Neetel Inside ニートノベル
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《それ学級日誌に書く必要ないだろ?》
作:笹塚とぅま

【p3:オトウサン】


「ふはは! 清々しい朝だな我が下僕!」
ホームルーム五分前。
ただ今教室を支配するのは、男子同士の春休み中の武勇伝大会や、女子同士の合えなかった春休みの三週間の空白を埋める感動の再会劇。あっちこっちで声が飛び交い、白と黒しかなかった三十分前とはうって変わり、教室の中はたくさんの色で満ちていた。
 僕はおもむろに席を立つ。別にこのカラフルな空気に一人ぼっちの僕が耐えられないからではない……ほんとだよ?
時間的にもいい感じだし、ホームルームが始まる前にトイレ行こうかな、と思ったわけで、
「んぎゃー! 無視すんなー!」
 それにしても騒がしいな? まあ、春は活動開始の季節と言うし、虫さんたちもフィーバーしているのかもしれないな。
「だーかーらー無視すんなってのー!」
 ん? 頭に何かぶつかったな? おいおい、窓はちゃんと閉めといてね。花粉もそうだけど、それにこんな風に虫が入ってくるからね。
「虫扱いだからって無視するのかっ! さすがだな我が下僕! ……って、んがーっ!! 」
 後頭部の痛覚が覚醒する。んーまただ。てかけっこう痛い。髪抜けたんじゃね?
僕は教室後ろの掃除用具入れを開ける。お邪魔な虫さんには悪いけど死んでもらいましょう。……っち、なんだ、蚊取り線香かよ。まあ、いけるか。
「……だれがモスキート、じゃい……」
てかさっきから心を読まれている気がしなくなくはない。
「……なー、なー良? 良ってばー、りょー……春休みで我のことを忘れてしまったのか?なぁ……」
 おーん? なんかすごく自分の名前が呼ばれてる気がするし。なんでしょう、心が痛いと言いますか、胸が痛くなると言いますか……はっ、もしかしてこれが恋かしらん?
「……ぐす」
 あーもー、はいはい。
「……なんだよ、只見」
 僕は先ほどから僕につきまとってくるその子の名前をため息交じりに口にした。
 只見華。
 クリーム色の髪は柔らかくウェーブがかけられており、僕をまっすぐ見る瞳は透き通るようなブルー。お人形のように白い肌はうっすらと赤みを帯びていて触れればどこか壊れてしまいそうな儚さをも感じさせる。
そして彼女、日本人の父にフランスじんの母を持つハーフで帰国子女らしく、フランス語はもちろんのことドイツ語にスペイン語、そしてポルトガル語といったヨーロッパ圏の言葉をマスターしていることに加え、何で勉強したかは知らないけどこのように日本語もペラペラというとんでもないスペックを兼ね備えている。まあその能力が今後どこで発揮されるかは知らぬが。
あと、先に断わっておくと、このお嬢様みたいな口調で勘違いしてはいけないのだが、彼女は貴族でもなんでもない。そして、いずれ説明する機会があればしたいのだが、僕はどういうわけか彼女からペットのポストを授かっているのだ。わんっ! 
「……ぐす、ひぐっ」
 んーちょっとやりすぎたかな。ご主人様の瑠璃色の瞳がぶわわと潤むのを見て、下僕の僕は少し反省する――
「なんだ。泣いてんのか?」
 ――ことはなかった。我ながら下衆だ。
「泣いてない、わ、わらわが泣くわけないじゃろ」
「じゃあ、只見の目から溢れ出そうなそれはなにかなぁ?」
「こ、これは……これは……」
 目の前にはぐぬぬと歯を食いしばり今にも泣きそうになるのをこらえる女の子。や、やだ、僕ちょっと楽しくなってきちゃったな? あぁ? 罵倒したければすればいい。底辺のメンタルをなめるなよ?
「こ、これは……液じゃ!」
「へ、へぇ液ね……」
汁と答えるのがベタだが、液でもなかなか引きますね。
「ph1じゃぞ」
「酸性かよ! こわっ! こわいよ!」
 只見、おまえの肌どうなってんだよ。
「にゃはは! どうじゃ! 恐れ入ったか!」
「ま、参りました!」
「にゃはは~っで!?」
「んなわけないだろ」
 チョップを受けた頭を抑えながら只見は恨むような涙目を僕に向けてくる……うん、とっても悪くないね。これはおそらくあれだ。好きな子ほどかまいたくなるっていうあれと同じもので、きっと只見の反応が可愛いのが悪いんだ。そう僕は悪くない! ……とまあ、理由をつけたところでさて質問を受け付けますがいかが?
「……で、只見は僕に何の用だ……ってあ。そういや今年も同じクラスだな。よろしくな」
「……そう! それじゃよ! それを言いに来たのじゃ!」
 ぱぁっと笑顔になり、ご機嫌大回復な只見さんはさながら動物。しっぽがあったら全力で振ってそう。
「そんなことでかよ? わざわざ言いに来るもんか?」
僕の疑問に忠美は腕を組み、只見はふっと鼻で笑うと、あるかないかと聞かれたら、男子なら『うーん……あ、あるんじゃない?』と答えるだろうささやかな胸を張る。
「ふふっ、わからんのか我が下僕。まぁ、恥じることはないぞ、下僕だから仕方が無いことじゃ。下僕の教育もご主人様の仕事だから、教えてやらなくもないぞ?」
「さーて、トイレトイレ」
「あー待って! 待ってくれ! 待ってください! 下僕様!」
 主従逆転。歴史上これほど簡単に下克上が行われた例はないだろう。戦国大名真っ青だ。てか、下僕様って。偉くなっても下僕なのね。
「もー……何?」
トイレに行きたいのはほんとなんだけど……
「率直に答えるがよい。 良は我と同じクラスで嬉しいか?」
「なんだよ改まったと思ったら……嬉しいに決まってるだろ」
 僕はにこりと答える。いじり甲斐があるやつはなるべく近くにいたにこしたことはないからね。
「にゃはは! いい返事じゃ!」
「只見、おまえはどうなんだ?」
「わらわか、もちろん嬉しいぞ」
 即答。
「そ、そうか……」
 僕は自分の口の端がひきつるのを感じる。ここまでされてまで……僕のご主人様は、少しMなのかなぁ? 少し心配。
 話題転換も兼ねて、僕は面白そうな反応が返ってきそうな質問をぶつけることにした。
「なんだい。只見は僕のこと好きなのか?」
「うぬ?」
「え?」
 只見は不思議そうに首を傾げた。おーん? 思っていた反応と違うぞ? これは『聞こえなかったぞ? もう一度言ってくれぬか?』のパターンか? いやいやまてまて。……もしかして僕は二年生になって早速黒歴史を作っちゃったのかしら?
「良は何を言っておるのじゃ。わらわは昔からお主のことを好いておるぞ?」
「……え?」
「言っておくがlikeでなくloveのほうじゃぞ」
 くだらないことを言ってしまったな、と照れたように笑う只見。少し離れたところで、誰かが椅子から落ちる音と何か分厚い本を落としたような音がした気がするが、僕はそれを気にする余裕がなかった。
「そ、そうか」
 なんとか平静を装う。
 ……リケじゃなくロヴェ。んーますます心配になってきたぞ? 僕の知能じゃなく只見が。僕がお父さんだったら僕みたいなやつは即猪苗代湖なんだけどな。
 てか、只見のお父さんって……はあ、そうだった。考えるのはやめよう。
 ひやりと背中を汗が伝うのを感じる。まさかいじっているつもりが、気付けばなぜか追い詰められている……。再度主従逆転。嗚呼、強者の栄光、風の前の芥のごとし。
「まあ、下僕である、お前にそこまで好意を向けられておるとな、飼い主としても少しは返してやらぬと可哀想だとおもってな」
ふふん、となぜかドヤ顔の只見。
……んんん?
あ、あれ? もしかしなくても、ずっと前からこの子は僕のからかいを何か別のものと勘違いしちゃっていたということなのかな? まぁ、愛のないからかいはいじめになるから僕が只見に対し何かしらの愛を持っているのはたしかだけど、それはどうも只見の言うそれとは区分が違う気がする。
 んー……僕の鈍色の脳細胞が経験をデータにはじき出した予測は、なんかとても取り返しのつかないことになりそうな未来。
 つまり、この誤解は早めに解決すべきものと言うわけで、
「な、なぁ、只見。そのことなんだけど――」
「おー、みんなおはよーさん! 元気にしとったかー?」
 ガランと扉が開けられ入ってきたのは熊、……だと思ってしまうほどの大男。彼は教室を見渡し一度満足そうな顔をした後、教室に入ろうとして――豪快にドア枠に頭をぶつけた。
……しかし残念。これ、生徒に自分に対する第一印象を良くしてもらおうと彼自身が考案したパフォーマンスだとわかっている僕は全く笑えない。というか、皆知っているのか教室の誰一人も笑っていない……一人を除いては。
「父上は全くどじっこじゃのう。なあ良よ」
そう、ただ一人、娘の只見華を除いては
「そ、そうだねーどじっこだねー」
いかん完全に棒読みだ。てか、誰がどじっこだって? 誰が見ようとありゃ、東北の雪山で何人かは殺ってるだろ。そもそも、去年僕が初めてあの人会った時、あの人校門前で他校の不良が乗ったナナハンが誤って暴走したの片腕で止めてたんだよな……
「ほらー席座れーホームルーム始めんぞ」
彼は黒板の前に立つと、教壇にファイルを無造作に置いて、もう一度見渡して――
――目が合った。
「……おい、東和」
「は、はい! なんでしょう!」
まさかの指名に、思わず声が裏返る。いや、そりゃそうだ。女の子を子供に持つ男にとって自分の愛娘の近くにいる男は殺すべきの敵。僕は先生がどんな目をしているのか直視するのが怖くて、即座に自分の身体をきれいに45度曲げる。
「そ、そう言えば仁之助先生。今年はこ、このクラスなんですね」
「ああ? なんだ、不満か?」
「い、いえいえ、滅相も。よ、よろしくお願いします」
 頭は下げたまま答える僕。しかし、なんと言うことでしょう。僕の耳はぺたぺたとサンダルが床を叩く音が近づいてくるのが聞こえてくるではありませんか。
 そして僕の両肩にごつごつと岩のように硬くずっしりとコンクリみたいに重い何かが置かれる。
 そう、それは幾多の命を天へと送った(推測です)拳。それは今、愛する娘を守るために僕に向けられている。
 本能は僕に告げた。
 死んだな――と。
「なるほど。お前が『あの』東和か……ふん」
 ……あれ? 自分の肩から伝わるのはぽんぽん叩かれている感触。
それは重く痛かったが、なぜか悪意や殺気めいたものは含まれていなかった。
「ちゃんと挨拶しに来い」
……ん? 僕は顔を上げる。ここで初めて先生の顔を見た。
「お義父さんはいつでもお前を出迎えるぞ」
満面の笑みだった。
「……え、は……はぁ!? えぇ!」
「そういう訳じゃ、良よ。また、後での」
「え!? ちょ、只見!? あ、あー」
 てこてこと只見は自分の席に返って行った。後ろ姿がどことなく嬉しそう。
「んじゃー出席取るぞーみんなの二年生最初だし、威勢のある声を先生は聞きたいなー」
 先生も何事もなかったかのように戻っていく。でもやだ、背中がとっても嬉しそう。
 学級内で起きた騒ぎは皆の想像にお任せする。
僕は自分の席に腰を落とし、開いている窓の外を見た。すがすがしいほどの晴れ、これが俗に言うスカイブルー。心地よいやわらかく新しい香りが春の陽気とともに教室内に入ってくる。
 なのに、なんでだろう。僕の口から洩れるのはため息。
 僕の推測は当たったようで大外れ。
 取り返しのつかないことには、すでになっていた。

 一限開始のチャイムが鳴る。
と言うわけで、東和良16歳。今年の四月 、高校二年生になりました。(終)

       

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