Neetel Inside ニートノベル
表紙

力を持ってる彼の場合は
第三十九話 ここから先

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 いつも通りに家を出て、いつもの場所で静音さんと落ち合う。そのまま隣に並んで登校路を二人で歩く。先輩と一緒に登下校するのもにも慣れ、最近はこっちから他愛無い話を振れる余裕で出来るまでにはなっていた。最初の内は緊張しっ放しだったから。
「シェリアは大丈夫ですか?迷惑掛けてません?」
 今朝の話題はと言えば、やはりこれに尽きる。
 あの由音と同じレベルのテンションが常らしいあの猫娘が部屋にいては、物静かな静音さんの性格的には噛み合わないのではないかと夜な夜な不安だった。
「ううん、全然。楽しかったよ。一緒にお風呂入ったり、お話したり。随分久しぶりに夜更かししちゃった。ふわぁ……」
 そう言って静音さんは小さく開けた口を片手で隠して上品な欠伸をした。目の端に溜まった涙をそっと細い指先で拭う。
「そうですか、なら良かった」
 それにしても、一緒に風呂ときたか。子供のように大はしゃぎするシェリアの頭を洗ってあげる静音さんという図が容易に浮かぶ。容易に想像でき………。
「…守羽、どうしたの?」
「あ、いや、なんでも……ないです」
 馬鹿か俺は、容易に想像すんじゃねえよ。何考えてんだ俺は。
 脳内で浮かび上がりかけていた風呂場の光景イメージへと必死に湯気の妨害を掛けて何も見えなくする。尚DVD版では湯気は消えます。
「そ、それでシェリアは今家で留守番でもしてるんですか?」
 多少どもりながら、俺はなんでもない風を装って話を続ける。
「うん。一応部屋でおとなしくしておいてね、とは言ったよ。たぶん出て来ると思うけどね」
「まあ、猫ですからね…」
 家に押し込めてじっとしてろと言い聞かせたところで自由気儘な猫には通じない。どうせ昼休みにでも顔を出すんだろうなと予想する。
「すみません、レイスがいつ戻って来るかわからないので正確なところは不明ですが、少なくともあと数日は…」
「大丈夫だよ、私としてはずっと居てもらいたいくらいだから」
 言い終える前に察した静音さんが長い黒髪を揺らして首を左右に振る。そこに嘘や無理をしている様子は少しも見えない。
 しかし本当に大丈夫なんだろうか。静音さんはこう言っているが、相手が相手だ。俺は由音ほどシェリアと話したり接したりしていたわけではないが、あの由音とすぐさま意気投合してしまえる娘だ。その騒々しさっぷりは相当なもののはず。
「できれば俺も一緒に居てうるさくしないか監視しておきたいくらいなんですけどね」
 冗談のつもりで笑いながら言った俺を、静音さんが髪の毛先を弄びながらちらと見る。
「……なら、守羽も泊まる?私の家に」
「えぁっ!?」
 一体どんな台詞と聞き間違えたのだろうかと思い跳ね上がった声で首をぐりんと真横に向ける。
 俺の耳が機能を放棄したのでないのだとしたら、今静音さんはとんでもないことを言ったのではなかろうか。
「ふふっ、うん。もちろんただの冗談、だよ…♪」
 仄かに赤らめた少し困ったような表情で、静音さんはにこりと微笑を向けた。
「…………っ」
 もう、なんて返したらいいのかもわからず、俺はおそらく真っ赤になっているであろう情けない顔を静音さんから逸らしてそっぽを向く。
 この先輩がそんな冗談を言うだなんて、あまりにも珍しいことだ。おかげでかなり面食らってしまった。
「そうだね、できれば……泊まりに来てくれるのなら、二人っきりの時の方が私は嬉しいかな…」
 風も無い夏の朝に俺の耳に入ったか細い独り言のような小声は、やはり冗談とわかっていても俺の心臓を必要以上に高く早く鳴らせるには充分過ぎるものだった。



      -----
「なあなあ守羽。ごめん副会長にバレた」
「は?」
 静音さんと共に登校し教室に入って席に着いたと同時にやってきた由音が、いきなりそんなことを言うもんだから俺も聞き返すことすら出来なかった。
 バレた、とは。一体何のことを言っているのか。
 …大体予想はつくが。
「異能のことか?」
「悪い!」
 パシンと両手を合わせて俺へ頭を下げる由音に、とりあえず大きく深い溜息を吐き出しながら学生鞄を机の上に置く。
「何があった」
 バレたと言っても昨日は陽向日昏との交戦後すぐに解散したから、それからあとに何かあったとしか考えられない。
「昨日、陽向ってヤツとったろ?あのあと帰りに副会長が人外に絡まれてんのを見たんだよ」
 とんでもない出だしで思わず頭を押さえた俺の前の席を引いて、由音はどっかりと勝手に座る。
「……井草先輩がか。それ、どうした?止めたのか」
「止めようと思ってたんだけど、なんか人を探してて副会長に訊いてただけらしい。ほんとかどうかわからんけどな!」
「…それで?」
「なんも、それだけ!」
 頬杖をついて聞いていた俺はがくっと机に崩れ落ちる。それだけかよ。
「で、お前は血だらけの姿を見られて普通じゃないことを知られたと?」
「そういうことだな!めちゃくちゃ問い詰められたけど明日学校で正直に話すんで勘弁してくださいって言って逃げて来た」
「お前そればっかだな…」
 なんかちょっと前にも似たような感じで井草先輩に追い回されていたというのに、学習能力のないやつだ。
「流石にもう逃がしてくれないだろーなー…。なあ守羽、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらもなにも、言い逃れできねえだろその状況。…そういえばお前さ」
 ここで俺はちょうどいいからと、この場で前に井草先輩に追っかけ回されていた理由を聞いてみたところ、由音は前の酒呑童子襲来直前に偵察に来ていた餓鬼を退治していた場面を井草先輩に偶然見られてしまったことを白状した。
 そんなものを見られてしまったあとであれば、尚更のこと先輩は知りたがっていることだろう。もうのらりくらりと逃げ続けても意味は無さそうだ。
「正直に言うしかないだろ。あの副会長様は人の嘘を見極めるのがすげえ上手いことで有名だぞ。お前なんて絶対嘘吐いても見抜かれるわ」
「だよな!」
 奇妙な自信で大きく頷いた由音だったが、直後に椅子ごと近づいて俺の机にぶつかりながら、
「なあ、副会長に説明するとき、一緒に来てくんね?」
「ああ、そのつもりだから安心しろ」
 説明することはもう仕方ないとしても、由音のことだから一人で行かせたら馬鹿正直に全部話しちまいそうだ。
 明かすのは最低限の情報のみに限った方がいい。その辺りは俺がどうにかうまいことまとめて納得させるしかない。
 再び机に頬杖をついてから欠伸をする。まだ朝から眠気が取れない。
「じゃ、放課後にでも行くか。あの人も生徒会とかで忙しいと思うし、手早く話してすぐさま帰ろうぜ」
「おう!」
 と適当な感じで話を締めて、教師が来るまで一眠りしておこうかなと思い立った俺の考えは時間ギリギリまで世間話ラッシュを続けた由音によって無残にも打ち砕かれた。

     


『えー、一学年の東雲由音。至急生徒会室まで来るように』

「マジか!」
 昼休みになると同時に入った学内放送に、今まさにダッシュで購買へ走ろうとしていた由音は顔を上げてスピーカーを見上げた。
「おい東雲、お前今度は何したんだよ?」
「今度はってなんだ!?別になんもしてねえよ!」
「本当か~?あれ副会長さんの声じゃなかったか?やべぇんじゃね?」
「なんとかなんだろ!」
「ついに『由々しき騒音』の二つ名を持つ東雲由音も生徒会に粛正されるかー」
「そんな二つ名初めて聞いたぞオレ!」
 放送を受けて、クラスメイトが由音へと殺到してからかう。相変わらず人気が高いやつだ。
 昼休みで沸き立つ教室から、弁当箱を持って廊下へ出る。
 しかしまあ、こっちから出向こうと思っていたのに相手方から来たか。それはそれで手っ取り早く済みそうではあるが。
(生徒会室、ね)
 学生の教室があるこことは違う、もう一つある棟の四階に生徒会室はある。ひとまずは二つの棟を繋ぐ渡り廊下まで向かう道すがら、考える。
 それはこれから何も知らない一般人相手に異能のことをどう説明したらいいか、などといったものではなく、俺自身の今後について。
(今、優先して対処しなければならない者。やっぱり…ヤツか)
 現在確認している俺の『敵』の中から、危険度の高い相手を思い浮かべる。問題はヤツをどうやって見つけるかだが、そこら辺は由音に頼るしかないかもしれない。
 出来ればもう少し情報が欲しいところなんだが、あまり贅沢なことを言ってもいられない。父さんならきっと色々知っているんだろうけど。
 『今日はここまでにしよう。守羽も疲れたろうし、いっぺんに多くを話しても頭に入りきらない』。
 昨夜家に帰ったときに父さんはそう言った。陽向日昏との戦いについては一切聞かず、母さんも俺の怪我を治してただ笑うだけだった。もう危険なことはするなと言うつもりはないらしい、生きて帰ってくれさえすれば、怪我は治すことが出来るから。
 母さんの瞳は、そう語っていたように思う。
「守羽ー!置いてくなって!」
 渡り廊下に差し掛かった時、後ろから全力疾走で由音が追い付いてきた。それほど距離があったわけでもないがその顔には汗が滲んでいた。
「ちゃちゃっと終わらせようぜ。あの人なら理解力あるし、他人に言いふらすような馬鹿丸出しな行動も取らないだろ」
 生徒会副会長はそういう人だ。頭がキレて、物事に対する理解も早く異常にも迅速に対応できる力がある。
 多少常識から外れたことだろうと、呑み込むまでそう時間は掛からないだろう。さらにそれを他言したところで普通の人間が簡単に信じるようなことでないこともない、それを理解しているから言いふらすことも有り得ない。そもそもあの人は他人の秘密を無断で誰かに話したりするような人でもないことは静音さんの信頼っぷりからもよくわかる。
 だからこそ、あの人には素直に話すのが一番いい。下手に嘘を見破られて踏み込んでこられても面倒だしな、初めから線引きをしておけば賢い人ならば越えようとはしないものだ。
「え、ってかちょっと待って。守羽お前なに、自分だけ弁当持って行くん?」
「だって話がもし長引いたら飯食う時間無くなるだろ。お前が話してる間に生徒会室で食わしてもらう」
「ずっる!オイ今から購買行ってパン買ってくっから一分待ってて!!」
「四十秒で買ってきな」



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 様々な備品やら雑貨やら文房具やら、やたら沢山あるわりにはきっちり整然と片付けられているところは、さすが生徒の模範たるやを方針にしている生徒会のお部屋だ。
 由音が購買からパンを購入して戻ってくるまで待ち、その後二人で赴いた生徒会室には、一人の少女がパイプ椅子に腰掛けて待っていた。
 勝気な瞳、若干茶色掛かった髪を肩付近まで伸ばして後ろに一本束ねられたポニーテールが、開けた窓から吹く微風にそよそよと左右に揺れている。
「ちわーっす!!副会長!」
「……普通に開けられないの、アンタは」
 生徒会副会長、井草千香が荒々しく扉を開けた由音を一瞥し、それから視線をスライドさせて俺を見た。
「この馬鹿の付き添いです、翻訳役がいないとこいつの説明は聞くに堪えないと思うんで」
「そうね、それはありがたいわ」
 井草先輩は俺の端的な説明に言葉少なに同意して、
「それで、神門。ならアンタも無関係じゃないってことでいいのね?」
「ええ、まあ」
 そうでなければ翻訳どころかこの場に居合わせることすら不味いだろう。なにせ先輩が訊きたがっているのは普通からかけ離れた常識外のものなのだから。
「じゃあいいわ、適当にそこらにある椅子に座って。そんなドアじゃ防音なんて期待できないけど、一応は閉めて。鍵もね。他の役員には今日の昼休み中は私が貸し切ることを伝えてあるから誰も来ないとは思うけど」
 内緒話をする為の準備は万全というわけか。
 窓から入る僅かな風のみで涼を得るにはあまりにも温度湿度共に高過ぎる炎天下のお昼時。俺達は何もしなくても垂れてくる汗をそれぞれタオルやハンカチで拭いながらパイプ椅子に座って副会長と対面する。
「副会長!昼飯食べながら話してもいいですか!?」
「好きにして頂戴な。貴重なお昼休みを使わせてしまってることだし、その程度は目を瞑るわ」
 挙手して許可を得た由音がすぐさまパンの包装を破いて食べ始める。いきなりそれはどうなんだと思ったが、とりあえず俺も弁当を長机の上に置いて蓋を開ける。母さん手製の弁当は今日も美味しそうだ。
 そうして、危うく二度も人外騒ぎに巻き込まれ掛けた井草先輩への説明が始まった。主には由音が話し、足りない部分を補足する形で俺が所々口を挟む。
 かなり大雑把になってしまったが、それでも二十分ほどで大体の説明は済んだ。
「ふうん…」
 普通の人であれば失笑するか呆れるか、あるいは馬鹿にしているのかと怒るか。この話への反応はそれくらいのパターンしか無いだろうが、やはり井草先輩はそのどれにも当てはまらなかった。訊き終えて静かに俺達を鋭く見据える。
「世の中には人知れず、あるいは人の世に紛れて人ならざるモノがいて、それが時折人間へ襲ったりする事件や事故があったりする。あたしが見たのは両方共その一部で、あの気色悪い燃える人型はもちろん、昨夜の三人も人外だった」
「うっす!」
「そして、アンタらも普通ではありえない超常的な能力、異能を持っている」
「うっす!!」
「東雲、嘘は?」
「ついてないっす!」
 パンを食べ終えた由音へ、まるで尋問のように長机で構成された生徒会室中央に据えられた長方形の両端で二人が話すのを、こちらも食べ終わった弁当箱を布で包み縛った俺が黙して眺めている。
「神門」
「はい」
 と思えば今度は眼光がこちらへ向いた。
「今の話、全て真実であるとあたしに言い切れる?」
「…断言します。大声で笑ってくれれば、まだこっちもくだらない冗談話で終わらせられますが」
「わかった、なら信じるわ」
 予想通り、ではあるがあまりにもあっさりと井草先輩は納得してくれた。
「アンタは静音が絶対の信頼を置いてる後輩よ。こんなくだらない冗談話で話を逸らせよう、なんて魂胆じゃないことを信じる」
「ええと…ありがとう、ございます」
 井草先輩が静音さんと親しい仲なのは知っていたが、静音さんはそんなことを言っていたのか。ちょっと嬉しいけど気恥ずかしいな。
 俺は由音に購買がてら買ってきてもらったお茶の缶を飲み干して長机の上にカコンと置く。
「というわけで、このことは他言無用かつ立ち入り禁止のラインということでご了承願いたいんです。異能持ちの俺達でさえ命張った危険な領域なので」
 説明し終えて息を吐き出しながら手で顔を扇ぐ由音は放っておいて、俺は最低限伝えておきたいことを伝える。
 生徒会副会長という役職故か、真夏に首元までしっかりボタンを留めた学校指定の半袖ワイシャツの胸元をもどかしそうに摘まんで、井草先輩も重々しく頷く。
「わかったわ。本当なら生徒会役員の一人として生徒であるアンタ達には危険を冒さないようにと厳重注意するなりしたいとこだけど、生憎と立ってる場所と置かれてる状況が既に一般人あたしとはかなり違うみたいだしね。知ったような口で偉そうなことは言えないわ」
「すいません」
 滞りなく話が済んでしまったことに若干の動揺すら抱えながら、俺はひとまず井草先輩に頭を下げる。
「いいわよ。ただあまり無茶はしないようにね。静音だってそう思ってるはずでしょうし、あたしだって学校の知り合いが死んだなんてなって事情もある程度知ってるなんてなったら目覚めが悪くなっちゃうから」
「はは、気を付けます」
 ぶっちゃけ本当に死ぬような経験も何度かしてきた身としては乾いた笑いしか出て来ない。
「しかし異能とはね。疑うつもりはないけど信じ切るのも難しいわね…」
「そっすか?」
 特に深い意味を持たせたつもりもなかったのだろうその呟きに、大きく伸びをしていた由音が反応して立ち上がる。そのまま壁際に設置されていた小さなプラスチック製の引き出しを指差す。中には鉛筆やボールペン、ハサミや定規といった文具一式が詰め込まれていた。
「これ、借りていっすか?」
「ああ、別にいいけど…どうするの?」
 その中からカッターを取り出してキチキチと刃を押し出すと、由音は井草先輩の言葉に答える代わりとばかりにその刃を軽く振り下ろして自分の腕を斬り裂いた。
「東雲っ!?」
「お前、ちゃんとそこ拭いとけよ」
「わかってるって!」
 傷口から大量の出血を床に落としていくのを、井草先輩だけが慌てた様子で見ていた。立ち上がり由音の目の前まで走り寄る。
「アンタなにやってんのよ!早く止血しな…」
 取った由音の腕を見て井草先輩はそれ以上言葉を続けることなく傷口を凝視する。ろくな止血処置をすることもなく、ものの数秒でその傷からは血が止まっていた。斬り裂かれた傷もすぐさま治っていく。
「これがオレの“再生”っす!手足吹っ飛んでも生えますよ!」
 言ってる間に完全に言えた腕を持ち上げてぺしんと叩いた由音の顔を、最初は驚きの表情で見ていた井草先輩もすぐに元の呆れ返ったような顔に戻る。
「わざわざ見せる必要もなかっただろ、ったく…」
 ぼやきながらも、由音が見せた以上は俺も証明しておいた方がいいかと自らの内側に異能を循環させて、空になったお茶の缶を手に取る。“倍加”させた両手で空き缶を折り紙でもするように潰して畳んで小さな鉄片にして見せた。
「俺は“倍加”、肉体の能力を倍々に強化できる力です。こんな感じで」
 鉄片を机に転がして、俺も立ち上がる。説明も済んだし、留まる理由はもう無い。
「…馬鹿げているわね、異能ってのは。こんなこと言うのは失礼だけど」
「知ってますよ、化物じみた力だってのは」
 適当に答えて、俺は生徒会室の扉の内鍵を解いて開ける。
「それじゃあ、俺達はこれで。井草先輩も気を付けてくださいね、こういう力を持った人間や人外ってのは、意外と身近にいたりするもんなので」
「精々肝に命じておくわ。…あと、東雲」
「はい?」
 俺に続いて出ようとしていた由音を井草先輩が引き止めた。とりあえず俺は先に廊下に出て待つことにする。



『なんですか?副会長』
『二つ、言っておきたいことがあるの。アンタに』
『はあ…?』
『まず一つ目。アンタ、昨夜あの女性…人外だったらしいけど、あれからあたしを守ろうとして割り込んできたのよね』
『ああ、まあ…そっすね。かなり怪しい感じだったんで!』
『なら、ありがとうね。あたしは全然あの場の状況を理解できてなかったけど、もしかしたらあの人外にあたしは襲われていた可能性もあったってことでしょ?だからありがと』
『いやいや結局なんもしてないっすからねオレ!別にお礼とかいいっす!』
『そう?ま、一応ね。それから二つ目。……東雲、アンタいくらすぐ異能とやらで治るからって、そんなすぐ自分の身を傷つけるのはやめなさい。それは命を軽んじる行為に等しいわ』
『え?あ、すんません…』
『“再生”っていう能力のせいで、アンタは自分の価値を安く見過ぎてる。人の命は何にも代え難い大事なものよ。アンタはそれを肝に命じなさい、いいわね?』
『はい、わかりましたっ!』
『よし、ならもう行きなさい』



「…………命を、軽んじてる、か」
「おう由音、どした。副会長になんか言われたか?」
「…まあな!お礼言われてから怒られた!」
「なんだそりゃ、どういうことだよ」

     

 今日は家族会議は無しだ。ってか俺がやんわりと断った。
 今夜もやることがある。昨日は相手側からの襲撃だったが、今度は違う。
 優先順位は決めてあった。
「……由音、いたか?」
「ちょい待ち!…あー、うーん、あれかー…?」
 真っ暗な中、学校の屋上でフェンスに寄り掛かったまま俺はその真上に声を掛ける。フェンスの上辺では器用に両足で立つ由音が両目を閉じて遠方へ顔を向けていた。目ではなく、違う何かで遠くを見据えているような。
 由音には“憑依”による人外の五感を宿せる力がある。その力を持って曰く、『ヤツら』には独特の気配が放たれているのだという。それは距離があっても深度を上げれば感知できるほど強烈なもので、だからこうして学校からでも居場所を見つけられるらしい。
「…ん、見っけた!!」
 突然大声を上げて目を見開いた由音がフェンスの上から跳び下りて真横に着地する。両目の昏い濁りがスッと引いて行くのを確認しながら、俺も寄り掛かっていたフェンスから背中を離す。
「場所、教えてくれ。行ってくる」
「おう!ってか、本当一人で行くのか?オレも行ったほうがよくね?」
 今回も力を借りてしまったが、このまま由音を連れて一緒に行くわけにはいかない。
「俺が動くことで、ヤツ以外にも動きを見せる連中が現れるかもしれない。お前には、それが出た時に対処する役を担ってもらいたいんだよ」
 これまで受け身一方だった俺が単身で動いたところで何がどう変わるということもなかろうが、万が一ということもある。特に、俺達が認知している敵以外にも昨夜は正体目的共に不明な人外が三人も確認されている。しかも由音が言うには自分の数倍は強いとかなんとか。
 野放しにしておく他ないが、もし何か動きを見せた場合には、その動き方次第でこちらも黙っているわけにはいかなくなる。
 だから俺がヤツを相手にして手が離せない時に、由音にはその対処に当たってもらいたかった。「そりゃいいけどさ、でもあの野郎結構な強さだぞ?いや守羽だって強いけどさ!」
 俺と由音は一度戦ったことのある相手だ。その強さはお互いによく知っているし、まだ何か隠しているような感じもあった。未だ全力を出し切っていないという部分では、確かにヤツはまだ底が知れない。
 だが、俺だってそれは同じだ。本気は出してきたつもりだが、それは俺の全力ではなかった。…まだ、自由に全力全開を引き出せるわけではないのが口惜しいところだが。
「頑張ってみるさ。俺は俺なりにな」
 由音を連れて行かないことの理由に、説明していないことがもう一つある。
 俺自身への甘えを捨てる為。
 結局日昏に言われたことを、俺はまだ気にしていたのだ。
 全て足りない。俺はあいつにそう言われた。そしてそれを嫌というほど理解していた。
 足りなければ他を頼って補えばいいと由音は言ったが、それだけでは駄目なんだ。
 俺自身が足りないものを埋めていかなければならない。力も、覚悟も。
「そっか…わかった!頑張れ!!」
 数秒逡巡する様子を見せた由音が、すぐさま切り替えて大きく頷く。それから由音らしい大雑把な方向と場所を教えてもらい、俺も頭の中でその先の地形を思い出しながら納得する。まあ、あそこなら一時的な拠点にするには持って来いだろう。
「じゃあ、ここから先はお前の判断に任せるぞ、由音。何かあったら頼む、でも無理はするな。出来る範囲のことだけでいい」
「わかってるっつの任しとけ!誰にもお前の邪魔はさせねえよ!守羽のほうこそ、ヤバそうだったらすぐオレ呼べよ!?」
 いつでも飛んでいくからな、という言葉を受けて無言で笑みを返した。
 フェンスを跳び越えて屋上の縁へ足を掛ける。引き上げる“倍加”の八十倍、風が気持ちいい夏の夜を空高く跳んで目的の地へ向かう。
 色々と考えたが、やはり優先すべきはヤツだ。
 陽向日昏は俺の父さんを狙うと明言していた。あまりはっきりと言えないが、日昏はそれほど危険な人物じゃない。復讐に燃えてはいるようだが目的は一貫している。
 そういう意味では大鬼・酒呑童子も同じだ。アイツは俺を殺すことだけを最優先に真っ直ぐ向かってきた。酒呑自身が言っていた通り、鬼に嘘や小細工は無用らしい。
 だが、あれは違う。ヤツは俺を殺す為に手段を選ばない。俺を殺す為ならどんな手でも使えるだけ使う。
 俺の周りを巻き込む、俺の大切なものを踏み躙る、俺の大事な人を餌に取る。
 神門守羽に怒りと絶望を与える為に友人を殺そうとし、神門守羽を誘き寄せる為に人を一人簡単に拉致して見せる。
 四門。
 あの女だけは放置できない。このままじゃまたヤツは同じことを仕出かす。俺へ直接的に関わる前に、俺の周囲に手を出して俺を間接的に攻め立てて苛む。
 俺が知る限り最低最悪の人間だ。…そう、人間だ。
 とても同じ人間だとは思えないほど、醜悪に憎しみを吐き散らす害悪。静音さんを攫った罪もある。絶対に許さん。
 これ以上、俺の巻き添えで周囲に危害を及ぼすわけにはいかない。
 鬼よりも先に退魔師よりも先に、何よりもまず先に。
 最優先で四門を倒す。
 ここから先、ヤツに好き放題やらせるつもりはない。

       

表紙

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Neetsha