Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「チッ、うぉっ…くっ!」
身体能力四十倍に加え、強化された五感全てを頼りに高速で移動する。
頬の皮膚を裂き、服の端が斬り飛ばされる。
『鎌』が、挙動無しで放たれていた。
黄土色の獣は両眼を俺へ据えるだけで、一歩も動いてはいない。
ただ、身に纏う風だけが意思ある生物のように切れ味を増して俺を追いかけてくる。
壁と壁とを蹴りながら狭い路地裏を跳び回る。そうしなければあっさり風の斬撃に包囲されてしまうからだ。
とにかく数が多い。既に俺には獣の姿を視界に留めておくことすらできなくなっていた。
だから宙に跳んだままの俺のすぐ背後で爪を振りかぶっていることにも、直前まで気付くことができなかった。
「てっめ!」
空中で体勢を捻じ曲げて爪を掻い潜る。
………ズンッ…!!
最初なんの音かと思ったが、すぐに判明した。
路地裏を構成していた片側の建物が、斜めに切り裂かれていた。
あまりにも綺麗で鋭い切断だった為に倒壊には至っていなかったが、よくよく見れば建物の上と下の部分で僅かにズレている。
…中に人がいないことを祈るばかりだ。
そして爪の回避に無理矢理な避け方をしたせいで、迫る斬撃と眼前の獣が構える次撃の爪という四方八方逃げ場のない状況。
歯を食いしばり念じる。
(両腕耐久力四十五倍!同時に腕力五十倍!!)
致命傷になりうる攻撃のみを受ける!
首に迫る斬撃を鉄のように固くなった左腕で消し飛ばす。
肩への斬撃は無視し、右目を斬り裂く軌道で飛来するそれを右手で弾く。
脇腹を浅く斬られ、胴体を両断しかねない斬撃を肘と膝で挟み込んで潰す。
手、脚、頭、全身が斬り刻まれる。
「ぐっ、ぬ…ああァぁアアああああああ!!」
“倍加”された動体視力で致命傷のみを迎撃し、それ以外を度外視する。
「シャァァアアアア!!」
最後に斬撃よりもワンテンポ遅れて振るわれた獣の爪。
上から下へ向けた、路地裏の一本道を縦に裂く鎌鼬の刃。
両腕を体の前に出して防がんと構える。
ザグンと五本の斬撃が腕に食い込み、止まる。どうやら“倍加”を施した腕の表皮では防ぎ切れなかったが、耐久力四十倍強化の骨は断てなかったらしい。
そのまま爪を押さえ込んだ骨ごと押される形で、俺の体は路地裏の地面へと叩きつけられた。
伸びた斬撃の延長が汚れたアスファルトを切断し、破砕する。
「………ごほ、げほっ。い、ってぇ…」
粉塵の舞う中、粉々になった地面に半ば埋もれていた体を起き上がらせる。
体の外側はもちろんだが、内側にも痛みが走る。妙な違和感と口の端から流れる血で内臓へのダメージを自覚する。
両腕には骨まで達する深い裂傷。放っておけば出血が看過できないレベルになるのは明白。
さらに不味いことに、
(能力限界だ、これ以上は…)
“倍加”の反動は、能力を引き上げれば上げるほど増す。
三十、四十倍程度までなら翌日筋肉痛で悩まされるくらいで済む。
俺の人間としての耐久値は、“倍加”の五十倍で限界となる。
それ以上の強化は人体の限界を超えた領域、すなわち肉体の破壊を伴う。
六十倍腕力強化で殴りつければ、腕の筋肉は千切れて反動は当分の間、腕の使用を許さないだろう。
かつて五感を五十倍以上に高めて一週間ほど不全に陥ったトラウマもある。
瞬間的にとはいえ、両腕の腕力を限界五十倍にまで引き上げた今の俺の腕は、もう持ち上げることすら億劫に思えるほど重たく感じられた。
あの鎌鼬の実力は、俺が出せる異能の限界の先にある。
まともに相手にして、勝てるかどうかはもうわからない。
「グル、ギィイァァアアアア……!」
粉塵の向こう側に見える獣の影が、両の爪を大きく広げて構えている。
振るうつもりか、俺をバラす為に。
大雑把な攻撃なら、避けられる。
全方位の斬撃さえどうにかできれば、爪自体の脅威は恐ろしいものだが回避自体はそう難しいものじゃない。
問題は風を纏う高速移動と飛来する斬撃、両断する両の爪撃。これらを常時併用できるということだ。
あれは俺では防ぎ切れないし避け切れない。
やはり鎌鼬としてはヤツが一番優秀ってことか…。
両足を踏ん張り、いつでも跳べるように力を溜める。
右腕、左腕。
構えてはみたものの、鉛のように重たい。痛みも出血も酷い。
この戦い長く続けば俺が死ぬ。最悪逃げることも視野に入れなければ。
舞っていた粉塵が風に流され視界が明瞭になる。風ということは、ヤツが動く前兆。
来るか。身構えて一挙手一投足を見逃すまいと強く睨んだ時、ヤツの視線があらぬ方向へ向いた。
直後ヤツがその場から飛び退くと、直前まで立っていた場所に爪で切り裂いた跡のようなものが刻まれた。
ーーー見覚えのある攻撃だ。
それはまるで、見えない風の牙。
初見で俺に寒気を覚えさせた、アイツの『鎌』。

「…ようやく、見つけた」

それを放ったソイツは、俺の前に降りてきて風を纏って緩やかに着地した。
鎌鼬三兄弟の『鎌』担当。
夜刀が、怒りとも悲しみともわからない表情で、正面の兄を見据えていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha