Neetel Inside ニートノベル
表紙

三人が来る
おかえり

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 四時限目終了のチャイムと同時にカオリは教室を飛び出した。ヤマベに言い訳した通り、三時限目は保健室で休んで、四時限目に教室に戻った。周りに人がいる限り何もされはしないだろうが、ノゾミが近くにいるだけで重圧だった。
 カオリは理科室に入ると、さらにその奥にある扉の前まで行った。理科準備室と呼ばれる小部屋の扉で、薬品や小動物の標本が保管してある。教室を出るとき、中に入ったり覗いたりしないようノゾミにもう一度念を押されたカオリは、鍵だけ開けると物陰に隠れた。
 理科準備室の鍵はサユリとノゾミ、カオリがそれぞれ一本ずつ持っていた。科学部のキミコは顧問から鍵を預けられる機会があったので、強引に持ち出させて合いカギを作ったのだ。理科準備室は様々な遊びをサユリ達に提供した。窓もなく四人も入ると身動きが取れない広さだったが、その狭さはキミコ一人を閉じ込めるには丁度良かった。また小動物のホルマリン漬けは、その瓶を顔にこすりつけるだけで、キミコから悲鳴を引きだすことができた。
 理科準備室の扉の横には、文化祭の時に科学部が作った木製の看板や、ガラクタのような資材が積んであった。それらを倒してしまえば、内側から扉を開けるのは不可能になる。そうしてキミコを上手く閉じ込めたら、すぐに早退してしまおうとカオリは考えていた。保健室から教室に戻るとき、また体調が崩れたなら早退させてもらえるように保険医にすでに頼んであった。
 理科室の引き戸が開く音がした。物陰から見つからないように、入ってきたのがキミコだと確認する。キミコがそのまま理科準備室の扉の前まで歩いてくる。カオリはその背後でそっと身構える。キミコが扉を開けた瞬間、カオリは飛び出してその背中を乱暴に突き飛ばした。入口のむかいにある薬品棚にキミコが激突する音がする。しかしそれを目撃する暇もなくカオリは扉を閉じていた。すぐに手を伸ばして横にある資材を倒す。
 扉の向こうで回されたドアノブがガチャガチャと音を立てるが、資材に押さえられた扉は全く開かない。ドアノブの音が止む。カオリの頭の中に、泣きそうな顔でしゃがみこむキミコの姿が浮かんだ。何度も閉じ込められたキミコはほとんど抵抗しなくなった。扉が開かれるまでひたすら黙って待ち続けるのだ。
 カオリは扉に額をくっ付けて、中に聞こえるように、しかし小さな声で「ごめんね」と呟いた。
 途端、強い衝撃がカオリの額を弾いた。扉が内側から思い切り叩かれたのだ。そんなことをしても開くはずがないのだが、さらに連続で扉は叩かれた。激しい音と衝撃の振動が外に伝わる。
 これまでのキミコからは考えられない行動だった。キミコの狂乱。池の光景がカオリの頭に浮かぶ。カオリの膝が細かく震え出した。キミコから強力な憎悪を浴びせかけられているように感じたのだ。
 カオリは理科室を飛び出した。
 保健室まで駆けていく。荷物があるが教室には行きたくなかった。そこにはノゾミがいるのだから。
 体調不良の演技がもどかしい。早退の許可をもらい、一刻も早く外へ向かう。まごつく手で靴を履き、昇降口を飛び出す。
 校門を抜けると、足早に学校から離れながら、カオリは少しだけ安堵した。深く息を吐く。その時、ポケットの中でケータイが震動した。息が止まった。カオリはゆっくりとケータイを取り出し、画面を確認する。ノゾミからの電話だった。カオリはしばらく迷った後、電話に出た。
「さっき窓からあなたが出ていくのが見えたんだけど、どこに行くの?」
「た……体調が悪くて、早退することにしたの……」
 ふぅん、とノゾミが相槌を打つ。カオリは唾を飲み込もうとしたが、渇いた喉が張り付いて上手くできなかった。
「しょうがないわよね」
 ノゾミが言う。
「親友を殺したんだもの。体調だって悪くなるわ」
 カオリはノゾミの言っている意味がわからなかったが、心臓が一つ大きく脈打った。
「ど……どういうこと?」
「理科準備室、三限の終わりにね、ちょっと行ってきたの。その時に色々と薬品、混ぜてきちゃった」
 ノゾミの声は楽し気である。
「ありそうなことよね、理科準備室に忍び込んだ生徒が、遊びで薬品を混ぜている間に有毒ガスが発生、狭い部屋に充満、大丈夫、悲しい事故だわ」
 すっとの頭の先が冷たくなって、カオリは倒れそうになる。キミコの扉の連打。あれは自分に憎悪を向けているわけではなかったのだ。言葉にならない声が口から漏れ出す。カオリは今来た道を学校に向かって猛然と走り出した。
 ノゾミもそれを音で悟ったらしい。学校からチャイムの音が響いてくる。実際のそれと、電話から聞こえるそれには若干のラグがあり、ズレた二重の音をカオリは聞いた。
「間に合うと良いね」
 ノゾミがそう言って、電話は切れた。


 カオリが理科室に飛び込む。重い資材を懸命にどかす。扉を開けると強い刺激臭が溢れだし、カオリは咳き込んで傍の窓を慌てて開けた。どうしてあの時気付かなかったのだろう。自分の鈍さに腹が立った。袖で口を押えて準備室の中を覗く。キミコが倒れているのが見えた。
 カオリは息を止めて飛び込むと、キミコの体を精一杯の力で引きずり出した。全く動かないキミコの体はひどく重かった。
「キミコ! キミコ!」
 声を掛けながら揺さぶる。まるで反応がない。頬を叩いても眉一つ動かない。口元に手を近付ける。指先は気流を感じない。首に手を当てる。指先は脈動を見つけられない。
 青白い生気を欠いた顔が、無表情に目を閉じている。
 カオリの喉から嗚咽が絞り出された。キミコの上半身を抱きしめて、カオリの目からは止めどなく涙が溢れ出た。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 ポタポタと涙の粒がキミコの顔に降り注いでいく。滲んだカオリの視界では、キミコの顔が段々と赤みを取り戻していることに気が付けなかった。キミコの体がぴくりと動いた時、カオリは驚いてキミコの顔を見張った。
 生気を取り戻した顔の上で、瞼がゆっくりと開いて、キミコの目がカオリを見つめた。それを見てカオリの顔が綻んだ。
 キミコも微笑みを浮かべ、カオリの制服の袖をぎゅっと掴んだ。
「おかえり」

       

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