排他的青少年(達)

 小学五年生の花見倫象は至って普通の子供である。
 ただし少しだけ内向的で、少しだけ歪んだ方向に好奇心旺盛で、少しだけ人より親が少なく、かつ少しだけ頭が良かった。そして花見の名誉の為に補足するのであれば、彼の通う札幌市立港北小学校は人間形成の場として必ずしも適切であるとは言い難かった。多種多様なイジメが横行し、それを知っていながら自らの保身に走る大人しかいないこの学校では、花見に限らずとも心に暗いものを抱える生徒は多い。
 ただし、それが花見にとって不幸かどうか、それは別の話である。花見は自身がイジメの対象とされている内に、陰湿で吐き気のするようなイジメを受け続けている内に、次第に快感を得るようになっていた。
 三年生の時、鞄が構内の池に沈められていたことがあった。池は暗く濁っている。手入れなどされていない池には苔や雑草の類が無限に蔓延はびこっており、線の細い女子などは近付くだけで気分を悪くしている。
「おい、花見、池の中を見てみろよ」
 放課後、鞄を探して校内を歩き回る花見にクラスメイトが言った。
 花見が池の前に来てみると、ツンとした臭いが鼻を突っついた。滅多なことでは動じない花見もこれにはさすがに涙腺を緩ませる。
 池に手を突っ込むと、池はむしろ「沼」の感覚に近かった。水はむしろ「泥」の間隔に近かった。沈めた瞬間にぬるっとした感覚が右手を覆い、どうにも「するり」とは池の中をき回せない。立派な重量感を湛えた水や雑草は押し返すように花見の右手を包み込み、柔らかい苔の感触が背筋に冷たいものを走らせた。
 しかし池の外周をぐるりと周ってみても、どうやら池の外から手の届く範囲には鞄はないらしい。ふう、と溜息をついて、花見は意を決して靴を脱いだ。恐る恐る、静かに右足を池の中へと沈める。さすがに脱くことができなかった靴下越しに、ぬるい感触が親指と人差し指の間をするりと抜ける。むに、と、何かを踏んだ。慌てて右足を持ちあげると、派手に跳ねた水飛沫が顔を襲った。水は黒く、臭く、汚い。
 結論から言うと、池の中に鞄は無かった。花見はクラスメイトに上手く担がれたのだった。
 遅ればせながら、花見の頭もそのことを理解する。だがしかし、花見は池を抜け出そうとはしなかった。次第に、快感になってきていたのだ。
 指を襲う苔の感触ではない。ふくらはぎを撫でる雑草の揺らぎでもない。悲惨な目に遭っている自分に、である。
「こんな悲惨な目に遭っているんだぞ、俺は」
 池の中を一歩進む度に、花見は強力な鎧を纏うかのような感覚になっていた。それは他ならぬ、情状酌量という名の武器。
 こんな酷い目に遭っているんだぞ、俺は。何度も何度も頭の中で反芻する。
 四年生の時、プール学習から戻ってくると着替えは大便器の中に沈んでいた。どんなイジメにも感情を爆発させることのない花見に対し、イジメっ子達も痺れを切らしたように次第に過激な行動へとエスカレートしていたのであった。
 ――怒りよりも、悲しみよりも、後から湧いてくる快感に身を委ねた。
 ある日の帰り際、外靴が濡れていた。仕方なく濡れた靴を履いて帰ると、しばらくしてから靴を濡らしたものの正体は尿であることに気が付いた。
 それでも最早、花見は胸に黒いものを抱えることはなかった。
 むしろ、胸のすく思いがした。
 いいさ、好きにしろ、なんでもやれ。
 ただし、俺も好きにさせて貰う。
 悲惨なイジメを受ける度に、「これで俺は自由になれる」という感覚を花見は得ていたのだった。“好奇心旺盛”な花見は、やってみたいことが山ほどあった。あれも、これも。何がどうなっても知らないぞ、俺は、お前らのせいで性格が歪んだんだからな。
 そう考えるととても愉快な気持ちになって、花見は尿に浸したその靴でスキップを踏んだ。