Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 大鬼がずんずんと進んでいく道の行き先は例の廃ビル群地だとすぐわかった。人外が潜伏できる場所なんて限られているだろうし、あそこは前回俺が酒呑に惨敗した地でもあったから。
「話ってなんだろうな」
 鬼の背中を睨みながら、隣を歩く由音が珍しく小さな声音で俺に囁く。
「さあな」
 適当に答えはしたが、予想自体は容易い。
「罠、とかじゃないよね…?」
「それはないです。そういうヤツじゃないんで」
 俺の袖を摘まんだままやや斜め後ろをついてきている静音さんの言葉に、安心させるように微笑みかける。
 罠という可能性は、最初から考慮の内に入れていない。必要ないからだ。
 何せ、ヤツは正々堂々とした嘘偽りを嫌う鬼の大将。誘き寄せて罠に嵌めるなんて真似は間違ってもしない。
 その一点においては、敵ながらにこの鬼は信用に足りる。現に前回を含めこれまでの対峙でこの大鬼は一貫して自らの言動と行動を曲げていない。
「むー……」
 俺のすぐ後ろにぴったりくっつくようにしていた静音さんのさらに隣に、彼女の腕にしっかり組みついたシェリアが唸りながら由音と同じように鬼の背を見ていた。
 付いて来いと言われて買い物も中断し店を出た俺へ、他三人は当然のように追随してきた。理由は訊くに及ばず、俺を心配してのものだろう。由音はともかくとして静音さんは大丈夫なんだろうか。これまでも一緒に晩飯食いにいったりしてたから特に門限とかは無いんだろうとは思うけど。シェリアはたぶん流れで一緒に来ただけだ。
 俺以外の同行者に酒呑は何も言わなかった。おそらくたいして気にしていないので、俺も何か言うことはしない。どうせ戻れと言ったところで聞き入れる者は一人もいないのだから。
 間もなくして到着した、黄色と黒のテープで立ち入り禁止を示していた領域へ鬼は足を踏み入れ、俺達も同様に続く。この場所は俺にとっても馴染みの深いところだ。
 今にも半ばから崩れ落ちてきそうな錆びれた亀裂の走るビルの群れの一つへ酒呑は迷いなく進む。
 粉々に割れた入り口のガラス片をジャリジャリと踏みながら、酒呑は奥へ声を放る。
「オイ、戻ったぞ!」
 するとすぐに奥から二つの影がやって来て、
「へい頭領、おかえりなさいやせ」
「お待ちしておりました」
 片膝を着いて主の帰還を出迎えたのは牛の頭と馬の頭を持つ鬼。牛頭と馬頭だ。
「おう、客だ。座布団くれェ用意してやれ。あと酒だ」
 酒呑の言葉を受けて、馬の頭部に角を生やした人外・馬頭は俺とその後ろの三人を見て視線を鋭くした。
「『鬼殺し』はいいとして、余計なのがいくらか混じってやすが」
「別にいいだろ、気にすんな」
「頭領がそれでいいなら」
 馬頭はあっさり引き下がるが、今度は牛頭が口を開いた。
「頭目、出るのであれば事前に一言仰ってください。いきなり居なくなられるのは我々にとって心臓に悪いですので」
「事前だ?言ったじゃねェか」
「数日前の発言のことを言っておられるのでしたら、それは事前とは言いません。ただでさえ我らは頭目のような変化へんげが使えない身故に人の地へ赴けないのですから」
「変化くれェ覚えろよ。簡単だろ」
 酒呑童子に心酔している配下二名が付き添いとして居なかったのが少し疑問だったのだが、なるほど変化が使えなかったからか。この配下達も言伝をした昨日の今日で主が自ら人の大勢いる場所へ接触しに行くとは思っていなかったようだ。
「そのように鬼の神通力を好きに使えるのは大鬼である頭目や茨木様くらいのものです。お恥ずかしい話ではありますが…」
「そうだったか?まァいいや、ほれさっさと用意しろ」
「「はっ」」
 酒呑が手を振ると、牛頭馬頭は立ち上がりすぐさま奥へ引っ込んだ。どうもこの廃ビルのエントランスホールを根城に使っているらしい。
「そんな強張んなや、ちょっとは『鬼殺し』を見習え」
 背中を向けたまま気配で察したのか、酒呑は俺以外の三人へ言って振り返る。
 その額には大きく太い一本の角が、いつの間にやら生えていた。逆立っていた髪は赤く染め上がり、着ていた服すら変わって今は紺色の着流しに薄い長羽織を肩にかけていた。
 一瞬だけ驚くが、すぐに理解する。変化の神通力を解いたのだ。最初から角も生えていたし髪も赤かった。服装も違った。
 変化とは、おそらく視覚に誤認識を強制させる術なのだろう。
 俺達の反応を見て満足したのか、酒呑はカカッと笑って中へ入る。
 中は一応根城としているだけあってか、多少は掃除されて埃や塵といったものは取り払われていた。ホール中央には焚き火がされており、その周囲に座布団が積んである。これもどこかからか拝借してきたものだろうか、わりと綺麗な物だ。
「ほれ」
 馬頭がぶん投げてきた座布団を四枚受け取り、俺は焚き火の手前に一枚敷いて座る。他三人はおそるおそるといった具合に俺の後ろに座った。
「どっこいしょっとォ」
 どっかりと、酒呑は焚き火を挟んで俺の対面に腰を落とした。その傍らに牛頭が大きな酒瓶と酒器を二つ置いて後ろへ下がる。
 俺と酒呑が対面し、互いのお供はそれぞれ背後で控える。まるで何かの組織間の対談のような構図だった。
「受け取れ」
 差し出された酒器を、ひとまずは黙って受け取る。
 次に酒呑は酒瓶の蓋を開けて口をこちらへ向けて来た。
「……未成年なんだが、俺」
 飲んだこと自体はあるが、父さんの晩酌に少し付き合った程度でしかない。こんな大酒喰らいの好む酒なんて、きっとかなり度数の高いものだろう。
「大鬼様から直々に酌してもらえる人間なんざこの世にテメェくらいのモンだ。黙って注がれろ」
 ん、とさらに酒瓶を突きつけられる。
「…」
 どうも酌を済ませるまで話を進める気がないらしい気配を感じ取り、止む無く俺は酒器を持ち上げて傾いた酒瓶から透明の液体が満たされるのを黙って見届ける。
 表面張力ギリギリまで注ぎやがった酒呑を無言で睨み、とりあえず俺からも酒瓶を受け取りヤツの酒器に同じくらい酒を注ぐ。酒呑は満足そうに頷いた。
「んじゃ、乾杯……って間柄でもねェわな」
 言って、勝手に酒呑は酒を煽り一口で飲み干した。
 俺も酒器に顔を近付けて少量口に含む。むわっとした日本酒の強い臭いに鼻がツンとする。どんだけ強い酒なんだこれは。
 どうにか飲み込むと、すぐさま胃が熱くなってくる。じんわりと内側から全身へと熱が伝わり、涼しかった夜のはずが熱帯夜に変わる。
「本題を、始めようぜ」
 これはあまり飲み過ぎると頭が回らなくなる。そう危惧した俺は酒器を持ったまま急かすように酒呑との話を開始する。
 手酌で再び酒器を酒で満たし、酒呑はそれも一口で干して一息つくと、
「決闘だ、『鬼殺し』」
 殺し合いの取り決めを、気軽に提案した。
「オレとテメェで、サシでろうぜ。前はごちゃごちゃして七面倒臭かったからなァ。今度は一対一タイマンで、キッチリ決着ケリつけようじゃねェか」
「…それは、そっちの牛頭馬頭も了承の上なのか?」
「たりめェだろ、手は出させねェよ」
 正直、予想通りの提案だった。
 酒呑童子の性格上、数で押すだの配下を使って消耗させようだのとは考えづらい。やるとするならば、時間と場所を指定した上での万全の決闘。だからこそ大将自らが出向いて俺へ接触し、こうして場を設けた。そんなとこだろうとは思っていた。
 つまりはこの闘い、呑めば俺は誰の手助けを借りることも出来ずに鬼の総大将をこの手で打ち倒さなければならないということ。
 だが、まあ。予想していただけに、俺の答えも既に決まっていた。
「守羽、やめろ」
 返答を口にしかけた時、背後から由音が静かに止めた。
「由音」
「そんな提案、受ける必要ねえよ。やるってんならオレも出る。お前が一人でやることねえんだ」
 座布団の上で胡坐をかいたまま、ザワリと由音の衣服や髪が風もなく揺れる。
「酒呑童子だったか?テメエまだ完治してねえんだろ、前回の傷。それに酒も飲まねえと全力が出せないらしいし。決闘なんて言って日を置いて完全に力を取り戻すまで時間稼ぎする気かもしれねえし、そもそもタイマンの決闘をする意味もねえだろうが」
 ゆっくりと立ち上がり、両目で片膝を立てて座る酒呑を見下ろす。その眼は漆黒に染まりかけていた。
「ほう」
 酒器を傾けて酒を飲む酒呑が、それを余裕の表情で受け止める。
「守羽、ここでるのがベストだぜ。完全に力が戻る前に潰す!」
「テメエ…言わせておけばァッ!!!」
「愚行もそこまでにしておけよ人間。それ以上の頭目への愚弄、断じて聞き逃せん…!」
 由音の言動に、酒呑の背後で控えていた牛頭と馬頭が怒りを露わに立ち上がる。
「うっせェぞ牛頭、馬頭!」
「しかし頭目!」
「黙れって言ってんだ。いいから下がってろ」
 今にも獲物を手に襲い掛かりそうだった配下二名を、酒呑は空になった酒器に酒を注ぎながら言葉と威圧で押さえ付ける。
「由音、座れ」
「けどよ守羽!」
「今この場でやるのは論外だ。静音さんだっているんだぞ、巻き添えにする気か」
 一瞬だけ詰まったように黙った由音が、すぐに一歩引いて力を内側に収める。
「…わかったよ」
 不貞腐れたようにどかっと座布団に座り直すと、状況の変化に僅かな戸惑いを見せていた静音さんの前へ出て立ち上がりかけていたシェリアもちょこんと再度座った。もしかしたら戦闘の気配を感じ取って静音さんを守ろうとしてくれたのかもしれない。
「悪いな、話の腰を折った」
「いんや、互い様よ」
 さして気にした様子もなく酒を飲む酒呑に倣って俺も酒を煽る。少しだけ気分が浮ついたようになり、舌が軽くなる。今にも開戦しそうだった状況に対してもこうして落ち着いて話をしようと思えるのは酒の力あってこそのものなのかもしれない。
 器が空くタイミングぴったりで酒呑が瓶の口を向ける。俺もまた無言で酌を受ける。
「で、まァそこの悪霊憑きに言われちまったからにはそれっぽい説明でもしとかねェとか」
 俺の斜め後ろでそっぽを向いている由音を一瞥して、酒呑は酒器を持つ手で器用に一本指を立てる。
「まず一つ。こりゃオレのメリットだが、今言われたように傷の完治と力の回復。テメェから受けた斬魔の太刀は酒断ちしてた身には思いの外よく効いてなァ。あと数日ありゃ治るんだが、それと並行して酒を取り込んで力を最大限まで取り戻してェんだ。決闘って銘打つからにゃァオレも全力で挑まなきゃならねェからな」
 それから立てた指を今度は俺へ向ける。
「んで二つ、テメェの都合だ。なァ『鬼殺し』、まだテメェも全開じゃあねェだろ?前よか力は上がったようだが、それでもまだだ。オレは相手の実力を見る眼には自信があってな、それによりゃテメェは未だ底が見えねェんだ」
「日本史上最強の鬼が、随分と弱腰な発言だな。たかが人間相手にそこまで言うか」
「退魔師と妖精の血を持つテメェは、もう少し自分の身の上の異常さを理解した方がいいぜ?」
 弱腰、という発言を否とも是ともしない返しに俺も微かに眉根を寄せる。この大鬼は前回あれだけ俺達を圧倒しておきながら、どうもらしくない警戒心を抱いているらしい。
 それは、もしかしたら酒断ちをしていたのもあるが自身の鋼の肉体に傷を付けられたのが酒呑にとって久々の出来事だったからか。
「ともかく、やるからには互いに全力だ。テメェも、不足してると思うんならその間に力を充足させる手段を確保しろ。この決闘はそういう意味だ」
「なるほど」
 酒呑童子にとっては傷の治癒と力の回復に費やす時間を獲得し、俺にとっては…『神門守羽』を構成している力を取り戻す時間に充てる。互いにとって利益のある時間が発生するってわけだ。
 軽く頷いて、俺は問う。
「いつだ」
「三日後の昼、場所はここしかねェだろ」
 三日後。ちょうど週末で休日だ。学校も無い。酒呑がそんな人間の事情を踏まえた上で決めたのかどうかは不明だが、こっちにとっては都合が良い。
「わかった、三日後だな」
「あァ。それともう一つ。せっかくの決闘だ、賭けようぜ」
 なにやら不吉な発言に、俺の顔は露骨に渋い顔をしていたらしい。鬼が笑う。
「クカカッ、どうせ負ければ死んだも同然だろォが。もし勝敗が決して、それでも相手が生きてた場合、相手の命令になんでも従うってことにしようぜ」
 よくある賭け事の内容だが、大鬼が俺に何を要求しようというのか。
「俺を奴隷にでもする気か?」
「惜しいが違う。オレが勝ったら鬼になってオレに下れ」
 言っていることの意味がわからなくて、俺は口を噤む。
 鬼になって下れだと?
「元々オレら大鬼の存在は人間から派生したモンだと言われている。寺に捨てられた天涯孤独の童子わらべが外法を習って鬼と化しただの、山に放置された孤児が恨みを募らせて鬼に成っただのってな。つまりその伝承や逸話を基盤になぞらえて一つの儀礼として完成させれば、意図的に大鬼を生み出せるって寸法よ。まァ適正とか耐性、素質がねェと鬼に成る前にくたばるんだろうが、その辺テメェは安心だろ」
「待て、待てっ!」
 黙り込んだ俺を置いて勝手に喋り続ける酒呑を制止させる。コイツは本当に何を言っているんだ。
「俺を大鬼に仕立てて軍門に下らせるだと?なんの為に…そもそもお前は俺を殺しに来たんだろうが」
「最初はそのつもりだったがな、言ったろ?テメェに興味が湧いたって。茨木を殺したことに関しては未だ許すつもりはねェが、まァ……鬼の世界は弱肉強食だからな。死んだのは弱いからだってのは鬼の中じゃ常套句だ。中々信じられることじゃねェが、茨木はテメェより弱かった。それだけのことだ。負けたんだからな」
 茨木童子。
 かつてこの街にやってきた大鬼は、確かに強かった。俺も死ぬ一歩手前まで追い込まれたし、勝てたのだって実際奇跡のようなものだ。
 俺だってあの大鬼を許すつもりはない。茨木童子はこの街の人間全てを殺し、静音さんを連れ去ろうとした。だから俺は戦った、戦って、その果てに勝った。殺したことに悔いは無いし、今でも静音さんを守れたことを密かに誇りに思っている。
「考えてみりゃ、オレの体に傷を付けたのも大昔にアイツと初めて会って殺し合いをした時以来だったな」
 しみじみと昔を思い出しながら酒を飲む酒呑童子は、あっという間に瓶を一つ空にした。すぐさま牛頭が代わりに新しい酒瓶をそっと置いて下がる。
「茨木の代わりってわけじゃねェ。だがオレが勝ったらテメェは大鬼として今後を生きてオレの為に尽くして毎日酒に付き合え」
 無茶苦茶なことを言う酒呑に絶句していると、ヤツは実に愉快げに笑ってこう続けた。
「テメェがもし万が一にもオレに勝とうモンなら、そんときゃオレもなんでも聞いてやるよ。首でも角でも差し出してやらァ」
「…その言葉、忘れるなよ」
 勝手に成立してしまった賭け事だが、別に問題は無い。ヤツの言う通り、負ければ死も同然なのだ。鬼に成り果てようが一生酒呑に隷属することになろうが同じこと。
 勝てばいい、勝たねばならない。
 たとえどれだけの実力差があろうとも、俺が勝って鬼との因縁に決着をつける。
「このオレを前にそんな言葉は無粋よ。我が真名、酒呑童子の名にかけてな」
「そうかい。なら、俺も退魔師と妖精の血にかけて」
 残っていた酒を一気に飲み込んで、コトンと固い床に置く。
「話は終わりだな。もう行くぞ」
 用件はこれで済んだはずだ、俺は立ち上がる。
「待て、最後に一つ」
 背中を向け掛けた俺に、酒呑が瓶ごと酒をゴクゴク飲んでぷはっと口を放してから俺を見上げる。
「最近この街をウロチョロしてる妖精共はお前関連の連中か?あんまり動き回られると邪魔だから潰しときたいんだがよ」
 ビクッとシェリアの肩と耳が反応する。そんなシェリアの頭を乱暴に撫でてやりながら、俺は視線に精一杯の敵意を乗せて酒呑を睨む。
「連中の狙いはこっちだ。手を出すんじゃねえぞ鬼。獲物の横取りは大鬼の尊厳に関わるんじゃねえか?」
 妖精連中は俺にとっても味方ではない。だがコイツが動けば妖精は間違いなく皆殺しにされる。それは駄目だ。
「クカカッ、違いねェ」
 怯えるシェリアを安心させる為に張った虚勢を見透かしているのか、酒呑は肩を揺らしてただ笑うだけだった。
 こうして宿敵と決闘の日時を決め、酒でふらつく頭で俺は同行してきた三人と共に廃ビルを去った。
 決着は三日後。
 それまでに俺はもっと強くならなければならない。知識を力を取り戻し、人である固執を捨ててでも、妖精と退魔に手を伸ばして掴み取らねばならない。
 『最強の鬼性種』を打倒するだけの実力を。

       

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