Neetel Inside ニートノベル
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昼休みとはいくつになっても待ち遠しいものだ、きっかり一時間自由に時間を使っていい。食事もしていい。
仮眠室がなくて本当に良かった、一時間どころじゃなくなってしまうところだった。
より有意義に時間を使うなら一人になれる場所を探しておくといいい、豆知識の一つだ。
思い出してみれば高校生の頃からなるべく一人になってたっけか、友人と過ごしていた気もする。両方だった気がするな。
一人になれる場所ってのがあの頃は難しくて、図書室で一人になった気分を味わっていたっけな。
外に出る気にもなれなくて、どうせどこも人がいるだろうし、今日はこうして屋上に陣取ってただ陽射しを浴びている。
食事をとらないとな、コンビニでも行こうか、また後でいいか。
なんだか今日はそういう気分じゃないんだ、今日は何の日だっけか。

「ぼーっと空なんか眺めて何してるの?日光浴?いい趣味してるねぇ」
もしくは光合成だったりして、植物にしては随分血色がいいねぇ、なんて言いながら後ろから人が近づいてくる。
見なくても声だけで誰が来たのか、それどころか表情までわかってしまう。
振り返るとそこにはやっぱり彼女がいて、予想通りの意地悪な笑みを浮かべていた。
いつもの表情、何故か嫌味に感じない。すんなりと受け入れていたそれが今日は何故か引っ掛かった。
どうして嫌味じゃないんだろう、そういう特技だろうか。いいタイミングでお茶を出し、意地悪な笑みを受け入れさせる能力者。没。

「本日はどうされましたか、お腹でも壊されましたか」と、彼女が尋ねる。からかっているのは見て取れる。
本気で言ってないのは分かった、でもやっぱりどこかおかしいんだろうか。
今日はいつもの平日で、いつも通りの朝食をとり、いつもの道で会社に着き、いつも通りに仕事をしていた。
満員電車もいつものことだし、部長に心配されるのもいつものこと。ついでに言えばこうして彼女と昼休みに話すのもいつものことだ。
今日はいつもと違う日だっけな、今日は何の日だっけか。これってさっきも考えていた気がする。

「今日が特別ってわけではないんですか」
なんとか言葉をひねり出す。でも今朝とは少し違う。ちゃんと、考えて。

「なんだかこう、窮屈なんです」
こうして言葉にすると、頭の中のモヤモヤが少しだけ整理されたような気がする。
今朝も普段通りの満員電車が、普段以上に窮屈な気がした。仕事中はなるべく周りを意識しないように集中していたか。
こうして少し寒くなってきたのに屋上に来た理由も一人になりたかったからだ。
でもやっぱりモヤモヤは解消されない、どうしてこんなに窮屈なのか。

「ふーん、そっか」と、興味あるのかないのかわからない態度で彼女が返す。
やっぱり今の一言じゃ伝わらなかっただろうか、こんな変なことを言ってどう思ったろう。
不安になって彼女の顔を見ると、ふと彼女と目が合った。
そこから急に真面目な顔をして、彼女はまた尋ねたのだ。

「昨日さ、どうして仕事を持ち帰ったの?」
今度は真面目に答えてね、とご丁寧に釘まで刺してくれる。
こう言われてしまったのなら、正直に答えるしかない。まだ答えは出てないけれど、よくわかっていないけど。

「やっぱり、こう、窮屈なんです。人が近いんですよ。満員電車もそうなんですけど、今日は会社の中まで、密集してるわけでもないのに、会話もあるのに、どうしても窮屈に思えてしまって」
矢継ぎ早に言葉が出てくる、たくさんの言葉を並べても、不快感の説明にはどうしても足りない気がしてしまった。
それに結局、答えが出ていないのだ。俺にもわからないのだ。どうして窮屈なんだろう、何が窮屈なんだろう。
思考が堂々巡りしていた、さっきの答えと結局変わっていなかった。自分の感覚がよくわからなかった。

だというのに彼女はどこか納得いったような表情をして、そこからまた意地悪な笑みを浮かべたのだ。
嫌味のない、意地悪な笑み。彼女が一番よく見せてくれる表情。俺のお気に入り。

「なるほどね、うんうん。君は未だにシシュンキなんだね」
そういうと突然に立ち上がって俺の目の前に彼女が立った。見上げると大好きなあの表情。
どこか俺をからかっているように見えるその笑顔で、彼女は俺を釘付けにする。

「パーソナルスペースってわかる?」
はぁ、と生返事を返す俺に彼女が説明を続ける。

「パーソナルエリアとも言うらしいんだけどね、要はそこから先は不快に感じる物理的な距離って感じかな。人にはそれぞれの距離感があるけれど、親しくない人にその空間に入られるとどうしても不快感を覚えるんだって。相手によっても変わるんだけど、苦手だと思ってる人はちょっと遠くても気になっちゃうらしいの」

「柔らかく表現したけれど、苦手じゃなくて敵視って言ってもいいかもね。君の場合はどう?」
粗方の説明は終わったといわんばかりに最後に性格の悪い質問を投げかけられる。
少し考えてみたけれど、敵視なんてしてるわけない。そこまで人を見れてない。
表情も相まってやっぱり意地悪な人だ、わかってて聞いてるんだろうな。

「敵視なんてしてるわけないですよ、皆さん大切な同僚です」と、答えた俺の少し疲れた表情に彼女は満足げだった。
意地悪な表情。嫌味には感じない。近い距離にいるのに、まるで不快感がない。
今の話を自分でしておきながらこんなに近づいてくるなんて、なんだか敵わないなぁと思ってしまう。

パーソナルスペース。心の中のテリトリー。
俺のそれは多分人よりちょっと広いんだ。広げた分だけ狭くなる。矛盾した空間。今、彼女がいる空間。

「しかし、なんでまた今日はこんなに窮屈なんだか」
思わず口をついて出てきてしまった疑問に、彼女がきょとんと首をかしげる。
別に答えが欲しかったわけじゃないけれど、そんなに変なことを言っただろうか。

「それは、今日が特別な日だからでしょ」と、彼女が不思議そうに言う。

「特別な日?」
はて、今日は何かあったろうか。今日は何の日だっけか。またこれか。


「だから、今日はあなたの誕生日でしょう?物理的な距離が近くなったんじゃなくて、心理的な距離が遠くなったのよ」
何を当たり前のことを、というおまけまで付けて彼女が教えてくれる。
そっか、そうだった。ずっと気にしていたのに何故だか忘れてしまっていた。

やっと自分の疑問に全て決着がついたような気がした。そっか、今日は俺の誕生日だ。
誕生日なのに誰も俺を見ていなくて、見ていないのに傍にいて、いつもと変わらないはずなのに遠く感じられて、それでとっても窮屈だったんだ。
じゃあなんだ、今日が特別窮屈なのは拗ねていたようなものか。これじゃ思春期だって言われても仕方がない。

でも、そうか、彼女も俺の誕生日を覚えていてくれたのか。
だったらこんなに拗ねる必要もなかったかな。彼女と、そして母さんが覚えていてくれたのなら十分だ。

俺、満足。こうなるともう無敵である。誰にも俺を止めることは出来ないだろう。午後の業務は別だ。
モヤモヤが解消されて気分がいいしな、いっそコンビニでケーキでも買ってきてやろうか。
誕生日パーティ(しかもオフィス貸切)の幕開けだ。参加者暫定一名。独り占めってやつだな。

「勝手にすっきりしてるところ悪いけど、解決策は教えてないよ?」
満足げに午後の予定を考えているところに、彼女が恐ろしいことを言ってのけた。表情の描写は割愛する。
折角人が肩の荷を下ろしたというのにも関わらずマイペースに事を進める彼女。
しかもそれが事実だから悲しいものだ。そうか、結局昨日も書類を持って帰っているんだからな。
例え理由がわかったとしても、避けられないのなら意味がない。どうしたものか。
悩む俺にいつもの表情で口を開く。いつの間にやら顔が近い。
何をするつもりかはわからないが、彼女のすることならば、不安はなかった。


「いきなり職場の全員との距離感を調節しなさい、ってのも無理がある話だと思うからさ。とりあえず一つ指標になるものが必要だと思うのよね」

そう言って聞かせる彼女の笑みは、どこか柔らかいものに変わっていて。

「だからこれは、不器用なあなたに送るとっておきのプレゼント。この距離を忘れちゃダメだよ」


その言葉と共に、唇に届いた素敵な感触。それをゆっくりと感じながら、あぁ、敵わないなぁ、なんて。
この日何度目になるかもうわからなくなってしまった感傷を抱きながら、幸福を味わっていた。

       

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