Neetel Inside ニートノベル
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力を持ってる彼の場合は
第四十四話 決闘へ向けて

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 家に戻ると、母さんに膝枕されて唸っている父さんがいた。
「…なにしてんだアンタは」
 鬼との座談会で緊張しっ放しだった俺は、それを見て思いっきり脱力した。母さんが苦笑混じりの顔を向ける。
「二日酔いだって」
「うぅ、頭痛い…」
 顰め面でうーんうーんと呻き声を漏らす父さん。昨夜の顔なじみと会って酒を飲んできたのか。
「いい歳なんだから飲むにしても考えて飲めよ…」
 呆れながらも台所へ行ってコップに水を入れて持ってくる。
「ありがとう…うっぷ」
「頼むから吐くなよ」
 弱々しくコップを受け取って、父さんが起き上がり水を飲む。
「それじゃ、わたしは晩御飯の準備するから。守羽、お父さんのことよろしくね」
「はいはい」
 立ち上がった母さんがにこりと微笑んで台所へ向かう。俺のことに関して気に病んでいた様子は、今はもう無い。
 やっぱりきちんと話をして良かったと思う。
「……大鬼かい」
 嫌でも反応してしまうワードを出され、俺は弾かれるように父さんへ振り返る。
「あれは強いよ、僕もこれまで多くの人外と戦ってきたけれど、あれは別格だ。そもそも伝承の深さと語り継がれてきた歴史が段違いだよ。人外の強さは人間の畏怖と知名度によって大きく変動する。つまり有名な人外ほど単純に強い」
 水をぐっと飲み干して一息ついた父さんがコップを置く。
「なんでも知ってるな、父さんは」
 俺が鬼との因縁を持っていること、その鬼と闘うこと。話していなくとも、おそらく父さんは察しているのだろう。もしかしたら独自の情報ルートがあるのかもしれない。父さんの構築している交友関係は未だ謎だ。
「なんでもは知らないよ、知っていることだけ」
 どこかで聞いたことのあるような台詞を口にして、痛む頭を押さえながら父さんがおちゃらけたように笑って見せる。
「…勝たなきゃいけない。でも今の俺じゃ勝てるかどうかは怪しい。力を取り戻したいんだ。『僕』の野郎は語り掛けても返答しない、本来持っているはずの力が戻らないのはなんでだ」
 既に自覚は嫌というほどしている。俺は人間と人外のハーフで、さらに特異家系の血をも引いているかなり特殊な身だ。どちらも純血でない以上、使える力自体が他の連中に劣るのはしょうがないと理解はしている。
 だが、それを差し引いてもこの身はまだ本来の力を出し切れていない。感覚でわかるんだ。全力を出しているはずなのに、どこか余力が残っているような感覚が。
「ふむ。力が戻らない、か」
 無精髭の生えた顎に手をやって、父さんは俺の全身を観察するようにじっと見る。
「元々、君は自身に強力な思い込みを掛けていたよね。それは暗示でありながら既に一種の封印と化している。…推測だけど、君は無意識化で『陽向』の術式を駆使して自分自身の力を強く縛り付けて封じたんだと思う」
 自らが『普通の人間』でいたいと思うがあまり、普通の人間では持ち合わせることのない力を用いてその力を封じた。自分のことながらなんとも無茶苦茶なことをしたものだ。
「それをどう解放させるかが肝だろうけど、こればっかりは君自身の問題だ。外側からこじ開けられるものでもないしね」
「そっか…」
 自らに施した無意識の封印。これをどうにかしなければ俺は一向に進めない。ただ、ほんの少しずつでも『僕』から力と知識を返納してもらっている以上、この封印も完全ではない。あるいは緩み始めている可能性が高い。
「しかしそれでも、君はかなり多くの手札を持っているよ」
 指を一本立てて、父さんは俺の手札とやらを説明し出す。
「まず妖精の力。これは治癒と属性掌握能力のことだ。ただ、妖精の治癒っていうのは他者を癒す力であるから自分自身の傷は治せない」
 少し前までは、その力で自分の傷を治せていたのだが…あれはおそらく例外だろう。
 一つの体に分離した二つの人格が存在していた為、『僕』を認めていなかった頃の俺には妖精の力すら別個のものとして切り離していた。表層に浮き出た『僕』が神門守羽の肉体を治癒できたのも、そうした認識の捻じ曲げで発生していた矛盾だろう。
 もう『僕』という人外の力を受け入れた今の俺に、その裏技じみた回復は使えない。
 次に、と父さんは指をもう一本立てる。
「退魔師の力。これは特異家系の遺伝で強制的に知識と力が継承される仕組みになっていて、たぶん君もその例に漏れない。“倍加”の異能も同じだね、本来異能は後天的に付与される力だけど、『陽向』の継承で先天的に付加されていたんだ」
 こっちの方は大体理解していた。始めから刷り込まれていたかのように退魔の術が思い浮かんだのは、その継承とやらのおかげだろう。これがなければ俺は昔に鬼の手によって殺されていた。
「最後に、…これは使い物になるかどうかわからないけど。『神門』」
 その姓名に、俺も神妙な顔で受け答える。続けようとしていた父さんに待ったを掛けて俺は話す。聞きづらいけど、聞かねばならないことがある。
「その前に父さん。父さんは……本家『神門』の当主を殺して神門に成り代わったっていうのは本当のことなのか?」
 少しだけ驚いたような表情になってから、父さんはいつもの柔らかい顔つきに戻った。
「誰からそれを?まあ、日昏か四門くらいしかいないか」
 肯定はしなかった。ただし、否定も。
 それはつまり。
「本当だよ。僕は本家本筋の神門家当主を殺した。それから当主の体から『神門』の力を剥がして、自分の体に定着させた。これにより、僕は『陽向』から脱却することに成功したんだ」
「なんの、為に」
 うまく言葉が出て来なかった。信じたくなかったのもあるし、父さんが人を殺していたことを本人の口から聞いたことが思ったよりショックだったのかもしれない。
 俺の顔を見て諦めたように、父さんはあまり気乗りしない口調で自分の過去を話し始めた。
「僕はね、陽向家が嫌いだったんだ。あの家は人外を皆殺しにする勢いで活動していた。善悪の見定めもせず、ただ人ならざるモノを害悪と断じて滅してきた。だから抜けようと思った。その為には特異家系のしがらみを振り解く必要があったんだよ」
 四門が言っていた、血族の縛り。
 謀反や裏切りを事前に防止する為の保険。家に牙を剥く抵抗を無力化させる首輪、意思を半ば強引にでも矯正させる封印術式。
 それが特異家系の人間には仕込まれている。
「もう君は知っているかもしれないが、神門というのはその名の通り『神の門』。手にすれば神にすら至れるという莫大な力を抑えた門を守る番人。それだけの力があるなら、一家系に属する一個人の問題をどうこうする程度なら造作も無い」
 そこまで聞いて、俺も気付いた。
 血族の力をどうこうしようというのなら、それが可能なのもまた血族の力。
 父さんは…、
「僕は『神門』の力を使って、強引に『陽向』の縛りを叩き壊したんだ。そして僕はようやく大嫌いだった陽向家から本当の意味で絶縁することが出来た」
「…その為に、父さんは神門の人間を殺したのか?」
 意図せずして、その言葉には責めるような色が混ざってしまった。自分の為に他人の命を犠牲にしたという、その事実を俺はどうしても受け入れられなかった。
 だって、父さんはそんな人じゃないってずっと思っていたんだから。これまでの生活でだって、そんな冷徹な様子を見せたことは一度だって無かったんだから。
 信じられなくったって、仕方ないだろう。
 誰にでもなく俺は心中で呟いていた。
「……そうだね。色々あったけど、要点を纏めればそういうことだよ。僕は神門家当主を殺し、その力をもって陽向から縁を切った」
「…っ」
 何か言ってやりたかった。何を言えばいいかわからなかった。
 この外道がと糾弾すればいいのか、胸倉でも掴んで怒鳴り散らせばいいのか。
 ―――違う、と思った。
 何かおかしい。本当にそれだけか?
 自分の家が嫌いだったから、他人の力を利用して無事に絶縁できました、利用したその力の持ち主は死んじゃいました。そんな悪逆非道なエピソードで本当に締めなのか?
 違うはずだ、思い出せ。
 俺が最初に自分のこと、父さんのことを問い質した時に、父さんはこう言ったはずだ。
 『今は陽向の姓を捨て、ある人から譲り受けた「神門」の姓を名乗っている』、と。
「…すうー、はあぁ…」
 今にも口から飛び出そうだった激情を抑え込み、冷静さを取り戻す為に深呼吸を一つ。父さんはそんな俺を不思議そうに見ていた。
「そっか、わかったよ。大体流れは理解した」
 努めて平静を維持して、俺はいつもの調子でそう頷いた。
「…何も言わないのかい?」
 困り顔で父さんは言った。俺が怒ってなんらかのアクションを起こすことを想定していたのか、肩透かしを食らったような表情だった。
 きっとそういう事態になるだろうと確信していたからこそ、今まで言わないで来たのだろう。下手をすれば一生ものの仲違いになる可能性もあった内容だから。
 でも俺は今の話を鵜呑みにはしない。これ以上を話したがらない父さんからはもう聞かないが、おそらくこのエピソードは重要な部分が欠けている。
 譲り受けたということは、強引に奪い取ったわけではないということ。父さんは神門家当主を殺したと言ったが、そこにも何かある。思うに、ただ自分勝手な事情でのみ殺したというわけではないはずだ。
「正しく全部を知ったら、その時は言いたいこと全部、父さんにぶちまけるよ」
 俺の予想が見事当たっていて、父さんは俺の知る通りの父さんであったと安心できることを切に願いながら、俺はそう返してこの話を締め括った。

     

 いつもと同じ、真昼の屋上の真ん中に俺は立っていた。
 ジリジリと肌を焼く陽射しを極力意識しないように、俺は閉じていた瞳を開いて腰を落とし静かに構える。
「…ふっ!」
 摺り足からのステップ混じりに前へ出る。仮想敵の攻撃を回避しつつ、歩数を数えながら特殊な意味ある歩行を完遂させる。
 九歩ぴったりで周囲の気の流れを鎮め整える場が完成して、俺自身の内側に流れる力の廻りが活性化される。
 陰陽師が使用する魔除けや清めの際に用いられる歩行術、その模倣。基本的に陽向の血を半分しか継いでいない俺の扱う術式は本来の術式からいくらか遠ざかってしまうので、足りない分は自力で補填して完成させるしかない。
 すなわち歩法ほほう改式。名付けるなら“禹歩うほ九跡くせき歩琺ほほう”。
 陽向の人間ならば必ず覚える歩行術の内の一つ。実際に陽向家での教育を受けてるわけではないが、手本は日昏が見せてくれた。
 日昏は七歩で歩行術を完成させていたが、あれはおそらく北斗七星の意味を組み上げて構築した歩法だ。歩数に関しては三、七、九などの空の星や日月の数や意味を参考にして作られるのが基本形になっている。
 そして俺の場合は九。
「……臨兵闘者皆陣列在前」
 九つの意味ある文字を呟きながら平行して両手で印を結ぶ。こちらも文字に応じて九つ。結び終えると同時に二本指を立てた右手を腰の左側に据え、一息で薙ぐ。
 それは抜刀の所作。
 『九字護身法』と呼ばれる陰陽師の、ひいては退魔の術式。
 かつて大鬼茨木童子を両断し、そして酒呑童子に唯一の有効打としてダメージを通した技。
 魔を断つ不可視の斬撃。
「“切九字きりくじ断魔だんま祓浄ふつじょう”」
 空へ向けて薙いだ指先から、真夏の陽光に溶け込むような三日月形の光の刃が薄っすら見えて、遠くに見える入道雲へと飛んでいく。
 あれに物理的な斬撃性能は無い。仮に空中を飛ぶ鳥などに当たったとしても無害だろう。
 前は印を結ぶ余裕もなかったから長々と文言を唱えて発動したが、きちんと印を結べれば発動時間は格段に上がる。
 だが、
(…最速で印を結び、直撃させる。……駄目だ、酒を取り入れて最高硬度に達した酒呑の肉体に断魔の太刀が効くか怪しい。やっぱり大博打になるな……)
 前回とは互いに状況が違う。力を徐々に取り戻しつつある俺の断魔は以前より威力は上がっているだろうが、それ以上に酒断ちをやめて万全と化した酒呑の肉体硬度の方が上回っている可能性は高い。
(さすがに鬼性種最強は伊達じゃねえ。どうやっても勝てる気がしない……妖精、退魔。異能の力を総動員しても、まだ届かない…)
 ヤツは鎌鼬のように風を用いた高速移動や斬撃を撃てるわけじゃない。口裂け女のように数多の武器や都市伝説の特性を扱い猛威を振るうほど器用でもない。日昏や四門のような家系由来の特殊能力を使えるわけでもない。
 だが、ヤツはそのどれをも凌駕する力を有している。それも純粋な物理でだ。
 おそるべきはその一点に集約されている。酒呑童子という人外は、その反則的な肉体それ一つをもってしてあらゆる能力を捻じ伏せる正真正銘の化物だ。鬼神と言い換えてもいい。
 馬鹿正直な真っ向勝負では勝てない。何かヤツの弱点や、断魔の太刀のように人外としての性質を突いた特効性のある攻撃方法があれば話はまた変わってくるが…。
「やめだ、やめ」
 これ以上考えても埒が明かない。おとなしく弁当を食って昼寝でもしよう。行き詰まりには違いないが、いつまでも頭を使っていたところで妙案が出て来る気もしないし。
 屋上のフェンスに背を預け、母さんお手製の弁当を開こうとした時、
「お、ミカドだ。やっほー!」
 そんな陽気な声と共に、フェンスを跳び越えて白いワンピースをなびかせた黒猫が現れた。
「シェリア、またお前…」
「んにゃ?…だいじょぶ!今日はちゃんとかぶってきたよ!ほらっ」
 ずいっと猫耳が隠されたニット帽をかぶる頭を突き出してくるが、今回はそっちじゃない。
「地上から跳んでくんのはやめとけ」
 目撃されたら猫耳よりヤバい。
「周りにヒトがいにゃいの、ちゃんと確認したよ?」
「それでもだ。普通に階段で…いやそれも不味いな」
 私服で走り回る少女というのも校内ではやっぱり異常だ。そもそもシェリアは外見が幼すぎて小学生かよくて中学生レベル。この時間帯に出歩いていたらそれだけで見咎められてしまう。
「どうあってもその姿じゃアウトか…」
 どうしたもんかと思案していると、シェリアはかくんと首を傾ける。俺が何に悩んでいるのかわかっていないらしい。この辺りの人間界事情はレイスにきちんと教育させねばなるまい。
「よくわかんにゃいけど、あたしが出歩くの駄目にゃの?」
「いや駄目ではないんだが、その姿で平日の真っ昼間を堂々と出歩くのは人の世界では色々と不都合があってだな」
「んじゃ、猫ににゃればいい?」
 ふとした彼女なりの提案だったのだろうが、俺はその言葉の意味がわからなくて数秒ほど硬直した。
「……猫になるってのは、なんだ」
 確かにシェリアはケット・シーと呼ばれる妖精の猫だが、だからといって猫に変化できたりするものなんだろうか?
「そのまんま!ちっちゃい子猫ににゃるの!」
 どうやら言葉の通り、シェリアは猫の因子持ちからして俺達人間のよく知る猫の姿へ変化できるらしい。
「ほう。ならそれでここまで来たらいいだろ」
 猫になるとどこまで人型状態と差が生じるのかわからないが、学校へ来るくらいならおそらく問題ないとは思う。
「あっ、でもねー」
 思い出したように両手をぽむと合わせたシェリアは困ったように猫耳を垂らして、
「いっかい猫ににゃるとねー、しばらく元に戻れにゃいんだー」
「なんだそりゃ、自由に変われるわけじゃないのか」
「んー、お日様がでるくらいに猫ににゃったら、沈むくらいまでは戻れにゃいね!」
 ということは一度変化すると半日程度はそのままということか。今まで猫になるところは見たことないけど、人型に比べると四足歩行の猫型状態はデメリットの方が大きそうだ。
「まあいいや。とにかく見つからないようにな。お前だって見世物小屋にぶちこまれるのは嫌だろ」
 結局そう妥協して、俺は弁当箱を開く。いつも通り美味しそうだ。
「うんっ。そいえばシノは?シズもいにゃいね」
 シェリアが俺の隣に腰掛けて、不在の二人を探して屋上をきょろきょろとする。
「由音は叩き割った窓ガラスの後始末で昼休み返上で働いてる。静音さんはクラスメイトと一緒に飯食ってんじゃないか?」
 午前中にあった体育の授業での野球でホームランを打った由音のボールがグラウンドを大きく超えて生徒会室の窓を数枚粉砕したことに激怒した教師と副会長によって、由音は即刻後片付けと掃除に連行された。妥当な判断だとは思う。
 静音さんもここ最近は俺達と一緒に食事を共にしていたりもしたが、本来あの人の認知度と人気は校内全域に轟くレベルだ。金を払ってでも食事を共にと言うヤツも珍しくはないし、静音さんにだって同級生の友人は当然多数いる。食事に誘われて蔑ろにはできる静音さんではないだろう。
「ねぇ、ミカド」
「ん?」
 ご飯を食べながら、隣でぼんやりと青空を見上げているシェリアが話し掛ける。
「オニ、勝てる?」
「―――さあね」
 俺は返答に窮した時の、いつも通りの曖昧な返事をする。
「逃げちゃダメにゃの?」
「駄目だな。逃げればヤツはこの街を潰す。ヤツに二言はないからな。やると言ったら本気でやるだろうよ、あの大鬼は」
 それに逃げ場なんてどこにもない。背後は常に絶壁だ。常時背水の陣のような中で俺は戦ってきたんだから。
「ミカド、オニすっごいつよいよ?」
「知ってるよ」
「…しんじゃうよ?」
「かもな」
「……あたしは、ミカドしんじゃうの、やだよ?」
 珍しい小さくか弱いシェリアの声音に隣を見れば、体育座りをして顔を俯けた不安げな表情が見えた。
 妖精の少女、おそらく彼女は優しい子だ。少し知り合っただけの俺をそこまで心配してくれるのは単純に嬉しい。しかも俺は妖精種全体における大罪人とされている父さんの子だというのに、シェリアはそんなことお構いなしだ。
「死なないよ、俺は」
 シェリアの頭を帽子の上から撫でる。
「俺だってまだやりたいこといっぱいあるからな。簡単にくたばったりはしないさ」
「ほんとに?」
「本当だよ」
 なんとなく、こうやって頭を撫でながらあやしていると保護欲が湧き上がって来る。レイスが甲斐甲斐しく保護者よろしく面倒見ている気持ちが少しわかったかもしれない。
 しばらくそうやって頭を撫でり撫でりしていると、ふとシェリアの落とされた視線が俺の弁当へ向いていることに気付いた。キラキラとした目でおかずを凝視している。
 そういえばこいつ、昼飯はまだ食ってないのか。いつもなら静音さんや由音が自分のおかずとかパンとかを分けてあげていたが、今日は俺以外誰もいない。
「食べるか?」
 卵焼きを箸で掴んで持ち上げると、シェリアのぱぁっと笑顔を見せる。
「いいの!?」
「早くしろ、落ちるぞ」
 ふんわりと柔らかく仕上がっている卵焼きが箸から落ちる前に、慌ててシェリアはかぷりと丸ごと卵焼きを口に入れた。しばらくもごもごと咀嚼してから、両手で頬を押さえる。その両目にはハートが浮かんでいるのを幻視した。
「おいしい!すっっっごいおいしいよこれ!!」
「そりゃそうだ、俺の母さんのお手製だぞ」
 言っては見たが、ここまで喜ぶのは予想外だった。もしかしたら同じ妖精同士で味付けに似たような好みがあるのかもしれない。
 あまりにも喜んで食べるので、俺もついつい自分の分をシェリアに餌付けしてしまう。気が付いたら弁当箱の中身はほとんどシェリアに与えてしまっていた。
「ふうぅ~しあわせー」
「なあ、シェリア」
 幸福そうに腹に手を置いてフェンスに寄り掛かる隣のシェリアに、ペットボトルのお茶を飲みながら気になったことを訊ねる。
「なぁに?」
「レイス…ってか組織の妖精達って、いつ頃ここに来るんだ?」
 シェリアがここにいるのは、一度組織に帰還しようとしたレイスの意思に反して街に残ることを望んだからだ。レイスは自分が戻って来るまでの間の面倒を俺達に頼んだ。去り際にそれほど長くは掛からないような発言を残してはいたが。
「わかんにゃい」
 あっけらかんと放った言葉に、俺も脱力して苦笑を漏らす。まあ、そんなことだろうとは思っていたけどさ。
「でも、そろそろ来てもいいんじゃないかな?」
 それは自分達が本拠地からこの街へ来るまでの時間などを逆算して出した発言か、あるいは適当に言っただけか。たぶん後者だが。
 昼休みが終わるまでの間、しばらく俺はシェリアと他愛のない話をして過ごした。
 大鬼とのことばかり堅苦しく考え続けていた俺にとって、この時間は頭を一度すっきりさせるいい機会だった。本人にその意図はなかったんだろうけど、それでも俺はこの猫耳の少女に密かに感謝の気持ちを抱いていた。

     

 守羽がシェリアと屋上で話していた頃。
 同じように廃ビルの傾いた屋上で大の字に寝転がって暇を持て余している者がいた。
「ふァ~あ……ヒマだ」
 大欠伸をかいて真上に昇った太陽を睨み上げている酒呑童子だ。
 昨夜『鬼殺し』と決闘の日程を決めてから残りの時間を自身の回復にのみ費やすことに徹底していた酒呑だったが、やることといえば酒を煽り日光浴をすることだけ。既に薄汚れた屋上には空いた酒瓶がいくつも転がっていた。
 彼の側近である牛頭と馬頭も、数時間前に出て行ったっきりまだ戻ってこない。この街に集っている高い戦闘能力を有した勢力と組織の調査ということらしい。
 変化の神通力を使えない彼らは人間に気付かれないように動かねばならないのでさぞ苦戦していることだろう。そうでなければここまで時間が掛かることはありえない。
 残された酒呑はひたすらにやることがなかった。胴体に斜めに刻まれた『鬼殺し』の一撃も、今日中には完治するだろう。傷痕は残るかもしれないが、人間に付けられた傷というのも自身の教訓の一つとしてそのまま残しておくのも悪くないだろう。
 上半身を起こして傍らにあった大きな酒瓶の中身をまるで水のようにゴクゴクと飲んで、半分ほどあった瓶の中身をあっという間に空けてしまう。
「ん」
 次の酒を開けようと周囲を見回してみると、あるのは自分が飲み干した空き瓶だけ。どうやら屋上に持ち込んだ大量の酒は全て飲んでしまったらしい。
「チッ、しっかたねェ。日光浴も飽きたし下に降りて……お?」
 立ち上がった酒呑が背伸びして骨を鳴らしながら独り言を呟くと、その途中で奇妙な気配を感じ取り顔を上げた。
「……」
 無言で屋上の縁まで歩き、躊躇いなく跳び下りる。
 ズズゥンッ…!!
 地面に足を膝まで陥没させて大重量の巨漢が落下する。当然ながら直立するその身に落下のダメージは微塵も無い。
「お、いたいたぁ」
 酒呑が顔を向けると、そこには無地のTシャツに半ズボンというラフな格好なのに、背中に背負った日本刀だけが物騒な存在感を放つ青年が興味深そうにこちらを見ていた。
「テメェは…どこのどちら様だ?」
 この街には複数の勢力が集いつつあることは知っていた。見覚えの無い相手の狙いこそなんとなく察せるが、所属までは把握できない。
「おっと、こいつは失敬失敬」
 形だけの謝罪と会釈をして、煤けた赤茶色の頭を下げた青年が親指で自分を示して快活な笑みを向けた。
「『突貫同盟』のアル。用件はそうさなあ…とりあえずはコレ」
 言って持ち上げた褐色肌の右手にはビニール袋がぶら下がっており、袋に入りきらないほど大きな瓶の頭が見えている。透明な瓶の中には白濁した液体が満たされている。酒好きの酒呑にはそれが上等な濁り酒であることがすぐわかった。
「お前だろ?酒呑童子は。お差し入れに来ましたよってな。結構いい値段したんだぜ?ツマミは買い忘れた、すまんね」
 かっかっと大きく笑う青年を視界に入れたまま、酒呑は考える。
(『突貫同盟』?全然知らん。そもそもずっと山にいたってのに外の連中が組んだ組織の名前なんざ知るわけねェっつの)
 鬼の首領として総本山の屋敷で長く暮らしてた酒呑は外の情報にはとんと疎かった。それよりも、酒呑は目の前の青年・アルの放つ異様な気配の方に興味を引かれた。
「面白そうなヤツだな、えェ?最初は妖精かと思ったが、違ェな。悪魔…聖と魔の気配を混合させた人外なんてなァ中々いねェぜ」
「ああ、よく言われる。でもおかげで視野は広まったんだぜ?元妖精としても現悪魔としても見える景色はそこそこ違うモンでな」
 会話を続けながらアルは不動で腕を組む大鬼へと歩み寄る。
「…んで、本命はなんだよ半端悪魔の小僧。よもやこのオレ様と持ってきた酒を飲み交わそうなんて豪胆な発言が飛び出すわけでもあるめェ」
「そいつも考えたんだがな、でもやっぱりそれよりも楽しそうな方を選ぶことにしたんだわ、俺」
 背中の日本刀を降ろして柄を握り肩に担ぐと、アルは心底から愉しそうにギラつく両目を酒呑童子に向けた。
「神門守羽…『鬼殺し』とやり合うんだろ?それまでヒマじゃねえかい大鬼の旦那。よければ俺が退屈しのぎを買って出てやるよ」
 酒呑童子は思わず噴き出した。
「クッ、カカカッ!コイツァ大きく出たな。テメェが大鬼のヒマを潰せるってか!あんま思い上がらねェ方が身の為だぜ小僧ッ」
「ハハッ、だよなー。俺も自分の実力にはそれなりに自信があったりするけど、やっぱ相手が悪いもんなあ、命あっての物種だ!」
 どちらも愉快痛快とばかりにしばし笑い合って、最初に笑みを引っ込めたのはアルだった。刀を肩から放し、鞘に収まったままの日本刀の切っ先を酒呑へ向ける。
「でもな、やっぱってみたいんだわ。史上最強とか、どう考えても胸が高鳴るわ。わかんねえか?とんでもなく強い相手に挑みたくなるこの純粋ピュア真剣ストレート闘争心バトルソウルってヤツが」
「いんや、痛切に理解できるぜ。だがそういうのは相手の力量を踏まえてやるモンだ。勝てる勝てないを度外視すんなら無謀も頷けるが、テメェはそういう…、…!」
 言葉の途中で何かに反応した酒呑が、次第のその表情を曇らせていく。
「あァ、なるほど」
 そうして相手の策を知り、これが無茶でも無謀でもないことを嫌というほど理解する。既に笑みを引っ込めた酒呑は、相手の持つ日本刀に殊更意識を注ぎながら吐き捨てるように言い放つ。
「前言撤回だ。そういうことかクソ」
「そういうことだ大鬼。長いこと山に居付き過ぎて感覚が鈍ったか?」
 こちらも笑みは変わらず浮かべているが、その種類はもう別のものへ変化している。獰猛な獣を思わせる、身が竦むような笑み。
 その刀には逸話がある。
 かつて丹波国大江山に住み着いた悪しき鬼の首を一太刀のもとに切り落とした、その伝承から本来の銘を差し置いて付けられた名。
 人呼んで『童子切どうじきり』。平安時代の刀工安綱が鍛え上げた無二の名刀。
 後の世において天下五剣の一つに数えられる業物である。
「さあ、首はしっかり洗ったか?不肖のこの身じゃあ頼光様のようにスッパリ両断できるかは怪しいがな」
 くるんと刀を回して右手で鞘を掴み直し、腰の辺りに落ち着けてアルは再度不敵に微笑む。
 もはや油断も余裕もかなぐり捨てた様子の酒呑童子は、本気の形相で静かに構える。無理もない。この刀と毒の酒は、伝承になぞらえて鬼を確実に殺せる性能を秘められた特効武器なのだから。
「面白いだろ?『鬼殺し』との決闘を前に、『鬼殺しの刀』でヒマ潰しとは贅沢に尽きる。せいぜい前座で終わらねえように頼むぜ、大鬼!」
 皮肉を交えて握る名刀童子切安綱やすつなを手に、妖精崩れの悪魔は伝説の再現に挑む。

       

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