Neetel Inside ニートノベル
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「…ふむ、やはり中々」
「しぶといですな」
 声が、実際の距離以上に遠く聞こえる。
 俺はうつ伏せに倒れていた。
「ッ……ぜはっ、ひゅー…ッ…こふ…、…!」
 口と鼻だけでは酸素が足りない、それでも精一杯に呼吸を続ける。だが息苦しさは変わらず。もしかしたら肺をやられたかもしれない。
 いつだ?大鬼戦で?それともあの二人の妖精を相手にしてからか。
 酸素不足で脳がうまく働かない。
「しかし、これだけやれば問題ないのでは?ヤツはもう戦える体ではありませんぞ」
「……いや、油断は出来ぬ。あれは人でもなければ妖精でもない。だがそれ故にあらゆる要素を内包させたブラックボックスだ。気を抜けば喰われるのは我らの方よ」
 頬を地面に擦り付け、どうにか顔だけ上げて正面十数メートル先にいる妖精を見やる。
 ほとんど勝負にもならない一方的な暴虐だったが、その間に連中の正体は判った。
「ジャッ、ク…フロスト…。それ、と。……レプラ、コーンか」
 俺の呟きを拾った妖精は驚きの表情を浮かべていた。
「コイツは…!」
「だから言っただろう、ラバーよ。…大方、退魔師としての知識によって我らの攻撃挙動や外見特徴から真名を看破した、といったところか。『陽向』は子々孫々に渡り全ての知識を継承させる一族だと聞く。それを使ったか」
 氷の妖精ジャックフロスト。英国イギリスイングランド地方における民間伝承に端を発する、寒さを具現化された民話上の存在。日本で言うところの雪女と同等のポジション。古くから伝えられている氷精の実力は侮れない。
 その隣にいるのが『小さな体』のレプラコーン。靴職人であり、自らが創った靴には様々な能力や性能を付与できるという。その出自は妖精猫ケット・シー…シェリアと同じアイルランド伝承に登場する妖精。
「ぐ、ぅあああ!!」
 酸素の回らない頭で必死に状況打破の思考と相手の真名からなる次の手を予想しながら、俺はまだ無事な左手を地面に叩きつけ上体を起こす。
 全身を起き上がらせるより前に、真下の地面が盛り上がり俺の腹を凄まじい威力で叩き上げた。
「あがっ!」
 痛みに耐えながら跳ね上がった体を空中で立て直し着地する。見れば、ラバーと呼ばれていたレプラコーンが片膝を着いて片手に持っている小さな木槌を地面に当てていた。
(ちぃ、そういう…ことかっ)
 靴とは地を踏み締める物。それを創るレプラコーンもまた、それに準じた能力を得手としている。つまり靴職人ラバーの得意属性は五大の内の『土』だ。
「三百倍っ!」
 足元から突き出た地面を殴り砕くと、今度は頭上から氷塊が降って来る。続けて飛び出た地面の迎撃も間に合わず、俺は氷塊と地面とで上下から挟み込まれる。
「ああああああああ……!!五百っ……八百倍ィィああああああああ!!」
 左手で氷塊を、両足で地面を押さえ付けながら“倍加”を引き上げ続ける。酒呑童子との闘いでは数千倍までに高めていたが、今はそんな力すらもう出せない。そもそもあれだけの強化は能力を全開放させていたからこそ使えたものであって、今の状態で数千倍など使おうものなら数秒保たず全身が捻り潰れる。
(こんなところで終われるか!やっと、やっと元通りの日々に戻れるってのに!!)
 見開いた眼球が熱くなる。髪がチリチリと逆立つ。
 一瞬、一秒でいい。
 もう一度、使えれば。
 門をこじ開ける、そこから流出する力を束ね、全身に巡らせる。
 髪と瞳が変色する。体が焼けるような感覚を無視して、湧き上がった力の全てを左腕に集める。
「っなんだ!?」
「ラバー、下がれ」
「吹きっ飛べ!!!」
 氷塊を粉砕し、連中が何か仕掛けるよりも速く握った左手を突き出す。大鬼が散々やっていた、空気を圧し固めた大気の砲弾。肉体性能のみでそれを成していた鬼とは違うが、似た現象を発生させることには成功した。
 二人の妖精が立っていた辺りが諸共粉塵を巻き上げて爆発する。轟音が響き渡る中、再び黒髪黒目に戻った俺は立つことすらもう出来なかった。先程と同じようにうつ伏せに倒れ、指の一本すら動かせない。
 いよいよ酸欠が酷くなり、意識が遠ざかる。最後っ屁の結果を見届ける為に顔を向けることすら叶わない。
 だがそれは確認するまでもなかった。
「…、助かり申した、ファルスフィス殿」
「いやなに、儂もひやりとした。老い先短いというのに、さらに寿命が縮んだようだ」
 駄目だ。…倒せなかった。
 このまま連中に捕まり、その先どうなる?わからんが、ろくなことには、ならない。

「今度こそ尽き果てたようだが、念には念をだ。確実に意識を奪っておくに越したことはない」
「そのようで。では、俺が」

 何かが地面を小突く音に続いて、地響きが倒れた体全体を揺さぶる。何か攻撃が迫っている。
 だが、もう、動けない。回避も、防御も。何も出来ない。



 キン、と金属が鳴る音がして、誰かが地面に両足を着ける軽い音がした。
「ジジイが寄ってたかって若いの虐めて、恥ずかしくねえのかクソ共が」
 守羽へ迫る無数の岩石を斬り払ったその者は、倒れる守羽の眼前で二人の妖精に対し純粋な罵倒をぶつける。
「随分滑稽な姿になったなアル。話に聞けば鬼と闘い無様な惨敗を喫したらしいが?」
 同じように敵意を漲らせて、木槌を片手に構えるラバーが嘲り返す。
「ああ、楽しかったぜ?少なくとも、闘う力の無いガキ一人をボコボコにするよりかはよっぽどな」
 全身に包帯を巻き、右腕を丸ごとギブスで固めて吊り布にぶら下げたアルが、左手に一振りの刀を持って立つ。
 咥えていた鞘を口から離し、地面に落下する前に左手のみで器用に刀身をパチンと納めて肩に担ぐ。
「何故刀を収める?よもや割り込んでおいて降伏というわけでもあるまい」
「失せろ、オレの目的はこのガキだ。テメエらには渡さねえ。…それが、自分の身を捨ててでも家族の無事を優先させた俺ら『突貫同盟』、御大将最後の願いにして頼みだ」
「………―――…、と、う…さん……?」
 倒れる守羽が、虚ろな瞳で残り少ない酸素を溢すように漏らした呟きをアルは聞いていた。まだかろうじて意識が残っているらしい。
「大罪人を捕らえて連行する。その事実がありゃ息子ガキ一人なんざ些事の範疇だろ。旦那が何も考えず退魔師との決着をつけに行ったと思ってんのか?」
 神門旭は知っていた。陽向日昏との戦闘を終えて無事では済んでいない自分を狙い妖精が襲撃してくるであろうことは。
 だからこそ、先んじて旭は同盟仲間に指示を与えていた。たとえどんな状況になろうとも、『決して神門旭を助けに行かず、その家族の安全を最優先に動け』と。
「旦那の想いを少しくらいは汲んでやれ、テメエら老害にほんの少しでも人情ってヤツがあるんならな。無いってんなら、仕方ねえ」
 刀の柄を掴みいつ攻撃が来ても迎え撃てる体勢を維持する。その刀は、神門守羽と酒呑童子との激闘の中でいつの間にかどこぞへ吹き飛んでいた大業物、童子切安綱。ここへ辿り着くまでの道中でアルがちゃっかり回収していたものだ。
 さらに加えて一本、地面からアルが作成した贋作の剣が現れる。鞘は無く、刀身が鏡のように磨き上げられた一品。
「ぶっ殺してやる。来いよ」
「片腕の使えない状況で武器を二つも出してどうする、馬鹿め」
「ラバー」
 ファルスフィスが止めるより先にラバーが片手に持つ木槌を振り上げる。木槌が地面を叩くより速く、地面から現れた剣をアルは蹴飛ばす。回転しながら飛来するその剣を、鼻息一つでラバーが迎撃しようとする。
 アルの口元が凶悪に笑んだ。
「っ、ラバー待て!」
「おせえよ」
 アルが剣に込めた力を解放させると、回転する剣の刃へひとりでに亀裂が走り、内側から光が漏れ出る。

「“燐光輝剣クラウソラス”」

「ぬう!?」
「む…!」
 直後、破裂した剣から莫大な光量が全方位へ放射される。両手で杖を握っていたファルスフィス、木槌を振り被っていたラバーは突然の大発光に眼球を刺すような痛みに襲われ顔を覆う。
 痙攣する瞼を薄く開いた時には、もうアルも守羽もそこには居なかった。
「……逃げられたか」
 片手を顔に当てたまま痛みを和らげるように指で目元を揉むファルスフィスへ、ラバーが申し訳なさそうに無言で頭を下げる。
 対するファルスフィスは責めるでもなく、楽しげにホッホッと笑うだけだった。
(昔は猪突猛進で思考を捨てた獣のような奴だったが、駆け引きと計略程度は覚えたか)
 かつてのアルであれば間違いなく逃げより先に戦って倒すことを第一に考え動いただろう。だが、今は背後に庇っていた守羽のこと、負傷した自らの状態のことを加味した上で逃走を選んだ。それも、あえて煽り戦う姿勢を見せた上で油断を誘ってから。
 妖精界で面倒を見て来た馬鹿弟子の予期せぬ成長っぷりを見せられ、老齢の氷精ジャックフロストは静かに顔を上げ僅かに傾き始めた太陽を仰いだ。



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『悪霊を魂魄に繋ぎ止める為の楔…これは守羽が君に施したものか?』

 守羽と大鬼との決闘前日。由音は日昏と接触していた。目的は自らの力に関しての相談及び強化の手段を求めて。
 神門守羽と同じ退魔師であれば、自らに宿る悪霊の力の使い方も熟知しているのではないかと思ったが故の人選だった。それに日昏は前に由音の深奥へ手を伸ばし悪霊を引き剥がそうとしたこともある。何か知っているかもしれないと予感したのもあった。
 由音の胸へ片手を当てて何かを探った日昏は、その奥にある封印を確認してから由音へそう問い掛けた。その問いに対し勢いよく首肯して、
『おう!ずっと前に“再生”と“憑依”が同時に暴走した時に、守羽が打ち込んだ!』
 数年前、東雲由音は悪霊に肉体を乗っ取られ、その際に制御を外れた“再生”の異能をも暴走を始めて極めて手に負えない怪物と化した過去がある。
 それを止めてくれたのが守羽であり、その時に由音の心臓(ひいてはその魂)へと悪霊を縫い止める楔の術式を打ち込んだ経緯があった。
『なるほど。だが不完全だな。当時の守羽がまだ覚醒していない半端な状態だったからか、術式の構成と構築が甘い。となれば、これを調整し直せば…』
『今より“憑依”を使えるようになんのかっ!?』
『可能性は高い』
『マジか!ちょ、その調整とかいうのやってくんね!?いややってくださいお願いします!』
 丁寧に言い直して、由音はその場で深く頭を下げる。日昏は火の灯っていない煙草を口に咥えたまま、
『調整自体は、まあ容易い。元々俺は「陰陽」を兼ね備えるべく与えられた「日昏」の真名保持者だ。負の塊だろうが弄くることは造作も無い。…だがな東雲の』
 あまり気乗りしない様子で、日昏は忠告する。
『この調整というものは君の魂魄へ無造作に手を加えるということだ。それは麻酔無しで胸部を切り開き心臓を鷲掴まれるレベルの激痛に等しい。…前に俺が君にやったことだ、忘れられるような痛みではなかったろう?』
 東雲由音は特異中の特異な人間だ。悪霊に胎児期から取り憑かれ、そして今なお内に宿したまま存命した極めて稀な特例。それ故に調整にも安全策ノーリスクが存在しない。さらに言えば確実や絶対という言葉からもほど遠い。
 調整自体は容易でも、その痛みに由音自身が耐えられる保証が無いのだ。最悪痛みでショック死、廃人化ということも充分有り得る。それほどの激痛を伴う。
『痛いのはしょうがねえ!それで今より強くなれんなら我慢する!!』
 前回も耐え切ったとはいえ、あんな思いは二度としたくないと思うはずだ。にも関わらず由音は即答する。
『……それも、守羽の為か』
『当然!アイツと肩を並べんのに、今のままじゃ足りねえからなっ』
『ふふ、はは…。そうか』
 躊躇せず断言した由音に、日昏はまるで自分のことのように誇らしく嬉しく思う。自然と笑いが込み上げていた。
『守羽は幸せ者だな。いい仲間に、恵まれた』
 言うと左手を由音の肩に、右手を胸へ強く押し当てる。
『ならばやるぞ。意識を強く保て、守羽の「右腕」として在りたいのならな』
『おお!かかって来い!!』
 そして夜の街に少年の絶叫が木霊した。



「く、なんだこの力は…」
「痛い思いした甲斐、…あったぜ!!」
 路地を大量の水と邪気とが削り抉り合いながら激突する。
 由音の全身は漆黒に包まれており、高速で移動する軌道をなぞって邪気が尾を引いていく。
 日昏戦で見せた、“憑依”と“再生”の同時解放。前回は負担が重すぎて短時間で切れてしまったが、その戦闘を行った日昏の手によって直々に調整を受けた由音はその負担を大きく軽減させた強化を可能としていた。
 地を蹴れば爆風が吹き荒れ、腕を振るえば指先から邪気が伸びて斬撃と化す。咆哮は大気を震動させ路地の壁を崩壊させる。
 その様は、まるで黒い獣。
(…いけるっ!このまま押し切ってあの女を追っかけ…、!)
 下がるレイスを追って伸ばした手を、直感で引っ込める。手を伸ばしていた位置に何かが通過し、地面ごと路地の建物を縦に両断した。
「シェリアの面倒を見てもらった人間だからと、思っていたが…。仕方ない」
 その正体はやはり水。超高圧縮された水圧の刃。
 水圧斬撃ウォーターカッターまで使い始めたレイスが、周囲に水を漂わせながら瞳を鋭くする。
「加減は、無しだ」
「こっちのセリフなんだよなーボケナスがよおっ!!」
 さらに邪気のオーラを立ち昇らせ、由音が前傾に体勢を取る。
 だが両者がそれ以上衝突することはなかった。
「レイス」
 コツンと音を立てて、杖を両手で握る白髪白鬚、着ている装束まて真っ白の老人が路地に降り立ったからだ。
「…ファルスフィス殿」
「これまでだ。神門守羽は捕らえ損なったが、第一の最大目標は達した。退くぞ」
「ですが…!」
 水圧斬撃を仕掛ける手前の水を散らせて、レイスは戦闘態勢を崩さぬままに視線で由音の後方に立っているシェリアを示す。
「む?シェリア…。いくら温厚な儂ら妖精といえど、裏切りには厳しいぞ?ただでさえアルとレンの妖精界での裏切りが記憶に新しいばかりだというのにのう」
「っ…あたし、は…」
「違います、ファルスフィス殿!シェリアは裏切ったわけでは…」
 裏切りではないと言い切りつつも説明に窮したレイスは、ファルスフィスへ向けていた顔を勢いよくシェリアへ戻し、
「早く来いシェリア!!今ならまだ戻れる!くだらない意固地を張るな、人の世で何を唆されたのかは知らんが惑わされるな!」
「レイス…」
 シェリアは困惑した表情で、ワンピースの裾を握る。彷徨う視線が助けを求めるように由音の背中へ流れ着く。
 前方を警戒しながらも半身振り返り、邪気を纏う由音は漆黒の向こうに柔らかい微笑みを浮かべて、
「…よくわかんねえけど、お前が正しいと思ったことを言え。向こうに戻るんならそれがいいし、そうじゃなくても、守羽や静音センパイ、オレがいる。どっち選んだってお前は独りになったりしねえから。それだけはオレでも保障できる。だから安心しろ!」
「……シノ。うん…、うんっ!」
 由音の言葉に強く頷いて、シェリアは対面の二人にキッと顔を向ける。
「シュウのお父さんを返して!もうこれ以上こんにゃことするの、よくない!」
「…なるほど。これは重症だの」
「シェリア…!」
 呆れたようにファルスフィスが溜息を吐き、切羽詰まった様子で叫びかけたレイスを杖から離した片手で制する。
「よい、レイス。あまり時間を掛けてはいられない。『突貫同盟』も動いている上、人の世で少々騒ぎ過ぎた。『イルダーナ』はこれより妖精界へ帰還する」
「!?…ですが!」
 その言葉の意味を知り、レイスが戸惑いと驚愕を織り交ぜた声で組織の長へ詰め寄る。
「それでいいんだな?シェリア!」
「うん!あたしは、これでいい。もう決めたから!!」
 由音の再度の確認に再度の頷きを返す。由音はニッと口の端を吊り上げて邪気をさらに膨れ上がらせる。
「わかった、ならお前はオレが全力で守る!連中には絶対渡さねえからよお!!」
「と、いうわけだ。アレを倒し抵抗するシェリアを連れ帰るのでは時間と手間が掛かり過ぎる」
「見捨てるのですか!?」
「そうではない」
 意気込む由音へ細めた両目を向けるファルスフィスが、杖をコォンと地に突く。路地を構成している両側の建物が、空から落下してきた氷塊に潰されて瓦礫の津波として押し寄せる。
「ファルスフィス殿!!」
「悪いようにはせんよ。向こう側におるあの少年然り、神門守羽然りな」
「…………くっ!」
 大質量の衝突で破壊されていく建物の破片や噴き上がるコンクリートなどからシェリアを庇いながら、由音は瓦礫のカーテンの奥で二つの影が背中を向け去っていくのを見た。



 オフィスビル二棟の半壊、街中の建築物数棟の全壊、廃ビル群とその周辺の大破壊(これは一般人には認知および認識されてはいない)。
 その他いくつかの箇所で破壊の爪痕を残したこの一件は、何も知らない人間達に強い困惑と戸惑いを警戒を刻み付けた。この事件の本当の原因は、きっと誰も掴むことが出来ないだろう。
 そうして人間が一人、この人の世から姿を消した。
 大鬼との決闘に勝った、退魔師との決着をつけた。
 それぞれにそれぞれの因縁を断ち切ったものの、彼らが本当に欲しがっていた安息の日々はむしろ遠ざかり。
 また、次なる騒乱への火種が撒かれるだけに終わるのだった。

       

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Neetsha