浦木探偵の推理と解決(漫画家にとってあがりとは?)

さて、今回は、浦木探偵の推理と解決(TMR先生)を取り上げよう。
TMR先生は、商業誌と何らかの関わりがあった方でしょうか。絵がこなれているのと、読みやすいのと、背景の描きこみがばっちりなので、そんな印象を受けています。

今回、取り上げさせていただいたのは、そのことではない。いや、後ほどそのことに話が繋がるのだが、最初に指摘したいのは、そのことではない。TMR先生は最近、更新のたびに女の子キャラとおっさんキャラが魅力的になってくるので何か生活に変化とかあったのだろうかと気になっていたのだ。

女にふられたとか、仏門に入って悟りを開いたとか、女子高に入学したとか、自宅に隕石が落下したとか何かそのような巨大な人生のライフイベントがあったのだろうか?それとも昔の記念写真に心霊とか発見してしまったのだろうか?そんなライフイベントを彷彿させるほど、急激に線が色っぽくなってきている。なんでだろう。

TMR先生は、ああ、こんなおっさんいるなとかああ、こんなお姉ちゃんいるなとかいうキャラをつくるのが非常に得意な方である。実は、あのようなおっさんもお姉ちゃんも本当はあまりいないと思うのだが、現実にいそうな気になってくるのが不思議である。最近のだと温泉の回がとても好きである。

で、このどちらかと言うとVシネマやフレンチコネクションみたいなハードボイルドなどが似合いそうな絵柄とキャラに、SFチックな設定をかぶせておられる。で、これが果たして成功しているかなのだが・・・。

漫画家と言うのは、自分で、漫画家と名乗れば漫画家になれる。以前は商業誌を通さなければ、殆ど、一般の人に自分の漫画を見せることができなかったのだが、今は、インターネット上に公開できるので、人に見せると言うハードルは凄まじく下がっている。

そのような意味でぼくは自分のことを漫画家だと思っている。

ここで、ただちに読者より嘲笑を浴びそうだ。

では、あなたは以下の人物のどちらが本物の漫画家だと思うだろう?

A 出版社より単行本を1冊出したけど、全く売れず、絶版になり、誰も覚えている人がいない漫画家

B 別にお金はもらってないが、インターネット上で、多くの人に見られて、たくさんの人に引用され、たくさんの批評を受ける漫画家

歴史に残ってる芸術家は必ずしもプロではなかったし、今後もそうだろう。なのでプロに執着し続けるメリットというのは、今はあまりなくなっていると思う。
で、多くの人に見られてというポイントは、どのくらい持続できるかが、大きな要因になりそうだ。

で、TMR先生である。ぼくはTMR先生を漫画家だと思っているし、先生も多分、ご自身のことを漫画家だと認識しているだろう。

問題は、その漫画家としての人生のあがりに何を持ってくるかである。

出版社にとって、漫画家とは、言ってみれば、弾丸と同じである。たくさんばらまいて、偶然、当たったものがヒット作になる。当たらなかった弾丸は回収もされずに捨てられる。ヒット作を出しても、売れなくなれば捨てられる。そして多分、大多数の漫画家は生活が困窮する中で忘れられていく。

なので、長い期間、多くの人に忘れられない漫画を描くということを目標にする場合、商業誌のみで活動することは、ごく一部の人以外はかなり不利な状況になるだろう。

ぼくは、自分の漫画家人生の目標を、① 自分の実人生を他人に忘れられないような漫画を描く ② 他の漫画家に影響を与える。 ③ できれば漫画史に名を刻む あたりに定めている。

TMR先生は、この漫画家人生の目標という究極の部分で、迷いがあるような印象を受ける。ぼくがこのようなことを指摘するのは、最近、TMR先生が描くおっさんキャラと女の子キャラがあまりにも魅力的なので、こんなキャラが描けるのなら、もっとわかりやすい物語の漫画を描いてもいいんじゃね?と思われるからである。

なので、浦木探偵と並行して、もう一作連載をしてもらったりすると、ぼくは嬉しかったりする。個人的な好みで言うと、おっさんが主役の重量感のあるハードボイルドが読みたい。

より、具体的に言うと、TMR先生の絵で、例えば、映画のチャイナタウンにエロとリョナが混ざったようなダークなハードボイルドが読みたいのかと聞かれたら、その通りだと答えざる得ない。

今回は、TMR先生と通して漫画家の人生とは何かを検討させたいただいた。

言うまでもなく、ぼくは漫画家である。
そして、TMR先生も漫画家である。

この事実は変わらない。