Neetel Inside ニートノベル
表紙

力を持ってる彼の場合は
第五話 迫り襲うは飛翔の風刃

見開き   最大化      

初撃を回避し、バックステップで下がる。
夜刀を相手にして、対鎌鼬で距離を取るのが愚策だということは知っていた。
が、それでも言っておきたいことがあった。
「お前が転止だな」
瘴気に染められたかのように青紫色に浸食されているが、かろうじて元の色である黄土色が見てとれる短髪。
闇夜でぎらつく鋭い眼光が俺の言葉を受けて僅かに止まったが、すぐさま飛び掛かってくる。
「お前の弟と妹が探してたぞ」
「ギッ!」
伸びて鉄のように硬化した爪が振り回されるのを、すんでのところで全て避け切る。
「お前は人を傷つけるのが嫌なんだろ、そんなんでいいのかよ」
「ラァア!!」
大きく口を開いて獣のように尖った牙を備え、頭を振って俺の首筋を狙って跳ぶ。
間に割り込ませた左腕に、その牙は突き刺さった。
「お前は、それでいいのかよ」
俺の腕に噛み付いた獣は、嗤っていた。
牙が食い込んだ皮膚から噴き出した血を啜り、ゆっくり肉を咀嚼しようと牙をより深く穿つ。
「美味いかよ。人間の血が、肉が。お前はそれで満足か」
痛みを堪えて、黄土色の獣に言葉を放つ。
「グッ、グゥゥ…ガギ、ギギゥ」
獣は俺の言葉をもう耳に入れていなかった。ただ、四十倍に筋力を“倍加”させて牙の侵攻を防いでいた俺の腕の肉を、噛み千切らんと必死になっていた。
それを見て、俺も諦めた。
馬鹿みたいに俺の腕に食いつくことだけに意識を向けている獣の胴体に、右手の拳を叩き入れる。「ゲハッ!」
痛みで口を離した獣の頭を掴み、薄暗い路地裏の奥へ投げ飛ばす。
(骨まではいってない、大丈夫だ)
血をだくだくと流す左腕の感覚を確かめて、大事でないことを確認する。
ヒュウ、と。おかしな空気の流れを耳が捉えた。
夜の風が、吸い込まれるように路地裏へ流れていく。
投げ飛ばされた上体をゆっくりと起こした、黄土色の獣の下へ。
集うように、取り巻くように、風は獣の体を持ち上げて浮かせる。
「グゥ、…ギ、ガガアアァァアア…!」
単純に爪と牙だけで喰らえる獲物でないと理解したのか、獣は風に体を浮かせたまま上体を倒して四足歩行のような体勢をとった。
直後に獣から突風が放たれ、両足が数瞬地面を離れる。
『旋風』の鎌鼬、その役割は、
(転倒ーーーくそっ!)
慌てて片足を強引に地面につけたたらを踏むと、既に獣は目の前まで迫っていた。
振るわれる爪の軌跡をなぞるように大気が圧縮された風の斬撃が飛ぶ。
「うおっ!」
よろめいたまま上半身を仰け反らせ、ブリッジのように両手を地面に付けて両足を蹴り上げる。後方へ一回転してすぐさま足を前へ。
次の挙動に移っていた獣の振るわれた腕が俺へ向けられるより先に拳先で相手の手首を跳ね上げる。
ズヴァンッ!!と恐ろしい音を立てて隣の壁と俺の頭上数センチ上の髪を斬り飛ばして背後の看板までバラバラにした。
夜刀は手を向けた先に『鎌』を飛ばしていた。アイツは照準を定める意味で手を使っていたのだろう。
コイツは違う。
爪の軌道がそのまま『鎌』になってやがる。
(読みやすいが、避けづらいっ…!)
振るわれた手をギリギリで躱しただけでは駄目だ、爪の延長線上にまで斬撃が飛ぶのなら爪そのものを完全に避け切らないと、背後で甲高い音を立てて落ちた看板と同じようにバラバラにされてしまう。
(俺の体へ爪が向く前に止めるか、あるいは今みたいに腕ごと違う方向へ弾くか)
ヤツの爪の先からさらに見えない刃が伸びていると思えばやりやすい。ともかく一番受けて不味いのはヤツら鎌鼬が得意とする『鎌』たる斬撃。
逆の手が向けられるのを見て、振るわれるより先に胴体を足の裏で蹴り飛ばす。
…一応、俺なりに頑張ってはみた、つもりだ。
あの鎌鼬の姉弟の話を聞いてしまった手前、問答無用で殺しにかかるのは少しばかり気掛かりが残ってしまったから。
もしほんの少しでも自我がある様子なら、意識を刈り取る方向でやってみようと思っていた。
しかしアレはもう駄目だろう。
人間の血の味を完全に覚えてしまっている。あの感じだと、既にこの街で人間を手に掛けてしまっているかもしれない。
もう言葉も話せないアレに、容赦はできない。
「介錯くらいはしてやる。お前が暴れ回る上に俺も素手だから、あまり綺麗にはやってやれないと思うけど」
望んでやっていることではない、人外としての望まない本能に侵されて牙を剥く鎌鼬。
同情というわけではないが、俺にとってもこの場で野放しにしておきたいヤツじゃない。
こんな凶悪な人外に俺の大切な人が襲われて切り刻まれるなんて御免だ。
ガチガチと硬化した爪を打ち鳴らす不気味な人外を前に、いつでも飛び出せるように腰を落として構え直す。
路地裏ということもあって、建物の壁と壁の間隔が狭く左右の幅はあまりない。
素手の俺にとっては有利で、爪を伸ばすヤツにとっては不利だ。
「ギャッ!」
「ふっ!」
腕の動きに合わせて高く跳び上がる。
真横に薙がれた爪が通った先にあるゴミバケツやら乗り捨てられた自転車やらが両断される。
頭上に跳んだ俺を見上げた獣の顔を爪先で蹴り落とし、倒れたところへ追撃で顎先を捉えて殴り飛ばす。
一撃一撃が、並大抵の人間が出せる威力じゃない。さしもの鎌鼬もノーダメージとはいかないだろう。
殴り続ければいずれは倒れる。それまで押し切るしかない。
斬撃にさえ注意を払っておけばそう手強い相手ではない。
その考えが間違っていると気付いたのは、ヤツの纏う風が急速にその勢いを増し始めた時だった。
(なんだ、この風…)
そういえば、紗薬は言っていた。
『「旋風」の素質を持った兄は、その力だけで「鎌」の役割も担えるほど優秀でした』
夜刀も言っていた。
『加減を間違ったんだ、アイツの「旋風」はオレの「鎌」より切れ味がある』
この三兄弟の中で、その本能も込みでもっとも『鎌鼬』としての質が高いのは、兄・転止。
一番凶悪な性能を秘めているのはコイツだったのだ。
逆巻く魔性の風が、その本性を解放させた。

       

表紙
Tweet

Neetsha