Neetel Inside ニートノベル
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静音さんを抱え、背中から廃ビルの壁面に叩きつけられた俺は声も出せずに激痛に意識を持っていかれそうになるのを必死に堪えた。
(やべ、これ、は……背骨、イっ……!!)
背中というよりかは骨から来るような鋭い痛み。これは不味い、ヤってしまったかもしれない。
「守羽!」
腕の中の静音さんが俺を呼ぶ。
手足に力が入らない。声を出すのも辛い。なんだこれは、どこが壊れた?
とにかくこのままじゃヤバい。
「あ、……。し、ずねさ……復元、っを……!」
息を吸っているはずなのに途切れ途切れにしか出せない息に乗せて声を絞り出す。
「うんっ」
言われずともやるつもりだったのか、俺の言葉が切れるのとほぼ同時に身体の壊れた感覚が消え、痛みを残して肉体の破壊が“復元”された。
「ありがと、ございますっ…」
まだ激痛は残っているが、身体はもう無事に動かせる。
じっとしているわけにはいかない。
「静音さん、早く遠くへ。鬼の狙いは俺だ、俺がここで気を引いていればヤツは静音さんを狙うことはない」
立ち上がりながら、俺は少し離れたところで地面に降り立った敵を見ながら静音さんを逃がすタイミングを計る。
大柄な身体に着流し姿の大鬼・酒呑童子はその真っ赤な頭を掻きながら、
「まあそりゃ違いねェな。その女には興味ねェ。生かして逃がす必要はねェが、わざわざテメェを差し置いて率先して殺すほど意味があることでもねェだろうし」
「ならこの人に手は出すな。俺に用事だろ?大酒喰らいの鬼畜生が、すぐさまぶっ殺してやるから俺から目ぇ逸らすんじゃねえぞ…」
「クカカッ!無論だ、恋人同士のように熱く視線を交わそうぜ。テメェにはくたばるその時まで鬼の姿を目に刻んでおいてもらわねェと困るんだ」
「……静音さん」
鬼の言い分が本音かどうかはわからないが、それでも静音さんがこの場を逃げ切るまでは何がなんでもここに縫い止める。
名前を呼んで横目で意図を伝える。聡い静音さんならすぐに察しただろう。
だが、静音さんは行動を起こそうとはせず、無言で俺のシャツの裾を指で軽く引いた。
「静音さん…?」
「守羽。君は…自分の為に全力で闘える?」
「え…」
いきなり、なんの脈絡もなくそんなことを訊いてきた先輩に、俺はどうしたらいいのかわからず鬼の動向を視野に捉えたまま言葉に詰まった。
ほんの数秒、互い無言の時が流れ、次に口を開いたのもやはり静音さんだった。
静音さんはゆっくり首を左右に振るい、そして俺を見て、
「ううん。…なら守羽は、私の……私の為に、なんて理由で全力で闘ってくれる?」
「は、はい。もちろん」
またしても意図の図りかねる発言だったが、それには戸惑いながらも即答することが出来た。当たり前のことだからだ。
「そう…うん、わかった。守羽、気を付けて…」
俺の回答を受けて、静音さんは軽く頷いて今度はあっさりと俺から離れていった。俺と鬼との交戦領域を大きく迂回して逃げるのだろう。
今の質問は、一体なんだったんだろう。
状況を理解している静音さんなら、俺の言葉に従ってすぐにでも逃げてくれると思っていたのだが。
まあ、鬼の方が何故か律儀に彼女が離れるまで待っていたからよかったものの。
俺は酒呑童子を視界の中央に定め直す。
「意外に紳士じゃねえか、待っててくれるとは」
「あ?おう、オレは酒と女には甘いぜ。それでかつて文字通り寝首を掻かれたこともある。…だがまあ、しかし」
離れていく静音さんを、酒呑童子は横目で眺めて、
「ありゃァ良い女だな。せっかく山から下りてきたんだ、テメェ殺したついでの戦利品としてあの女を引っ提げて帰るのも悪くねェ」
瞬間、
五十倍強化の四肢を全力で行使して、一気に鬼の眼前まで距離を縮めた俺の右拳が大鬼の顔面中央に叩き込まれた。
「…テメエは、今」
上半身が後ろに仰け反った大鬼の腹に精一杯力を乗せた左脚の蹴りを放つ。鬼の身体が真横に折れて吹っ飛ぶ。
それを追って俺も両足に悲鳴を上げさせながら追随する。
「何を、ほざいた?」
両手を組んで頭上高く振り上げ、追い付いた大鬼の胴体へ思い切り振り下ろす。
ヒビ割れ荒れたアスファルトを砕いて鬼の身体が大きくバウンドする。
逃がさない。
さらにその顔面を潰してやろうと、大きく後方に引いた右腕を一気に突き出す。
「…フン」
弾んだ身体を立て直し片足でトンと地面を踏みしめて、大鬼は俺の一撃を片手で受け止めた。
まるでスポンジを打ったような、まるで衝撃を通すことを許さないような軽やかさで。
俺の全力の一打を止めてしまった。
「中々だな」
それは称賛のようでいて、嘲るかのような落胆の感情が見える語調だった。
「人間にしては中々だ。んで、その程度だ。…本当にそれで打ち止めか?」
俺の五十倍を数撃受けてまるで効いていない化物は、つまらなそうに俺の拳を引いて代わりに自分の拳を俺の腹に沈ませた。
肋骨数本と、内臓かいくつか破壊されたのを即座に理解した。
「ごぶっ……!?」
「鬼っつゥのはな、大体力持ちだ。金剛力ってのか?とにかく、力が強い。それを扱う肉体も同様に硬い。人間にしちゃ随分いいモン持ってたが、それでもオレに届かせるにはまだ弱い」
前のめりに倒れる前に蹴り上げられる。防御に回した左腕はマッチ棒のように脆く折れ曲がった。
「それで本気なんだとしたらあまりに妙だ、妙過ぎて殺すのも躊躇うレベルだ。この期に及んでまだなんか隠してんじゃねェかって勘ぐっちまってるくらいにな。…っつゥか、」
中空に打ち上げられた俺へ、追撃の回し蹴りが迫る。
「…………ぁ」
緩慢に、それでも必死に余力を絞って残った右手で受け止めようとする。
「なんか隠しててもらわなきゃ困る」
右手は蹴りを受け止めてひしゃげた。
「ーーー!」
掌から手首、肘。
衝撃が伝い、順繰りに破裂し肉片を飛び散らせる。飛び散らせながら、なおも衝撃は身体を貫通しボールのように飛んでいく。
ボロボロのビル壁を粉砕してようやく止まった。胃液が吐血に混じって吐き出される。
「そんな程度の力で、同じ大鬼の茨木がやられるわけがねェんだ。『鬼殺し』たる所以はなんだ?鬼を殺した力はどうした?同胞オニを殺した力を見せろ、それを叩き潰さねェと気が済まねェ以上に気味が悪いだろうが。なんで使わないんだテメェは」
ゆっくりと歩き寄ってくる赤髪の鬼の姿が、横倒しになって明滅する視界の中でかろうじて映る。
傾いた視界で、鬼が唾を吐いて言う。
「死ぬぞ、テメェ」
死。
ここで死ぬか。殺した鬼の仇討ちで鬼に殺されて。
やりたいことはたくさんある。まだ、たくさん。
家族で行きたいところだってある、まだ学校でやりたいこともある。
俺だって普通に暮らしたい。異能なんてもんを抱えないで、人外だのなんだのに悩まされたりせずに友達を作って能天気に遊びたい。
やり残してることだって、いっぱいある。せめて、振られるのがわかっていたってあの人に想いを伝えるくらいはしたい。したかった。
そうでなくたって、一緒にいられればそれだけで満たされてた、ってのに。
それすら、もう叶わないのか。
………でもまあ、いいか。
もう時間は充分に稼いだ。静音さんはかなり遠くまで逃げただろう。
あとは鬼が俺を殺して満足して、それで帰ってくれればいいんだが……そうならなかったなら、あとはアイツに任せるしかなくなる。えらいキラーパスになるが、どうにかしてくれ由音。頼む。
「…やれやれ、くだらねェ」
大鬼が何かを言ったが、俺には聞こえなかった。
視界にいた大鬼は、何故か俺に背を向けていた。
「出す気がねェなら、出させるまでだ。……このオレ様はな、知ってんだよ。テメェら人間の、本気の出させ方ってヤツをな」
大鬼は、喋りながら俺でなく違う方向に目を向けていた。
自然と、死に掛けの体で俺もその視線を追う。
……………………………………………………、
「な、ん、………で」
なんで、あなたが、そこに。
視線の先の薄闇の中に立っていた、その人を見て絶句する。
「特にテメェみたいなのは単純だ」
大鬼は愉快げに言う。
その先にいる女性を指差しながら、
「大事なモンなんだろ?取り上げたらガキみてェに癇癪起こして暴れ回るんだろ?知ってんだよ。オレはな。人間がそういうモンだってのは」
久遠静音さん。
もうとっくに遠くまで逃げていなければならないはずのその人が、堂々と逃げる様子も見せずに大鬼の圧力にも屈せず凛々しくそこに立っていた。
「さァ、いつまでそこで這いつくばる?死に体でも見せてみろ、大事なモンが壊されるのが、自分の身が壊れるよりも苦痛に感じる人間の底力ってのを」

       

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