のここちよい存在を探しに行けばいいのだ。僕は厖大な三次元空間と永遠を手にしている。だから僕に失敗などない。モルタリアの代わりは永遠のどこかに必ずいる。

 ――(問)もしも、モルタリアが消滅してしまったら?

 ――(解)第2のモルタリア、シリアルナンバー2を探索する



 ※なお、別解の可能性あり


       

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