Neetel Inside 文芸新都
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一度は帰ってきそこなった時効警察
やまいだれは恋の落とし穴と言っても過言では無いのだ!

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 カツカツカツ、と靴音がする。ガラガラっと引き戸が開く。と、次の瞬間、大きなダミ声が響く。
「ええ、そうです私が刑事課の十文字疾風ですが」
 うわっ、また来たよ……と三日月は渋い顔をする。ぐえっ。とはいえ、今日は少しばかり様子がおかしい。
 手を振り振り、かざしかざして有名人気取りでいるところはいつもと変わらないように見えなくもないが、今日は有名人「気取り」ではない。テレビカメラが何台か十文字を追っている。
「十文字さん、あなたは現在容疑者と目されているようですが」
「いえいえ皆さん心配にはおよびませんよ、私は無事です、ええ」
「そうではなく、十文字さん」
「しつこいなあ、事務所を通してもらえます? ねえ、蜂須賀さん」
「んあ? あっごめん聞いてなかった」
「行きましょう、蜂須賀さん」
おおん、と中途半端な相槌を打ったか打っていないかはわからないが、とにかくテレビクルーを巻くように颯爽と歩いていく十文字を追って蜂須賀も早足になる。
 三日月は事態が呑み込めぬまま、署の一番奥でぬるぬると駄弁りつづけている時効管理課の一群に近づいて行く。
「めけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめめけめけめけめけめけめけめけめけ」
やっぱりこの人たち、いつ近づいてもよく解らない。そんなことを思いながらも三日月は話しかけるしかないのである。
「何……やってるんですか?」
「あ、三日月い」いの一番に食いついてくるのはだいたい又来である。
「めけめけゲームだよ」
「」は? ……あっいけない、言いたいことがカギカッコから外れて表情に出てしまった。
「あ、お前いま意味わかんないって顔したなあ」さすがに又来、隙がない。
「ひとりずつ『めけ』『めけめけ』『めけめけめけ』って『めけ』を足しながら言っていくんだよ」
「そう。それで、数え間違えたり、言い間違えたりしたら負けなんだよ」時効管理課長の熊本だ。どうしてそんなに暇でいられるのか。
「で、」三日月は聞き返す。「次は誰の番なんです」
「あ、そうだよ、霧山、次だろ」
促されて「めけめけめけ」とやりはじめるが三日月が茶々を入れてしまったので何度繰り返せばいいのかがわからない。おそらく、この場にいる誰もわかっていない。
「めけ……めけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけ」と言い続けている霧山の後頭部にポカリと平手が入った。
「よう霧山、お前はまだ時効管理課なんかでめけめけやってんのか。俺なんか見てみろ。刑事課のエースすら飛び越えて、今は容疑者候補だぞ」
「それって危ないんじゃないですかー」サネイエの平板かつ冷酷な突っ込みにも十文字は負けない。
「だいいちこの俺が犯罪なんて犯す訳無いだろう、なあ霧山」
「うん、犯罪はしないと思うよ」
「そうだろうそうだろう、やっぱりお前はわかってくれるか。じゃあ、がんばれよ、めけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけ」そう言いながら奥へと消えていった。
「十文字くん、どこ行ったの、ちょっと、十文字くん」取材陣を堰のように押しとどめていた蜂須賀が、もうこらえきれんとばかりにどっと押し倒され、慌てて十文字の方へと向かって時効管理課を走り抜けていった。
「めけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけめけ」
「霧山くん、まだやるの」
もはや三日月以外に霧山に注意を向けるものはなく、熊本は時効になった事件の書類を眺め、又来は机に「十文字のバーカ」と細かい文字でぎゅうぎゅうに書き並べている。
 そこへ真加出がやってきた。
「霧山さん、『めけ』が五回多いですよ」
「えええ」
「ええええええ」
「えええええええええ」
「えええ」までゲームだと思ったのか、霧山の驚きの声がサネイエ、又来に飛び火してこだまする。
「霧山さん、時効の事件を捜査する趣味ってやめちゃったんでしたっけ」
「ああ、確かに最近やってないなあ」それが自分の行動について言う言葉か、と三日月は独りごちる。まったく、人の気も知らないで。
「じゃあやっちゃえばいいんじゃないの? これなんか、面白い事件だと思うけどなあ」
そう言って熊本はバン! と振りかぶって勢いよくハンコを押した。「時効」



 時効を迎えた事件を趣味で捜査する男、霧山修一朗。一度は帰ってきそこなった時効警察第一話、「やまいだれは恋の落とし穴と言っても過言では無いのだ」を、よろしくお願いします。



 東総武市で十五年前に起こった大学教授殺人事件。現場は出版社の辞書を編纂する会議室。被害者は鈴井裕太郎、後頭部を鈍器で殴られて死亡、凶器は犯行現場の机の上に置いてあった国語辞典とみられており、辞典の歪み方と被害者の後頭部の傷跡がほぼ一致しているところからまず間違いないとされている。しかし辞書の指紋は拭き取られており、犯人の特定には至っていない。
「先生……先生!」
死体の第一発見者は辞典の出版元である山川堂書店の編集者、伊藤。編纂会議は三ヶ月前から同じ会議室で週二回ほど行われており、他には被害者と同様の大学教授が三人、編集者がもう一人の計六人で構成されていた。現場の鍵は編集部が管理しており、会議の前後で厳重に戸締まりしていたため、部外者が立ち入ることはほとんど不可能だった。
「ねえねえ霧山くん、それって何ていう辞典なの」と三日月。
「あ、ええっとね……『新語解国語辞典』かな」
「え、何それ……センス悪い」又来が口を挟む。
「どうしてですか」
「だって、『新語解』とか……誤解しちゃいそうじゃない」
「そうだよねえ、絶対売れないよねえ」これは熊本課長の声だ。そこにサネイエが斬り込む。
「熊本課長知らないんですか、『新語解国語辞典』は辞書界じゃ珍しく空前のヒットを飛ばして話題になったんですよ」
「私も三冊買っちゃいました」とは真加出の言葉。
「あ、それ私も知ってる」
「何だい三日月くんまで」徐々にちっちゃくなっていく熊本。
「辞書のことなんて、知りませんからねえ」
「そうだよ、なあに君たち、辞書系女子? 辞書女子?」
そこへ十文字が飛び込んでくる。「そうですよ君らはじしょけいじし$?〒◎~」
「噛むなよ十文字、辞書系女子、辞書女子だよ」
ドン、と勢い良く机を叩くサネイエ。普段冷静なサネイエの突然の行動に凍る面々。
「わたしは処女じゃありませんよ!」

 事件当日は鈴井裕太郎が会議の二時間前から調べものをしたいと部屋を開けてもらっていた。鍵は鈴井が持っていて、彼以外に会議室に近づいた者はいなかったという証言が残っている。
「だれの証言なの?」
「編集部の人がそう言っていたらしいよ。会議室に行くには編集部の中を通らなきゃいけないようになってるんだって」
「ちょっとお待ち頂けますか、今当時の担当の者を呼んできますので」
担当者が席を外している間に霧山が三日月に話しかける。
「土日でも忙しいんだね、出版社って」
「そうだね」と言いつつ編集部を見渡す三日月。
「あ、あのひと日曜日なのに眼鏡かけてる、イギリス人じゃないんだから、ねえ」
「何言ってんの三日月くん。あの人はイギリス人だよ」
よく見ると欧米風な顔つきをしている。机に目を移すと、パソコンの壁紙がユニオンジャックでペン立てには国旗が刺さっている。イギリス人じゃなければ何者だ。
「伊藤と申します。……警察の方、ですか」
「今日伺ったのは、確かに事件の話ですが、事件自体はもう時効を迎えています。あくまでも趣味として、お話をうかがいたいのです」
「趣味……ですか」

       

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