Neetel Inside ニートノベル
表紙

彼女とバイクとプラネタリウム
第二話

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「どうせなら一年生の部員が欲しいわ」
 始業式の翌日。通常通りの授業が始まったその日の放課後、僕と透はかつて天文部の部室だった部屋にやってきていた。
 もちろんその理由は、どうやって残りの部員を揃えて正式な天文部にするか、ということの話し合いをするためである。
「一年生は難しいんじゃないか? だってそもそも、部活動のリストに乗ってないわけだから。選択肢にすらならないよ」
 僕には新しく部活を作った経験がないから分からないが、こういう場合、自分の知り合いに声をかけて人数を揃えるというのが定石なのではないだろうか?
「まずは知り合いから? そうは言っても正人、あなたに友達はどれだけいるの?」
「……それは」
「楠くんは無しでお願いね」
「……………………」
 僕は沈黙した。友達と言えるような人間は、あの楠勇次郎くらいしかいない。友達が少ないというのがこんな時に仇となるなんて。
「そして私は転校生よ。友達どころか、名前を知っている人さえほとんどいないわ」
「……まあ、そうだね」
 知り合いがいないということはつまり、勧誘する相手が一年生であろうと同級生であろうとその難しさはほとんど変わらないということだ。
「だったらやっぱり、私は一年生の部員が欲しい。後輩がいればその分、天文部がつぶれにくくなるんだから。……私達の卒業と同時に廃部になる部活なんて、それじゃああまりにも虚しすぎるわ」
 それはまあ、確かにそうだ。
「それに必要な部員はあと一人よ。一人くらいなら、頑張ればなんとかなりそうな気がするじゃない」
 ――あと一人。
 部活として認められるには、部員が四人必要だ。僕と透と、それ以外に二人。
 実はこうしてここに集まる前に、僕と透はもう、部員を一人確保していた。……といってもその部員というのは、僕の唯一の友達である勇次郎なわけだが。
 昼休みに学食で、天文部を作ることにしたと彼に言ったら、
「じゃあ俺も入れてもらっていいか?」
 と彼の方から言い出したのだ。剣道部に入っているのに何を言っているのかと思ったが、どうやらこの高校では兼部というのが許されているらしい。
 もちろん普通の部員みたいに頻繁に活動に参加することはできない。だが、時間が被らない限りできるだけ顔を出す、と彼は約束してくれた。ただ名前を貸すだけの幽霊部員ではなく、きちんとした天文部の部員になりたいというわけだろう。あの堅物が言うのだから、きっと言葉通り精一杯活動に参加してくれるはずだ。
「あ、そう言えば!」
 いい案を思いついたという様子で透が叫んだ。
「一年生に対する部活動紹介みたいなの、この高校にはないの? 体育館とかに集まって、それぞれの部活がアピールをするの」
「ああ、あるよ」
「だったらそれに出させてもらえないかな?」
「……普通そういうのって、ちゃんとした部活じゃないと参加させてもらえないんじゃないかな……」
 この高校は部活動が多い。ただでさえ長時間のイベントになってしまうのだから、まだ正式な部活になっていない僕らに時間を与えてくれるとは思えない。
「……まあ、そうよね。やっぱり」
 はあ、と二人してため息をつく。
「――やっぱりこういう時は、セオリー通りにやるしかないわね」
「セオリー通りといえば?」
 透は当然といった顔で答えた。
「もちろん。ポスターを作るのよ」

 翌日、放課後に天文部部室(仮)に到着すると同時に、透はそのポスターを取り出した。
「これ、昨日頑張って作ったんだけど、どうかな?」
 大きく「天文部部員募集」という言葉があり、その下に活動内容の簡単な説明がある。そして背景には綺麗な星空。自分で写真を撮ったのか、あるいはネットのフリー素材を使ったのか。どちらにせよ、いい具合に仕上がっている。
「うん、これでいいと思う」
「でもなんかインパクトが足りない気がするのよね……」
「もともと天文部ってあんまり派手なほうじゃないから、これくらいのほうがいいよ」
 それにシンプルな方が分かりやすい。
「じゃあ僕はこれをコピーしてくるよ。どれくらいいるかな?」
「んー。まずはあちこちにある掲示板に貼って、あとは適当にって感じだから……。ちょっと多めに見て、二十枚くらいあれば十分すぎる、かな?」
 透は不安げに言う。僕も経験が無いため、その数字が妥当なのかどうかは分からない。
「じゃあまずはそれで。今から行ってくる」
「私も行こうか?」
「透は作ってくれたんだから、ここで待っててよ」
 そうして僕は一人で職員室に行き、ポスターを二十枚コピーした。
 部室に戻ると、彼女は僕に背を向けて何かを見ていた。
「何してるの?」
「え? あ、ここにある望遠鏡が気になって。……私も安いやつなら自分のを持ってるけど、これ、結構いいやつだ。四十万くらいはするかもしれない」
「四十万!?」
 驚いてその望遠鏡を見るが、その価値は外からでは分からない。なんとなく口径が大きいような気がするが、これが普通だと言われたらそれまでだ。
「高いやつって、やっぱりよく見えたりするの? 倍率が違うとか?」
「倍率が良くてもよく見えるとは限らないわ」
「え?」
「基本的に、倍率を上げていくと、見える像は段々暗くなっていくの。だから望遠鏡の価値で重要になるのは倍率じゃなくて、どれだけ光を集めることができるか。集光力が無ければ、倍率を上げても見ることができないということだから」
 確かに、星の光というのは凄く弱い。十分に光を集めなければ納得の行く観測ができないというのはなんとなく分かる。
「そして望遠鏡の集光力には口径の大きさが重要になってくるわ」
「ああ、だから……」
 先ほどなんとなく口径が大きいと思ったわけだが、その感覚は正しかったようだ。
「とにかくこれは結構な値段の望遠鏡よ。……私、これを使って天体観測をするのが楽しみになってきちゃった」
 彼女はそう言い、
「それで、ポスターは?」
「ほら。ちょうど二十枚だ」
「それならこれから貼りに行こうか。とりあえず全部の掲示板に」
 それから僕と透は全ての掲示板にそのポスターを貼りに行った。もしかすると全ての掲示板に貼るのはマナー違反ではないか、と少し心配したが、僕らと同じようにやたらめったら貼りまくっている部活は他にもあり、まあ大丈夫だろうと思うことにした。
 しかしその翌日の放課後、僕がいくつかある掲示板のうちの一つを見に行くと、そこには僕らが貼ったポスターはどこにも無かった。
「外されてる……?」
 昨日ポスターを貼ったはずの場所には、当たり前のように吹奏楽部の部員募集が貼られていた。
 やはり僕らの貼り方がまずかったのか? あらかじめ申請が必要だったとか? ……それとも吹奏楽部の方のマナーが悪く、勝手に僕らのものを外してしまったのか?
「なあ、ちょっといいか?」
 考えていると、ふと横から一人の見知らぬ男子生徒に声をかけられた。
「もしかしてあんた、天文部を作ろうとしている人か?」
「え? ああ、うん」
「俺は吹奏楽部の部員だ。悪いと思ったけど、ポスターは外させてもらった」
「……それは」
「いや待て、怒らないでくれ。確かにスペースが無くて困っていたのは事実だが、これは規則でもあるんだ」
「規則? 使う前に申請が必要だったとか?」
「――まあ、それに近いな。だけど、正式な部活や委員会だったら、どの掲示板も自由に使ってくれて構わないんだ。別に許可を取る必要はない」
「……正式な……」
「一応俺も、天文部があるかどうか調べたんだ。そしたら正式な部として登録されてないってことだったから、悪いと思いながらも取り外させてもらった。――あ、そのポスターなら捨てずにとってるぞ。今持ってくるからちょっと待っててくれ」
 そう言って彼は僕を残して小走りで去って行った。
「……」
 ――まあ、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
 掲示板を使えるのは部活と委員会だけ。誰でも好き勝手に掲示板を使用できるなんてことになったら、それこそ大変なことになる。それに今はどこも新入部員が欲しいだろうから、そういった邪魔なポスターはどんどん外されていくのは当然だ。
「……だけどまいったな……」
 今の天文部は掲示板を使うことができない。そして部活紹介にも顔を出せない。……じゃあどうすればいいんだ?
 僕は先程の彼がポスターを持ってきてくれるのをそこで待ち、簡単な謝罪とともにそれを受け取った。

 透の話によれば、他の掲示板でも僕らのポスターは外されていたようだった。
 他に何か勧誘する方法はないかと考えてはみたが、特に何も思いつかない。
 一応、校門か下駄箱でビラ配りをするのはどうか、という案が出たが、それはすぐに没にした。よその高校でどうなのかは知らないが、ここでは部活の勧誘でビラ配りをする人などいない。そんなことをすれば、悪い意味で天文部の名が広まってしまう可能性がある。それはあまり好ましくない。
「…………どうしよう」
「………………うーん……」
「……………………」
「……………………」
 やがて部屋は完全な沈黙に包まれた。
「……ちょっと気分転換してくる」
「いってらっしゃい……」
 僕は部屋を出た。沢山の荷物でごちゃごちゃした狭い部屋にいるよりも、ブラブラ歩きながら考えたほうが良いと僕は思ったのだ。
 そうして階段まで歩いて行くと、ふとこの上には屋上があるということを思い出した。
 そう言えばまだ、僕は屋上に行ったことがない。そもそも一般の生徒が立ち入ることができるのかさえよく分からない。
 もし屋上に出ることができたら、良い気晴らしになるだろうと思いながら僕は階段を登ろうとする。
 そこでようやく、その踊場に一人の女子生徒が立っていることに気がついた。
 それは小柄な女の子だった。
 彼女は屋上の方をじっと眺めている。その目には、何か強い感情が篭っているように見えた。
「……え?」
 僕が見ていることに気づいて、彼女ははっとこちらを向いた。
 少し気まずくなり、僕はそのまま去ろうとするのだが、
「あ、ちょっと待って下さい!」
 どういうわけか彼女に呼び止められる。
 僕が立ち止まると、彼女は早足で階段を降りて来る。その動きは素早く、軽やかで、その体の小ささもあってどこか小動物めいたものを連想させた。
 やがて彼女は近くに来ると、僕の顔を見上げて口を開いた。
「あの、ちょっと良いですか?」
「あ、うん。何?」
「この階段の先に何があるか知っていますか?」
「えっと……多分屋上だと思うけど」
「ですよね!」
 明るい表情で彼女は言う。
 なんだろうこの子は。
「あの、えっと、先輩は、屋上に出たことがありますか?」
「……いや、僕はないけど。それが?」
 ちらりと彼女の上履きを見ると、それは青色だった。今年は確か、一年が青色、二年が赤色、三年が白色だったはずだ。いきなり先輩と呼ばれて戸惑ったが、彼女は一年生ということで間違いないらしい。
「じゃあ、屋上に出るにはどうすればいいか、分かりませんか?」
「屋上に出る? ……やっぱり、鍵とかかかってるの?」
「はい……」
 先ほど僕も屋上に行こうと思っていたわけだが、鍵で閉ざされているのならそれはできない。
 職員室に行けば鍵はあるだろうが、そう簡単に借りられるとは思えない。ちゃんとした理由があれば別だろうが……。
「――この高校、ちょっとした丘の上に立ってるじゃないですか」
「うん?」
「そして、その丘の上にある校舎の、その一番上。きっとそこから町を見たら、すごく綺麗な景色が見えると思うんです。今はちょうど夕暮れ時だし、絶景ですよ!」
「あ、うん……」
 目をキラキラさせながら彼女は語る。どうやらすごく感情的な性格をしているらしい。
「私、どうしてもそれが見たいんですよ! その景色を想像したら、もう居てもたってもいられなくなって。――それで、鍵を借りるにはどうしたらいいですか?」
「……うーん。しっかりした理由があればいいだろうけど……」
 しかしこの子、なかなかの強者だ。廊下を歩いていた見知らぬ先輩に、ここまで積極的に話しかけられるとは。
「しっかりした理由って、どんなんですか?」
「……」
 僕は少しだけ迷ってから、
「一応、あるにはあるけど……」
「教えてください!」
「まあまずはそれよりも、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「聞きたいこと?」
「君、一年生みたいだけど、もう入る部活は決めた?」
 彼女は怪訝そうな顔をした。
「部活、ですか? いいえ、まだですけど……」
「じゃあさ、天文部に入るのはどうかな?」
「……」
 最初は頭にクエスチョンマークを浮かべていた彼女。だが次第に、僕が言ったことを理解していったのか、その顔に笑顔が広がっていく。
 そしてそれを見た僕も、きっと嬉しそうな顔をしていたと思う。
「――入ります! 入りますよ! 天文部に!」
 その女の子は飛び跳ねそうになりながらそう僕に言った。

 天文部の活動内容として、一番主要なのは天体観測だ。そして天体観測という理由があれば、先生も快く屋上への鍵を貸してくれるだろう。……つまりそういうことだった。
 そうして、先程は勢いで提案してしまったわけだが、かと言って屋上に出たいという理由だけで部活に入られても困る。星なんてまったく興味ない、なんていう状態で入部するなんてことになったらまずい。
 その辺りについて彼女に言うと、
「大丈夫ですよ大丈夫! 私もちょうど入る部活を探してたんですよ。文化系で何かいいのは無いかなって。だけどピーンと来るものがまったくなくて困ってたんです。天文部ならやっていける気がするんですよ! 星には詳しくないですが、星座占いとかは大好きなので!!」
 星座占いが天文部に適しているかどうかは疑問だが、やる気があるというのは本当らしい。
 彼女は確かに感情的な人間だが、屋上に行きたいがためだけに部活を決める、なんてことをする程ではないようだ。
「それに天文部って、これから作るんですよね!? すごい! 部活がないなら自分たちで作ってやろうというその行動が、すごく青春っぽいですよ! ぜひ入れて下さい!!」
 青春っぽい……。
 とにかく彼女は、もう完全に天文部に入る気分になっているらしい。
 ちょっとは考える時間が必要なのではないかと尋ねるが、彼女は構わないと言う。
 そこまで言うならと、僕は彼女を連れて天文部の部室になる予定の部屋に向かった。
 部屋では透が一人で新入生を勧誘する方法を考えていた。人が入ってきたことにも気づかず、彼女は目を閉じてじっと考えている。
「透」
「…………」
「透」
「…………」
 呼びかけても反応がない。
「……? 寝てるのか?」
 とりあえず起こそうと彼女の肩をぽんと叩くと、
「うひゃぁ!」
「うわっ! びっくりした」
「あれ? え? 正人?」
 彼女はきょろきょろと部屋を見渡し、
「あー、びっくりした。……もどったならそう言ってよ。急に肩を叩かれたら心臓が止まるじゃない」
「急ってことは無いよ。ちゃんと名前は呼んだ。……それでも聞こえてなかったみたいだけど。――もしかして眠ってた?」
「眠って? 私はずっと考えてたわ」
 本当だろうか?
 本当だとしたら、とんでもない集中力だ。
「それより、さっきから正人の後ろにいる子は?」
「ああ、この子は――」
 しかし僕の言葉より早く、彼女はぱっと前に出て、
「一年生の九栗明日香です! 天文部に入部したくてここに来ました!!」
「え……?」
 透はぽかんと口を開ける。
「だから、入部希望者なんだ。見つかったんだよ、残りの一人が」
 彼女は信じられないといった様子で僕の顔を見て、それから僕の連れてきた明日香の顔を見て、そしてまた僕の顔に戻った。
「嘘?」
「嘘じゃない」
「……」
 そして一拍置いてから、
「よかったああああああああぁぁぁぁ」
 言いながらぐてっと机に伏せた。
「よかった、よかったわ。……このままだったら、部活紹介に勝手に乱入したり、昼の放送をジャックして全校生徒に呼びかけたり、生徒会に賄賂を送ったりしなくちゃいけないところだったわ……。よかったぁぁ……」
「……」
 どうやら考え込みすぎていて、軽い錯乱状態に陥っていたようだ。
 ……いや本当、見つかって良かった。
「それより、入部届って透が持ってたよな?」
「――もちろん!」
 彼女は意気揚々と入部届を取り出した。僕はそれを明日香に渡す。
「これに記入すればいいんですね! 任せて下さい!」
 そして彼女は書き始めた。といっても、必要なのは名前とクラスだけ。ものの数秒で書き終わる。
「できました!」
「――よし。これでちょうど四人ね。さっそく部活として申請しに行きましょう」
 透は立ち上がった。

 そして次の週の月曜日。僕らの申請は正式に受理され、部活動のリストには天文部の名が入ることになった。
 文化系の部活の物置のように扱われていたその部屋は、ようやくちゃんと天文部の部室ということになった。置いてある荷物をそれぞれの部活に引き取ってもらうと、部屋はずいぶんと綺麗になった。ここが僕らの部室なのだと思うと、なんとも言えない嬉しさが胸の奥からこみ上げてくる。
 そして時間は過ぎ、金曜日の放課後。
 僕と透と明日香の三人は屋上に向かった。
 入り口には窓のない重たい扉があった。そこには鍵がかかっているが、僕はその鍵を職員室からあらかじめ借りてきていた。
 解錠し、扉を開く。
 途端、沈みゆく太陽の鮮やかな夕日が差し込んできた。それは思いの外眩しく、僕は目を細める。
「――わあ」
 声を上げたのは明日香。
 数秒経ち、光に目が慣れた僕が見たものは、夕暮れによって綺麗なグラデーションが作られている町の全景だった。
「すごい! こんな光景、ここからじゃないと見れないですよ!」
 明日香ははしゃぐ。
 そうしてその光景に見惚れていると、やがて透は言った。
「――上を見て」
「え?」
「夕日も良いけど、私達は天文部でしょう? ほら、もう空に星がでてきているよ」
 空を見れば、確かにもうあちこちで星が瞬き始めている。太陽が沈むにつれて、その星々の光はどんどん増えていき、やがて満天の星空が現れてくるのだろう。ちょうど舞台の上の役者が交代するみたいに。
「それにしても、晴れて良かったわ」
「うん」
「天文部の初めての活動だもの。曇ってて星が見えないなんてことになったら、幸先が悪すぎるわ」
 見る限り、雲はほとんどない。快晴だ。
 それから透は望遠鏡の準備をし始めた。僕と明日香もその手伝いをしようと思ったのだが、そもそも望遠鏡を触ったことがないため、まったく力にならなかった。次までに少し勉強しておこうと思った。
 やがて太陽は完全に沈みきり、夜の時間がやって来る。
「悪い。思ってたより遅れちまった」
 そして楠勇次郎もやってきた。
 ちょうど今の今まで剣道部の活動をやっていたらしい。どこか疲れたような様子が伺える。
「疲れてるなら、別に無理しなくても……」
「馬鹿言え。俺だってちゃんとした部員なんだよ。兼部だからって言っても、出来る限り顔を出すって言ったじゃねぇか。……それに、天体観測なんてのはやったことがないからな。すごく興味がある」
「……あ、楠くんも来たのね。これで全員揃ったわけか」
 透は僕らの顔を見渡して言う。
 ――ちなみにわざわざ言うまでもないだろうが、彼女こそがこの天文部の部長である。
「それじゃあ」
 彼女は嬉しそうな顔で告げる。
「天体観測を始めようか」

 星を見ていると、あっという間に時間が過ぎていくのはどうしてだろう。
 ぼーっと上を見ているだけで、気づけば二時間や三時間が経過している。なんだか催眠術でもかけられた気分だ。
 ただ真っ暗な空に、小さな光が無数にあるだけなのに、どうしてこんなに心が惹かれるのか。……その理由について色々と考えたが、恐らく、そこに"白々しさ"が無いからではないかと僕は思う。
 人間の住む世界には色々なものがある。人の意志による、人の思いの篭った、物、言葉、情報。ふとした時、僕はそういったものに白々しさを感じてしまうことがある。
 ハリボテのような。上っ面のような。何かを取り繕って、なんとか隠そうとしているような、そんな感じがするのだ。
 そういったものが、星空には無い。
 星はほとんど変化しない。十年前も、今も、十年後も、変わらない形でそこにある。誰かの手が加わることもなく、ただ自然のままに。
 僕はもしかしたら、そんなあり方に憧れてしまっているのかもしれない。あるいは僕だけではなく、星を見上げている人達は、皆。
 それから天文部は、その屋上で自分の用意した思い思いの夕食を摂った。僕と透は透の母が作ってくれた弁当を、そして明日香と勇次郎はコンビニで買ったサンドイッチやおにぎりを。
 やがて時間も遅くなってくる。そろそろ帰ろうかな、と思い始めたところで、透は何かをとりだした。
「ほら」
「?」
 何か黒くて柔らかいものを渡された。
 なんだろうこれは? 暗くてよく見えない。
「これは、何?」
 僕が尋ねると、当たり前のように、
「寝袋よ」
「え……?」
「あれ? 必要なかった? でもまだ夏じゃないし、風邪引いちゃうよ」
「いや、そうじゃなくて。え……?」
「おお。これ結構大きいな。俺の持ってる奴よりも快適だぞ」
 見れば、既に勇次郎が寝袋に入って横になっている。
「あ、それに意外と暖かいですね」
 そして明日香もそれに倣っている。
 ……あれ? 今日の観測会って、最初からこういう趣旨だったのか?
 そろそろ帰ろう、などと考えていた僕のほうがおかしいのか?
 とりあえず透から寝袋を受け取り、そのままただ立ち尽くす。
「大丈夫よ。宿泊許可ならもうとってるから」
「……いや、許可があるなら別に、いい、のか?」
 何か非常識な感じがするが、それは僕の気のせいなのかもしれない。そもそも僕は天文部の活動についてほとんど知らない。もしかするとこれが当たり前なのかもしれない。
「……まあ、いいか」
 ぽつりとそうつぶやいた途端、ふっと何かが軽くなった。
 時間ももう遅い。それに、星を見上げながら眠るというのはずいぶんと楽しそうだ。
 そうして僕は寝袋に入って横になった。雑談をする声が聞こえる。
 ふと思う。
 僕は随分と遠くにまでやってきてしまった。
 少し前までの僕なら、今のこの状態を想像することさえできなかっただろう。
 ゆっくりと瞼が降りて来る。
「――おやすみ」
 そうして口から漏れたかすかなつぶやきに、誰かが返事をしてくれたような気がした。

       

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Neetsha