Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は
第三十四話 これからすべきこと

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「おっ」
「ん?」
廃ビル群から離れて手近な建物の屋上まで跳び上がってから、それぞれ守羽と静音を抱えていた由音とシェリアが来た道を振り返って疑問の声を上げた。
「…逃げたぞ」
「逃げたね」
「……わかるの?」
シェリアの手から降ろされながら、静音が同じ方向を見て言う。当然ながら“復元”の能力を持つこと以外は至って普通の人間である静音にはそんな遠方の変化には気付けない。
「気配が遠ざかってるんすよ、だから逃げたんだなーって」
「レイスが追い払ったのかにゃ?…うーん?あれ、誰だろ。ほかにも誰かいる」
悪霊による“憑依”の力で気配を感じ取る由音とは違い、猫としての聴覚を利用して状況を察しているシェリアは、撤退した鬼達と入れ替わりに増えたもう一人の存在を聴き取っていた。
(…………とうとう表に出てきやがったか、親父…)
そして、誰にも言わずにただ一人だけがその存在を正確に理解していた。『僕』たる神門守羽には、父の気配は手に取るようにわかる。
だからこそ、ひとまずはこれ以上『僕』が表層に出続ける必要は無いと判断する。なによりこのままでは本当に神門守羽が死にかねない。
守羽はいよいよ本当に危うい顔色で由音に支えられながら虚ろになりかけている両目で先輩を見る。
「静音、さん……僕はもう引っ込む。あとは頼む」
「え…、あっ」
言うだけ言って、ぷっつりと糸が切れたように守羽の全身から力が抜ける。慌てて由音と静音で支えて屋上に横たえ、すぐさま静音が両手を触れて“復元”を掛ける。
今度はしっかりと全身に力が浸透し、その身は彼女のよく知る万全の神門守羽へと“戻った”。



「よう」
何も無い。純白の空間。
石ころの一つも落ちていない、本当に何も無いまっさらな場所に俺は立っていた。地平線すら見えやしない、上も下も左右も均等にただ白く白い。
耳が痛くなりそうなほどの静寂の白の中で、唯一背後から掛けられた声に俺は嫌気が差しながらも振り返る。
「…………」
平均的な身長、体重も確か特に目立って変わってはいなかったと思う。
黒髪は目に掛かるか掛からないか程度までは伸ばしてある。夏だし暑いからそろそろ切ろうかと思っている頃合いだった。
口元に僅かな笑みを浮かべているその顔は至って平々凡々。探せばきっと似たような顔はいくらでもいるんだろうなと感じる程度の平凡さだ。
そんな容姿の人間が、純白の世界に腰を落ち着けて、胡坐あぐらをかいてこっちに片手を挙げていた。
神門守羽。
まんま俺の姿そのものが。
「こうして対面するのは初めてだよな、『俺』」
「…なんの用だ」
友人に接するような態度で笑うそいつと、今の俺は対極的な顔をしていることだろう。
コイツのことは認めたくない。
俺と同じ顔は、俺の言葉にわざとらしく肩を竦めて見せた。
「逆だ逆、お前が僕に用有りだったんだろ?じゃなきゃこうして面会なんて出来るわけがない。これはお前が僕という存在を受け入れ掛けている何よりの証拠だ」
「ほざけ。テメエは誰だ、俺の何なんだ」
「お前自身が封じた知識と力」
ヤツも長話をする気は無かったのか、俺の質問にはすぐさま答えた。
「自分のことながら器用なことをしたもんだと思うわ。わざわざ僕っていう別人格を作った上で、『俺』に不要と判断した記憶や知識その他諸々の管理者として深層意識に閉じ込めたんだから」
「………何を」
「そこら辺はおそらく二つの性質を宿した神門守羽の存在の特性上からして可能だったんだと思うが。人間としての側面のみを表層に出して、余分な側面は一括して『僕』を形成することで押し込めたってとこだな」
「だから、お前は何を」
「もうそれやめろ」
俺の言葉を遮ってヤツは続けていく。
「いつまで続ける気だ。楽な方に逃げるのはもうやめろ。これまではそれでもよかった、だがこれからはそうもいかない。知ってたはずだぞ、お前は。いつか来るであろうその時を、自分が手放した力をまた使う日が来ることを」
「……っ」
「今のお前であの大鬼に勝てるか?四門を撃退できるか?連中は人間としての能力だけじゃ絶対に敵わない。毎度毎度死にそうな目に遭って、静音さんや他の誰かを巻き込んで、そこでようやく僕を頼って、そんなことの繰り返しでどうにかなると思ってんのか?『おまえ』は理解してんだよ、そんなわけないって。僕が断言できるんだから間違いない」
「…お前は!」
知ったような口で。
そう出かかった声は、途中で喉の奥につっかえるようにして消えた。
分かっているからだ、俺が。
コイツは全てを知っている。俺のことも、俺自身が知らないでいようとしてきたことも、全て。
別人格、管理者、意識の底に閉じ込めた。
それがコイツ。
「…『俺』が力を使いたがらない理由はわかる。前に色々あったが、決定的なのは茨木童子の一件だろ?人外が憎くて仕方ないから、自分に人外の性質が宿っていることを認めたくない」
俺の全てを知っているヤツは、知った上で答え合わせをするように、言い聞かせるように淡々と俺へ話し続ける。
「でもな、人外が皆そうってわけじゃねえ。それはお前も理解してるはずだ。人間と同じ、人外も根本的なところでは一緒だ。本能関連による善悪や行動原理・理念の不一致ってのは確かにあるが、んなもんは人間そっちだって同じだ。未だに肌の色が違うだけで相手を認めない連中だっていることだし」
「だからどうした。俺が会って来た人外は大体ゴミクズみてえな連中しかいなかった。全部が全部ってわけじゃなくとも、そういうのが大半ってのは確かじゃねえか」
ふう、とヤツはわがままを言う子供を相手にするような腹の立つ挙動でゆっくりと立ち上がる。
「兄の為に戦う妹と弟はどうだった?」
俺を真っ直ぐ見つめ、俺と同じ顔をした違うそいつは言った。
「かつて死なせてしまった主のことを想う犬はどうだった?」
脳裏に鎌鼬の姉弟と人面犬の姿がよぎる。
「悪霊に取り憑かれても必死に今を生きてるあいつは、お前にとってはなんなんだ?」
続けて、いつでもどこでもうるさいほど元気に騒いでいる友人の姿も浮かび上がる。
「それになにより」
少し息を吸って、一番大事なことを伝えようと俺の姿をしたそいつが告げる。
「僕達の母親も、お前は人外だからと憎み軽蔑するような人なのか?」
「…っ。そんな、わけが」
母さんがどういった存在なのか、これまでは知るのを避け続けてきた。知る必要は無いと自分で勝手に決めつけて。
だって、たとえ母さんが何者であろうとも俺が母さんを見る目が変わることは絶対にありえないと確信していたから。
だから、たとえ母さんが、人間でなかったとしたって。
俺は……。
「それが答えだろ」
分かり切っていたことのようにそいつは言った。
「お前は強情になり過ぎだ。人間と人外を同じ位置で見れる立場にあるくせに、わざと人外を悪者と断じて忌避しようとする節がある。結局それも半端に終わって手を出したり助け船を出したりしちまうのにな」
「俺がいつそんなことしたってんだ」
この期に及んで、俺はまだ抵抗していた。この相手が言うことは絶対正しいのに、俺自身を見てきた鏡のような存在に、嘘や虚実はありえないというのに。
「自分が、あるいは親しい誰かが巻き込まれるから。成り行きの巻き添えにされたから。仕方なく、嫌々に。そんな風に言い訳して戦い続けてきただろ。確かにそれも理由の大半ではあったんだろうが、それにしたってお前は他人任せにすることをしなかった」
案の定、見透かしたかのように言い当ててくるそいつは真っ白な世界の中で身を反転させて背中を向ける。
「残りの答えは自分で見つけろ。ヒントどころか解答なんてそこら中に転がってんだから、手近なとこから拾い集めていけ。いつまでも僕に頼ってんじゃねえぞ、静音さんだって僕が出て来ると戸惑っちまうんだからな」
「おい、待て」
背を向け歩き出したそいつに声を掛けるが、振り返ることはしなかった。やがて純白の世界全体が照明を落としていくように明度を下げて視界が暗くなっていく。
「いきなり全部とは言わねえ、少しずつ返していく。だからいい加減お前も自分と向き合え。お前のその行為は、両親の想いを否定してんのと同じだ。この親不孝者が」
徐々に、そして完全に純白から漆黒へ変化した世界に、もう何も映すものは無い。
やがて視界と同じく意識までもが沈むように呑まれていき、最後には気を失うようにぷっつりとその場での思考は閉ざされた。

     

ザァ……と、頭上に掲げた右手を中心に水が集まる。
それは大気から抽出した水分。半径数キロに渡ってかき集めたそれを、巨大な水球として手の上に浮かせて、レイスは強く相手を睨む。
「言い訳はあとでいくらでも聞こう。だから今はおとなしく沈め」
「レイス、先に話をしよう。いきなり荒事とは君らしくもない」
「安心しろ、こんなことするのはお前だけだ」
「ふうむ…」
神門旭は諦めたように唸ると、肩に担いだ日本刀はそのままでちらとレイスの頭上で停止する巨大な水球を見る。
それから何かに反応するようにぴくりと眉を動かすと、小さく口を動かしてこう言った。
「手荒な真似はしないように。先に交戦の意思を示すのは良くないからね」
「へいよ旦那」
返事する声があり、それと同時にレイスの頭上の水球に幾筋もの閃光が駆け抜け、バラバラに分割された瞬間にボジュゥッと瞬間蒸発した。
「…お前は…」
自らの創り出した水球が斬り裂かれ蒸気が辺りを薄く包む中、右手を下げたレイスが攻撃を仕掛けてくることもなく刃を収めた相手に視線を向ける。
「アル。そうか、お前もそちらの側についていたな。裏切者め」
「俺は最初っから旦那の側だぞ?裏切りとか失礼なこと言うなし」
浅黒い肌に、赤茶色の髪。見た目の程はレイスとそう変わらない青年の出で立ちで、半袖Tシャツに長ズボン。肌と髪に目を瞑ればどこにでもいそうな普通の大学生のようにも見える。
そんなアルと呼ばれた青年が、今さっき水球を斬り裂いた剣を持ち上げて顔を顰める。
「…やっぱ駄目か。わかってたけど。神様の武器だしなー」
やたら華美に装飾された剣に亀裂が走り、アルの手の中であっという間に粉々になり、砂のように細かな粒となって地面に落ちた。
「レーヴァテインなんてやっぱパチモンでも創れるもんじゃねえわ。一回使えばおしまいの使い捨てで精々ってとこ。いっそドワーフにでも技術を教えてもらおうかね、旦那」
「一度限りの模倣でも創れることは凄いと思うけどね、俺は」
「いやいや、武器は何度も使えてなんぼっすよ。これじゃ愛着もクソもねぇ」
言いつつ、アルは旭が肩に担いでいる日本刀を見て目を瞬かせた。
「お、そいつが例の天下五剣の一振りってやつっすか」
「そうだよ。名刀・童子切安綱。いやあ、見つけだすのに三日掛かるとはね、本当にギリギリだったけど間に合ってよかった」
触りたがっているアルに日本刀に預け、旭は一歩前に出る。
二人の会話を黙して聞いていたレイスが前に出た旭を見据えて得心がいったように呟く。
「この街にはいないと思っていたが、そんなものを探していたのかお前は」
「まあね。大鬼が来るみたいだったから、一応保険として用意しとこうかと」
「すげー。こんな業物ともなると、現物を前にしても模造品を創れる気がしねえな」
鞘から少しだけ刃を出して感嘆の吐息を漏らすアルを置いておいて、二人だけで会話を進める。
「彼女はどこへやった」
「え?普通に家にいるけど」
「気配を感じない。結界を敷いているだろう」
「まあ、いつか君とか他の誰かとかが来ると思ってたからね。侵入防止と探知防止に結界は常時張ってあるよ」
「よくも抜け抜けと…!」
歯軋りをして、レイスは両手を僅かに開いて臨戦態勢を取る。
「やめなって。君の本領は水にあるだろう。それも今アルが全部消したし。それに僕は君と闘う理由が特に無い」
「お前はそうだろうな。彼女をかどわかし、連れ去り、挙句子を孕ませて満足か。外道め」
「酷い言われようっすね旦那。誘拐と監禁と強姦?あ、あとロリコンかーこりゃしばらくシャバの空気は吸えそうにないっすわ」
「事情を知ってるくせにそういう言い方するのは止めてくれるかな!」
「いやいやわかってますって。確かに姐さんは可愛いっすよねちっさくて。俺も幼女好きだから気持ちはよくわかるんすよはい」
「ホンモノの君と一緒にされてもね、ってか僕は外見で惚れたわけじゃないって何度言えばいいんだろうか……」
「とにかく」
業物である童子切安綱を手に旭を押し退けたアルが、レイスの視線を受け止めてチャキリと刀の鍔を鳴らす。
「煩いから黙らせましょうや旦那。この刀なら鬼に限らずなんでもスッパリ斬れそうですし、ちょっと野郎で試し斬りってのも悪くないでしょ」
「いやだから荒事は」
「わぁかってますっての。おだやかーに腕か足の一本で済ませますんで」
「それもう充分に荒いよね!?」
殺意を膨らませるアルに対し、レイスも受けて立つとばかりに腰を落とす。
「妖精界を裏切ったばかりか神門に付き、あろうことか戦意に駆られて武器を振るうか。落ちるところまで落ちたな、アル」
「あながち間違っちゃいないからな、それ。一度は堕ちて、だから今の俺は妖精種ようせいしゅじゃなくて魔性種ましょうしゅなのさ。『反転』した俺を同胞を思ってくれなくて結構、遠慮なく魔を討つ気概で来いよ」
「ふん…」
鼻を鳴らしたレイスへ向けて、アルが一刀を叩き込もうと強く足を踏み締めた時、
「ーーーいい加減にしないと、怒るぞ?」
夏の夜の空気が冷たく感じるほどにぞっとした声音で、旭がアルを諌めた。
「……わかりましたよ」
渋々といった風に構えを解いて、持っていた安綱を旭へ投げ返す。
「用は済んだんだから戻りやしょうぜ。これ以上ここにいてもいいことない」
「そうだね」
にこりと微笑んだ旭が歩き始めたアルに続いて行こうとした時、やはりレイスはそれを見過ごすことはしなかった。
「待て。まだ話は終わっていない」
アルが舌打ちして何事か言おうと口を開きかけたのを手で制して、旭が顔だけ向けて答える。
「今日はもう終わりにしよう。今はタイミングが悪い、また機会を見て場を設けようじゃないか。こっちは逃げも隠れもしないよ」
「場となれば今を置いて他に無い。お前を逃がす理由もまた俺には無い」
「…なら、理由を作ってあげようか」
すっと細められた目が、レイスを越えたさらに遠くを見る。
「君の仲間だよね、あの猫の女の子。ケット・シーかな、可愛らしい子だね」
「……お前」
「少し距離は遠いけど、それでも消し飛ばすだけなら一発で済むね。どうする?」
「神門ォ!!」
レイスの心情を現すように暴風が吹き荒れる。力を束ね、怨敵を穿つ一撃を練り上げる。
「遅い、それが放たれるより早く僕が先手を撃てる。君は賢い、理解しているんだからおとなしく手を引いてくれ」
「ッ!」
旭の言葉で顔を歪ませたレイスが練った力を一気に拡散させる。指向性を解除された属性は大気に溶けて風と共に消えた。
「…うん、ありがとう」
「ふざけるな。お前達は絶対に許さん」
「ハッ、いつでも来いやレイス。分からず屋が」
煽らないの、と頭に旭からのチョップを受けながらアルも引き下がる。
背中を見せ堂々と去っていく二人を睨みながら、レイスも手を出すことなくただただギリと歯を噛み締めた。

     

「ミカド、だいじょうぶにゃの?」
「傷は全部“復元”したから、命に別状はない…と思う」
横たえられた守羽を覗き込むシェリアに、静音も不安げな表情で自分自身に言い聞かせるように答える。
守羽の首に触れ、手首で脈を取り、呼吸に胸が上下するのを確認して、再度うんと頷いて存命を認識する。
「大丈夫だよ、守羽は生きてる」
それを受けて、シェリアはしゃがみこんで守羽を見ていた状態からすっくと立ち上がり、
「そっかー。んじゃ、あたしはもう行くね。レイスのとこ戻るから」
「ありがとなシェリア!お前のおかげで助かったわ!」
血だらけのわりに怪我はほとんど“再生”している由音が、いつも通りの元気っぷりでシェリアに向けて片手を挙げる。
「うん!シノもおつかれさまー」
パァンッ、と由音の手の平に自分の小さな手を打ち合わせて、シェリアは身長差のある由音を見上げる。
「ミカドが起きたらさ、ありがとって伝えておいて!あたしがオニにやられちゃいそうににゃったとき、守ってくれたから」
「おう!今度お前んところでなんかあったらこの借り返しに行くぜ!またなっ」
わしわしと頭頂部の猫耳ごと頭を撫でる由音に、シェリアもワンピースから覗く尻尾をぱたぱたと振りながらにぱっと笑って頷く。
「シズもまたね!」
「あ、うん……またね、かな?シェリア」
控えめに手を振った静音にも笑顔を向けて、シェリアは屋上から飛び降りて違う建物の屋根や屋上へと跳び移りながら去って行った。
「そんじゃ、オレらも帰りましょ静音センパイ!とりあえず守羽を家まで運んで、それからオレが家まで静音さん送りますよ、まだ何があるかわからんし!」
「そうだね……由音君、お願いできるかな」
「うっす!」
言うが速いか守羽の体を担ぎ上げる由音を横目に、静音も夜の景色の向こう側をぼんやりと眺めながら考える。
(また来るのかな……ううん、来るんだよね。あんなに強い鬼が、また)
次また襲ってくる時、またこんな風に切り抜けられるのだろうか。守羽は、今度こそ殺されてしまうのではないか。
そう思うと、今回無事に生き抜けたことが奇跡のように感じる。いや実際いくつもの要素が絡んでかろうじてこうなっただけだ。一つでも欠けていたら守羽は殺されていた。
ぞくりと恐ろしい想像に身が震える。
死なせたくない。死んでほしくない。
その為にこの身を餌に神門守羽の内側に居る何者かを表層に現出させて生き延びてもらう算段を立てたのだから。…結局最後は生きてもらう為に守羽自身に闘ってもらうことになってしまったのが非常に悔まれることだったが。
四門の一件でも感じたことを、今ここでも痛感する。
自分の無力さを。
(……どうすっかな)
そんな静音の心中を察することなく、しかしまた由音も自身のことについて珍しく悩んでいた。
(“憑依”がまるで通じなかった、あの赤髪の鬼…。馬と牛はまだいいとしたって、ありゃダメだな。全開まで深度を引き上げても勝てる気がしねえ)
たかが一撃で少しの間戦闘不能にされてしまったことを、由音はかなり深刻に考えていた。
これまでは一度として鑑みたことのない、自身の戦力に関して再度考察し直す。
(今までは“再生”のゴリ押しでぶっちゃけどうにかなってた。最悪でもオレが死ぬようなことは無かったからな。油断…じゃねえか、過信?ああよくわかんねえ!)
守羽を担いだまま乱暴に自分の髪を掻き毟る。
(考え直さねえとな!“憑依”の力は人間の強度を越える勢いで力を引き出せるけど、普通ならそれで体はぶっ壊れる。オレは“再生”があるからそれがねえけど。だから……だから、もっとちゃんと“再生”が使えればそれだけ“憑依”も深く使えるってことだ)
シンプルに考え、由音は自らの方向性を見極めていく。
(守羽の足手まといには絶対ならねえ。この力は、あいつの為に極めるって決めてんだからな。ずっと前から!)
守羽を想う二人の男女は、そうして今後を想定して自らの成すべきことへの思案に暮れながら帰路についた。
ーーー同様に、意識を失っている守羽も、その奥底で自分ではない何者かとの対話を終えてこれからのすべきことを固めつつあった。



「やっほーただいまー!」
「…ああ」
大鬼との戦闘跡に一人残っていたレイスのもとへと、元気に声を上げてシェリアが舞い降りる。
「シェリア、無事か?怪我は」
「ううん、だいじょぶ。レイスこそ平気だった?オニはどしたの?にゃんか違う人が来てたみたいだけど」
人外の聴力で新手の存在を認知していたシェリアに、レイスも隠すことはせずそのままを話す。
「神門が出て来た。それと、アルもな」
「アル?へーこっち来てたんだ!元気だった?」
顔見知りの名を聞いてシェリアも嬉しそうに耳を動かすが、対してレイスは苦い顔をして歩き始めた。シェリアも無言で付いて行く。
「ねーねー、レイスどしたの?」
少し歩いてすぐ無言に飽きたのか、シェリアがレイスの様子を気に掛ける。
それにレイスもすぐ応じ、口に出しかねていたことを訊ねる。
「シェリア、アルをどう思う」
「うーん?面白いと思うよ!」
子供そのものな答えに思わずレイスも微苦笑してしまったが、もちろんレイスはそういう意味で訊いたのではない。
「アルは……もう我らと同じ妖精ではない。元はそうだったが、今は違う」
「…えっと、『反転』だっけ?」
その単語を知っていたことに僅かながら意外に思いながらもレイスは顔に出さずただ頷く。
『反転』。
それは人外における性質がひっくり返ること。
人ならざるモノには、人々から語り継がれて来た様々な伝承・由来・出自がある。もちろん単一で固められた存在も珍しくはないが、大抵多くは一つに依らない。
そして、なんらかの切っ掛け、要素、状況において本来持ち合わせていた性質が『反転』し、変化する。
対極の位置へ、あるいは別口の何かへ。
「我ら妖精種が他の要素へと『反転』することはまず無いのだが、アルは……アルヴは違う。今のあいつは魔性の者、悪魔だ」
「でも、アルはアルでしょ?」
シェリアの言葉に、レイスも答えに窮する。
確かにアルは『反転』してからもさして違いが見られない。多少好戦的になり、行動や言動も粗野になり妖精からは若干遠のいたが、それでも全てがらっと変わったわけでもない。
だが、それでも。
「それでも、あいつは『反転』し妖精を裏切り、彼女を連れ去る神門に与して妖精界を去った。だからもう、奴は敵だ」
言い切って、少しだけ目を伏せたレイスは一度顔を上げると隣を歩くシェリアを見下ろす。
「シェリア、一度戻るぞ。皆にことの顛末を話し、今後の出方を練る」
「今後、って?」
「神門勢との交戦もあり得るという話だ。この街に奴等と彼女がいるとわかった以上、こちらも黙って見過ごしているわけにはいかない」
「戦うの?」
「可能性は高い」
嫌そうに耳をぱたんと倒したシェリアは、眉をハの字にして唸る。
「う~、仲良くすればいいのに」
「そんなことが出来ればずっと前にそうなっている。ともかく一度戻るぞ」
「…それって、あたしも?」
「何を言っているんだお前は……」
呆れ顔になるレイスにシェリアは真顔で、
「この街に残っちゃだめ?」
「…なんの為にだ」
「だってここ面白そう!シノもいるし、あとあとシズって女の子とも話してみたい!ミカドだってそんにゃに悪い人じゃないと思うよ!」
「…………はあ」
この娘を相手にして何度目になるかもわからぬ深い溜息を吐く。
「だめ?」
「もちろん駄目だ」
「なんでー!」
何故『なんで』なんて言葉が出て来るのか、レイスは頭を押さえて左右に振るう。
「危険だからだ。敵が多過ぎる、神門……神門守羽はまだしも、神門旭は危険だ。そもそも奴はな」
「だいじょうぶだってばー」
自分の知らないところで脅しとはいえ命を狙われていた者がいる街なんかに一人で残してはいけないという当たり前の考えを、シェリアは純粋な眼差しで否定する。
「みんにゃ、話せばわかると思うよ。わかんにゃい人もいるけどさ、でもレイスってば話すこともしにゃいで決めつけるのはよくにゃいよ!」
「むう…」
微妙に正論を突かれてしまい口籠るレイスは、それでもシェリアをこの街に残していくのは許容できなかった。
せめて、信頼に足る人物に預けられればいいのだが…。
と、そこでたった今言われたことと共に一つ思いついたことがあった。
「ふむ、話し合いか。確かに、言葉を交わさねばわからんこともある」
「でしょでしょー!」
「そうだな、お前の言う通りだ。預けるか否かはまだ決めかねるが、一度話してみるのもいいかもしれないな」



「そういえばレンはどうしたんだい?一緒にいないのは珍しいね」
「アイツっすか?うちの子を寝かしつけてると思いますけど。夜更かしはあまりさせたくないんで」
こちらも帰路への途中、神門旭とアルは日本刀を堂々と持ち歩いたまま何事もないように会話をしていた。これが昼間であったら誰かしらが通報していてもおかしくない。
「そっか。うん、それがいい」
「それと旦那、一応旦那が刀取りに行ってる間に面子には一通り声掛けておきやしたぜ」
よほど面倒だったのか、首を鳴らしながらそのことを伝えるアルに旭は満足そうに頷く。
「どうも。助かったよ」
「へいよ。しかしこのタイミングで招集ってなると、やっぱ連中とドンパチ始めるんですかい?」
今度は両手の骨を鳴らしながらわくわくした瞳を向けて来るのに顔を背けながら、
「い、いやまだ決定したわけじゃないからね…」
そうボカして旭も適当に受け応える。
「ただ、可能性は高いかもしれない。僕はともかく、彼らはそうはいかないだろうし」
「でしょうね。連中はとっくに話し合いを捨ててる。力尽くでも姐さんを奪いに来るでしょうや」
「先に奪ったのは僕の方だからあまり文句も言えないんだけどね…はは」
「旦那方は合意だったでしょうが。連中は強引に、だ。迎え撃っても大儀はこっちにありますぜ」
信じてそう疑わないアルの強気な発言に、旭は時折見せる鋭い眼差しで顔を正面に向けたまま口を開く。
「彼らも彼らの正義に基づいて動いている、大儀で言うなら彼らにもそれは充分にある。ただし、僕の想いはそれに勝る。…たぶんね」
最後の一言だけ茶目っ気を出して言った旭にも、アルはやはり態度を変えない。
「いいじゃねえですかい。人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られてなんとやらだ。いつでもおっ始められるよう準備だけはしときますんで」
「うん、頼むね。あと、……僕の方もそろそろかな」
何が、とは聞かなかった。
アルも知っているからだ。神門旭の子のことを。
「僕らも、そろそろ家族会議の頃合いかもしれないね。……守羽」
暗闇の中で、神門家の大黒柱である父は『出張』から帰り家族との会議に身を投ずる。

       

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