Neetel Inside ニートノベル
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「…か、あぁ…!」
「……」
 道路の真ん中で、由音の掠れた声が弱々しく漏れる。
 首を掴まれ持ち上げられた由音は、既に呼吸すらままならない。それを、火の点いていない煙草を咥えて陽向日昏がじっと見つめる。
 交戦を開始して五分。由音は自分の身に起きた異変に困惑しながら酸素を求めて必死に喉を掴む日昏の手を引き剥がそうともがいていた。
(力が…悪霊の力が思い通りに引き出せねえ…!)
 最初の内はいつも通りに使えていた“憑依”の力が、燃やすものを失った炎のように徐々にその機能を低下させていった。やがて由音の身体能力は並の男子高校生そのものまで落ちてしまった。
「…我ら古くから伝わる退魔師はな」
 片手で掴み上げられた由音がじたばたと両手足を動かすのを無視して、日昏は語る。
「魔を滅す際に周囲の人間へ被害を及ぼさない為に特殊な結界の術を編み出した。それは無関係な人々を近づけさせないものだ。おかしいとは思わないか?いくらなんでも、人がここまで通り掛からないのは」
「てめ…なんか、したな…!」
「そうだ。いわゆる人払いの結界というものでな、一時的に囲った範囲から人々の興味を逸らすといった効力を持つ。隠形術おんぎょうじゅつを基盤に構成された陣だが…陽向家はさらにこれをアレンジして改良した」
 意識を自らの深奥へ向け、そこに座する悪霊へ強引に手を伸ばす。引き千切ってでも、ヤツから力を掻っ攫ってやろうと足掻く。
 だが、そこへ届く前に何かの力が阻害する。
「『陽向』の力を浸透させた人払いの結界は、その内側にある魔の力を減衰させる。君は自身に取り憑いた悪霊の力を蛇口を捻って水を出すような感覚で引き出せるようだが、であればその蛇口を初めから固く固く閉めてやればいい」
 丁寧に説明してやりながら、日昏はもう片方の手を由音の胸へと当てる。
「少しおとなしくしているといい。ただの『陽向』では匙を投げるような状態だが、俺は陰の力も取り入れているのでな。故に俺は『日』にして『昏』なのだから」
 言って、由音の胸に当てた手の五指に力を込める。
「…ッ!?」
 その時、由音の身体は胸に当てられた日昏の掌から木の根のようなものが入り込んでくるような不快感を覚えた。直後、
 唐突に襲い来る、全身を貫くような衝撃と激痛。
「ァっアあぁぁあああああああアァぁああああああああああああああああ!!!」
 体中のありとあらゆる部位を、日昏の掌から潜り込んできた根のようなものが縦横無尽に駆け回り神経を蹂躙していく。
 何かを探すように、何かを探るように。その根は最終的にある一点に辿り着く。
 人間の生ける根源。生命の中心点。
 心臓へ。
 メキャッ、と。錯覚であるのは分かり切っているというのに、由音は根のようなものに自分の心臓が絡め締め付けられていくのを認識してしまう。
「かっは!ああァぁ!!がぁ!ぐぎぁぁァぁアアああああああああああああッッ!!」
「…っ、やはり、ここか…!」
 何かを確信したのか、日昏はそのまま根を心臓へ集中させる。
 ガクガクと、由音の全身が激痛に痙攣する。何度も失いそうになる意識をどうにか“再生”で繋ぎ止めても、この異能は痛みを軽減してくれることはない。
「心臓…ひいては魂魄そのものに癒着、いや既に融合の領域まで及んでいる。引き剥がせば少年が死ぬか…ここまでの状態でよく生き延びてこれたものだ、よほど強力な異能でなれけばとっくに寿命を喰い尽くされているだろうに」
「ッ…!…ッッ、…ーーーッ!!」
 日昏が何かを呟いている間も、激痛に苛まされている由音の意識は確実に薄らいでいく。
 その中で、由音は遠のいていく残り僅かな思考力を全て日昏の言葉に費やしていた。

 『君が神門守羽に味方するのは、その力がある故か?』

 自分は、“憑依”が無ければ、“再生”が無ければ、守羽の力になろうとは思わなかった?

 『その概念種の力があるからこそ、君は神門守羽の力になろうと考える。違うか?』

 確かに、この力は強大だ。使い方を誤ればとてつもない規模で被害を撒き散らす。逆にきちんと制御さえ出来れば、これはあの大恩ある少年の重宝する力になれることは間違いない。
(…これがあるから、オレは守羽の為に闘えた?)

 『君はその“憑依”という強大な力を使えるからこそ、命を張って神門守羽の為に戦える。力があるから尽くすのだろう?』

 力が無かったら。
(オレは何も出来ない…?)
 強大な力を使え、いかなる大怪我でも瞬時に治せる異能を所有しているからこそ、なんの恐れも無く人外などという化物連中と相対することが出来た。
 それが無ければ、ただの人間だったら。
 東雲由音はただ人ならざるモノに怯え、彼の背中に隠れ、彼が全てを終えてくれるまで物陰に隠れ目を耳を塞ぎうずくまるだけ。
 ただそれだけしか出来ない。

「…………………、ハッ」

 脳までドリルで穴を開けたような激痛が響く状況で、薄く瞼を開けた由音は息を吐き出すようにして笑みを作る。
 意識が急速に浮上していく。
「…?」
 作業に意識を割いていた日昏は、由音の首を締める手と胸に当てた手。その両方が由音の震える両手でそれぞれ握られていることに疑問を抱いた。
 おそらく今現在の東雲由音は痛みで思考することすら放棄しているはずだが。
「……ざっけんじゃ、ねえっつの…」
 その考えは、由音のそんな一声で掻き消えた。
「馬鹿か、んなわけねえ。オレは……何も無くたって」
 神門守羽に尽くすのに、この力は必要だ。これが無くては彼に助力することはおろか、足を引っ張ることにすらなりかねない。
 だが、たとえこの力が無くとも。
「オレが、あいつの為に動く…理由を、…力があるとか無いとかで、決めるわけがねえんだ…」
 無知で無力なただの一般人でも、無謀で無茶なただの男子高校生でも。
 どんな状況でも、どんな状態でも。

「どんな、時だって。どんな時だって!オレはあいつの力になる!力が無くとも力になる!いつだってオレはあいつの味方だ!!」

 東雲由音は絶対に揺るがない。力を失おうが何をしようが、彼が彼たる不動の理由を揺るがすことは何人にも出来はしない。
 そもそもこの巡り合わせは、彼らが異能を持っていたが故に起きた出会いだ。その前提を踏まえた上で、こんな話は意味を成さない。
 それでも、もし。今後本当に由音が“再生”を手放し“憑依”を失うことになったとしても。
 やはり彼の行動は何も変わらない。
 首を締められても尚それだけの大声量を絞り出した由音を、日昏は細めた両眼で鋭く見据える。
「…その若さで、その覚悟の強さ。見事だ。君は、きっと俺達からすれば神門旭の次に厄介な相手になるだろう。だからこそ」
 ギシリと由音の首を掴む手により一層の力を入れる。
「だからこそこの場で無力化する。すまんな少年、始めは君を悪霊から救うつもりで行ったが、ここから先は目的が変わる。君を厄介な敵にしない為に、ここでこの力は完全に削ぎ落とす」
「やれるもんなら、やってみやがれ……!!」
 由音も精一杯の強がりを見せて、再び自らの深奥へ意識を注ぐ。
 陽向日昏のおかげで、少しだけわかったことがある。
 蛇口と水の関係。
 意識したことはなかったが、なるほど考えてみればその例えはとてもよく合っている。自分は悪霊の“憑依”を、“再生”によって形作った蛇口で出力していたのだ。
 そうすることで悪霊の浸食をある程度は“再生”で食い止め、うまいこと肉体に“憑依”の力を定着させて自我を保つことが出来た。
 で、あれば。
「っ…!」
 目を見開き、意識を集中させる。
 陽向日昏が展開したと思しき『結界』とやらのせいで、由音が無意識に行っていた蛇口の調整は完全に阻害された。もはや日昏の言っていたように蛇口は固く閉められ、結界内においてこちらの加減で開けることは叶わない。
 なら、この蛇口にはもう用は無い。
 ゴバッ!!
「!?」
 由音の心臓から魂魄へ何かの細工を施そうとしていた日昏は、由音の全身から突如として溢れ出した汚泥のようにドス黒い邪気を見て驚愕と共に両手を離し距離を取る。
 水を出す方法に蛇口を使う。では蛇口を閉じられたのならどうするか。方法はいくつかあるのだろう。
 だが由音が選んだのは、とてもシンプルで、とても大胆で、とてもリスクの高い方法。
 蛇口そのものを破壊してしまえばいい。
 壊れた蛇口から、大量の水は止まることなく噴き上がる。
「馬鹿な…!やめろ!人として生きられなくなるぞ!」
 全身を黒く染め上げ、それでも邪気は噴き上がり巨大な漆黒のオーラと化す。
 遥か遠くに聞こえる日昏の声に、もはや視認も不可能なほどの漆黒の奥底から返事が来る。
「オ゛レ、が……何年、コのくソ悪霊とやッてきたト、思ってヤガるンだ…!こンなモン、どうッテこと、ネェんだよ………!!」
 産まれる前から取り憑かれ、苦痛と苦悩の中でそれでも生きて来た。他の者はこんな自分を悪霊憑きと呼び、気味悪がりあるいは憐れむ。
 だが、侮蔑も憐憫も必要ない。彼が欲しかったのはそんなものじゃない。
 彼が欲しかったのは。

 『すげえな、ずっと抑え込んできたのか。すげえよお前。…うん、安心しろ。俺はさ、お前の味方だからな。どんな時だって、必要なら俺がお前の力になるから』

「へっ……」
 かつて恩人が言ってくれた言葉。今でも自分の中で生きる糧として一言一句余さず心に刻み込んである。
 それを思い出し、今の状況も忘れて由音は小さく微笑んだ。
(見せてやるよ、だから見ててくれ。悪霊憑きにだって、これまで生きて来た意地があるんだってことを、この何も知らない馬鹿退魔師に教えてやっからさぁ!!)

       

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