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新都社 漫画評論集
エナガ先生の死 追記

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さて、前回、僕はエナガ先生の訃報に関して、論評した。
それに対して、ぼくがエナガ先生の死をダシにして、自分の自慢話を書いたとの意見がある。

大変な誤解である。

ぼくがやったのは、エナガ先生の死をダシにして、自分の自慢話をし、かつ、自分が漫画家になるのを断念した経緯を説明し、かつ才能を消費してしまった人物の末路を書き(小池一夫のことだ。)、「自分の才能に、食い殺されることがないようにしろ。」と、才能のある人たちに警告したのである。

まず、当たり前の前提として、ぼくはエナガ先生と面識がない。なので、エナガ先生の死について、エナガ先生の家族や友人のようには悲しめない。
だが、このような瑞々しい才能を弾丸のように消費してしまう、理不尽な何かについては、ものすごい怒りを感じているのだ。

エナガ先生がこのような若さで死ななくてはならなかったことに、どんな正当な理由があるというのだろうか。正当な理由などない。
あるのは、機械のように稼働し、人間をミンチにしていく冷酷なシステムだけである。(ぼくはこれを人間圧搾機と呼んでいる。)

出版社のような商業資本が、まず、エナガ先生の死の犯人として挙げられるだろう。ここ数年、あまりにも若い漫画家の訃報が相次いでいる。苛烈な競争を生き抜いてデビューした人々を再度、苛烈な競争をさらせば、死ぬまで、競争する人間が出てくるのは当たり前ではないか。

漫画家も生身の人間なのである。自分の身体の限界を超えて、漫画を描かされたら、死者が出るのに決まっている。

漫画家なのだから、当たり前だと思うだろうか?

では、逆に質問をしよう。
一般企業の労働者をこのような過酷な仕事に晒すことにあなたは賛成するだろうか。

そして、エナガ先生の死の、より大きな犯人はたぶん、エナガ先生自身の才能である。プロデビューできるくらいなのだから、エナガ先生には際立った何かが取りついており、そいつがエナガ先生を死ぬまで、酷使したのである。

人間圧搾機とは、この商業資本と本人の才能が結びついた結果、起こる冷酷無比なシステムのことである。

エナガ先生の死は、悲劇である。
そして、悲劇からは教訓を引き出さなくてはならない。








       

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