Neetel Inside 文芸新都
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 ひとつお断りしておきますが、これからあなたにお話しするのは、あくまで僕の趣味の捜査の結果です。事件そのものは時効ですから、たとえあなたが犯人でも、僕がどうすることでもありません。もっと言えば、この時効事件の捜査は、すべて犯人の皆さんの善意に支えられているんです。犯人の皆さんの善意の自白が必要なんです。
「善意?」
単刀直入に申し上げます。伊藤知子さん、あなたが鈴井裕太郎さん殺人事件の……犯人のひとりではないでしょうか。
 眼鏡は霧山の手から三日月の手へとわたる。
「何を言っているんです」
十五年前に殺人が行われた日、伊藤知子さん、あなたは吉岡さんと一緒にいたのではないでしょうか。おそらくは、仕事での関係よりも、もっと深い関係において。その夜、辞典の編纂作業でどうしても話がしたいという鈴井さんの頼みを聞くために、あなたは鈴井さんの家に向かうことになった。しかし、運が悪いことに、あなたの電話は吉岡さんにも聞こえていた、いや、というよりも吉岡さんがそうさせたのでしょう。
 吉岡さんは当然そうした会議には自分も行くものだと思っていたはずです。編纂会議を秘密裏に行うなんて普通あり得ないでしょうし、あまつさえその頃敵対すらしていた吉岡さんを差し置いて作業を進めるなんて……吉岡さんは「自分も行く」と言い張ったはずです。でも実際にはあなたと鈴井さんは編纂会議などするつもりなかった。伊藤さん、あなた、鈴井さんとも深い関係をお持ちでしたね……鈴井さんの遺留品から、色褪せた写真が出てきました。最初は何かわからなかったのですが、鑑識課に調査を依頼したところ、写真の印画紙だとわかり、さらに少しばかり修復もしてもらいました。あなたと、鈴井さんが写っています。
「……熱海です」
「ハトヤホテルですか」
「三日月くん、それは伊東でしょうが」
「あ、そっか」
「……もう、邪魔しないで」
 そして半ば強引にその事実が明かされ、犯行が起きた。鈴井さんは驚いたはずです。自分が誘った相手とは違う人、それもまさに犬猿の仲である吉岡さんが戸口に立っていたのですから。
 伊藤さん、あなたは犯行が行われたあと、吉岡さんと協力して密室殺人に仕立てた。翌朝、鈴井さんが会議室に来ていると嘘をついた。
「嘘?」
……いや、正確に言えば、その時までは嘘だった、ということでしょうか。鈴井さんはその後運ばれてきた。それも、地下から、ダムウェーターに乗って。そうですね。
「……ええ」
乗せたのは吉岡さんで、受け取ったのは伊藤さんだった。おそらくは凶器もその時に一緒に運ばれてきたのではないでしょうか。
 アリバイを証言した者の内部に共犯者がいたために、この事件は一筋縄では行かなくなった……

「……以上が、私が趣味で調べたすべてです。あとは、犯人であるあなたのご好意に甘えるしかないのですが」
「…………父の話をさせていただいてもよろしいですか」
「はあ……どうぞ」
「私の父は文字に関しておかしなこだわりを持っている人でした。私の本当の名前も『知子(さとこ)』ではありません。『痴子(さとこ)』と書くのです」
と知子、いや痴子はメモ用紙に名前をふたつ書いて見せた。
「それでは、知子さんというのは……」
「偽名、といいますか、外向きに名乗る時には、そう名乗っているのです。取り調べの時には、どうなることかと思いましたが」
「どうにか免れた、と」
「はい」
「あの……由来は」
「三日月くん」
「でも、気になるじゃない」
その会話を、それもそうだとばかりに笑いながら痴子は続ける。
「『知る』に『やまいだれ』がつく、つまり、何かを行き過ぎるくらいに探求して欲しい、他人におかしがられるほどに好奇心を持って行動して欲しい、そういう願いがあったと聞いています。
 あるとき、鈴井にそのことを話す機会がありました。すると鈴井は一瞬は驚いたものの、そのあと笑顔になって私に言いました。
『いい名前じゃないか。そうだ、痴という字の説明に〈行き過ぎて賢い〉という意味も入れてやろうか』
私は冗談を言っているのだと思っていましたが、どうやら彼は本気のようでした。というのも、当時ある学説では、江戸時代の書物中に『痴』をその意味で用いていたという解釈が可能なものがあったとかいう話で」
「それを鈴井さんは取り入れようとした」
「そうなんです。でも、吉岡はいち学説に過ぎないものを正統な辞典に取り入れるなんてもってのほかだと言って争いになりました」
「なるほど、それで……」霧山は想像の中に鈴井と吉岡の諍い、そしてその果ての殺しを見る。
「鈴井が殺されたあと、私は鈴井の宿願だった『痴』の新解釈を取り入れる約束を吉岡に取り付けて、吉岡の殺人を見なかったことにしたのです」
「なるほど、そういう訳でしたか」机の上に開かれた『新語解』の「痴」の項目に目を落とす霧山。

「さて、」と霧山が切り出す。三日月が手渡した眼鏡を、霧山はかけ直す。
「伊藤さん、事件はもう時効ですから、これで終わりです。あっ、でも、せっかくご協力いただいた共犯者の方を、不安な気持ちにさせてはいけないと思いましてですね……これ、『帰ってきた! 誰にも言いませんよカード』です」
釈然としない知子。
「これに、僕の認印を押しますから、お持ちになっていてください。……どうぞ」
変わんないなあ、霧山くんは……



 カツカツカツ、と靴音がする。ガラガラっと引き戸が開く。と、次の瞬間、大きなダミ声が響く。
「ええ、そうです私が刑事課の十文字疾風ですが」
無音。
「あれ、誰かいるでしょう、誰か」
「なんだ、十文字さんか」
「なんだ、三日月か」
「なんだとはなんですか」
「そっちこそなんだとはなんだとはなんだ」
「なんだとはなんだとはなんだとはなんですか」
「何だと! なんだとはなんだとはなんだとはなんだとはなんだとはなんだ」
「あ、十文字さんアウトですよ」真加出は相変わらず目ざとい。
「なあに君たち、今度は『なんだなんだ』ゲームなの」
「違いますよ熊本課長」
「なんだ、みんないるじゃないか。それじゃあ俺は行かなくちゃ。じゃあな霧山、お前はせいぜい時効管理課でめけめけやってろ。俺なんかな、刑事課のエース、容疑者候補を飛び越えて」
「飛び過ぎだな」
「チョモランマのあとエベレスト飛び越えるくらい飛び過ぎですね」
「それどっちも同じ山ですよ」すかさず真加出。「チッ」サネイエの舌打ち。
「サネイエさん今舌打ちしました?」
「してませんよ! サネイエさん今舌打ちしてませんよ!」
「……あ、じゃあいいです」
「急に盛り下がるなよ」
間の悪さに全員がひと呼吸置こうとお茶を飲む。ずずず……
「でなあ、俺はまたまた刑事課のエースに舞い戻ったんだ」
「容疑晴れたんですか」サネイエがなぜか不思議そうにしている。
「俺にはアリバイが無かっただろう。そ・こ・が、盲点だったんだよなあ。事件の関係者が誰も俺のことを見てないんだから、俺がその場にいる可能性は限りなく低いものになる、そう言ってやったんだ。じゃあな、念仏」
「十文字くん、僕は念仏じゃなくて、ポツネンだよ」と言う間もなく彼は消えていた。
「十文字くんも刑事課のエースに戻ったことだし、僕も趣味を再開させようかなあ」
「本当に」
「うん、やってみようかな」
三日月の「よしっ!」が署内に明るく響き渡る。



 次回の時効警察、「酒は飲んでも飲まれるな、でも飲まれた方が夢の世界に近づくこともある……かも」を、よろしくお願いします。

※推論はアブダクションですが…このドラマはフィクションであり、登場人物、団体名等は全て「時効警察」シリーズのものをお借りしているか、架空のものです。

       

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