Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「…そうか。やはり、あの方はそこにいたか」
「はい」
 ここは周囲を森や花畑で囲われている中にある、神殿のような外観の煉瓦造りの建物。その地下にある彼らの集会所。
 部屋の中央に置かれた円卓と、それを囲う五人の男女。
 等間隔に配置された蝋燭の光に照らされて、報告を終えた青年レイスは静かに頭を下げて着席した。
「さて…状況はレイスが説明した通りだ。皆、どう思うか意見を述べよ」
 レイスの報告に終始相槌を打っていた、実質的なこの集団の長たる役割を負っている白髪の老人、ファルスフィスが死装束のように真っ白な着物の裾を持ち上げて、握っていた杖をコォンと地に叩く。音は思いの外高く長く響いた。
「意見、というと。ファルス、それは彼女についてということでいいのかな?」
 椅子に深く腰掛けて浮いた両足をぷらぷらと振るう小さな男の子、ティトはいつも被っている赤いベレー帽を片手で弄びながら、見た目とは裏腹にとても落ち着いた老齢の雰囲気を纏ってファルスフィスにゆったりと問い掛ける。
「全てについて、だな。彼女のことは当然として、神門のこと、その息子のこと。そしてそれらを鑑みた上での、我らのこと」
「助け出すべきです。少なくとも、自分はそれが正しいと考えます」
 レイスが円卓の上に握り拳を置いて、そうすることが当たり前のことであるかのようにそう断じて発言する。
「助け出す、か」
 それを受けて、ティトはベレー帽を円卓に置いて両手を組む。そして視線だけレイスに向けて、
「彼女は自らの意思で神門と妖精界を去った。…駆け落ちしたものだと、私は認識していたのだけど、違うのかな」
「…ティト殿は、何故そう思われるのですか」
「いやなに、私が単純にそう感じたからだよ。あれは連れ去られたというよりは、王子様がお姫様を取り返したように見えたからね」
 妖精界にて、当時の事件に近い位置で状況を見ていたティトは、その時まだ幼かったレイスよりも冷静に事態を分析していた。
 だが、レイスにとって『あれ』は、どう見ても誘拐にしか見えなかった。
 だからこそ、いつもは取らないであろう反抗的な視線でティトと目を合わせる。
「ティト殿にとっては、そう見えたのでしょう。同じように自分には、あれは違うように見えた」
「であれば…仕方ないね」
 あっさりとティトは引き下がり、それきり口を閉じてしまう。自分の意見は全て出したとでも言わんばかりの態度だった。
 それを見てか、次に口を開いたのは顎に立派な髭をたくわえた寸胴の中年、ラバー。背丈は低いが、発する存在感は五人の誰にも引けを取らない。
「レイスよ。お前、彼女とは会ったか?話をしたか?」
「いえ、会うことは叶いませんでした。神門旭が探知を阻害する結界を張っていたようなので、気配の一片すら感じ取ることは出来なかったです」
「では、結局のところ彼女の意思は判らず終いというわけだな」
 使い込んだ皮のエプロンをした中年の男は、自分の顎鬚をもしゃりと撫でさすってから、
「…いずれにせよ、彼女の意思を確認せんことにはどうしようもない。もし彼女が本当に強引に連れ去られたのだとすれば、俺達は躊躇なく神門らを薙ぎ払い彼女を救い出すこともやぶさかではない」
「じゃあ、まずは会ってみましょうか。彼女に」
 耳に心地良い澄んだ声色が、ラバーに同調して意見を発す。
「それが出来れば俺がもうしている。ラナ、お前はどうやって彼女に会うと言うんだ」
 ラナと呼ばれた金髪の美女は、くすりと微笑んで髪を耳にかける。仕草の一つを取っても、妙な艶っぽさのある女性だ。
「神門にお願いしてみるというのは?」
「論外だ」
「でも頼んではいないのでしょう?」
「お前は聞き入れると思うのか?」
「さあ」
 上品に小首を傾げて見せて、ラナは微笑みを絶やさずに続ける。
「話をしてみなければわからないこともありますわ。特にレイスはそういうことを自分の中で勝手に決めつけて実行を諦める傾向が強いように思います。まずは対話を試してみては?」
「む…」
 数日前に同じようなことをシェリアに言われたことを思い出し、レイスは自身の考えを素直に改める。あの時も、そうしようと心掛けてはいたはずなのだが。どうにも神門旭のことになると冷静にいられなくなってしまう。
「……ひとまずは、接触してみないことには始まらんな。神門についても、彼女についても」
 全員が一通り発言したのを確認して、ファルスフィスが再度杖で地を叩く。
「赴くとしよう、かの地へ。状況は全てそこで発生し、展開し、変移している」
「ここを解いて、その街まで移動するってことかい?」
「そうなる」
「結構好きだったんですけれどね、ここ」
「まあ、仕方あるまい」
 名残惜しそうに言う彼ら彼女らは、それでも否定の言を発することはしない。元々そのつもりでもあったからだ。
「ファルスフィス殿が直々に出なくとも、使いなら自分やラナで済ませられます」
「いや、今回は相手も相手だ。最悪の事態を想定して、全員で出る。それは事前にこちらで済ませおいた話でもあるのでな。あの大馬鹿にも会っておかねばなるまい」
「ああ、そういえばアルもいるんだっけ?」
「ってことはレンもいるということでしょうねぇ」
 懐かしい友人の名前にそれぞれが反応を示す。
「神門を中心としたあの集まりはまだ健在なんでしょうか?なんでしたっけ、なんちゃら同盟」
「『突貫同盟』だ。妖精界に突撃してきた連中としてはシンプルな命名だったな。…そうだ、レイス」
 人差し指を唇に当てて思い出そうとしていたラナに、ラバーが即座に答えてやると何かを思い出したのかそのままレイスに顔を向ける。
「なんでしょうか、ラバー殿」
「シェリアが喧しく言っていた名前だがな、一応暫定的にだが決まったぞ」
 少しの間を置いて、レイスはそれが自分達の集団を指し示す組織名の話なのだと理解して頷いた。そういえば少し前にそんな話をしていた。
「とりあえずは『イルダーナ』とすることにした」
 その名に、レイスは眉を顰めた。
「イルダーナ……それは、太陽神ラーを示す呼び名ですが…」
 まるで自分達妖精には関係の無い名前にレイスは困惑気味に声を漏らすと、ラバーも難しい顔をして腕を組む。
「うむ…。アイルランドの神話から引っ張ってきたのだが、これなら同じ出身のシェリアでも納得するかと思ってな」
「結局あの子が納得しないと決まらないですからね。全知全能でインパクトもあるし」
 確かに、シェリア以外の五人は組織名にはさほど拘りは無い。ようはシェリアが満足する名前ならなんでもいいのだ。
「承知しました」
 だから、レイスもそれ以上言うことはやめた。
「では、これより我ら『イルダーナ』は移動を開始する。レイス、皆の者も発つ準備を整えろ」
 ファルスフィスの一言で、皆椅子から立ち上がり解散となった。堅苦しい空気から解放されて思い思いに背伸びしたり欠伸したりとする中で、レイスだけは未だ険しい表情で円卓の表面に視線を落としていた。
 頭にあるのは、今しがた話に挙がった少女のこと。
(シェリア……か。何事もなく過ごしていればいいが)
 彼らに任せてきたとはいえ、良くも悪くもあの無邪気で純粋な猫娘のことが気になって仕方のないレイスだった。



      -----
「へくちゅっ」
「大丈夫?シェリア」
 静音の部屋で、濡れた頭をバスタオルで丁寧に拭いてもらっていたシェリアが可愛らしいくしゃみをすると、拭いていた手を止めて後ろから静音がシェリアの頬に触れる。
 風呂から上がったばかりの肌はまだ熱を持っていて、とても暖かい。
「んー、だいじょぶ。そんでねシズ!ラバーが作ったクツをまたラナがこわしちゃって、それでラバーがすんごい怒っててねー!」
 一緒に風呂に入り、シェリアはすっかり静音に懐いていた。背中を預けて頭を静音の両手で拭かれるままに任せているその表情は気持ちよさげに蕩けていた。
 シェリアはずっと自分の仲間達の話をしている。楽しそうに話す様子を見るだけで、シェリア達妖精の集団がいかに仲良くやっているかがよくわかる。
「君達は、皆仲良しなんだね」
「うんっ!…あー、でもでもね、仲良しじゃにゃいのもいるんだー!みんにゃ仲良くすればいいのにね、にゃんでできにゃいんだろーね!」
 仲睦まじくお話をする二人は、端から見れば姉妹のようにも映ったかもしれない。
「妖精の間でも、やっぱり不仲とかはあるんだ?」
「そうだよー。アルとかね、みんにゃから裏切りものーって言われてるの。べつにそんにゃ悪いことしたわけじゃにゃいのにね。アルについてったレンもおんなじ」
 名前を聞いてもわからないが、どうもその言い方からするにその二人はシェリアのお話に何度も出てきた『妖精の世界』から出て行ったらしい。何かしたのだろうか。
「仲良くか。……そうだよね」
 無邪気に話すシェリアの髪から水分を拭い取って、静音はそのまま両手をシェリアの首元に回して引き寄せる。
「んにゃ?どしたの、シズ」
 後ろからふんわりと抱き締められたシェリアは、抵抗することもなくされるがまま顔を上げて頭上の静音の顔を見る。
「ううん、なんでも。ただ、皆、仲良くできたらいいねって。そう思ったよ」
「…?うん、そだねっ!」
 僅かに陰のある笑みを浮かべる静音を見上げて、しかしシェリアはその内心を知ることもなく子供そのものの笑顔を返した。



      -----
「あ?なーにやってんだお前」
 由音が臨戦態勢を整え終える前に、まったく意識していない方向から呆れたような声が聞こえた。
 その声の主を由音は知らなかった。だが相手は違った。
「おっと、なんという偶然。おひさーアル」
 赤毛の長髪女性は、その相手を見てから人差し指をびしっと向けて名を呼ぶ。
 焼け焦げたような煤けた赤茶色の髪質をした浅黒い肌の青年が、食材がぎっしり詰まったビニール袋を片手に下げてこちらを見ていた。余った片手は頭上より上に挙げられ、そこに肩車していた者の体を支えている。
「……ネネ」
 肩車されて小さな両手で青年の赤茶けた髪を軽く掴んでいたのは少女というより幼女と呼ぶのが妥当なほどの小さな女の子。その子が眠たげな半眼で赤毛の女性を見て短く呟く。
 その頭髪はこの真夏に雪景色を見ているのではないかと錯覚するくらいに綺麗で儚く、静謐な印象を強く与えて来る白銀のそれだった。
 赤茶色と、白銀色。
 その二つのワードを前に、何故か由音に背中で庇われている千香はすぐにわかった。この二人が赤毛の女性が探していた人だと。
「探したぞまったく。場所だけ教えて適当な呼び出ししないでほしいわー」
「ちゃんと言ったはずなのに適当にしか聞いてなかったテメエが全面的に悪いと思うわー。マジで俺の話一割くらいしか頭に入ってねえじゃねえか鳥頭が」
「はぁん?存在そのものが適当の塊みたいな男に言われたくないんですけどねぇ?相変わらず私のハクちゃんにべたべたしてっしさあ!離れてくれないこの悪魔、ハクちゃんに瘴気が移る」
「誰がテメエのだって…?それにこの子は白埜しらのだ、何度言って聞かせても全然頭に入ってないみてえだから一回病院行ってきた方がいいと思うぞ?人間様の医学結集させてもその鳥頭は治せないだろうけどなぁ!!」
「愛称で呼んでんだからハクちゃんで合ってんでしょうが!ってかよく見たらアンタぁ!ハクちゃんになんて恰好させてんだこの変態ロリコン野郎が!」
 つかつかと歩み寄りながら青年と女性は互いに貶し合う言葉を叩きつけながら目と鼻の先まで接近してから、女性がアルと呼ばれた青年に肩車されている少女の姿を見て驚愕を露わにしながらアルの頭を引っぱたいた。
 白埜というらしき少女は、ぶかぶかのTシャツ一枚しか着ていなかった。いくら真夏とはいえども、いや真夏であってもその恰好は外出に適していなさ過ぎた。
 同じようなTシャツにジーパンというラフな格好のアルも、叩かれた頭を上げて頭上の白埜と顔を見合わせる。
「いや…この子の寝間着なんだよこれ。なんか知らんけど、俺らのシャツ着て寝ると快眠できるんだそうだ。まあ、そういうことだ」
「へーそーなんだー」
「おい真顔で警察呼ぼうとするな」
 なんの感情も無い不気味なほどの無表情で携帯電話から三つの番号をプッシュしようとした女性の腕を軋むほどの握力で掴み上げるアルと女性との攻防が静かに展開されていた。
 そんな中、ぼんやりとそれを肩車された位置から見下ろしていた白埜が掴んでいたアルの髪をくいくいと引く。
「あ?なんだよ白埜」
 未だ腕を掴んで牽制し続けているアルが顔を上げると、白埜がやんわりとアルの頭を撫でて、
「……アル。けんかは、ダメ」
 ぽつりとそう言った。
「そういうわけだ、音々ねね。争いは何も生まない、もうやめよう」
 途端に掴んでいた腕をぱっと離すと自分から数歩後ろへ下がって両手を上げた。
「…アンタ、やっぱり今でもハクちゃんには頭が上がらないのね」
「ふふん、まあな」
 何故か胸を張って答えるアルに、音々という女性もそれ以上は突っかからなかった。
「あ、ごめんねお嬢ちゃん。無事に見つかったからもう大丈夫」
 それまでのやり取りを黙って見ていた由音の背後にいた千香に微笑み掛け、音々は次いで由音の顔をじっと見た。
「……」
 由音はその視線を受けても一言も発さない。ただ警戒してこちらへ近づかないように無言の圧力を掛けている。
「じゃあね、名も知らぬ君。なんかまた会う気がすごくするけど♪」
 敵意とも受け取れる無言の圧力にも調子を変えない音々が、ひらひらと手を振って背を向けた。

「アル、アンタ今から帰るんでしょ」
「ああ。鍋の具材を買いに出てただけだからな、今家でレンが準備してる。お前も食うんだろどうせ」
「おっと悪いわね、いただきます」
「白々しいなーコイツ」
「あと泊めてね、宿が無いから」
「厚かまし過ぎるだろ殺すぞ」
「……アル」
「わかってるよ喧嘩はしないって」
「ハクちゃーん、夜寝るとき一緒の布団で寝ようねー」
「やっぱ殺していいかなテメエ」

 和気藹々と談笑(?)をしながら遠ざかっていく三人を、由音は冷や汗を垂らしながら見送った。
 あの女、そして途中から来た褐色の男。
 肩車されていた少女ですら。
(勝て、ないな。……なんだアイツら、あっぶねえ…!!どうなってんだありゃ)
 纏っている雰囲気で、由音は人外の強さを大まかにだが把握できる。あの三人は全員が人外で、全員が由音の四、五倍は強いのを確信した。おそらくはこちらから先に敵対行動をしていた段階で自分は一瞬間に数回は殺されていただろう。
 手を出さなくてよかった、心底からそう思う。
 この場に居たのは自分だけだったら、あるいは死ぬほどのダメージを受け続けながらでも反撃の一手を考えたかもしれない。相手があの女一人きりだったら、まだ由音の特性を活かして勝ち目を見出せたかもしれない。
 だが、今この場には何も知らない先輩が一人いる。そして相手は三人だった。
 もしも連中に戦う意思があったとしたら、確実に守り切れなかっただろう。当然先輩も無事では済まなかったはずだ。
 何者なのかわからぬままにその脅威を刻み付けて去って行ったあの三人。
 味方ではないとしても、せめて敵であってほしくはない。由音にしては珍しく弱気な考え方で、いなくなった三人の姿を頭の中に焼き付けた。

       

表紙
Tweet

Neetsha