Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「次の戦い。戦場は完全な敵地アウェー、敵の総力は未知数。わかることは圧倒的な数と力をもって迎撃に挑んでくるであろうことだけ」
 胡坐で腕を組み、淡々と説明する。
「対してこっちは圧倒的戦力差を覆すだけの切り札も策も無い。…正直真っ向からぶつかって勝てるとは思わない」
 言ってて自分で心折れそうになるほどの絶望的な状況説明を受けて、相手はしかし無言でただ傾聴していた。
「だが俺は行く。行かなくちゃいけない。一家の大黒柱を失うわけにはいかないからな」
 目的へ最短距離で手を伸ばさなければ指先を掠らせることすら叶わない。そんな死地へと俺は身を投じる。
 そこへなんの関係も因縁の無い者を巻き込んででも、だ。
「少しでも戦力が欲しい。いや違うか、俺だけじゃどう考えても不可能なんだ。だから、無茶を承知でお前に言う」
 俺の家族に関係も無く、向かう世界への因縁も無い。
 四角いテーブルを挟んだ対面に座る東雲由音が、次に俺が放つ言葉を予想した上で一言も口を開くことをしない。
「由音、お前が必要だ。死線を潜る羽目になるかもしれない。その命、俺の為に懸けてくれ」
 図々しい申し出なのは分かっている。でも俺はなんとしても父さんを助けなければならない。その為には少しでも多くの力を手元に置きたい。
 ドンとテーブルの縁へ叩かれた右の拳が、麦茶を半分ほど残したコップを揺らす。その拳は僅かに震えていた。
「やっとか」
 何を言われても文句を返せる立場ではない俺は、口を開いた由音と入れ替わりに閉口して次の発言を待つ。
「オレはさ、守羽。お前に命を救われた。…命だけじゃねえ、心もだ。二年前、オレは異能と悪霊にいいように暴れ回られて死を覚悟してた。それをお前に助けられた。それからずっと待ってた。ずっと、ずっとだ」
 テーブルから離した拳に目を落として、由音は目を吊り上げ口の端を歪める。言葉通り、待ち焦がれた何かを歓待するように右拳を左の掌へ打ち付けて、
「待ってたぜ、その言葉セリフッ!!」
 尖った犬歯を剥き出しにして、由音はその身から熱気を迸らせながら叫ぶ。
「好きなだけ使え!この命、この力、二年間お前への大恩に報いる為だけに磨き続けた!妖精界だろうがなんだろうが関係ねえ、お前が行くならそこが地獄の底だって付き合う理由としちゃ充分過ぎんだよ」
「ああ、頼む」
 そんな口上に、俺も強く頷いて軽く頭を下げる。
 もう関わるなとは言わない、付き纏うなとも言わない。
 かつて自分自身のことすらも認められなかった当時の俺はなるべく親しい関係を作らないようにと、あえて人から遠ざかるように振る舞って来た。由音にも相応の態度で接してきた。
 それでもずっと俺を助けてきてくれた友人に、今度こそ俺は面と向かって接していければと思う。これから共に妖精界へ向かう戦友として。
 由音と今一度無言で視線を交わしてから、俺は廊下へ続く戸の方へ顔を向ける。
「で、お前はどうした?シェリア」
「あれ、ばれてたっ」
 薄い戸を挟んだ向こう側からそんな声が聞こえて、スパァンと勢いよく戸を開け放った少女が居間に乗り込んできた。その後ろによく知った先輩も引き連れて。
「静音さん…」
「お邪魔します。ごめんね?一応、守羽のお母さんに上げてもらってたんだけど」
 静音先輩と、先輩の家で居候させてもらっているシェリア。事情を知らなければただの黒髪美少女姉妹にしか見えない二人がいそいそと居間へ足を踏み入れる。
 二人は入って来るなりシェリアは由音の隣へ、静音さんはそんなシェリアのさらに隣へ並んで腰を下ろした。
「おうシェリア!どうだ、元気になったか!?」
「うんっ、もうだいじょぶ!全部、決めたから!」
 喧しく由音と会話するシェリアの様子がだいぶ俺の知る普段の猫耳少女に戻っているように見えて、俺は内心でいくらか安心する。昨日家を出て行ってから何かあったか。
「ね、シュウ!あたしも行くよ!」
 座ったかと思いきや、途端に両手をテーブルについて身を乗り出したシェリアがそう切り出すのを、俺は眉を顰めながら聞いていた。
 どこに行くかなんて聞くまでもない。
「お前…俺達が何しにどこ行くか知ってて言ってんのか」
「もちろん!妖精界でしょ?」
 あっけらかんと答えてみせたシェリアに、俺はどうしたもんかと息を吐く。
「……あのな。自分でこんなこと言いたくねえけど、俺らは穏やかな話し合いで事が片付くなんざ期待しちゃいねえ。初手から全開で攻め込む。いわば俺達はお前の故郷を侵略しに行くってことだ。お前の言ってることは、それに加担するってこと。いわば自分の故郷を裏切る行為ってことなんだぞ?」
「ちがうよ」
「……ん?」
 一瞬意味がわからなくなった。何が違うのか。
 戸惑いに暮れる一瞬の間に、シェリアはさらにこう続けた。
「あたしは、妖精界も、『イルダーナ』も、裏切れにゃい。だってずぅっと一緒にいたところだもん。でも、こんにゃのが正しいっていうのは、ぜったい思わにゃい。だから、あたしはあたしができることをすることにしたの」
 きっぱりと断言して、しっかりと俺の眼を見て少女は自らの決意を語る。
「だからあたしは止めるよ。レイスとファル爺、それにティトやラバーやラナ。妖精界の人たち。ちゃんとお話しして、わかってもらうの。アキラやシュウは、『ミカド』は悪い人じゃにゃいよって。あたしはそのために行く」
 あくまでも目的は侵攻ではなく和睦。だから裏切りではなく一時的な離脱。つまりはそういう介錯でいいんだろうか。
 ともあれシェリアの決意はとても強固なようで、その瞳は意識的に鋭くしている俺の眼とかち合ったところでちっとも逸らそうとしない。
 そうして、結局折れたのは俺の方。
「…わかった。ただ用心だけはしとけよ、お前はそのつもりじゃなくとも、向こうにとっちゃ現状お前は妖精界を裏切ってこっち側についたって認識が強い。お前は、」
 里帰りを邪魔する筋合いは俺には無いだろうが、今はその故郷自体が帰るべき場所として機能していないかもしれない。それを理解した上での言動なのだと承知してはいるが、やはりこれは事前に確認しておいた方がいい。
「お前は…俺達に加担して妖精界に乗り込むっていう認識で、いいのか?」
 これは、別に断っても構わない。元々から無理に引き入れようとは思っていなかったから。
 だが否定した場合、シェリアは俺達侵攻側と妖精側の両陣営にも所属しないどっちつかずの中立者となった状態で里帰りをする羽目になる。妖精連中が組織を離れたシェリアへ一体どんな沙汰を下したのか不明な以上、そんな身一つの状態で戻るのは危険な気がする。
 だからせめてこちら側につく気がなくとも、もしシェリアが良ければ同行して妖精界入りしようとは考えていた。なんなら人質という体で汚れ役を買って出てもいいくらいだ。俺達が妖精の人質を取って乗り込めば、必然連中の敵意は全てこちらへ向くだろうし、シェリアは脅されていた等と口を合わせてくれればすんなり妖精界へ帰還できるだろう。
 そういう方針を脳内で固めかけていたところを、
「うんっ。そうする!」
 呑気な一声と共に猫耳少女が俺の方針を思考ごと見事に一蹴してくれた。しばし蹴り飛ばされた思考力を頭の中で掻き集めていると、その間に一切合切迷いを取り払った明朗闊達な笑顔を見せてシェリアは言う。
「妖精界のみんにゃはとっても頭がかたいから、ちょっとくらいペチーンって叩いてあげたほうがいいんだよ。お話は、きっとそれからだと思うから!」
 …うーんこの。
 前々から感じていたことではあるが、この小事も大事も気にすることない奔放な言動と行動力。
 誰かさんによく似てるなと思う一方で、その誰かさんにより近くなっていってる気がしてならない。
「ん?」
 俺の向けたじとっとした視線に気付いているのかいないのか、薄い笑みを浮かべて俺を見返す由音は放っておく。
「了解了解、勝手にしてくれ。まったく人の気遣いをなんだと思ってんだか」
 誰にでもなくひとりごちて、俺は最後の難関へ取り掛かる。
「…………あのー、静音さん」
「私も行くよ、もちろん」
「…いや……えっと」
「私の“復元”は有用だと思うよ。守羽や由音君の好きなゲームで言うところの『僧侶』って役職に近いんじゃないかな」
「それは…うんー…」
「足手纏いにはならないから。もし邪魔だと感じたら捨ててもらって構わない」
「んなことしませんけど……いやだから危険でしてね…」
「守羽、お願い」
「うんはい一緒に行きましょっか」
 駄目だった。勝てるわけなかった。もうやめてその涙目上目遣い。俺が死ぬ。
 こうして戦士お れ武闘家ゆ い ん僧侶しずねさん遊び人シェリアのパーティーが出来上がった。何気にちょっとバランス良いのが余計に悩ましい。
「んで!?すぐ出んのか?今すぐ!」
 話が纏まった途端に活き活きとした様子で立ち上がった由音が叫ぶが、それには首を振って片手のジェスチャーで座らせた。
「そんなわけねえだろ。こっちだって準備だのなんだのある。俺はいいけど、お前や静音さんだってしばらく家を留守にする言い訳や用意が必要だろ」
 一日二日で済む話とも限らない。俺達が乗り込むのはこことは違う一つの世界。一刻を争う状況だというのは承知しているが、万全を期することなくして成功はありえない。
 どの道、都合よく俺達学生にとってはある一つのイベントが差し迫っている。
「明後日には終業式、夏休みが始まる。動き始めはそれからだ。二日の内に準備を整えておいて、妖精界に乗り込むのはそれからにする」
 おそらく後にも先にも、これほど濃厚で慌ただしい夏休みなんて来ることはないだろう。
 父親が連れ去られたにしてはわりと悠長かなと自負しつつも、俺はふと窓から差し込む強い日差しに目を細めながらこれからのことを薄ぼんやりと考えた。
 厳しい戦いになる。これまでよりもずっと厳しい戦いに。
 そしておそらくこの一件。今現在手中にある情報とこれから展開されるであろう状況への予想、そして異能と人外に関わってきて培われた長年の勘を合わせて導き出される一つの予感がある。
 単純には始まらず、単調には終わらない。
 イレギュラーなんてのは、どこにでも転がっている石ころ一つからでも発生する、どこにでもあるものでしかないことを、俺はよく知っていたから。



      -----
「―――やはり、奴等は何処かへ向かうようです。戦力を集め、何やら話しておりました」
「クカッ」
 偵察に出ていた配下、牛頭の報告を受けて大鬼・酒呑童子は短い笑いを漏らした。
 粉砕し倒壊し、既に数えるほどしか残っていない廃ビルの内の一つを再び根城として、鬼達は簡易的な寝床として錆びれた部屋を陣取っていた。
 紺の袴のみを着用し、何も衣類を羽織ることすらしていない晒された上半身は薄い白煙を上げ続けていた。消失した右腕の切断面からはさらに濃い白煙と肉の焼ける悪臭。
 神門守羽との決闘で身動き一つ困難になっていた大鬼は、今や体こそ壁に預けているもののしっかり一人で身体を支え、片膝を立てて起き上がっていた。左手にはほとんど中身の残っていない酒瓶を握っている。
「思ってたよりずっと早かったな。もうちょいゆっくり出来ると踏んでたんだが、まァ野郎にもなんか急ぎの用があるってこった」
 言いつつ、左手に持つ酒瓶を傾けて右腕の切断面に残る酒を全てかける。熱された鉄板に水を落としたようなジュバッという音を上げて酒が白煙に紛れ瞬間蒸発する。
「さァて、次はなんだ?どこへ行き何をする?何と対峙する?あるいは怪物、あるいは化物。あるいは…オレを越える『何か』か?クッ、カカカッ」
 空瓶を床に置くと、すぐさま傍で控えていた馬頭が空の瓶を回収して代わりに溢れる手前まで酒で満たされた一升瓶を手渡す。親指で蓋を押し飛ばし、ゴッゴッと酒とは思えぬ速度で飲み干していく。
「ぷはっ。…クック、神門守羽に吹き飛ばされた腕を生やすまでに、あと二日程度は欲しいところだが、はてさてどうなるもんか」
「と、頭目…まさかとは思いやすが…」
 おそるおそる、新たな酒を渡す馬頭が訊ねる。
 次の酒も水を煽るように飲んで、酒呑童子は当たり前のように答える。
「人間に手出しするな、危害を加えるな、騒ぎを起こすな。オレに勝ったあの野郎がオレへ命じた内容だ。つまりこりゃ、余所で起きた騒ぎに首を突っ込むことは別に構わねェってこったろ?日本語ってのは難しいなァ馬頭?」
「しかし頭領、そんなお体で一体何を…」
 動物の顔で冷や汗を垂らす牛頭が問うと、今度こそ酒呑童子は訊かれたことの意味すら図りかねると言わんばかりの表情になって、
「テメェ何言ってんだ?このオレ様をして、酒を飲む以外に興味を向ける事柄なんざいつだって一つしかねェだろが」
 逆立つ赤髪がザワリと風もなく揺れ、一本角の周囲からパチパチと静電気のようなものが弾ける。
 大鬼の強力な回復能力をもってしても一日ではまるで完治に至らなかった全身から立ち昇る白煙を呑み込んで、その内側から闘気がオーラとなって噴き上がる。
「神門守羽は必ずデケェ戦乱を引っ提げて動く。アルやそれ以上に面白ェ連中とぶつかれる機会もあるはずだ。そう考えたら…なァ?……クッ、クク。クカカッカカカカカカ!!」
 少年のようにワクワクとした表情で高笑いを続ける鬼の圧力で壁面や床面、天井に亀裂が走っていくのを見た牛頭馬頭が、慌てて首領たる酒呑童子へと酒器と酒瓶を手に酌を始める。
 瀕死の鬼神が万全の状態へ戻るまでに、そう長い時間は掛からない。



      -----
 まず最初に目を覚ましたこと、つまり生きていることに驚いた。
 あの世など微塵も信じていない彼にとっては、今ある世界が現世のそれであることは疑いようがなく、だからこそ自分が適切な手当てを受けベッドに寝かされていることに疑問を抱いた。
「やっと目ぇ覚ましやがったか、陽向日昏」
 声に反応して体を起こそうとした青年、日昏は直後に全身を襲った激痛に顔を歪めて硬直した。
「起きんじゃねーよ、せっかくあたしがしてやった手当てを無意味にしやがったらくたばる前にあたしがその首掻っ捌いてやっからな」
 ベッドから離れた位置で、パイプ椅子にどっかり腰を降ろして足を組んだ女性、四門操謳の姿がある。
 ざっと周囲を見回してみれば、ここはどこかのプレハブ小屋であることがわかる。人の管理から離れて長く放置されたことが窺える茶色の錆に覆われた壁や天井に反し、自分の寝ているベッドや四門の座るパイプ椅子などが比較的真新しく見える。どこかから奪って来たのだろうか。
 ひとまずは手当てをしてくれたと言う四門へ礼を述べようと口を開きかけて、それを予想していたのか四門がそれより早く言葉を割り込ませる。
「これで前に受けた手当ての件はチャラだ。本当なら公園で黒焦げになってたてめーを担いで運んでここまで連れてきてわざわざ小奇麗なベッドまで用意してやった分も支払いを要求してーとこだが、まあそれはツケといてやる」
 少し前の神門守羽との戦闘でかなりの深手を負わされ倒れた四門を、日昏が甲斐甲斐しく看護したことを言っているらしい。意外と義理堅い奴なんだなと、日昏は無言のままに僅か微笑む。
 未だ神門守羽との怪我が完治していないらしく所々に包帯を巻いた四門が、日昏の状態を軽く一瞥して椅子から立ち上がる。
「起きたんならもういーだろ、いつまでもお優しく面倒見てくれるだなんて愉快な勘違いすんじゃねーぞ。あとのことは適当に、呼び寄せた『四門』の家の従者に任せてある。負け犬はおとなしく療養してな」
「……まて、四門」
 全身火傷ばかりか、喉まで焼けたらしい濁った声を吐き出すようにして、日昏は背中を向けた四門を呼び止める。
「お前、は……また、守、羽を……狙う、のか」
「たりめーだろ。連中を殺すまで死ねねーんだよあたしは。何度言わせりゃ気が済むんだてめー。『神門』亡き今、あたしには家系のお役目の一つすら残されちゃいねえ。…言っちまえば、復讐に駆られる空っぽのてめーと大差ねー」
 『四門』とは『神門』の為に在る。その神門を殺した旭や、その息子へ殺意を向け続けているのは日昏も知っている。
 つまり四門操謳の憎しみは、役目を果たすべき『神門』の継承者が存在しないことで発生している。
 そこまで考えが行き着けば、あとの誘導は容易い。
 決着の後に旭から頼まれた内容を思い出しながら、多少の罪悪感を覚えつつも日昏は背中からでも分かるほどのおぞましい負の感情を渦巻かせる四門を焚き付ける言葉を投げる。

「……いや、からっぽとは、…限らない。お前の望、む……『神門』を、継ぐ者は…ちゃんと…いたぞ?」
「………………―――あ?」




      -----
 世界は盤上ではなく、人は駒ではない。
 故に誰がどこでいつ動くのかは誰にも読めず。故にイレギュラーなど当然のように発生する。
 だからこれも、予想こそ出来なくとも、起こること自体に不自然は無い。
 読める範囲にいるものが予想外の行動を展開し、読めない範囲のものがさらにその展開を掻き回していく。
 世界の事象は単純には始まらず、幕引きも単調には終わらない。
 それは、何も人の世界のみに適用される法則では、決してない。

       

表紙
Tweet

Neetsha