Neetel Inside ニートノベル
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静音さんの能力によって人面犬の怪我は消えた。治したのではなく、消えた。
ただし途切れた意識は戻らない。俺はそのまま道端にでも置いておこうと思っていたのだが、
「可哀想だから、意識が戻るまでは私の家で匿うよ」
なんて言うもんだから、仕方なくその役目は俺が請け負った。トラブルの元を彼女のところに置いておくわけにはいかない。
だからといって俺の家に連れて行くわけにもいかない。両親が危険な目に遭う可能性も否めないからだ。
結局、俺が一人で柴犬一匹を抱えて赴いた先は。
「……あぁ、いかんな。どれほど経った?」
「二時間ってとこだ」
目を覚ました途端に状況を読み取って口を開いた犬ころに、淡々と答えてやる。
ここは街の外れ、取り壊しもされぬまま乱立されている廃ビルの一つ。その一階広間。
対人外絡みに関しての俺のお気に入りの場所だ。誰も来ず、誰も巻き添えを食わないから。
夏の日は未だ強く照り、最後の足掻きとばかりに街を横合いから橙色の光で染める。
「…む。傷が消え失せている。君の異能かね?」
「俺じゃねえ。静音さんに死ぬほど感謝しとけよ犬ころ」
傷のあった箇所を凝視していた人面犬が、俺へ視線を移す。
「たいした力だ。治癒…ではなさそうだが、はて」
「傷も消えたんだし、もう逃げられるんだろ。さっさと全力で逃げればいい。口裂け女だったか、追われてんだろ」
俺としてはもう一刻も早くどっかに行ってほしかった。
予感がするんだ、悪い嫌な予感が。
こういう時は大抵よくないことが起こる。何故かそういう方面の勘がやたら鋭いと自覚している分、なおさら不安が込み上げてくる。
「少年。君の話は随分前から聞いている」
「おいコラ、人語を理解してんじゃねえのかよ人面犬」
失せろと言った俺の言葉を理解しているはずだが、その上で柴犬は四本足で立ち言葉を続ける。
「凶悪にして強力な大鬼、真名は確か茨木童子いばらきどうじだったか。とてもとても人の身で打ち倒せる相手ではないが、倒したという事実は事実」
「…何が言いてえんだ、クソ犬」
「君は人ならざる力を持つ人間だが、本当にそれだけかね?」
西日を背に振り返った犬が、ほんの一瞬だけ白髪の老体に見えた。瞬きの内にやはりただの犬になっていたが。
「……」
「『鬼殺し』、君への警告は口裂け女の出現のことではない」
押し黙る俺へ、犬は勝手に話し続ける。
「心当たりがあるのなら自覚した方がいい。君が望むところではないかもしれんが、君はもう少し自分のことを知るべきだ」
「何を言ってる」
「この身、この存在。犬の体でも寿命は人外なりに長くてな、これでも爺なのだよ。随分、長生きした」
尻尾をぱたぱたと振って、舌を口の中にしまったおかしな犬は俺の対面に座る。
「君に似た性質の人間を私は知っていてね。ヒナタ、ツクモ、シモン…他にもいたかな。もっとも、君はそれらともまた違った匂いがするが」
「だから、テメエは」
知らず、立ち上がった俺の両手は強く握られていた。
自身を見下ろす視線を受け止め、柴犬は人間臭い挙動で首を振るった。
「それを警告に来た。遠くない未来に、いつか君は否が応でも向き合うことになる。心積もりくらいは、しっかりしておけ」
「何を言ってんだっつってんだッ!!」
思った以上の怒声が響き、ビルのガラスが何枚か割れる音がした。足元のアスファルトにはさっきまではなかった亀裂が走っている。
「…チッ…」
不味い。
少しだけ、『あの状態』になりかけた。
感情が昂り過ぎるのも発動のキーだった、それを思い出して。深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「やはり、妙な匂いだな」
「あ?」
「人の匂いだが、少し違う。心地良いが不可解な、奇妙な匂いだ。異能を持つ人間が放つものだけではない。君はやはり…」
何かを言い掛けた人面犬が、一瞬で顔を険しくさせ犬歯を剥き出しにして全身の毛を逆立たせ始めた。
「しまった。すまんな少年。耄碌もうろくしたつもりはまだなかったのだが、君との会話に夢中になり過ぎたようだ」
「…!」
人面犬の声を聞きながら、俺も同様に気を張り詰め全身に力を込める。それと連動して、俺の異能である“倍加”が巡り強化を開始する。

「ひ、ヒヒ、ひヒㇶひひっ」

夕焼けの廃墟の中、おぼつかない足取りで歩む影があった。
それは長く痛んだ薄汚い黒髪を垂らし、落ち窪んだ不気味な双眸でこちらを見ていた。

「ね、ェ………くヒヒッ…ネエ」

ひどく嗄れた、かろうじて女とわかる声音で、そいつは喋った。
言葉を発した口は、顔の下半分を隠すほど大きなマスクで覆われていた。
その女は、初夏とは思えないほど分厚い、くすんだ赤色のコートを着込んでいた。
「面倒くせえ…!」
「言うな。すまないとは思っている」
互いに女と向き合い、強く睨む。
不気味に笑い、その女は口元に手をやりマスクを剥がす。
マスクの下は、なんてことのない。鼻があり、口がある。外見と同じく、人間の女とそう変わらない見た目ーーーではなかった。

「ワタシィ……キレイィぃイい?」

ニタリと笑みを作ると、赤い口腔が晒される。
その口は、両耳のすぐそばまで裂けていた。刃物で強引に斬り開かれたように荒く、頬は真横に引き裂かれていた。
見る者をすべからく恐怖に陥れる容貌。
名は体を表す。人面犬に確認をとるまでもない。
口裂け女。都市伝説における最強格の存在。
それが、怖気の走る笑みを形作って、そこに居た。

       

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