Neetel Inside ニートノベル
表紙

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『君も彼の『あの状態』を知っているようだから言うが。最初、私は彼がああなる切っ掛けとなるものは、自身の生命の危機だと思っていた。自分の生死に関わる場面に陥れば、嫌でも自覚するのではないかとな』

頭に浮かぶのは、いつもあの言葉。

『だが違った。彼は自分の死に際になっても自覚しようとはしなかった。ただ、君の命の危機となれば、彼は自ら嫌がる自覚を意識しようとした。結果がこれだ』

それはあの柴犬の姿形をした、老齢の言葉。都市伝説の古参に数えられる、あの人面犬が聞かせてくれた言葉。

『神門守羽は自分の為ではなく、他者の為に力を発揮できる者だ。逆に言えば、君のように身近な親しい者がいなければ彼は呆気なく死んでしまうだろう。だから君はそれでいい』

老犬が予想する、神門守羽という人間の本質。そしてそれに関連する『引き金』としての要素。その一つが久遠静音であると判断したその理屈、その在り方。

『安心しなさい。君がそこに居ることが、ただ在ることが、彼にとっての力になる』

彼の為になれることがあるのなら、彼女は迷わずそれを選択する。例え自身の命が危険に晒されることになろうとも。
だから静音は逃げない。
彼の為に、彼の生存の為に。
彼女はただ逃げずに其処そこに在り続ける、彼の傍に居続けることを選ぶ。
これが、闘う力を持たない久遠静音が唯一取れる彼女なりの闘い方だった。



どうして。どうしてそこに。
逃げ切っているだろうと安心していたのに、静音さんはそこに立っていた。
「ごぁ、がふッ!!……し、静音さ……逃、げ……」
吐血が止まらない口から出そうとする声が、血液に邪魔されてうまく出ない。呼吸すら怪しくなって、意識が朦朧とする。
「コイツが心配になって戻ってきたか?女」
「……守羽」
大鬼が軽い調子で静音さんに話し掛けるのを、彼女は一切無視して俺を見る。
酒呑童子は、そんな静音さんに対して不機嫌になるどころかクカカと楽しそうに笑う。
「女のクセに鬼を前にそんな毅然としてられんのは大したモンだ、やっぱいい女だなテメェは。殺すのは惜しい。惜しいが」
ザッ、と一歩踏み込んだ鬼の姿がほんの一瞬ブレたかと思うと、次にはもう静音さんの目の前にまで移動していた。
その右手首を掴み、巨漢の大鬼が静音さんを真上に引き上げる。
「ぅあっ!」
強引に手を握られ両足が地面から離れた静音さんが、苦悶の表情を見せる。
体外に流れ出るものも含め、全ての血液が沸騰したかのように熱くなったように感じる。
「テメェに『鬼殺し』を本気にさせる『引き金』たる要素があるんだとしたら、仕方ねェ。この場で八つ裂きにして鬼を殺した力を引き出させる。…いいツラしてんじゃねェか『鬼殺し』。オラよく見とけ、大事なモンがぶっ壊れる瞬間だ」
「ふ、ざけッ…!!テメ、やめろ。ごはっ…ぐ、ぶ……ッ」
叫んだ分だけ吐血量が増える。痛みが痺れに変わり、全身を倦怠感と脱力感が包み込む。意識がどんどん遠ざかり、五感が鈍く錆びついていく。
ーーーただしその代わり、違う感覚が冴えていく。
直感的に人間の持つ感覚ではないと確信できる、何か。
それが冴え渡り、俺に打開策を導いてくれる。
方法は至って簡単だ。
大鬼の言う通り、従えばいい。
認めればいい。
諦めればいい。
引き出せばいいだけのことだ。
やり方も知ってる。

俺を助けろ、力を貸せ、鬼を殺した力を俺に渡せ。

俺は俺自身にそう命じる。俺には鬼を殺せるだけの力は無い。前回だって今のままで殺せたわけではない。
思えば、状況はあの時とほとんど同じだ。静音さんが危機に晒され、俺は動けない。
だから俺は、俺自身に宿る俺とは違う俺の力を頼り、結果として俺ではない俺のような何かに助けられた。
『俺』ではない『何か』に。

(その言い回し、どうにかできないのかよ『俺』。わかってるくせに気付こうとしないまま遠回りに答えに行き着こうとするのは面倒だぞ)

繋がった、応えた。
なら『俺』は必要ない。もう俺が出しゃばる必要はない。

(いや、『おまえ』も『僕』も同じなんだけどな。そこら辺、まだ理解が足りないのな。まあいいや)

『俺』ではない『何か』は、諦めたような口振りでそれ以上続けようとはしなかった。
ただ、俺からのバトンタッチに対し、やたらその『何か』は友好的にそれを受け入れた。

(ああ、僕は『ぼく』を助けるよ。力は元々『おまえ』のもんだし、渡すというよりは返すって方が正しいが、それもまあいい)

なにやら小難しいことを並べ立てて、満足したのかそいつは俺の絶命に近づく肉体の主導権を掌握して表層に出現する。

(さあ行くぞ。僕が出てる間は前みたいに拒絶すんのはやめろよ。今回は相手がヤバい。『俺』と『僕』とでフルに力を使えないと静音さんが死ぬと考えろ。頼むから邪魔すんなよ?)




左手で静音の手を掴み上げていた酒呑童子は、右手で手刀を作りながらも視線はずっと『鬼殺し』に向いていた。どんな反応が出るのか、それによって同胞の茨木童子を殺した強大な力が現出するのかと予想していたからだ。
ただ殺すだけなら容易いものだった。だが、酒呑童子はどうしても見極める必要があった。あの人間が本当に大鬼を殺す力を持った人間だったのか。
鬼を殺せる力を秘めた人間を、その真価を見ぬままに殺すのはあまりにも不気味だった。だから酒呑童子は『鬼殺し』の本気を完膚なきまでに叩き潰す必要があった。そうすることで、ようやく鬼を殺せる力を殺したという事実が彼に安心を与えるからだ。
言ってしまえば彼は不安だったのだ。矮小で貧弱な人間種が、よもや我ら鬼性種を殺せるほどの力を保有していたことが。
だからそれを見過ごせなかった。その力を同胞を殺めたことを許すわけにはいかなかった。
その為に、わざわざここまで回りくどいことをしてまで『鬼殺し』に本気を出させようとした。
ひとまずは女を殺してみてから。それから様子を見て、まだ駄目なようなら別の手を考えて実行するまでだ。
そうして酒呑童子は流れ作業のように見もせずに手刀で女の首を撥ねようとした、その時。
視界に入っていた、横倒しになっていた『鬼殺し』の姿が土煙と共に消えた。
「おっ」
「……」
いきなりの急加速移動で追い切れなかったが、すぐに相手が自分の正面に回り込んできたのだと理解した。
振るわれた手刀を折れていた左手で押さえ、女を掴み上げていた腕をぐしゃぐしゃに潰れたもののギリギリ原型を保っている右手が握っている。
「出たか」
「呼ばれて飛び出てなんとやらだ。『俺』とテメエのお呼びに応じて出てきてやったぜ」
それまでとは纏う気配そのものが変化している『鬼殺し』は、その両腕に淡い光を宿していた。その光は腕全体を包み、その形を本来のものへと癒し戻していく。
治癒の力。
「珍しいモン持ってんな、『鬼殺し』」
「余裕だな?なら少し焦れよ大鬼」
酒呑童子の手刀を押さえ付けたまま、半分以上治り掛けていた右手の五指に力を込めて念じ唱える。
「百八十倍」
メキャァ!!
「ってェな!」
五本の指が酒呑童子の腕に食い込み、骨肉を圧迫して不快な音を立てる。強引に緩ませた手から人間の女が離される。
「二百五十倍、はあっ!!」
叫び至近距離で突き出された爪先が腹に沈み、初めて酒呑童子は身を貫く衝撃に目を見開いた。
くの字に折れて直線状にあった廃ビルの一階をダルマ落としのように吹き飛ばし、ビルが一段低くなる。



「静音さん。逃げなくていいから離れてて、僕の目の届く範囲で」
「…また、違うね。君は」
ぺっと口に残る血を吐き出して、いつもの静音の知っている守羽ではなくなった彼はやりづらそうに頭を掻く。
「ま、そんなとこ。じきにわかるから詳しくは聞かないでおくれよ。とりあえず離れて、僕とアイツがぶつかったらこの辺かなり危ないから」
横目で微笑む彼と目が合い、静音はただ頷いて後方に下がる。
これでいいはずだ、と。静音は自身に言い聞かせる。
『引き金』たる役割は果たせた。これで守羽は本気で闘える。これで守羽は死なずに済む。
今の彼が一体なんなのかわからないまま、静音は守羽に生きていてほしい一心で彼の健闘をただ祈る。



「“生滅盛衰。万物はいつにて流転し、相生により循環。陽にてこれを不変不滅。原初の元素は手中に掌握”」
呟きながら、守羽は崩壊したビルへゆっくり歩を進める。
ボゴンッ!!
瓦礫の一部が爆発したように真上に噴き上がり、砂まみれになった酒呑童子が粉塵に紛れて地面に降り立った。
「ペッ。いきなりいいのもらっちまったぜ、口ん中砂で気持ちわりィ」
「“赤熱の光輝、厄災払い焼き糺せ”」
据わった瞳で鬼を見る守羽が片手をちょいと振るうと、酒呑童子の周囲を一瞬で炎が覆った。
「んだと!?」
振るった片手を握れば、連動して覆った炎が一気に内側の領域を灼熱で満たし、圧縮されて爆発を引き起こした。
「ーーークッカカ、カカッ!!」
燃え上がる炎の中から、笑みを浮かべて酒呑童子が飛び出て来る。着流しこそ焼け焦げてはいるが、その内の皮膚にはまるでダメージが通っていない。
「“土塊の鉄槌、業を見定め打ち据えろ”」
守羽へと疾駆する鬼の足元から、盛り上がった地面が杭の形状を成して鬼を貫かんと迫る。
「猪口才が!」
それを頑強な手足を使って粉砕する酒呑童子へ、今度は守羽が飛び込む。
「二百倍」
「オォ!」
人間を遥かに超えた身体性能で、守羽は鬼と素手で打ち合う。
「それが本気ってか『鬼殺し』!ようやく合点がいきそうだぜ!」
「流石に硬いなこの鬼。昔の人はよくこんなヤツの首を撥ねられたもんだ」
二打、三打と互いに叩きつけ合い、同時に後方へ下がり構え直す。
「ハッ、舐めんじゃねェぞ。こちとら歴史にだって首だけになろうが噛り付くだけの根性見せてんだ」
「そのわりには毒の酒で簡単に身動き封じられたみてえだけどな」
じりじりと互いに間合いを測りながらも、守羽は自分の後方にいくらか意識を割いていた。
それに気付いた酒呑童子は、構えを解いて片手を振りながら、
「ああ、テメェと闘ってる間は手は出さねェよ。『鬼殺し』を本気にさせる為に使っただけだからな。もう必要ねェ」
「鬼の言い分なんざ信じられるか」
「そうかい」
再び構え直して、鬼はさらに続ける。
「だがな、鬼ってのは大体頭を使うことは苦手なモンだ。真っ向からやんのが一番簡単で手っ取り早いからな、テメェら人間と違って姑息な手は使わんのよ」
「鬼って馬鹿っぽいからな。姑息な手すら思い浮かばねえんだろどうせ」
「おうよ、鬼神に横道なきものを、ってな」
守羽の挑発にも乗る様子はなく、減らず口を叩きながらもその気配は常に相手の気の緩みを狙っているのがよくわかるほどに鋭敏に澄まされているのがわかる。
こちらも、目の前の事以外に気を取られていてはいつやられてもおかしくはない。
(静音さんには少しおとなしくしていてもらうしかないな。僕が出て来た以上、もうあんな真似をする必要もないと思うが、あの人は『俺』の為なら平然と命を賭けてくるからなあ……)
出来れば意識の何割かは静音さんの安全に回したいところだが、そんな状態では大鬼・酒呑童子を相手取っての勝利など夢のまた夢。不安は残るが今は敵に集中するしかない。
身に宿る“倍加”以外の能力も高めつつ、守羽は赤い髪の巨体の動きを注視しながら次の一手を繰り出すべく四肢に力を込めた。

       

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