Neetel Inside ニートノベル
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学校にいるとロクなことが無い。
さっさと帰って部屋に引き籠ろう。そう思って一学年の自分のクラスへ向かう。放課後になっていきなり絡まれたから鞄を教室に置きっ放しだ。
階段、廊下と知った顔に挨拶をされ、それに適当な返事をしながらふと殴られた頬に触れる。
少し腫れているかな。熱を持ってジンジンと痛みも発している。帰ったら氷嚢で冷やさないといけないな。
最悪だ。俺が何かしたんだろうか。まず何もしていないとは思うが、あの二年の先輩方はなんで俺を標的にしたのか。こっちは顔も知らないってのに。
もうこれ以上厄介なことになるのは御免だ。
自分のクラスに着き、中へ一歩踏み出してから、その足が止まる。視線が固定される。
授業が終わりしばらく時間も経過して、誰もいないと思っていた放課後の教室にまだ人がいたからだ。しかも知っている顔。
いや俺のクラスの人なんだから顔くらい知ってて当然なんだが、そういう意味ではなく。
その人、その女性は、俺のよく知る二年生の先輩だった。
俺の席に腰掛け、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
開けっ放しの窓から時折吹き込む微風に、長く艶やかな黒髪がふわりと揺れる。
夕陽が差し込む教室にただ一人儚げに座るその少女。その光景を前に、俺はしばし言葉を失っていた。
「……あ」
そんな俺の気配に気付いたのか、その人はゆるりとこちらへ顔を向けた。
整った端正な顔立ち。長く綺麗な黒髪もあって、和服を着たらさぞ似合うだろうなと常々思っていたりもする。
とりあえず、片手を上げて挨拶する。
「ども、静音(しずね)さん」
久遠(くおん)静音さん。物静かな人だが、不愛想なわけでもなく、むしろ面倒見はかなりいい。
その外見もあって、彼女は二学年では人気者だ。他学年からもファンや好いている人は少なくないだろう。
「どうしたんですか?」
「君を待ってた。まだ、鞄があったから」
席を立ちながら答える静音さんが、細い指先で机の上に置かれたままの俺の学生鞄にとんと触れる。
数多くの人と面識や交友があるにも関わらず、何故か彼女は俺によく接触しようとしてくる。この一学年の教室まで俺と話をしに来ることもある。放課後にってのは珍しいが、放課後であるならそれはそれで理由もわかる。
「ああ、なるほど。すいません、ちょっと私事で」
やや顔を伏せながら、俺は歩み寄って机の上の鞄に手を伸ばす。
「っ……待って」
鞄の取っ手に指を引っ掛けた時、その手を静音さんの手でそっと押さえられた。そのままもう片方の手で俺の顔、正しくは頬に手を当てる。
「…な、なんですか」
「頬、腫れてる」
バレた。
なるべく見えないように顔を伏せてたのに、それが逆に不審がられていたか。まあ堂々と顔上げてたらそれこそ即座にバレていただろうが。
「どうしたの?」
「いや、二学年の先輩に絡まれまして、それでちょっと」
別に俺は悪くないし、訊かれて特別隠すようなことでもなかったので、俺は胸を張ってそう答える。
「二年……そう、酷いことするね」
同じ学年の誰かがやったことだと知って、静音さんは僅かに目を伏せる。
「まあ、結局なんで絡まれたのかさっぱりわかりませんでしたけどね」
まさか本当にツラが生意気だったからだなんて理由で殴られたわけでもあるまい。っていうか生意気なツラでもないだろ俺。多分。
しかしそうじゃないならますます理由がわからない、見ず知らずの先輩に絡まれる何かがあったんだと思うが、心当たりも無いし。
それよりも、
「…えっと、静音さん。そろそろ手をどかしてくれませんか」
ずっと触れたままの手は、一向に離される様子がない。
「少し、じっとしてて」
俺の発言をスルーして、静音さんは俺の頬に触れたままそう言った。
その意図を、俺はすぐさま理解した。
力を使っている。異能の力を。
「いいですよ。そんなことしなくてもすぐ治りますんで」
「駄目だよ。痛みは、長く続くよりは短く済む方がいいでしょう?」
手はどかしてくれなかった。
俺としては、頬が痛むことよりも今の状況の方が困る。
俺の頬に手を当てて、至近距離から真っ直ぐ視線を向けて来る少女。しかも何故か鞄を掴み掛けた俺の手を押さえた片手もそのままだ。
近い。超近い。
もしこの光景を誰かが見たらなんだと思うだろう。
キス直前の現場だ。俺なら間違いなくそう思う。
「……?」
でも当の静音さんはまるで気にしていないようだ。これじゃ俺だけ意識してるのがむしろおかしいんじゃないかとすら思えてくる。
我慢だ、我慢我慢。
せめてこの間だけは誰も通り掛からないでくれ、そう願いつつ無抵抗で彼女の異能を受ける。
やがて静音さんの柔らかい手の感覚が頬から離れる。
「元に戻ったよ。ごめんね、痛みはまだ少し残ると思うけど」
自分の手で触れてみると、腫れていた頬はいつもの状態に戻っていた。言われた通り、痛みはまだあるが。
「いえ、充分ですよ。ありがとうございます」
どんな顔したらいいのかわからず、一礼して改めて鞄を掴むとすぐさま背中を向ける。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん」
俺を待っていた理由はそれだろう。これ以上何かが起こる前にもう帰ろう。
廊下を向けて一歩足を出し、やや斜め後ろから長い黒髪と制服のスカートを揺らす先輩が付いて来ているのを横目で確認してから、俺は正面玄関を目指して二歩目を踏み出した。

       

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