Neetel Inside ニートノベル
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 守羽がシェリアと屋上で話していた頃。
 同じように廃ビルの傾いた屋上で大の字に寝転がって暇を持て余している者がいた。
「ふァ~あ……ヒマだ」
 大欠伸をかいて真上に昇った太陽を睨み上げている酒呑童子だ。
 昨夜『鬼殺し』と決闘の日程を決めてから残りの時間を自身の回復にのみ費やすことに徹底していた酒呑だったが、やることといえば酒を煽り日光浴をすることだけ。既に薄汚れた屋上には空いた酒瓶がいくつも転がっていた。
 彼の側近である牛頭と馬頭も、数時間前に出て行ったっきりまだ戻ってこない。この街に集っている高い戦闘能力を有した勢力と組織の調査ということらしい。
 変化の神通力を使えない彼らは人間に気付かれないように動かねばならないのでさぞ苦戦していることだろう。そうでなければここまで時間が掛かることはありえない。
 残された酒呑はひたすらにやることがなかった。胴体に斜めに刻まれた『鬼殺し』の一撃も、今日中には完治するだろう。傷痕は残るかもしれないが、人間に付けられた傷というのも自身の教訓の一つとしてそのまま残しておくのも悪くないだろう。
 上半身を起こして傍らにあった大きな酒瓶の中身をまるで水のようにゴクゴクと飲んで、半分ほどあった瓶の中身をあっという間に空けてしまう。
「ん」
 次の酒を開けようと周囲を見回してみると、あるのは自分が飲み干した空き瓶だけ。どうやら屋上に持ち込んだ大量の酒は全て飲んでしまったらしい。
「チッ、しっかたねェ。日光浴も飽きたし下に降りて……お?」
 立ち上がった酒呑が背伸びして骨を鳴らしながら独り言を呟くと、その途中で奇妙な気配を感じ取り顔を上げた。
「……」
 無言で屋上の縁まで歩き、躊躇いなく跳び下りる。
 ズズゥンッ…!!
 地面に足を膝まで陥没させて大重量の巨漢が落下する。当然ながら直立するその身に落下のダメージは微塵も無い。
「お、いたいたぁ」
 酒呑が顔を向けると、そこには無地のTシャツに半ズボンというラフな格好なのに、背中に背負った日本刀だけが物騒な存在感を放つ青年が興味深そうにこちらを見ていた。
「テメェは…どこのどちら様だ?」
 この街には複数の勢力が集いつつあることは知っていた。見覚えの無い相手の狙いこそなんとなく察せるが、所属までは把握できない。
「おっと、こいつは失敬失敬」
 形だけの謝罪と会釈をして、煤けた赤茶色の頭を下げた青年が親指で自分を示して快活な笑みを向けた。
「『突貫同盟』のアル。用件はそうさなあ…とりあえずはコレ」
 言って持ち上げた褐色肌の右手にはビニール袋がぶら下がっており、袋に入りきらないほど大きな瓶の頭が見えている。透明な瓶の中には白濁した液体が満たされている。酒好きの酒呑にはそれが上等な濁り酒であることがすぐわかった。
「お前だろ?酒呑童子は。お差し入れに来ましたよってな。結構いい値段したんだぜ?ツマミは買い忘れた、すまんね」
 かっかっと大きく笑う青年を視界に入れたまま、酒呑は考える。
(『突貫同盟』?全然知らん。そもそもずっと山にいたってのに外の連中が組んだ組織の名前なんざ知るわけねェっつの)
 鬼の首領として総本山の屋敷で長く暮らしてた酒呑は外の情報にはとんと疎かった。それよりも、酒呑は目の前の青年・アルの放つ異様な気配の方に興味を引かれた。
「面白そうなヤツだな、えェ?最初は妖精かと思ったが、違ェな。悪魔…聖と魔の気配を混合させた人外なんてなァ中々いねェぜ」
「ああ、よく言われる。でもおかげで視野は広まったんだぜ?元妖精としても現悪魔としても見える景色はそこそこ違うモンでな」
 会話を続けながらアルは不動で腕を組む大鬼へと歩み寄る。
「…んで、本命はなんだよ半端悪魔の小僧。よもやこのオレ様と持ってきた酒を飲み交わそうなんて豪胆な発言が飛び出すわけでもあるめェ」
「そいつも考えたんだがな、でもやっぱりそれよりも楽しそうな方を選ぶことにしたんだわ、俺」
 背中の日本刀を降ろして柄を握り肩に担ぐと、アルは心底から愉しそうにギラつく両目を酒呑童子に向けた。
「神門守羽…『鬼殺し』とやり合うんだろ?それまでヒマじゃねえかい大鬼の旦那。よければ俺が退屈しのぎを買って出てやるよ」
 酒呑童子は思わず噴き出した。
「クッ、カカカッ!コイツァ大きく出たな。テメェが大鬼のヒマを潰せるってか!あんま思い上がらねェ方が身の為だぜ小僧ッ」
「ハハッ、だよなー。俺も自分の実力にはそれなりに自信があったりするけど、やっぱ相手が悪いもんなあ、命あっての物種だ!」
 どちらも愉快痛快とばかりにしばし笑い合って、最初に笑みを引っ込めたのはアルだった。刀を肩から放し、鞘に収まったままの日本刀の切っ先を酒呑へ向ける。
「でもな、やっぱってみたいんだわ。史上最強とか、どう考えても胸が高鳴るわ。わかんねえか?とんでもなく強い相手に挑みたくなるこの純粋ピュア真剣ストレート闘争心バトルソウルってヤツが」
「いんや、痛切に理解できるぜ。だがそういうのは相手の力量を踏まえてやるモンだ。勝てる勝てないを度外視すんなら無謀も頷けるが、テメェはそういう…、…!」
 言葉の途中で何かに反応した酒呑が、次第のその表情を曇らせていく。
「あァ、なるほど」
 そうして相手の策を知り、これが無茶でも無謀でもないことを嫌というほど理解する。既に笑みを引っ込めた酒呑は、相手の持つ日本刀に殊更意識を注ぎながら吐き捨てるように言い放つ。
「前言撤回だ。そういうことかクソ」
「そういうことだ大鬼。長いこと山に居付き過ぎて感覚が鈍ったか?」
 こちらも笑みは変わらず浮かべているが、その種類はもう別のものへ変化している。獰猛な獣を思わせる、身が竦むような笑み。
 その刀には逸話がある。
 かつて丹波国大江山に住み着いた悪しき鬼の首を一太刀のもとに切り落とした、その伝承から本来の銘を差し置いて付けられた名。
 人呼んで『童子切どうじきり』。平安時代の刀工安綱が鍛え上げた無二の名刀。
 後の世において天下五剣の一つに数えられる業物である。
「さあ、首はしっかり洗ったか?不肖のこの身じゃあ頼光様のようにスッパリ両断できるかは怪しいがな」
 くるんと刀を回して右手で鞘を掴み直し、腰の辺りに落ち着けてアルは再度不敵に微笑む。
 もはや油断も余裕もかなぐり捨てた様子の酒呑童子は、本気の形相で静かに構える。無理もない。この刀と毒の酒は、伝承になぞらえて鬼を確実に殺せる性能を秘められた特効武器なのだから。
「面白いだろ?『鬼殺し』との決闘を前に、『鬼殺しの刀』でヒマ潰しとは贅沢に尽きる。せいぜい前座で終わらねえように頼むぜ、大鬼!」
 皮肉を交えて握る名刀童子切安綱やすつなを手に、妖精崩れの悪魔は伝説の再現に挑む。

       

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