Neetel Inside ニートノベル
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 街中にある、古ぼけた八階建てマンションの、その五階にある一室。中は雑多で散らかっており、フローリングの床には積み上げられた漫画本やゲーム機などが散乱していた。
 そんな居間に一歩足を踏み入れた客人が一人。
「やあやあ、こんばんわ」
 軽い空気で神門あきらがにこやかな微笑みを部屋の者達へ振り撒く。
「遅いっすわ旦那ー」
 まず一番に声を返したのは、散らかった物を両脇にどけてうつ伏せに寝そべっていた、焼け焦げて煤けたような赤茶色の髪を持つ浅黒い肌の青年。
「……」
 その青年の背中に立ってバランスを保ちながら腰の辺りで足踏みを繰り返している幼い少女が次いで顔を向ける。無言の中にも、客人を歓迎する雰囲気を放っていたのを付き合いの長い旭は察していた。
「ああ、アル。悪いね。白埜しらのもこんばんわ。…何してるの?」
「腰が重たいからハクちゃんに踏んでもらってマッサージ代わりですって。オッサン臭いからやめてほしいわねぇ」
 うつ伏せになって腰を踏まれる度にあーだのうーだのと唸っているアルに代わって、壁際に座って背中をべったりとつけた女性が答える。鬱陶しそうに自らの長髪をポニーテールに束ねているが、女性のあまりにも長すぎる髪はそれでも束ね切れず蛇のようにうねりながら壁から床へその赤毛を投げ出している。
「お、音々ねね。久しぶりだね」
「えぇ、ボス。お久しぶり。…ちょっと老けたかしらね?」
 前髪を鳥類の爪を模した髪留めで左右に分けている音々が、赤毛の前髪の合間から覗く半眼で懐かしの対面に片手をひらりと振る。
 旭は苦笑しながら、
「まあ、人間なら平均的にこれくらいは老化もするさ。君達と違って人間の寿命は八十そこらで上限を迎えるから仕方ない」
「ふぅーん、それ以外に心労とかもありそうだけどねぇ」
「うぉあ~白埜、そこだそこ。そこ強めに頼まあよ」
「……ここ?」
「いいよーそこだァー!」
 軽い体重で一生懸命にアルの腰を踏む白埜の、白銀の髪がゆっくりと揺れるのを音々は恍惚とした表情で眺めている。
「ああ、いいわねぇ…。ハクちゃん可愛い、世界一可愛い。うちの子になってくれないかしら」
 僅かに息を荒げながら白埜への凝視を続ける音々に、アルがうつ伏せのままカッと目を見開いて叫ぶ。
「バーッカ!白埜はうちの子ですーテメエなんぞには髪の毛一本たりとも渡せませーん!」
「はい言質取った!極東の国家権力に捕獲されろ有害ロリコン悪魔!さっすが『反転』済みなだけはあるわねキモさも跳ね上がってるわよ変態!」
「アァ!?斬り刻まれてえのか魔獣風情がよお!!こちとら魔獣特効の武装だってきっちりストックしてあんだからな覚悟しとけ!」
「ちょっとうるさいぞお前さんら…お隣さんから苦情来るからやめてくれ」
 アルと音々の不毛な言い争いに、台所から出て来た男が呆れた表情で二人を諌める。
 こちらは抹茶のような深緑色をした髪をスポーツ刈りにした青年で、歳の頃はアル・音々と同じ程度に見える。ただオッサン臭い挙動や言動を繰り返し行っているアルと比べると、その青年の方が若干若々しく映った。
 彼もこの場におけるかつて手を組み合って妖精界に喧嘩を吹っ掛けた同盟メンバーの一人、自らをレンと名乗る青年だった。
「旦那さん、いらっしゃい。すんません、汚いですけどどっか場所探して座ってください。…おらアル、お前さんそこ寝そべってると邪魔。白埜も、もういいよお疲れさま」
「……ん」
 腰を踏み踏みしていた白埜が頷いてアルの背中から降り、腰を拳で叩きながらアルもゆっくりと起き上がる。
 アルが起きたおかげで発生したスペースに、この部屋の同居人であるレンは両手に抱えていたものを次々置いて行く。
「旦那さんは…日本酒でいいんでしたっけ?」
「あ、うん」
「おうレン、俺も日本酒だ!」
「知ってるっつの」
 床に所狭しと酒の瓶やらカップやらグラスやらが並べられ、その隙間にツマミとなる食料が置かれていく。
「音々は?」
「なんでも。あーでも、出来れば洋酒かしらね」
「おっけ、ここ酒の種類だけは大体揃ってるから。はい白埜、牛乳な」
「……ありがと、レン」
 昔から酒好きだったアルとレンが共同で使っているこのマンション部屋には、常時酒が貯蔵されている。当然ながら酒のツマミも冷蔵庫の大半を占めているほどに押し込まれていた。
「ほれ旦那、まあ一献」
「おっと、こりゃどうも」
 酒器を渡され酌をされ、次にアルの器にも透明な液体を注いでやる。同じようにレンと音々も互いに洋酒を注ぎ合っていた。一人、酒を飲めない白埜だけが牛乳で満たされたコップを両手で持って羨ましそうにその様子を見ている。
「んじゃ、全員揃っちゃいませんがとりあえず同盟メンバー再会の音頭を旦那、頼んまあ」
 振られ、旭がこほんと咳払いをして酒器を掲げる。
「ええ、それでは……かつて妖精界への侵攻の為に力を合わせた我ら『突貫とっかん同盟』の久方ぶりの招集ということで、僭越ながらわたくし神門旭が」
「「「かんぱーいっ!!」」」
「まだ終わってないんだけど!?」
 旭の長ったらしい口上を待ちきれなかったアル・レン・音々の三人が勝手に杯をこつんとぶつけて酒を煽った。
「んぐっ―――ぷはぁ。いやーなんかマジで久しぶりだなこの感じ」
「そうねぇ。昔は散々やってたことだけど」
「起きるとそこら中ゲロまみれになってるから毎回外で飲んでたっけか」
「僕音頭とる必要なかったじゃないか…」
「……アキラ、どんまい」
 思い思いのペースで飲み進める面々だが、今夜は深酒するつもりはない。そもそも飲み明かす為に集まったわけでもないのだから。
「それで、今ここにいないメンバーは…楓迦ふうかか。誰か探しに行ってるのかい?」
 欠員の少女について旭が触れると、アルが酒器を置いてツマミを頬張りながら、
「楓迦なら『韋駄天いだてん』の野郎に探させてる。数日中には見つけて連れて来ると思いますぜ」
「そうか…じゃあ、今いる面子で始めようか」
 納得して、旭は本題を切り出す。
「君達に集まってもらったのは他でもない、ちょっと妖精関連でゴタゴタが起きそうだからだよ」
「妖精界側が動き出したのかしら?」
「いや、レイスんとこの組織が何か動き始めてるだけだ。ケット・シーの猫娘もいたぞ」
「シェリアちゃんも!?会いたいわねっ!」
「うっせ変態」
「黙りなさいロリコン」
「だから喧嘩すんなってのに」
「……アル、ネネ。めっ」
「「はい」」
「話し進めてもいいかい?」
 すぐに脱線させてしまうアルと音々を白埜が牛乳をちびちびと飲みながら黙らせて、レンが旭に先を促す。
「今すぐに事を起こすってわけじゃないとは思うけど、何せ彼らは大罪人ぼくの始末と元女王筆頭候補奪還という大義名分を掲げてやって来る。いくら温和な妖精種といえども実力行使で挑んでくることは想像に難くない」
「だーからあんときレイスぶった斬っておきゃよかったんですよ。そしたら連中の戦力一つマイナスだった」
「いやだからね、そんな短絡的な考えじゃ駄目なんだよアル」
 冷静に指摘した旭に、空になった酒器に酒を注ぎ足しながらアルが不敵に笑む。
「どうせ敵対するなら皆殺しでしょう?俺に任せてくださいよ、こと戦闘においては『突貫同盟』の中じゃ俺が一番槍で仕留め槍だ。しかも敵は妖精種、元妖精の俺なら簡単にれるかと」
「とても元妖精の発言とは思えないほど物騒ねぇ」
「そりゃ、今はもう魔性種あくまだからな」
 くっと酒を喉に流し込んで息を吐くと、旭は少し考えるように目を閉じる。
「…現状の敵が、妖精だけじゃないのが問題なんだよ。妖精関連の問題は遅かれ早かれ起こることだとは思っていたけど、まさかこれだけ同時に他の問題まで発生するとは思ってなかった」
 目を開いて、持ち上げた右手の指を一つずつ折り曲げていく。
「四門、陽向、妖精、この三勢力が同時に動き始めたのが不味い。一つずつであれば僕一人で対処しようと考えていたのだけど、これだけ厄介なのが同時となると手が足りない」
「旦那さんは、どう手を打ちたいとお考えなんですか?」
 半分ほど洋酒の入ったグラスを揺らしながら問うレンの言葉に、旭も軽く頷いて、
「うん、…陽向は僕が殺さないといけない。向こうもそのつもりだろうしね。同じく四門もだ」
「手が足りないとか言っときながら二つも掛け持ちかよ旦那。今のアンタで勝てんですかい?」
「勝つよ、これは僕の因縁だからね。いい加減子供にばかり押し付けてられない」
 一瞬だけ鋭くなった両眼の奥に、全盛期とも呼べる昔の面影を見たアルはそれ以上何か言うことはせず、ただ無言で酒を飲み込んだ。
「……じゃ、シラノたちは、ようせい?」
 アルの隣で話を聞いていた白埜がコップを両手で持ったままぽつりと言い放つ。
「そうなる、かな。無理して倒そうと考えなくてもいい、牽制して押さえてくれればその間に僕も僕で事を終わらせてくるから」
「……ん、りょかい」
 こくんと頷いた白埜の白銀に煌めく髪の毛をアルが多少乱暴に撫でる。
「お前は戦わなくていいよ、白埜。俺達だけでも充分だ」
 戦う力を持たない者が一人として存在しないこの場で、それでもアルは我が子のように想いを寄せる白埜へと屈託のない笑みを向けて内心を汲む。
 そもそもこの少女は『反転』により好戦的となったアルと違い争い事を好む性分ではない。白埜の人外としての真名からしても、それは明らかなことだ。
「……うん」
 牛乳を飲み干したコップを床に置き、胡坐をかいて座っているアルの太腿にコロンと頭を乗せた白埜もまた、アルの言葉に対し滅多に見せない微笑みを浮かべた。
「チッ」
「オイそこ、舌打ちすんない」
 怨嗟を込めたドス黒い視線を送る音々に、膝枕で横になった白埜の髪を手で梳きながらアルがジト目を返す。
「それじゃあ、そういう方向で頼めるかな?」
 大体の方針が固まったのを確かめるように、旭は部屋の仲間達に視線を配る。
 誰一人、異存は無かった。旭が両手を打ち鳴らす。
「よし、ならこれでお願いするよ。すまないね、僕に力を貸してくれ」
「ええ、承知したわ。貴方への恩、ここで少しでも返済しておきましょう」
「……しょうち」
「旦那さんの頼みなら、別に断る理由もないよ。…白埜が無事な限りはね、なあアル」
「おう」
 最優先順位を常に白埜へ置いているレンとアルも、その無事が保障されている限りは同盟の長への協力は惜しまない。そういう内容で彼らは手を組んでいたのだから。
 酒瓶を一つ空にして、最後の一口を一気に喉へ流し込んでからアルは確認を取るように、
「…旦那は家の因縁、白埜はお留守番、音々とレンとで妖精共の牽制、だな」
「うん。…え?」
「待て待て、お前さんは?」
「アンタまさかサボるつもりじゃないでしょうね」
「……アル?」
 しれっと自分の名前だけ外していたアルに全員の視線が集まると、アルは酒器をことりと置いてから腕を組む。
「牽制だけならお前らだけでいいだろ。俺一つ思い出したんですがよ、旦那。アンタんとこのガキに、面白いのが行ってるじゃねえですかい」
 その両目を爛々と輝かせて、煤けた赤茶髪に褐色肌の悪魔は実に愉しそうに口の端を吊り上げてわらう。
「鬼、それも史上最強の大鬼。大酒喰らいの酒呑童子だ。こんな機会は滅多に来ない。上等な日本酒の一つでも持って茶化しに行くのも愉しそうじゃあねえですかい、なあ旦那ァ?」

       

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