Neetel Inside ニートノベル
表紙

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同じ頃、違う場所で。
黒髪の青年は草花を踏み締めながら歩いていた。
一面に森や花畑が広がっている、日本らしからぬ風景の土地。
その中ほどに建っている、煉瓦造りの建物。静謐な雰囲気を放つ、その神殿のような外観の重厚な扉を開き、青年は中に入る。
窓から入る陽射しで、内側は宝石のような輝きを照り返している。中は教会のような作りになっていて、中央の通路から両脇を長椅子が等間隔で設置され、最奥の壁には十字架が飾られていた。
「…ん、ん~?」
扉を開いた音に反応したのか、長椅子の一つに横になって丸まっていた何者かが起き上がる。
柔らかそうな黒い毛で覆われた耳をぴくぴくと動かして、
「……あー。レイス、おはよーおかえりー」
頭頂部に二つの猫の耳を生やした少女が眠たげな様子で声を掛けた。
「シェリアか。残念ながら今はもう日暮れだ。外の世界ではな」
「えっ、うっそぉ。時間が経つのは早いんだねー。日向ぼっこしてたらあっという間だ」
「お前は単に寝過ぎだ」
整った顔立ちの黒髪の青年、レイスと呼ばれたその者は、そう言って自身の尖った耳を何の気なしにぽりぽりと掻く。
「んん~~にゃぅ」
長椅子の上でうつ伏せのまま手足を伸ばした少女は、ぽきぽきと背骨や腰の骨を鳴らすと両足で大きく跳躍して回転、体操選手のように青年の前で着地と同時に両手を上げた。
「…どう!?」
「見事だ、と言えば満足か」
キラキラした瞳を向けて来るシェリアという少女に、レイスはあしらうように答えた。
「相変わらずクールでドライだにゃーレイスは。もちょっと良い反応してよ」
「そう言われてもな…」
困り顔で微苦笑するレイスの前で、白いワンピースの裾を揺らしてシェリアは腕を組んで見せた。腰の後ろでは耳と同色の黒い尻尾が左右に振られている。
レイスが特別大きいわけではないが、シェリアはレイスの胸の高さくらいまでしか背丈がない、小柄な少女だった。
若干ウェーブがかった黒い髪は肩にかかる程度まで伸ばされ、黒髪に埋もれるように猫耳がぴこんと二つ。
尾骶骨付近から生える尻尾と耳を除けば、一見して普通の少女にしか見えない。
だが普通の人間にはないものが生えている以上、彼女も当然人間ではない。
それは尖った耳を持つレイスも例外ではないが。
「シェリア、ファルスフィス殿はいるか?」
「うん、いるよ。いつもんとこ」
「そうか」
頷き、レイスは足を奥へと運ぶ。
神殿内部は奥の両脇にそれぞれ扉があり、そこに一つずつ小部屋がある。レイスはその内の右側の扉を開け入る。
右の小部屋には何も物は無く、ただその中央に下へ続く階段があるだけだった。
階下にいる人物に用件のあるレイスが階段を降りようとした時、逆に下から上って来る何者かの軽い足音が聞こえた。
「…おや、レイス。今帰ったところかい」
「ティト殿。はい、たった今」
赤いベレー帽を被った半袖短パンの小さな男の子が、見た目に似合わぬ口調でレイスに微笑みかける。
外見だけならシェリアよりも年下に見える相手に、しかしレイスは目上に対するような態度で会釈をした。
「ファルスに報告でもしに行くのかな?」
「はい。できればティト殿のお耳にも入れておいて頂きたい事柄なのですが」
「そうか、なら私も同行しよう」
朗らかな笑顔で、ティトという少年は階段を引き返す。
「ねーレイス、あたしは?あたしは行かにゃくていいのかにゃー?」
開け放たれた扉から顔だけ出して首を傾けるシェリアに、顔だけ振り返ってレイスは答える。
「我らが同胞に関する件だ、興味があるなら好きにするといい」
「ふーん、じゃ行こっと」
ぴょんと跳ねたシェリアが、身軽な動きでレイスの背中にしがみ付く。
軽いとはいえいきなり少女に背中から跳び付かれたレイスが、それでも姿勢を崩すことなく背中を振り返り、
「…動きづらいのだが」
「がんばって♪」
八重歯を見せてにぱっと笑うシェリアに嘆息し、レイスもそれ以上何かを言うことは諦め背中に背負ったまま地下へと降りた。
地下は地面が丁寧に磨かれており、等間隔に蝋燭が灯されていてわりと明るい。奥には大きなテーブルが一つ置いてあり、それを囲うように六つの椅子が置かれていた。
「…ねぇラバー?お願いがあるのですけれど」
「駄目だ」
その内の二つには既に二人の男女が座っており、何事か話をしていた。
妙に艶のある透き通った声色で切り出した女性が、即断した渋い声音の相手をじとっと睨む。
「……お話くらい、聞いてくれてもよくはありませんこと?」
「どうせ、新しい靴を作ってくれとかそんなところだろう。だから駄目だと言ったのだ」
テーブルの上に置いた木製の小槌を念入りに手入れしているその者は、顎に立派な髭をたくわえた小柄な中年男性だった。
身長のわりに横幅の大きい、小人がそのまま太ったような外見をした樽のような男の決めつけたような言葉に、うっと呻いた女性は直後に取り繕うように顔に笑みを湛えて、
「人はまず初めに相手の足元を見て、その履物によっておおよその人となりを判断するのだそうですよ。いつまでも同じものを履いていては、新しい履物を買う余裕もないほど貧困に苦しんでいる女なのだと侮られてしまいます」
「大昔の駕籠舁かごかきじゃあるまいし。今の世でそんなものだけで人を決める者こそ愚かしいものだ。第一だな」
ラバーという名の中年男性は、視線を小槌から対面に座る金髪の美女へと転じて、それから再び小槌に戻して深々と息を吐いた。
「…第一、俺はその『ヒール』とかいうのが付いた女物の靴は好かん。すぐ折って壊す女もいるしな」
「だからぁ、ヒールは女の武器でもあるんですってば。あれでちょっとカツーンッとやっちゃえば大抵の人は痛がりますからね」
「…お前はそんなものをつかわずとも、素手で殴れば普通の人間は気絶するのではないか?ラナよ」
「あー酷い、そういうこと言っちゃうんですか。女性にそんなこと言っちゃうんですか。酷いですねーこの髭面。寝てる間に全部剃ってしまいましょうか」
「やめろ…お前が言うと冗談に聞こえんのだ…」
若干怯えた表情でラバーが椅子ごと後ろに下がる。
「まったく…。あれ、ティトさん。何か忘れ物でもされましたか?あ、レイスも。戻ってたのですね」
「あたしもいるよー!」
「ええ、シェリアは知っています」
「ラナ冷たぁい」
「ラバー殿にあまり無理を押し付けるな、ラナ」
むっとした表情で、艶やかな長い金髪を揺らして美人の顔に皺が寄る。
「別に無理難題を押し付けてるわけではないのですけれどね。というかむしろそっちが本職みたいなものなのでは?」
「…だとしても限度というものがあるのだ。ラナ、お前は壊し過ぎだ」
「ぶー」
口を尖らせて、見た目に反した子供っぽい仕草でラナが引き下がる。
「レイス、ご苦労だったな」
ようやくラナから解放され、手入れも終わったらしき小槌を着用していた皮のエプロンポケットにしまいながら、ラバーがレイスに労いの言葉を掛ける。
「はい」
「何か発見はあったのか?」
「はい。ただ、少しばかり自分では判断しかねるものだったので、こうして情報を持ち帰った所存であります。皆にて今後の動きを検討しようかと」
「そう、ならちょうどいいですね。この場に全員、集まっていますので」
ラナが座ったまま周囲を見回す。
この場六人、全員がそれぞれを確認し合う。
「…ファルスフィス殿が見当たらないが?」
一人足りないことを認識したレイスが言う。
「え、ファルじいそこにいるよ?」
レイスの背中にしがみ付いたまま、シェリアが指で指し示す。
その先には蝋燭の光が届かない部屋の奥の壁際に置かれた揺り椅子があり、そこに深々と腰掛ける白髪の老体の姿があった。
「ええ、ずっといましたよ?ねぇラバー」
「うむ」
椅子に座っていた二人の言う通り、この地下には三人がいた。ティトも出て行く前にはファルスフィスの姿を確認していた。
暗所にいたのと、一言も言葉を発さなかったこともあってレイスの目には留まっていなかったらしい。
「もー、ファル爺もいるにゃらいるってちゃんと言わにゃいと、存在感と一緒に髪の毛もにゃくにゃっちゃうぞぉ?」
背中から跳び下りて揺り椅子に駆け寄ったシェリアが、その白髪の頭にとんと触れる。
「…?ファル爺?」
「「「「……?」」」」
戸惑いの声を上げるシェリアの様子に、他四名が顔を見合わせて視線を揺れる椅子に座る老人に集中させる。
「…………し」
「…、し?」
わなわなと口を開くシェリアに、代表してレイスが問い掛ける。すると、シェリアは猫耳を小刻みに震わせて、
「し、し…………死んでる」
「なん……だと………!?」
愕然とした表情でレイスが両膝をつく。
「えっ、いやいや嘘でしょう!?」
「こんな唐突に召されるかい!?流石におかしいと思うけど!」
「脈拍を取れい!心音を確認するのだ!」
いち早く動いたのはラバー。その横幅ある体をどしどしと動かして、安らかな表情で顔を伏せるファルスフィスの手首に指を当て、同時に胸に耳を押し付けて心臓の音を確認する。
「………」
ごくりと全員が息を呑んで見守る中、無言でラバーがファルスフィスから離れる。
「……で」
そのまま背中を向けていたシェリアの首根っこを掴み、引っ張る(身長が足りないせいで持ち上げることはできなかった)。
「普通に生きてるわけだが、シェリア貴様。冗談が過ぎるぞ馬鹿猫め」
その言葉で皆が一気に脱力する。
「なぁんだ、もう。タチの悪い冗談はやめてほしいですね、シェリア」
「本当だよ。笑えないからね、それは」
「まったくだ、弁えろ」
三人から一斉に言われ、しゅんと耳を垂らしたシェリアが隠れるようにレイスの背中に回り、
「……だーって、そんにゃ本気にすると思わにゃかったんだもん。ね、レイス」
「あ、ああ…まあ、そうだな」
一番本気にしていたレイスも、涙目になっているシェリアをフォローする言葉が見つからなかった。
「…む。なんじゃい、どうした皆の衆。随分と騒いでおるようだが…」
そんな中、ようやく目覚めた老人が、杖をついて揺り椅子から起き上がった。
「自分が外で集めてきた情報に関し、意見を聞きたいものがあったもので一時帰還致しました。話の傾聴をお願いしたい」
帯から何から真っ白な着物を着た白髪の老人。彼ら彼女らの纏め役であるファルスフィスを中心として、それぞれ中央のテーブルに集い会議は始まった。



「…ほお、妙な混じり方をした同胞か」
一通りの話を聞き終え、椅子に座ったファルスフィスがテーブルの上で両手を組む。
「はい。おそらく同胞と何かの混血なのだと思われますが、どうにもただの混合種ではなさそうな気配だったもので、どうしたものかと思い」
レイスはあの廃ビル群の中心地で勃発していた口の裂けた人外と人間との闘い、その一部始終を目撃していた。
あの力はどう見ても自分達と同じものだった。
混合三種トリプルミックスってことかにゃ?」
「いや、多く混じっていたとかいう話ではない。それに自分の感覚が正しければ、あの者は混合二種ダブルミックスだ」
テーブルに突っ伏していたシェリアの発言にすぐさま否定を入れる。
「妙というと、それは純粋な種の力ではなかった、ということなのかな?」
「そこまではわかりません。ただどうも人間種との混合のようでしたので、たとえ異能持ちだったとしても種の力がそれほど歪みや淀みを見せることはないかと」
背筋を伸ばして座るティトは、その答えを受けてうーんと唸った。自分の思うことを口にしようかしまいかと考えた時、それを違う者が言った。
腕を組んで座るラバーだ。
「いや。人間種の中にも異能に限らず特殊な力を宿す家柄や家系は存在する。連中は退魔師や調律者などと名乗っているな」
「人ならざるものを害悪と断じて片端から『退治』していくヒナタとかのう。昔はそうでもなかったんじゃが、時代の流れというやつか」
「ともかく、その少年も本質の半分はわたくし達の同胞ということなのですよね。でしたら」
視線をよこすラナに、ファルスフィスもうむと頷く。
「接触してみる価値はあるだろう。我らが目的は世に惑う同胞の保護、介抱。必要とあらば救出。…完全ではなくとも、我らと同じ性質を持つ者ならば接触して即襲撃してくるなどということもなかろう。レイス」
「はい」
「すぐにとは言わん。ここでしばし休息し、疲れを癒したらまた行ってもらえるか。コンタクトをとり、保護が必要な状況かどうかを見極めてもらいたい」
「わかりました。ではすぐに出立します」
「急ぐ必要はないぞ?また戻ってきたばかりであろう、まずはゆっくりと休め」
「いえ、自分はさほど疲れては…」
「疲れてにゃいなら遊んでよーレイスー!」
本当に出て行きかねない様子を見て、黒い尻尾をぶんぶんと振るってシェリアがレイスにまとわりつく。
「これが一段落ついたらいくらでも相手してやるから、少し我慢しろ」
「もー日向ぼっこして過ごすの飽きたー!!」
いやいやと首を振ってしがみつくシェリアを、レイスは困り顔で見下ろす。
「いいじゃないか、レイス。構ってあげても」
見かねたティトが助け舟を出す。
「しかしティト殿」
なおも渋る仕事熱心な青年に、今度は金髪をいじりながらラナが別の提案を出す。
「それでしたら、一緒に行けばよろしいのでは?二人でその街まで」
「遊びに行くわけではないんだぞラナ…」
「それはもちろん。でもレイスとシェリアならいざって時にも戦力的には問題ないでしょう?シェリアはここに飽きてしまったのですよ、少し外で伸び伸びと息抜きでもさせてあげてもいいではないですか」
「そもそも猫に一つ所に留まり続けろと言うのが無茶な話だ。一番懐いているのもお前なことだし、少し面倒見てやれ」
ラナに続いてラバーにまでそう言われ、どうしたらいいものかと視線がファルスフィスへ向く。
「ふむ…。確かにシェリアはまだ幼い。外を知り知識を深めることはいい経験になる。儂は悪くはないと思う。が、決定権はお前にあるぞ、レイス。好きに決めるといい」
「わかりました。…シェリア、あまり我儘を言うなよ。それが約束できるのなら、共に行こう」
「はいはーいっ、ありがとーレイス!借りてきた猫みたいにおとにゃしくするから安心してっ♪」
まるで安心できないが、確かにずっとここにいてはシェリアのような好奇心旺盛な娘には息が詰まる。その辺りを加味した上で、レイスはシェリアの同行を許可した。
「では、シェリアの準備もあるので少し時間を置いて、それから出立します」
「承知した。危険を感じたらすぐ戻れ、命あっての物種だぞ」
「はい」
「ねーねーファル爺」
上機嫌になって耳と尻尾を揺らすシェリアが、ファルスフィスに向かって挙手する。
「どうした」
「ずっと思ってたんだけど、あたしたちって、にゃまえないの?」
「名前?」
「うん。こうして集まって結構経つけど、ぜんぜんそこらへん決まってにゃいよね。って」
「我ら六人の、集団名ということか?」
レイスの言葉にこくんと頷くシェリア。
座ったままテーブルに頬杖をつくラナが今更何をと言わんばかりの表情で、
「あれぇ、わたくし達は『フェアリー』で通っているのではなかったのですか?」
「俺もそのつもりだったが」
「自分もです」
「私もだね」
「当然儂もだ」
ラナの言葉に、ラバー・レイス・ティト・ファルスフィスと続いて首肯するのを見てシェリアがばんっとテーブルを叩く。
「そんにゃ安易な名前にゃまえいやー!もっとかっこいいのがいい!
またしても騒ぎ始めたシェリアに嘆息した一同が、視線を交わして互いに頷き合う。
ここは下手に頭ごなしで否定するよりも賛同しておいた方が無難だという共通認識を得て、ラナが両手を合わせてにこやかに笑う。
「わかりました、では新たな組織名を再編しましょう。それぞれ案を考えておいてください」
「俺は別に変える必要はないと思うのだがな…」
「新たな名か。なんとしたものか…」
「では、それが決まるまではひとまず『フェアリー(仮)』ということで」
「なんとも締まらない名になってしまったものだ……」
そんな和気藹々とした雰囲気で話す彼ら彼女らの正体はといえば、この組織名が示す通りの者達そのままである。
耳の尖った青年と、猫耳尻尾の少女があの街へとやって来るのは、ここからもう少し先の話になる。

       

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