Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は
第三十八話 立ち止まらずに

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 ビシャッと、大量の血液が地面に広がる。
「…………」
 血に染まり真っ赤になったナイフを突き出したまま、日昏が微動だにせず視線を刃が穿った一点に固定する。
「ふうっ……ギリギリ、セーーフッ!」
 俺の左肩のすぐそばで、俺でもなく日昏でもない掌の真ん中に、ナイフの刀身が深々と突き刺さり手の甲から突き出て貫通していた。
「東雲由音…よく動けたな」
 少し意外そうに呟いた日昏に、肩から斬り落とされそうだったところを右手を割り込ませて防いでくれた由音が睨む。
「お前のおかげでな!ちょっと悪霊の使い方がわかった。この…結界?とかいうヤツの中でも、瞬間的にならさっきの要領で“憑依”が使えるってな!代わりに体がぶっ壊れるけど」
 そう言う由音の左足は、おかしな形に捻じ曲がっていた。踏み込んだ反動で破壊されたのだろうか。
 右脚だけで立つ由音が、貫通したナイフの刃を掴んでゆっくり押し返す。
「便利だな、“再生”という能力は。…それで、君は守羽の為にまたその身を張るのか?それとも二人掛かりで挑むか。どっちにしたところで」
「いや!降参だ、まいった!!」
 日昏が言い終わるより前に、由音がそう叫んだ。
「…そうか」
「おう!腕が欲しいならオレのをやるからさ!それで手打ちってことで帰ってくんねえか!?」
 自力でナイフから引き抜いた右腕を日昏の前に差し出す。既に血は止まり、掌を貫いた傷も治り始めている。
「君は勘違いしてるぞ」
「何が?」
「俺は守羽の腕を落とすことに意味を見出している。君は関係ない」
「いいや、じゃあやっぱり関係あるね!!」
 由音は見せつけるように自分の右腕をぐっと持ち上げて、
「オレが守羽の右腕だからだ!だからお前がオレの腕をぶった斬れば、そりゃ守羽の腕を斬ったってことだ!」
「……何言ってんだお前」
 助けてもらってなんだが、思わず俺も溜息が出る。こいつの言うことはいつも滅茶苦茶だ。
「…ふふ」
 だが、その意味不明な発言を受けて日昏はわかりやすく笑っていた。
「そうか、右腕か。そうだな、確かに君は陽向…いや神門守羽の側近みぎうでとして相応しいように思える。覚悟もある上、わりと肝も据わっているようだ」
 由音の血が滴るナイフを軽く振るって血払いしてから懐に戻しつつ、日昏は俺を庇うように眼前に立つ由音へと問い掛ける。
「東雲由音」
「なんだ?」
「俺が守羽を殺すと言ったら、君はどうする?」
「その前にテメエを殺す!」
 由音の全身から黒い邪気が迸る。
「…由音!」
駄目だ、この状況でそれ以上使ったら、戻れなくなる。かつてのように、由音自身が一番恐れている怪物に成り下がる。
 だというのに、由音は“憑依”を使うことになんの躊躇いも見せない。黒い奔流に呑み込まれ掛けている由音の後ろ姿だけが俺に言外の強い意思を見せつけた。
「うん、よろしい」
 火の灯っていない煙草を咥える口元に笑みを浮かべて、日昏はそのまま背中を向けた。
「あん?」
 今まさに戻れなくなる境界線を踏み越えようとしていた由音が、その様子に“憑依”の力を引っ込める。
「帰ってくれんの?」
「君がいるなら、しばらく守羽は大丈夫だと思うからな。東雲、君も“再生”に頼り過ぎな部分があるからその辺りを改善しないことには今後やっていけないぞ」
 知ってるっつの!と吐き捨てるように呟いた由音から、日昏は背中を向けたまま視線だけを俺へ移した。
「…さっきも言ったが、君は全て足りない。まだそこの悪霊憑きの方が君の為という名目で覚悟は決まっていたぞ。見習うといい」
「うる、さい…。お前の指図なんか、受けるかよ…」
 呆れ果てたとでも言わんばかりの吐息と肩を竦める挙動を見せてから、日昏は視線を外して歩き出す。
「大鬼か、四門か、あるいは妖精か。……いずれにしても、そのままなら君は次の戦いで死ぬな」
「っ!」
 去り際の一言に、俺は口内から血が滲み出すほどに強く歯を噛み締めていた。
 負けた、完敗だ。
 本気なら、俺も由音も殺されていた。……いや、違う。
 俺のせいだ。
 由音はきちんと覚悟を持って挑んでいた。俺の為に、日昏を殺すつもりで闘う気概を持っていた。
 俺もあいつを殺す気で、全ての力を全力で発揮し尽くしていれば。あるいは由音との二人掛かりで倒せたかもしれなかった。
 甘えがあった。決定的に。
 余分なものばかり多くて、何も割り切ることが出来なくて、そのくせ覚悟も決まってなくて、口ばかり達者でそれを実現する力を持たない。
 ある程度、腹は決めたはずだった。大事なもんを護る為に、これから先も脅威無き日々を送る為に。今を全力で闘い抜くと。そう決めていたはずだった。
 足りないものがある。足りないものが多すぎる。
 今の俺では、誰にも勝てない。
 何も護れない。



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「よーう、何やってんだてめー?」
 結界を解き、工場から離れ始めていた日昏の前に、一人の女が立っていた。
「四門」
 栗色の髪を三つ編みに束ねた女性が、挑発的な笑みを浮かべて日昏へ鋭い眼光を向けている。
「えっらいザマじゃねーの。お優しいこったな陽向、そんないらん傷を増やしてまであの悪霊憑きを治してやりたかったってか?」
「まあな、だがあれは駄目だ。引き剥がすには一度仮死状態にする必要がありリスクが高すぎる。それに、あの少年自体それを望んでいない。俺の出る幕ではなかったというわけだ」
 真夏だというのに半袖Tシャツの上からスプリングコートを羽織った四門の横を、日昏が適当に受け答えながら通り過ぎようとした時だった。
「ちげーだろ?」
 四門が腰に差していた短刀を引き抜き、すれ違いざまの日昏の首筋にピタリと当てる。
「…どうした、四門」
「てめーがどーした、陽向。神門の戦力を増強させるような真似しやがって、何が目的だ?てめー、初めから神門守羽も悪霊憑きのガキもどうこうする気が無かっただろ」
「……いや」
 いつ首の脈を斬り裂かれてもおかしくない状況で、日昏は動じることなく口を開く。
「最初は被害者だと思っていた、ただの無力な子供だと思っていた。だから祓おうと思ったし、だから迎え入れようと思った」
「…あ?」
「だが違った。祓う必要は無かったし、無力でもない。被害者面するわけでもなく、その意思は高い場所を目指している。強いよ、強くなる。両方共」
「てめー…その為に連中を」
 ぐっ、と首筋に当てられた刃に力が込められる。薄皮が一枚裂ける。
「俺の目的は神門旭だ。お前の狙う旭の子にまで用は無い。陽向の家を継いでもらいたいとは思っているがな。だから」
「ッ」
 ほとんどノーモーションで放たれた拳を四門は躱し、回避ついでに首筋を短刀で斬り裂く。が、その斬撃は日昏の首に致命傷どころか掠り傷の一つすら与えていなかった。
「その点でお前と俺は違えている。狙うのを止めはしないが、守羽は手を焼くぞ。その右腕もまた、な」
 斬られたはずの首の部分をさすりながら、スーツの上着の懐から一枚の紙切れを放る。
 それは人間の体を簡易的に模した形の紙。それが地に落ちると、その首にあたる部分がすっぱりと切れて胴体部分と離れていた。
「一つ作るのも手間と時間が掛かるんだ、あまり無駄に使わせるな」
「チッ…形代かたしろか。うぜー小細工が好きな退魔師らしい小技だな。おら、あと残機いくつだ?ゲームオーバーで画面が暗転するまで殺してやっからよー」
 短刀を逆手に持ち替え、腰を落として臨戦態勢に移った四門に、日昏は片手を前に出して交戦の意思が無いことを示す。
「刃を向ける相手が違うだろう。互いにこんな所で無意味に疲弊するのは好ましくない。特にお前は、これから仕掛けるつもりなんだろ?」
「…そーだなー。それもそうか」
 あっさりと殺意を引っ込めて、四門はさっさと短刀を鞘に納めてだるそうに背筋を曲げる。
「あのクソ悪霊憑きに折られた骨も治ったし、これからだなー。陽向日昏、邪魔すんなよ」
「しないさ。さっきも言ったが、狙うのを止めはしない。忠告はしておくがな」
「余計なお世話だクソが」
 突っ撥ねるように吐き捨てて、コートをなびかせながら四門は歩き去って行った。
 血気盛んで気分屋な女性が立ち去ってから、日昏は歩いてきた道を振り返る。
(ああいう躊躇いも、また父親似か。とことんまで似るのだな、となれば最後には守羽、お前はきっと強くなれる。全て割り切って、全て斬り捨てて。君の父親は、そうして今の平穏を手に入れたのだからな)
 辛い選択や過酷な試練に何度も悔やみ苛まれながら、最後には身内を裏切り独り妖精全体に喧嘩を売ってまで大切なものを手に入れた、あの男のように。
 その果てに行き着く末路は、まだ誰にもわからない。

       

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Neetsha