Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「行ってみっか?守羽」
「……いや」
 午後の授業間の短い休み時間に、俺は由音と共に再び屋上に来ていた。昼休み以外では珍しいことだ。
 何故かと言えば、先刻よりもはっきり感じ取れるようになった戦闘の気配が気掛かりだったからに他ならない。
「さっきからうるさいよねぇー。ぜんぜんお昼寝できにゃい」
 満足な昼寝が出来なかったのが不満なのか、ずっと屋上にいたシェリアは貯水タンクの上に立って俺達が見ている方角をじーっと眺めている。膝丈程度の薄い白ワンピースしか着ていないシェリアがあんな高い場所に立ってるとかなり(色々と)ヤバいのだが、風の加護とやらのおかげかどうにかなっている。
「酒呑の野郎が誰と闘ってるのかわからんが、たぶん俺達の知ってるヤツじゃない。あそこでドンパチやる分には、放っておいても大丈夫だろ」
 二日後の決闘までは酒呑は誰にも手を出さないことを昨夜約束させたばかりだし、昨日の今日でそれを破るヤツでもない。
 そもそも酒呑は決闘までの時間を全て回復に注ぎ込んでいるはずだ。それなのに自らあんな派手な闘いを望むはずがない。予想しか出来ないが、おそらくは俺達ではない別口の組織やら存在やらが喧嘩を売りに行ったか、もしくは日昏が退魔師として大鬼を討ちに…いやそれは流石にないか。無謀過ぎる。
 というか、いくら立ち入り禁止されている地帯とはいえ、こんだけ盛大にやらかしてんのはどこのどいつだ。これだと一般人に見つかるのも時間の問題…、
「…おかしいな」
「んー?」
「何がだ?」
 俺の呟きに二人が首を傾げる。
 あの場所で交戦している両者の激突はあきらかにこれまでで最大レベルの規模だ。俺がつい最近まであそこで人外絡みの案件を片づけていた時もあんな戦闘はしたことがない。
 それなのに、感じ取れる気配があまりにも薄い。それに音も光も、“倍加”を巡らせた五感ですら掴めない。猫の因子持ちで聴力特化されたシェリアでも耳障りな戦闘音が微かに聞こえる程度だと言う。
 何かおかしい。もしかして、あの戦闘に気付いているのは人外やその性質を宿した俺や由音くらいしかいないのか?
 思えばあの土地、あれだけ荒れ果て朽ちて崩壊してもおかしくない廃ビルがいくつも乱立されたまま放置されているというのに、一向に手を付ける様子がない。昔は解体費用とかを惜しんで後回しにしているのかとも思っていたが、あまりにも期間が長すぎる。
 まるで、人々から忘れ去られたかのよう。興味を一切失くして土地が存在することすら認識できていないかのよう。
「…まさか」
 俺は、そんな効力を発揮する術式を知っている。この身に流れる退魔師の血が知識を継承している。
 退魔を行う際にその周辺の人間に被害が及ばないように、区切った領域内部への興味を逸らし人々を無意識的に遠ざける人払いの結界。隠形術おんぎょうじゅつというものを基盤にアレンジを加えた陽向家独自の術式。
 もしそれが使われているのだとすれば、その人物の心当たりは極端に限られてくる。
(日昏…じゃないだろうな。あいつが来るよりずっと前から俺はあそこを人外との戦場に利用してきた。その時から結界が稼働し続けていたんだとすれば)
 当時まだ退魔師としての自覚も忘却し封印させていた俺にも出来ることではない。
 そうなるともう、思い当たる『陽向』の節はたった一人しかいなかった。



「へっくし」
 小さなくしゃみを一つして、自宅の自室で年季の入ったノートの紙面に何事か書き綴っていた旭が顔を上げる。
(あれ、夏風邪かな。これから忙しくなるって時に、やだなあ…)
 老いによる免疫力の低下だろうかと、旭はがっくりと肩を落として深い溜息を漏らした。
(…それにしても、アルあんまり暴れないでほしいなあ。大鬼との戦闘で結界が揺らいできてるよ。せっかく今まで何事もなく稼働し続けていたのに)
 この街に侵攻してくる妖精やその他悪意を持った人外達を迎撃する事態に備えて確保しておいた土地とそれを覆う結界だったが、この様子ではもう一度強固に張り直す必要があるかもしれない。
(まあいいか。どの道、守羽がこれまであの土地を使い続けてきて結界もいい具合に摩耗してきてたし)
 まるで障子紙の張り替えをするような気軽さで、旭はそう決めると椅子に座ったままぐっと背伸びをする。
(さて、アル?戦闘に狂うのもいいけど、いい加減にしないと本当に死んじゃうよ。まあ引き際を弁えて退かせる役目は、きちんと彼らが果たしてくれるだろう)
 かつて共に死線を潜り抜けた戦友の死が間近に迫っているのを知りながら、絶対の信頼をもって旭は手出しを控える。



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「ふ、ッハハ…。アッハははァ……!!」
 ゆらりと、血溜まりから起き上がったアルは左手に持つ童子切を地に刺し支えにする。刃毀れとヒビ割れで使い物にならなくなっていた刀は、アルの加重がとどめとなってポッキリ折れてしまった。
「うぉっとと」
 前のめりにつんのめった頭部から鮮血が滴り落ちる。
 煤けた赤茶色の髪の毛を掻き上げると、左の掌は真っ赤な液体がべっとりと付着していた。
 無言で掌を地面に押し当て、再び地中や周囲の瓦礫から鉄を…金行となる金属を掻き集める。
 右腕は砕けてもう使い物にはならない。流石は大鬼、まともに正面から打ち合ったわけでもないのに骨は砕け肉はひしゃげた。拳すら握れない。
 しかしそれでも、アルは退かない。むしろ『最強』の証明を右手に叩き込まれたことに喜び打ち震えながら、掻き集めた金属と流れ出る血液でさらなる武器を生成する。
 ただ、今度のはこれまでのものとは明らかに違った。
 北欧神話を中心に創り上げてきた武器はそのほとんどが贋作とはいえ神話に語られるに足るだけの威力と性質を宿させた渾身の出来映えの武装だった。
 それが全て通じない…それ自体は同じく北欧に出自を持つアルにとっては多少なりとも思うことがある事実だったが、全ては贋作ですら満足に創り上げられない自らの不出来だと納得させていた。
 だがこのままでは終わらせない。せめて、掠り傷の一つでもいい。『鬼殺しの刀』に頼らず酒呑童子に一矢報いたい。最強の大鬼の記憶に刻み付けたい。
 既に十六もの備えを用意していた贋作の童子切は、たった今折れたものを最後に全て砕かれた。どの道もうこの手に鬼の首を刎ねられるだけの力はない。
 悔しいという感情は湧かない。金属細工師としても別段誇りを掲げているわけでもないアルは、むしろこれだけ渾身の武装を完全に突破されたことに清々しさすら覚えていた。
 だからこそ、
「持っていけ」
 金属が手の中で形を変え、棒状に引き延ばされていく。その形状は槍。
 ただし込められた力と放つ圧力はこれまでのどの武器の比にもならないほど。バチバチッと放電にも似た力の奔流がアルの創り上げる槍を中心に広がっていく。
「その眼に刻んでくれよ、酒呑童子。最強の大鬼へ贈る北欧最大最強の一手だ。コイツも単なる模倣で申し訳ねえが、な!」
「クックッ…クカカカッ!」
 砕けた右手をだらりと下げ、左手のみで握る槍はその形をほぼ完成させていた。やはり神話の武器にしてはやや質素ともいえる造形で、しかし尋常でない威圧を放つ。
 鉄で構成されたはずの槍の色は、何故か鈍色ではなく乾いた樹のような薄茶色。形自体も整えられてはいるが、一見すると木の枝を折って石やナイフで削り上げたかのような、原始的な投げ槍のフォルムをしている。
 何も知らぬ者がこれを見れば、呆れ顔で失笑することだろう。これが北欧神話に語られる槍なのか、と。
 だがこれでいい。主神の槍はこれが原型なのだ。神樹ユグドラシルの枝から創り上げたと云われているコレに、元来無意味な装飾など施されていない。
 体外に流れ出る血液が逆立ち、吸い込まれるように左手の槍へ吸収される。
 アルの血液(正しくは血中の鉄分)を鍵として、模倣された神話はその真価を解放する。

「“天貫神槍グングニル”………ッ!!!」

 歯を剥き出しにして、自分で創り上げた武装の圧力に潰されそうになりながらもアルは獣の如き猛る笑みを浮かべる。
「……クカッッ!!」
 槍から四周全域に暴風が吹き荒れる中、アルに応えるようにして狂喜する大鬼はシンプルな正拳突きの構えを取る。真っ向から受け止めるつもりで。
 北欧神話最大最強の神槍と、日本史上最大最強の大鬼。贋作とはいえ主神の槍が鬼神の拳にどこまで通じるのか。
 衝突による衝撃の余波のことなど、両者はまるで考えていない。この土地が吹き飛び地図が書き換わる事態になろうとも、そんなことを躊躇うアルと酒呑ではない。
 共にどこまでも愉しそうな笑顔で、ミシミシと軋む左腕から今まさに神槍を手放そうとしたその瞬間、
 プルルル、プルルル、プルルル…と。
 携帯電話の音が鳴った。
「……」
「……あァ?」
 半眼で睨む酒呑の視線に顔を背けて、粉砕された震える右手で使い辛そうにアルがポケットから古臭い二つ折りのケータイを取り出して開く。数秒ディスプレイを見て、ボタン一つで音を消す。どうやら通話だったらしい。
「…悪いな大鬼。さあ行くぞ―――」
 ピリリリッ、ピリリリッ!
 すると今度はさっきよりも甲高い音が、ポケットに突っ込んだばかりのケータイから鳴り出した。
 持ち主であるアルも水を差された酒呑もその音にイラッとしながら、アルはもう見ることもせずに手だけポケットに突っ込んで手探りで通話を打ち切った。
「…レンの野郎、あとでぶっ殺す」
 不機嫌にそう呟いて、今度こそ左手の神槍を投擲しようとして、
 ビーッ!ビーッ!!ビーッ!!!
 ブチッ。
 青筋を浮かべて、とうとう警報ブザーのような音を鳴り響かせ始めたケータイを引っ張り出して開き、耳に当てて叫ぶ。
「うるっせんだよレンぶち殺すぞコラァ!!あと勝手に俺のケータイの着信音操作すんじゃねえ!!」
 電話の相手らしき名を怨嗟の声音で罵りながら、冷静に返ってきた言葉に苛立ったままアルは乱暴に返事していく。
「あ?童子切?ストック全部使い切ったけど。ああ、うん。もう勝てねえよ、そんなん知ってる。…は?撤退?ざけんな」
 左手に持つ槍の圧力で今にもバラバラに分解しそうな古い携帯電話で通話するアルを、酒呑は律儀に待っていた。というより、雲行きが怪しくなってきた。
「命令なんざ知ったことかよ。今いいとこなんだ、ここで逃げ出したりなんかしたら相手に失礼だろが。だから俺は…………え、白埜?えちょっと待ってなにそれ、え?怒ってんの?」
 ここまでどれだけの傷を受けても平然としていたアルが、ここに来て嫌な汗を浮かべ始めた。鬼の聴力で聴き取る限り、どうも白埜とかいう仲間がアルの行動を咎めているようだが…。
「退かないと絶交?もう目も合わせない?それマジで白埜が言ってんの?待って待ってわかったすぐ帰るから白埜に伝えといて」
 プルプルと震える右手は果たして粉砕された痛みによるものだけか。ゆっくりと携帯を折ってポケットに戻したアルが、槍を掴む左手にぐっと力を込めると、それに呼応して完成された神槍がひとりでに壊れる。自壊の余波だけで周辺に多大な衝撃を撒き散らしながら、それでもアルと酒呑は一歩も動くことはしなかった。
 衝撃の拡散し終わり、静かになった真昼の陽光の下で、冷や汗をダラダラと垂らすアルが瀕死の体で酒呑を見据えて、言う。
「悪い、急用が入った」
「…みてェだな」
「帰るわ」
「好きにしろォ」
 もう完全にやる気を削がれていた酒呑は、適当に返して片手を振った。さっさと消えろと言わんばかりのジェスチャーだ。
「すまん!もし次があったらそん時はちゃんと最後まで殺し合うから!」
 耳を疑うような狂気じみた発言をするアルに、安全圏に避難させていた酒瓶を取り出して酒呑が中身を確認する。アルが手土産に持ってきた濁り酒だ。
「まァ、酒の差し入れに免じて勘弁してやらァ。オラ、とっとと行けよ。ってか、手当てしねェとその怪我、本当に死ぬぞ?」
 笑えないほどの出血量なのに平然としているアルの青白くなり始めた顔色を見て、酒呑が瓶の蓋を開封しながら忠告してやる。
「おう、マジで悪い。まあなんだ、俺が言うのもなんだが、『鬼殺し』がきっとお前を愉しませてくれるだろうからよ。それまでおとなしくしとけよ。つっても、どうせその程度の傷は一日くらいで治っちまうんだろうけど」
「半日いらねェよボケ」
 贋作童子切によって全身に負った切り傷は、もう血が止まるどころか傷口が塞がり掛けていた。表面しか斬れていないあの程度の傷は、大鬼の自己治癒能力の前では蓄積ダメージにすらならないのだ。
「オイ」
 盛大に激闘の爪痕を残して行った廃ビル群から立ち去ろうとしていたアルの背中を、濁り酒を煽りながら瓦礫の一つに腰掛けた酒呑が呼び止める。
「『鬼殺し』に言っとけ、二日後の決闘には本物の童子切安綱を持って来いってな。じゃなきゃオレにゃァ勝てねェどころか勝負にもならねェぞ」
「…さあ、そいつはどうかな。ま、一応旦那にはそう伝えておくさ」
「それと、テメェ。アルだったか?」
 珍しく鬼の同胞以外の名前を呼んだ酒呑童子が、ニィと口を横に引き延ばした凶悪な笑顔を浮かべる。
「テメェ、オレに下る気はねェか?同胞じゃねェが、テメェの実力は本物だ。何より、愉しんで殺し合えるイカれた野郎はオレにとっても貴重なんだよ」
 最強の鬼からの思いもよらない勧誘に一瞬硬直したアルだったが、名残り惜しそうな苦笑いを返して首を横に振った。
「ああ、そりゃまたとない誘いだな。昔の俺なら跳び付いた話だったろうが、生憎と今はもう居心地の良い場所を見つけちまったんだ。うちの大将は裏切れねェ」
「そうか」
 酒呑も予想していた返答だったのか、特に食い下がるということもなかった。
 それっきり会話は失せ、視線のみでアルは大鬼の脅威を、酒呑は妖精崩れの悪魔の健闘をそれぞれ称賛した。
「ククッ」
 アルが去っていくのを眺めながら、噛み殺しきれなくなった笑いを漏らす。
 面白いヤツがいるものだ。『鬼殺し』の件も含め、山から降りてきたのは正解だったな。
 そんなことを思いながら、酒呑童子は異変を感じ取った牛頭と馬頭が戻ってくるまでひたすらに濁り酒を飲んで堪え切れない大笑いを続けていた。

       

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