「オピオイドの繭」   黒兎玖乃 作
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=16904

速筆量産型作家の黒兎先生の作品です。この作品は追って読んでいました。
今回感想を書くにあたり、もう一度はじめから再読しました。
不思議な世界観に引き込んでくれるような、素敵な挿絵もついています。
感想仕様でじっくり読んだら疲れたw
今回の感想は難産。



■各話ごとの感想

序章 「旅に出よう」
舞台は現代。世界中で「繭化」という現象が起きて十年経っていた。自分たちの未来を案じた、主人公の少年・武藤学(愛称ムノー)はヒロイン・明穂と旅に出る。
蜘蛛の巣を貼ったような、膜に覆われる世界の情景が独特です。序章において世界観の構築がしっかりなされている様子がうかがえました。想定内の黒兎先生の表現力。文章に手があるなら、怪しげにおいでおいでと招いている気がします。
繭化という謎めいた現象の具体的な書き方も、趣があって良い。

ただ、若干いろいろ言葉を、意識しすぎている(拘り過ぎている)かな……、という気はします。蟲籠の時はあの文字や言葉の表現は、とても良かったと思います。作風にマッチしていた。ですが、こちらの作品はもう少し平易な文字単語を、増やしてもいいかと感じました。世界観には影響ないと思います。字体に頼らずとも、物語(本質)で見せて行く力量は、十分お持ちかと思います。文末にしばしば見られる表現。各話で時々あります。具体例は以下。

遣る→やる 

「気からくる病という学者」
学者は起こった(起こる)事実と現象に目を向けるはず。気やストレスといった、なんやよくわからん抽象的なものを病といわないと思います。だからこの表現は少し違和感。
これが民間療法専門家やヨガ、漢方の薬剤師が「気からくる病」というのであれば説得力はある。

一章  「ナッシングス・ゴナ・チェンジ」
旅に出たムノーと明穂が発見した奇妙な小屋。そこには男が独り暮らしていた。ムノーはそこで、葬儀屋としの仕事を施す。
繭化がどういう現象なのか。ムノーが葬儀屋として、どんなことをするのか。割と具体的に、彼の行動から知ることができます。しかしこの物語の中で、ムノーは葬儀屋として、固有の特殊能力を行使する表現はありません。作者は意図的にそうしているのでしょう。話術的な方向で完結させていく仕事ぶりが綺麗です。
妻を亡くした男は、涙も枯れた抜け殻の精神状態。それがまさしく繭化の発端。物語で焦点を当てる場所でもある。そこを順序良く読ませてくれました。
明穂の人物像も具体的になってきていました。ムノーとのかけあいが面白い。
言い残す言葉は見当たらない、といいながら3行分は喋る男。「ない」だけでいいだろ、とつっこむw


気になった表現。
所どころ、地の文で見せる箇所で息継ぎが苦しい文があります。読み辛いのではなく。黒兎先生の作風でよくみられる個性。上手な文章なので文自体は綺麗です。問題ない。しかしもうちょっと区切っても、読み手には優しいかもしれません。文芸作品でしたら、今くらいの区切りなんて問題にすらないでしょうけど。(作品全体で感じた)
句読点の区切り。考え出すと深くて難しいですね。

「塩湖めいた白に満ちた」
周辺の文章の滑らかさから、この部分だけ浮いてしまっています。「~た~た」の「た」が少し煩く感じました。てくてく歩いてきて、突然スキップを二回入れてまたてくてく歩く。そんな感じです。僅かに感じた程度。気にならない方もいるかと。

「予防法」
んんん!??と引っかかった。この言葉。
繭化の原因を序章でムノーは分かっていた。だから序章以降、原因から対処法や予防法を見つけるために、そういう意味合いで「見聞を広めるため」旅に出たと思い期待して読んでいた。しかしここで、ムノーが繭化の予防法も知っているという事実が分かる。みごと肩透かし。あれ? なんで?
ムノーの見聞を広めたい対象が、終わり行く世界(ただの舞台設定)の一周って(まるで隠居し爺さん婆さん)で少し残念。
どうせ抗うなら、苦心惨憺してやっと繭化の予防法を、ここへ来るまでに知り得ていた。みたいな情報があると「見聞を広めたい」という序章での描写が生き生きしたかもしれない。序章で繭化や膜についてねちねち書かれていただけに、期待からくる残念は否めない。

「終わる世界」
原因と予防法を知るムノーがいる限り、少なくともムノーの死が確認されない間は、終わるという実感がまるでない。明確に「終わる」とするよりは「いつか終わる」「近い将来終わる」程度のぼかしでいいだろうけど、その辺どうだろう。好みか。

二章 「キング・オブ・ニューイングランド」
小屋を出て三日後。ムノーと明穂は豪雨で足止めを喰らっていた。そんなとき、ムノーはコソ泥少年を捕まえる。
繭化せず生きているために必要なこと。いわゆる予防法にあたる内容がここでは描かれます。見せ方がとても斬新でした。巧妙ともいえる。コソ泥少年の妹はある執着を失ったがために、繭化が発症してしまいます。
発症した繭化はほんの些細な場所。ですが生きる人間が存在するうえで大切な要素。拘るべきところです。
上手く書かれていました。さすがです。憎い。
ふと気づいたのですが、葬儀屋ってムノーの他に誰かいないのでしょうか?

三章「スティル・ビー・シンキング・オン」
ギターの音と唄が聞こえる、崩れた集落へやって来たムノーと明穂。しかしそこの廃墟にはウタ(ムノー命名)意外人っ子一人ない。
またしても繭化予防の定理を覆されるムノー。細かな設定がしっかりされているためか、物語にひねりを加えられてもなかなか面白い。
廃墟に秘められている謎の答えも、読んでいると「ああきっとこう」だなと思わせられます。そういうさじ加減もなかなかなものでしいた。具体的に名言せず匂わせ、読み手に答えを握らせる。モチーフが故のトリックをはらむ書き方に、好感が持てました。廃墟を去る、最後の引きの部分も心地よかった。憎い。
ふと気づいたのですが、食糧って繭化しないのでしょうか?

四章  「グッドマンズ・アフターダーク」
落とし穴にはまって閉じ込められてしまうムノーと明穂。脱出かなうもそこでムノーは銃弾に胸を射抜かれる。
どうしてムノーと明穂は拘束されていたのでしょう? なにか読み逃しているのかな。不安だ。
ムノーの身体に起こっている傷跡・怪奇な現象。想像するとうっとくるものがありました。こういう猟奇的な表現も、文章が上手だと困りますね。怖い。

ここでものすごく気になった箇所があったので、ちょっとあげておきます。

【以下本文抜粋】
「なんだ、けっこう簡単に壊れるものなのね」
「ドアを蹴破るなら取っ手の辺りってね。でも僕を土台にする必要はあった?」
 若い少年少女の声だ。男は葉巻の火を潰す。
 かすかに聞こえる会話から察する所、少年の方はどうやら切れ者のようだ。
 男は態とらしく咳払いする。それを聞いた二人が会話を辞めたのを確認すると、明瞭な声で話し始める。
「その部屋から出てくるとは大したものだ。ちょっとこっちまで来てくれないか」
 しゃがれた声で言う。これも、何度も繰り返した問いかけだ。
 応じる可能性は低い。自分たちを閉じ込めた張本人のもとに勇んで進むなど、常人なら考えられないだろう。何人か素直にやってくる者もいたが、大体は過激な思想を持った人間だった。だからこの時も、男は大した期待を込めていなかった。それにつけても少年少女だ。危険なものに近づく真似はしないだろう。
 そう高をくくっていた男の前に。
「随分と雑な歓迎を、どうもありがとうございます」
 部屋から抜けだした二人は、アッサリと姿を見せた。男は思わず目を丸くする。
【本文抜粋ここまで】
上の本文中、男の台詞「その部屋から出てくるとは大したものだ。」をムノーの台詞「随分と雑な歓迎を、どうもありがとうございます」または「 部屋から抜けだした二人は、アッサリと姿を見せた。男は思わず目を丸くする。」の後ろに入れてみてください。おそらくその方が読み手には優しい。
なぜそう思うのか。
男が咳払いをしてムノーと明穂に話し始めたとき、三人はまた互いに対面していません。男はドアの外。ムノーと明穂は取ってが壊れたドアの内側。だから、対面する前にこの台詞が入ると、シーンに混乱が生じます。その混乱をより助長しているのが「ちょっとこっちまで来てくれないか」です。
前述に「出てくるとは大したものだ」という出る行為は既に終わっているかともとれる表現があるのに、「こっちまで来てくれないか」とさらに「来る」という行為をかぶせています。情景をあたまで浮かべたとき、男がものすごく遠くの人間に呼びかけているのか?と誤解する。
けれど、実際男はムノーの声が聞こえているので、さほど遠い距離が互いの間にあるとは思えない。
問いかけとするなら、「ちょっとこっちまで来てくれないか」だけの方が心地よいです。男が大した期待を込めなかったなら尚のこと言葉少なめでも問題ない。
俄かに「その部屋から出てくるとは大したものだ。」この台詞が、問いかけている、あるいは呼びかけている台詞に解釈し辛かったです。
感覚的な部分もあると思いますが、明確な方がこの場合は良いかと。あるいは違う書き方をするか。シーンがちょっと込み入っているだけに難しかったです。取っ手(ノブ)が壊れてドアが開いているのか、取っ手しか壊れておらずドアが開いていないのか。
「微かに聞こえる会話」では想像しきれない。ムノーの「蹴破るなら」は例え話かもしれない。明穂はただ壊しただけかも知らない。だからドアは壊れたけど開いてはいないと判断しました。

誤字
植えてる→飢えてる

五章  「コクーン・オブ・オピオイド」
主人公・武藤学の幼いころの出来事。
アメリカ禁止令。発動~。
理由。畑のとこ。ローカルファーマー(主にオーガニックになる)は普通に小さな農場だったりします。日本と同じくらい。アメリカでは農業をビジネスにするには、敷地面積に対する作物の種子を特定の会社からしか買ってはいけない。それに付随する農薬も特定の会社から買い、必ず散布しないといけないという決まりが法で定められています。日本よりは敷地面積に対する農薬散布量は実際少ないらしいのですが、作物は遺伝子組み換えとか、おおよそ先進し過ぎた農業様式です。これを良い悪いとするかは別ですが、広大な向こうの景色も見えないような土地はまず、先進的にがっつりオートメーション化された農業方式で運営されています。
私は別にオーがニストではありませんが、この作品ではそういう先進的な農業を匂わせるアメリカの畑という表現に残念な気持ちが生まれます。
せっかく新鮮なトマトなら、「アメリカ」の四文字は消して欲しい。この言葉なくしても伝えられる。文章力もったいないです。新鮮なトマトをよりおいしそうに書いてあると嬉しい。

水切り10回以上できる時点でムノーは神童です。



■今回更新分までの総括
以前一気読みをしていて、しばらく更新が止まっていた感じの作品です。随分前だったので、今回改めて読んでみると、色々詳しく掘り下げる部分もあって面白かったです。忘れかけていた物語を、再読で思い出す楽しみもありました。
黒兎先生の書かれる独特な世界観は、やはり健在です。緻密に書かれる繭化の世界は、想像しやすく白一色の視界が、滅びるものの儚さを映して綺麗にも見る。また、ムノーと明穂のかけあいで出てくる「デクノボー」。この表現も、受け答えがシリーズ化されていて微笑ましい。
経験豊富な文章力はまさに巧妙、腕利きと言えます。初心者には到底及びません。前述している言葉での拘りも、個性とすれば許容できる範囲ですので、あまり無くし過ぎても惜しいところ。加減は難しいと思います。少し特殊と思える「遣る」や「言つ」とかの使い方は、ある程度上手く文章が書けないと駆使できないので、難なく使える黒兎先生は、やはり凄いと感服しました。新都社で小説を上手く書こうと思うなら、最低3~5年くらいは、コンスタントに執筆修行をしないと、力が付いたと実感するのは無理でしょうねえ。そういう印象をこちらの作家さん他、文芸の古参の文芸作家さんを見ていると感じます。
ちょっとそれましたが、今後のこの作品への考察ですが、武藤学(ムノー)の幼少期の話が入ってきました。物語の本文でも、彼の自身のことについて入り込んできています。そこから次は、明穂のことへも、もっと具体的に触れられる章がくるのでしょうか。旅のはじまり、彼女の耳にあった膜が今でも気がかりです。明穂の病についても明かされてくるはず。二人旅ですから終幕はどちらか欠ける、両方残る、両方消える。この三つだと思いますが、いずれの終わりになっても、黒兎先生なら面白く書ききってくれると期待しています。完結目指して頑張ってください!!
ファンタジーな要素、異能モノ的な部分を匂わせるけど、それらとは確実に違うカテゴリーでくくれる作品です。世界終末記とはよく言ったもの。
不思議な幻想の世界が現実とも思える。そんな作品を読みたい方にはおすすめする一作です。



■作中印象に残深かった箇所

・薄幸野垂れ死に時代
明穂が戦災孤児みたいで普通にかわいそう。切ない表現。
・「クノー」「『クソ野郎かつ無能な武藤』」
シリーズ化良い!
・ぐほぉ
音良い。
・空は曇天、雨は猛烈。
音とリズム良い。
・武藤の口が、きりきりと開いた。
わずかな言葉だけど想像させるには十二分にある。
・どう足掻いても人並み以下にしか生きられないことは分かっているのに
「人並み」というのを調べてみました。「普通の人・一般的な人」とありました。抽象的で全く分かりません。
そこでこう考えました。
人は人である時点で皆人並みと。外的環境下における千差万別はあるでしょうけど、人であれば人並み。
人並み以下とはつまり人を含むそれより下のことになる。では動物か? これも違う。動物にするには動物が人の下に来る定理が何であるか決めないといけません。
では人を含むそれより下ってなんだ? …………分からん。しっくりくる答え募集。



以上この作品に関する18日更新分の感想はここまで。