Neetel Inside ニートノベル
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それから少しの間、俺と静音さんは軽い雑談を交わしていた。
バンッと大きな音を立てて階段へ続くドアが開け放たれたのはその時だった。
「いやー、あっちいな!」
屋上に出るなり手で日陰を作って空を見上げる東雲由音が、新品のシャツとズボンを着てやって来る。
「おう、服は買えたか」
「なんとかな!危うく店員に救急車呼ばれそうになったけど!」
三人でこのデパートまで場所を移した際、東雲にはそのまま新しい服を買いに行かせた。俺はまだ軽い埃や出血で済んだが、東雲は違う。全身破れて裂けた衣服、その上それらが全て血で染まっていたとあらば迂闊に街中は歩けない。ここまで来るのも人通りの無い細道や路地裏を使ってどうにか辿り着いたのだから。
俺と静音さんは先に屋上に出て時間を潰していたのだが、ようやく終わったらしい。
「由音君、体は平気なの?」
お優しい静音さんは東雲の体を心配するが、まあ問題ないだろう。
「うっす!傷一つねえっす」
「…すごいね」
感心どころか引いてすらいる静音さんの気持ちはよくわかる。あれだけ重傷に重傷を重ねて生きてるのも不思議なくらいなのに。やっぱり“再生”はチートだな。
「まあいいや。おい東雲、戻ってきたならそのまま静音さんと一緒にいろ。ちょっと俺は電話してくる」
護衛と話し相手も兼ねて東雲にそう命じると、俺は携帯電話を取り出して鉄柵から離れる。
「電話?どこにだ?」
「学校。まだ静音さんが登校してきてないってなってるから、それをな」
学校側も優等生がなんの連絡もなく家を出たまま行方知れずとなればそろそろ騒ぎ出す頃だろう。話が大きくなる前に手を打っておく。
問題は登校しなかった言い訳だが、そこら辺はどうにかしておこう。
「ううん、電話なら私がするよ。本人がした方がいいでしょう?」
「あーいや、もう静音さんの担任とかには俺が会って話しちゃったんで、俺から連絡入れた方が手っ取り早いですよ、たぶん」
あの時は必死になって静音さんのクラスの人や先生に聞いて回ったから、大半がそのことを知っている。俺が校内を走り回って情報を集めていたこともきっと知れているはずだ。
もちろん静音さん本人が無事を伝えるに越したことはないが、ひとまずは俺が探し回った結果静音さんを見つけたことにした方が言い訳もしやすい。まさかサボったとは思われないだろうが、一応な。
「すいません、ちょっと外します。すぐ終わらせますんでー」
言いつつ、俺は学校の番号を押して耳に当てる。
さて、なんて言い訳をすれば説得力があるだろうか。初夏だし、登校中に熱中症で倒れたことにでもしようか。いやでもあまり大げさにすると今度それで面倒なことになりそうだし……。



「んなもんサボりましたーでいいと思うんだけどなあ」
敬語で誰かと話し始めた守羽の背中を眺めながら、由音は入れ違いに守羽のいた位置に立って鉄柵に体を預ける。錆びた鉄柵がギシリと音を鳴らすが、折れることはないだろう。
「…きっと、私が怒られないように手を回してくれているんだと思うよ」
止めたところで守羽は納得しない。自分のせいだからと自分が罪を被るか、どうにか説得力のある言い訳をして説教を回避しようとしているかのどちらかだと静音は判断した。
そういう優しいところも込みで、彼女は守羽に惹かれていた。だから止めようとは思わない。
「ふーん、愛されてますなあセンパイは」
「……」
由音の冗談だとわかっていても、思わず顔が熱くなるのはどうしようもない。
「由音君も、ありがとうね」
話を逸らすついでに、言っていなかった礼を由音に述べる。どういう経緯があったのかは不明だが、由音は守羽の行動を補佐して、自身もまた危険な場所までやって来た。静音にとっては由音も恩人だ。
礼を言われた本人は笑いながら片手を左右に振るい、
「いやいや、普通っすよそんなん。あいつがあんな必死になって助けようとしてる人なら、オレだって同じくらい助けたいと思いますし」
「君も、守羽のことが好きなんだね」
おそらく自分の好きとは意味が違うのだろうが、それでも想い人を好いてくれている人がいるというのは、静音にとっても嬉しいことだった。
「まっ、あいつには一生分の恩があるんで!力にはなりたいんすよね」
「恩?」
「はい、でっけえ恩。…そのおかげで、今もこうしてオレは生きていられてるんで」
不意に声のトーンを落とした由音が、鉄柵に両肘を乗せて眼下の街々を見下ろす。
「静音センパイ。センパイは、能力を自由に使えますよね。スイッチ入れたり切ったりするみたいに」
「…?うん、もちろん」
静音の“復元”の能力は体のどこかしらが対象に触れていれば発動できる。意識を向ける必要があるので主には両手だが、それは使う時と使わない時との区別はしている。そうでなければ触れるもの全てが静音の認識の下に“復元”されてしまうからだ。
「オレはできないんすよ、それ」
「できない?」
眼下の光景に目を落としたまま、由音は続ける。
「力のオンオフってのが、できないんすよ。常に発動してるんす、オレの“再生”は」
言って、由音は鉄柵に乗せていた左腕を口に持っていき、歯を使って一直線に傷を引っ張った。
血がぼたぼたと滴る左腕を静音の方へ向ける。視線がその傷に向く時には、既に出血が収まりかけていた。
(早い。傷が、もう…!)
「でも調節はできる」
言葉に合わせるように、じわじわと治り始めていた傷が、今度は早送りのように一瞬で肉と皮膚が覆い痕も残さず傷が消えた。
「オンとかオフはできないけど、出力の強弱を操作するのはどうにかできるんです。…これを教えてくれたのも神門なんすけどねっ!」
ぱっと取り繕うように笑った由音は、今度は傷痕すら無い左腕に爪で同じように一線引いて傷を作る。
「んでも、昔はそれができなかった。で、ちょっと怪我とかして動転すると…異能が暴走するんす」
こんな風に、と由音がまたも同じように持ち上げて見せた左腕の傷。
その傷から急速に肉が盛り上がり、腕が数倍の大きさに膨張してグチャメキャと不気味な音を立てて暴れ始めた。
「由音君…!?」
「ぐぅぅううう…!!へ、へへっ。ガキん頃はこんなことがしょっちゅうあって、同じくらいの歳のガキも怖がって、…近づこうとしなかった」
膨張した肉を押さえ付けて、由音は呼吸を整えて心を落ち着かせる。すると盛り上がっていた腕の原型を失った左腕が、少しずつ元のサイズに収縮して納まっていく。
「はっ、はあ…っ。自分の手足がグロテスクな肉の塊になってくのが結構、子供心にショックだったんすよ。何度も死ぬと思った、戻れないと思った。色々あって、今までの生きてきた中で一番辛かったっすね、生きてるの」
由音は口に出さなかったが、それに加えて悪霊の存在もあった。
気を抜けば悪霊に体を命を奪われかねない状況で、“再生”は嫌々でも手放すことのできない生命線だった。
悪霊に怯えて常に“再生”の力を常時ほぼ全開に出力していたのも、暴走の原因だっただろう。
だが周りの人間とまったく違う異質な力を持つ子供は、誰にも教わらないまま異能を使いこなすにはあまりに幼すぎた。
「毎日毎日死にたい死にたいって思ってた時に、会ったんですよ。あいつと」
「…そこで、調節の仕方を教えてもらったの?」
「いや、まあそっからも色々あったんすよ。とにかく、あいつと会ったおかげでオレは今生きてられるんです。だからあいつには大きな恩がある」
「そうなんだ…」
自分の知らない彼の過去の功績を聞かされ、興味が湧いたと同時にそれ以上は語りたがらない由音の様子を見て、静音も簡素な相槌だけで済ませる。
あれだけ人の腕としての形を失っていた左腕は完全に元通りになっていた。
「オレはあいつに味方しますよ、何があっても。だからきっと、またこうなることもあるかもっすね!」
こうなること、とは、きっとまた人外やらなにやらが来て、共に対処に挑むことになるということか。
こくんと静音は頷いて、
「そうだね、そうかもしれない。…もしそうなった時、私だけでは守羽の力になれなくなったら、君を頼っても、いいかな?」
「そうしてくれると助かるっすね!あいつぜんぜん他人に頼ろうとしないから!どうせこれまでだってオレが知らないとこで人外とドンパチやってたんだろうしっ!」
「ふふ、そうだね」
そんな由音の言葉に、静音も肯定の微笑みを返した。
そうして、一人の少年をかけて生まれた一種の連帯感や友情といったようなものが、二人の間には芽生え始めていた。
今後の彼は、おそらく本当の意味で『一人』で事に臨んだりすることはない。例え、本人がそれを望む望むまいに関わらず。



『うっ……ぐすっ、うぅ…』
『お前は、どうしたいんだ?』

少年は運が良かったのか、あるいは悪かったのか。
それは自分にもわからない。
ただ、生き長らえているこの命が辛かった。

『嫌だ…もう、やだ…』
『…死にたいのか?』

それだけだった。こんな不安定な体と命で生きていくのは辛かった。まだ年端のいかぬ少年とて、今後このまま生きていけばどんな苦難に見舞われるか分かり切っていたから。
泣き呻く少年を前に、悲しげに目を伏せる少年もまた言う。
死を望むのか、と。
それに対し、涙を流す少年はなんと答えたのだったか。
痛みと苦しみの中で、命を絶ちたいと望んだのか。
普通とはかけ離れた力に振り回されて、生きていくことを諦めたのか。
少年は答えた。
子供ながらに、生きているこの命をしかと自覚しながら。
涙で濡れた顔を両手でめちゃくちゃに擦って。
少年は答える。

『…嫌だ。死ぬのは…嫌だ。苦しくても、生きたい。死にたくない。おれ…オレは生きていきたい』

その確固たる意志と決意した言葉を受けて、少年は優しく笑って手を差し出した。

『よしきた。なら生きていこう。力を理解すれば、安定させるくらいわけねえよ。普通じゃないもん同士、仲良くしようぜ。俺、守羽。お前は?』

生きる気力を失くし、死にかけていた心に活力を与えてくれた少年に対し、“再生”の力を宿した少年は生涯では返し切れぬほどの大きな恩を感じた。

       

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