Neetel Inside ニートノベル
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日が暮れたとはいえ、まだ夜更けには程遠い。こんな道路のど真ん中で長々と戦闘なんてしてたら、いずれ誰かに見つかるかもしれない。
空から鋭利なくちばしを突き出して急降下してきた白い鴉を打ち落としながら、俺は一旦その場を離れるタイミングを見計らっていた。
おそらくはカナも同じことを思っているのだろう、あまり深く攻め入ることはせずに身に迫る敵だけを確実に迎撃しながら様子を見ているようだ。
そんな時だった。背後で何か軽い物音がした。
僅かな隙を見つけて背後に目線だけをやってみる。
「…静音さん?」
「っ…は、ぁっ…、はあ、うっ……!」
両膝を着き、片手を胸に当てたまま苦悶の表情で呼吸を荒げている静音さんが目に入った。
「静音さん!?」
「ヒヒャハッ!!」
様子のおかしい先輩へ駆け寄ろうとした瞬間、不愉快な嗤い声と共に空気を斬り裂く音を俺の耳が捉えた。
身を捩って拳を振り回し、背後から斜めに振り落とされた大太刀の腹を裏拳で叩き弾く。
「テメエの仕業だな?何をしやがった」
両腕力四十八倍、動体視力四十五倍。
直撃は不味い。縦横無尽に振り回される刀の軌道を読んで刃に当たらないように峰と腹を狙って受け流し、あるいは弾く。
(チッ、速ぇ!)
片手で扱っているのが嘘のような速度で大太刀が走り回る。しかも一撃一撃が相当重い。受け流すだけでもかなりの重圧が腕を軋ませる。
「カナ!このクソ野郎静音さんに何しやがった!」
口裂け女と対峙している俺の代わりに、その周囲の下僕達を処理していたカナに声だけ飛ばす。
ほんの一瞬でも目を離せばすぐさまぶった斬られる。
「そんなモノまで…取り込めるのか、貴様は」
聞こえたカナの声には、唖然としたような動揺の色があった。
「なんなんだ!説明しろ!」
「よく聞け神門!久遠を奴の傍にこれ以上置いてはならん!」
爪と牙で戦う柴犬の姿が横目にちらちらと見える中、カナもまた俺を見ずに声だけを張り上げる。
「奴の左手の上に乗っているモノを見ろ!原因はそれだ!」
大太刀の対応に苦戦している状況で、かろうじて視線を剣戟からヤツの左手へ転ずる。
そこには、口裂け女の手の平でギリギリ握れているサイズの立方体の箱のようなものがあった。血が固まったようなドス黒い色で全面染まっており、直視するのすら躊躇われるような妙な気配を放つ不気味な箱だった。
カナが続けて叫ぶ。
「それは呪詛と呪術を押し込み圧縮させた『コトリバコ』。子孫を奪い、一族を死に絶えらせる怨念の箱だ!それは女子供に絶大な効果を及ぼす!長時間それの傍に居れば久遠は死ぬぞ!!」
「ーーー!!」
死ぬ。
このままでは、静音さんが、死ぬ。
それだけわかれば、あとは俺のやることは決まっていた。
「クカカカハハッヒャハハッハハッハハァァ!!!」
(動体視力…五十五倍!!)
右目を閉じて、左の眼球のみに“倍加”を集中させる。
スローモーションのように映る俺の左目が、的確にタイミングを計る。
全力で振り抜いた右手でヤツの大太刀を持つ右手を殴りつける。
骨と皮が鉄で出来てるような鈍い手応えだったが、口裂け女は殴打の衝撃で大太刀を取り落す。
(左握力、六十倍!両脚力四十倍!)
次の挙動に移る前に口裂け女の首を鷲掴み、そのまま前面へ押し出す。
コイツをこれ以上静音さんに近寄らせてはいけない。
左手を犠牲にしてでも、コイツは遠ざける。静音さんから。
それにここは街中だ。そのコトリバコとかいうのの効果範囲がどの程度かはわからないが、やはり距離が近ければ女子供は死に絶える呪いを受ける。
脚力任せにヤツの首を掴んだまま三歩前に進んだところで、突然俺の足が止まった。
「あ…?」
視線を落として見てみれば、俺の両足にはいくつかの刃物が突き刺さっていた。
右足の甲には、足を貫通して小刀が地面まで刺さっていた。太ももにも草刈りの時に使うような鎌が二本食い込んでいる。
左の脛にはメスとナイフが二本ずつ、膝には包丁が一本。
「クヒッ」
左手でコトリバコを握り、俺に首を締め上げられたまま、口裂け女は右手だけで赤いコートの裾から取り出したそれら凶器を手首の返しで俺の足へ投擲した。らしい。
脚から力が抜け、口裂け女の目の前で膝を着く。右足が小刀に縫い止められているせいで後退すら出来ない。人体の限界を超えた左手は握ることも不可能。感覚で折れてはいないとわかるが、ヒビくらいは入っただろう。
同様に左目も、何も見えない。耐久度を上回った眼球からは赤い涙がボタボタと流れ落ちる。
ヤツが怯むポマードのまじないも、夕方に使ったばかりでもう通じない。
どうやって入れてるんだと言いたくなるような手斧をコートの内側から取り出し、跪き見上げる俺の頭へ振り下ろされる。
ズガン!!!
「しゅ、う…?ごほ、こほっ!」
「神門、おい神門!くっ」
嫌な音の混じる咳をしながら俺を呼ぶ静音さんの声と、焦りを含んだカナの声が、聞こえる。
そして、
「ネェ、ワァタァシィ、キレィィィイイイ?」
ねっとりと絡み付くような、そんな声も、聞こえた。

ーーー。
頭から止め処なく流れて出来る血溜まりの中に沈みながら、俺は一度途切れかけた意識をかろうじて繋いでいた。
咄嗟に発動した、頭蓋骨耐久四十九倍。おかげで骨は無事だったが、鈍器で殴られたかのような衝撃で頭が揺さぶられ、昏倒した。
「ぐ、く…っ」
「ふ、ぅ…はぁ、あっ…!ごふっ」
見えるのは地面と血、聞こえるのは犬の唸り声のようなものと、弱り切った少女のか細い声。
気絶していたわけではないはずだが、ほんの少しの時間が意識から飛んでいたようだ。
そしてそのほんの少しの間に、事態は深刻化していた。
「ぐぬ…久遠、逃げなさい。それ以上、そこにいては……!」
カナの声は濁っていた。まるで口に水を含んだまま喋っているかのように。
やられたのか。本来の力から半分程度しか出せない人面犬では、万全の口裂け女に勝てないのも無理はないが。
しかしだとすると、今静音さんはどうなった?
「ヒッヒヒ。ネェ、キレイ?キレイ?ネェ!」
「こっほ!ぅく…」
咳と一緒に、びちゃりと水音が聞こえるのが気掛かりだ。吐血しているのかもしれない。
コトリバコの呪いに冒され、静音さんは確実に死に掛けている。
近づけてはいけない。
静音さんが死んでしまう。
やめろ。
離れろ。
その人を害するな。
許さない。
潰す、ぶっ潰す、叩き潰す。
限界だ。
力があれば、きっと守れる。きっと倒せる。
力なら、ある。俺には守れる、俺なら倒せる。
なら守ろう、なら倒そう。
力の出所だの源泉だの正体だの、そんなものはこの際どうでもいい。
ここで使わなけりゃ、こんな力に意味はない。
かつて大鬼を殺した力、自身の存在が不安定になるかのような、うすら寒さを感じる力だが。
今の俺にはそんなものでも必要だ。
自覚。
自覚だ。自覚しろ。
俺には力がある。力を使うには使えることを自覚しなければならない。
どんなものでも、使えるなら俺の力だということを、俺のものだということを、嫌でも理解しろ。
そうだ。

(それがスイッチだ。カナも言ってたろ)

脳内で声がする。俺の声が。
いや・・

(今はもうそれでいい、…結局出て来ることになるわけだ、『僕』が)

俺が、違う一人称を使っている。
いや・・
『俺』なのか?お前は。

(そうだよ、『僕』は『俺』で、どっちも『お前』だ。いい加減、ちゃんと受け入れてほしいもんだ)

どういう、こと、だ……。

(どうせこのままじゃ死ぬし、『おまえ』の体、ひとまず『僕』が使うぞ)

俺の体が、自然に動く。傷だらけの体が、『あいつ』の意思に託される。
ああ。
何故だかは知らないが、俺は安心していた。よくわからない自信と共に、確信する。
これであの人を守れると。

       

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