Neetel Inside ニートノベル
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「流石に認めざるをえないな」
近所の空き地まで逃げてきてから一息ついて、人面犬はそう切り出した。
「口裂け女は同胞を喰らい、その特性を身に宿している」
「みてえだな。あの頭が胴体から離れたのもそのせいか」
「うむ、あれは都市伝説『首無しライダー』のものだ。このくらいなら君も知っていよう」
首無しライダー。
その名の通り、首の無いバイク乗りの都市伝説。
道路を横断するように張られていたピアノ線に首を引っ掛け、猛スピードで走っていたバイク乗りはその首を撥ねてしまった、という話。それから先は、首から上の無いライダーが夜な夜なその道路をバイクで走り回っていると。
「バイクに乗ってねえクセに、そんなとこだけ真似できんのか」
厄介な上にますます気味悪いヤツだ。
「正確には性質の上書き、というべきかな。口裂け女という下地からさらに別の性質を重ねることでその力、特性を操っているようだ。…まあ、今回はそのおかげで逃げ延びることが出来たというわけでもあるが」
自らの怪我した箇所を舌で舐めながら、人面犬は続ける。
「首無しライダーが走り回る理由は、自らの頭部を探しているからだ。つまりこれの性質・弱点は常にその最優先順位を『自らの頭部』に定めてしまうこと。口裂け女の胴体が目の前の君を殺すより先に投げ捨てた頭部を探しに走ったのは上書きされたその性質に掻き立てられた為だ、一種の本能と言い換えてもいい」
本能。
その言葉に、俺はあの鎌鼬のことを思い出す。
人外の連中が、俺達人間が当たり前のように呼吸しているのと同じように成すべきこと、成さねばならないこと。
ヤツは取り込んだモノが持つ本能まで身に宿してしまっているらしい。
「『トンカラトン』も同様だな。こちらも本来であれば自転車に乗って現れるモノだが、刀と包帯という象徴のみを取り入れているようだった。刀を持っていたことを考えると、奴のもう一つの性質も操れそうなものだが…」
「あ?」
「いや、なんでもない」
言葉を濁した人面犬に問い詰めようとした時、俺の右腕が柔らかい感触が包み込まれそちらに意識を注ぐ。
「すぐ、戻すからね。守羽」
「静音さん」
俺の右腕に両腕で抱き着くようにしていた静音さんが、すぐに身を離す。と、痛みはそのまま残っているものの俺の破壊された右腕はあの一撃を放つ前の元通りに戻っていた。両手の傷も、痺れは残るが傷自体は消え失せている。
「あざっす。…いてて」
「無理はしないで。痛みまでは消せないから、もうしばらくはそのまま動かないで」
「ほう、大したものだ」
「あなたも。…えっと、人面犬、さん?」
「カナだ。呼び捨てで構わない」
「そう。私は久遠静音です」
犬と人間が会話しているおかしな光景を客観的に見ていると、中々奇妙なものだなと思う。
静音さんはカナとかいう人面犬の傷にも手を触れ、一瞬でその傷を消し去った。
「やはり治癒の類ではないな。因果の逆転…ほど大層なものでもなさそうだ。となれば事象の書き換え、いや抹消か?」
「元に戻した。ただそれだけだよ」
「……成程なるほど
静かに頷いたカナは四足で立ち上がり、空き地をぐるっと一周回って同じ位置に戻ってきた。
「臭いは…まだ遠いな。こちらの居場所を掴めていないと見える」
「静音さん、今の内に家まで送ります。ここもまだ危ない」
カナの言葉を受け、俺も立ち上がる。いつまでも静音さんをこんなところにいさせるわけにはいかない。
「守羽は、どうするの?」
「口裂け女を殺します」
本当に嫌になる、最悪だ。
できることならもう関わりたくないんだが、またしても今回、野放しにしておくわけにはいかなくなってしまった。
静音さんを視界に入れた。
その濃厚にして凶悪な殺意を彼女に向けた。
この人の顔を見た、覚えた。
もうこのままヤツを好きにさせておいて先輩が無事に済む可能性は低い。目撃者は殺す、それは口裂け女の噂の一つにも含まれている。
ならその前に殺すしかない。ヤツの好きにはさせない。
「こうなった責任は私にある。私も君に同行しよう」
「勝手にしろ」
俺の隣に並んだ柴犬に一瞥くれて、適当にそう返す。



「私に、出来ることはある?」
静音さんを送り届ける途中、静音さんが顔を僅かに伏せたままそう言った。
「いいえ、大丈夫ですよ」
それに俺は笑顔で返す。あなたが気負うことなんて一つもないんですよと、言外に伝える。
「でも…私のせいだよね?君が、戦わなくちゃいけないのは」
「誰のせいってんならこのクソ犬のせいですかね。まあ煮ても焼いてもって覚悟はあるみたいなんで精々こき使ってやりますよ」
努めて俺はおちゃらけた口調と雰囲気で和ませようとしてみるが、静音さんの表情は晴れない。
「……大丈夫なんですよ、俺は、本当に」
だから、俺も真剣に答える。
「静音さんが不安に思うことも、心配することもありません。俺はこんなことじゃ死にません。自分で言いたくないんですが、仮にもあの鬼を殺した実績を、少しは信じてほしいですね」
本当はそんな実績、信じてほしくない。認めてほしくない。
でもこう言うことで少しでも静音さんの不安が拭えるのなら、安いものだ。
確たる何かがあるわけではない。だが、俺は死なない。こんな程度のことでは。
この自信の源泉がどこにあるのは自分でもわからないけど。
かつて大鬼を殺した時の、『あの状態』のことを思えば、これはまだ軽い方だ。
「守羽、私は君を信じる。君の言葉を信じて、君の全てを信じる、信じてる」
彼女の家の前まで来て、立ち止まった静音さんが間近で俺を上目遣いで見上げる。
「……大丈夫なんだね?」
「ええ、もちろん」
信頼を寄せてくれる相手に対して、俺も信頼に応える嘘偽りの無い一言で応じる。
「うん、わかったよ。ごめんね、私の為に」
「俺の為、ですよ静音さん。俺は俺の為にこうしてるんです」
申し訳なさそうに眉をハの字にした静音さんは、しかし俺の想いを尊重してふっと微笑んでくれる。
「怪我したら、すぐ私のところへ来てね」
「はい、その時はお願いします」
俺もできるだけ柔らかい笑みを意識して顔に出し、先輩が家の中に入るまでしっかりと見届けた。
よし。
「とりあえず帰るか、俺も」
「臭いはまだ遠い、家に帰り着くまでは鉢会わせになることもあるまい」
独り言のつもりだったのにいちいち言葉を返してくるカナに溜息を漏らして、俺はすっかり日の落ちた道を自宅へ向かって歩き出した。

       

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