Neetel Inside ニートノベル
表紙

力を持ってる彼の場合は
第十三話 微かな自覚と確かな解放

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「神門よ」
「なんだ」
最初に現れたミイラ猫の首をヘシ折り、上空から飛来するカラス共を撃破しながら俺とカナは民家の屋根を次々と跳び移る。
「始めに言っておくが。力を削がれた私と、君。この戦力で複数の都市伝説の力を喰らい取り込んだ口裂け女に勝つのは極めて難しい」
「……だから?一生逃げ回れってのか」
「いいや」
俺の隣で噛み殺した白い鴉を吐き捨てたカナが、屋根を跳び移りながら横目で俺を見る。
「口裂け女の出現のせいで、私の想定よりずっと早く君に接触しなければならなくなってしまったが、ひとまず君へ伝える私の役目は終わった。何があっても君は生かす」
斬殺され口裂け女の下僕となった包帯だらけの犬や猫が屋根を駆け上って追ってくる中、カナは気にせず続ける。
「だがそれには、君にも本気になってもらわねばならない」
「俺が手を抜いてるってのかよ、ふざけんな最初っから本気だ」
「手抜きではないのだろう、だが君はまだ本気じゃない。圧倒的に自覚が足りないせいで、君は自分自身の力をまるで出力できていない」
「人間の肉体耐久を鑑みて“倍加”は出せて五十倍が限度だ。お前は俺に体をぶっ壊してでもヤツを倒せって言ってんのか」
「いい加減、話を逸らして逃げるのは止めたらどうだ。神門よ」
カナのその言葉に、俺は次に出す言葉を忘れ、奇妙な空白が生まれた。鴉や犬猫の奇怪な鳴き声だけが背後から迫り来る。
「…まあ、君が断固としてそれを使わなかったのだとしても、死の淵まで追い詰められれば否が応でも出るだろう。私もこれ以上は言わない」
「……とりあえず、人気の無い場所まで移動する。結局行き先は決まってんだけどな」
意識を強引に今に切り替えて、この状況をどうにかする方策を考える。ひとまずはあの廃ビル群にまで戻って仕切り直すしかない。
「そうだな、今はまだやっていないようだが、いつ人を斬り殺して配下に加えてもおかしくはない。犬猫程度で済んでいる内に一般人から遠ざけた方がいい。…?」
「ああ、さっさと場所を移っ」
「神門!」
「今度はなんだよ」
俺の声を遮って叫んだカナが屋根の上で足を止めて追い掛けてくる動物達に向き直る。
「何してんだお前!」
「引き返すぞ!距離が近い!」
「もう来てんのか?口裂け女のヤツが」
「ああ、だが私達ではない。奴との距離が最も近いのは彼女だ!!」
彼女。
カナが知っている、この街での女性。そしてカナが焦りを見せるのは、おそらくただの一般人ではなく、俺も知ってる相手だから。
カナが知っていて、俺も知っている、女性。
そんなのはただ一人しかいない。
嫌な汗が頬を伝い、俺はカナと同じように体の向きを変えて確認を取る。
「静音さん…か!?」



「……」
「キヒ、ギヒヒヒャ」
日の暮れた薄闇の向こう側。
道の真ん中を、くすんだ赤いコートを着込んだ女が歩いて来る。不気味な笑い声のようなものを、裂けた口から漏らしながら。
その足元には、全身に包帯を巻いた犬や猫が付き従い、包帯の隙間から牙や爪を伸ばして獲物へ顔を向けていた。
「ヒャッヒャ、…トンカラ、トン」
そして、口裂け女は赤いコートの内側から長大な大太刀を取り出し切っ先を突きつける。戦う力を持たない少女へと。
「……」
悪意と殺意を振り撒く人外を前にして、しかし久遠静音の思考は恐怖を覚えることより先に違うことを思った。
(守羽は…?)
口裂け女と対峙しているはずの少年の姿より先にこの人外と遭遇してしまったことに、静音は不安を感じていた。
まさかとは思うが、もう既に…?
「っ!」
静音へと、ミイラ猫の一匹が飛び掛かる。
すんでのところで横に転ぶ形でそれを避けるも、次いで駆けるミイラ犬の牙には対処できなかった。
地面に座り込む静音の喉へと、唾液に塗れた犬歯が吸い込まれるように狙いを定め、
ゴシャッ、と。
直上から降ってきた少年の拳が静音の眼前で犬の頭部を地面ごと粉砕した。
飛び散った犬の血飛沫すら汚らわしいものだと言わんばかりに静音に掛かる前に腕で振り払い、頭を失った犬を口裂け女の側へ投げ返す。
「狙いを、ブレさせてんじゃねえぞゴミクズが。テメエの相手は俺だ」
「私もだ」
最初に静音へ襲い掛かったミイラ猫の死骸を口に咥え、同じようにぺっと口で投げ捨てるカナが少年、神門守羽の隣で言う。
「守羽…よかった、無事で」
「そちらこそ。すみません、また怖い思いさせちゃって」
ふるふると首を振るって、静音は差し出された守羽の手を取って立ち上がる。
「すぐに終わらせますんで、ちょっとだけ待っててください。カナ、お前も下がって静音さんを守ってろ」
「周囲の配下はともかく、口裂け女は君一人では荷が重い」
「私は大丈夫だから、カナさん。守羽を手伝ってあげて。私は怪我した箇所を元通りにするくらいしかできないけど」
「充分です」
家に送り届けたはずなのに外へ出ている静音には怒りも呆れもせず、ただ尊敬する人の無事に安堵する守羽は、拳を握って道路の対面にいる敵を見据える。
「じゃあ、やるぞ」
「ああ。まだ何か隠しているかもしれんが、探っている余裕は無いな」
言うが早いか、四本足で柴犬が疾走する。それに続いて、守羽も“倍加”を循環させた肉体を武器にまずは数の多い包帯だらけの動物達から片付けに掛かる。
単体戦力の低い下僕達が殺されていくのを眺めながら、引き裂かれた口で作る笑みを崩さぬままに、太刀を握る右手とは別に空いた左手を掲げた口裂け女は怖気の走る声音で呟く。
「ヒヒ………ロッポウ・コトリバコ……」

     

日が暮れたとはいえ、まだ夜更けには程遠い。こんな道路のど真ん中で長々と戦闘なんてしてたら、いずれ誰かに見つかるかもしれない。
空から鋭利なくちばしを突き出して急降下してきた白い鴉を打ち落としながら、俺は一旦その場を離れるタイミングを見計らっていた。
おそらくはカナも同じことを思っているのだろう、あまり深く攻め入ることはせずに身に迫る敵だけを確実に迎撃しながら様子を見ているようだ。
そんな時だった。背後で何か軽い物音がした。
僅かな隙を見つけて背後に目線だけをやってみる。
「…静音さん?」
「っ…は、ぁっ…、はあ、うっ……!」
両膝を着き、片手を胸に当てたまま苦悶の表情で呼吸を荒げている静音さんが目に入った。
「静音さん!?」
「ヒヒャハッ!!」
様子のおかしい先輩へ駆け寄ろうとした瞬間、不愉快な嗤い声と共に空気を斬り裂く音を俺の耳が捉えた。
身を捩って拳を振り回し、背後から斜めに振り落とされた大太刀の腹を裏拳で叩き弾く。
「テメエの仕業だな?何をしやがった」
両腕力四十八倍、動体視力四十五倍。
直撃は不味い。縦横無尽に振り回される刀の軌道を読んで刃に当たらないように峰と腹を狙って受け流し、あるいは弾く。
(チッ、速ぇ!)
片手で扱っているのが嘘のような速度で大太刀が走り回る。しかも一撃一撃が相当重い。受け流すだけでもかなりの重圧が腕を軋ませる。
「カナ!このクソ野郎静音さんに何しやがった!」
口裂け女と対峙している俺の代わりに、その周囲の下僕達を処理していたカナに声だけ飛ばす。
ほんの一瞬でも目を離せばすぐさまぶった斬られる。
「そんなモノまで…取り込めるのか、貴様は」
聞こえたカナの声には、唖然としたような動揺の色があった。
「なんなんだ!説明しろ!」
「よく聞け神門!久遠を奴の傍にこれ以上置いてはならん!」
爪と牙で戦う柴犬の姿が横目にちらちらと見える中、カナもまた俺を見ずに声だけを張り上げる。
「奴の左手の上に乗っているモノを見ろ!原因はそれだ!」
大太刀の対応に苦戦している状況で、かろうじて視線を剣戟からヤツの左手へ転ずる。
そこには、口裂け女の手の平でギリギリ握れているサイズの立方体の箱のようなものがあった。血が固まったようなドス黒い色で全面染まっており、直視するのすら躊躇われるような妙な気配を放つ不気味な箱だった。
カナが続けて叫ぶ。
「それは呪詛と呪術を押し込み圧縮させた『コトリバコ』。子孫を奪い、一族を死に絶えらせる怨念の箱だ!それは女子供に絶大な効果を及ぼす!長時間それの傍に居れば久遠は死ぬぞ!!」
「ーーー!!」
死ぬ。
このままでは、静音さんが、死ぬ。
それだけわかれば、あとは俺のやることは決まっていた。
「クカカカハハッヒャハハッハハッハハァァ!!!」
(動体視力…五十五倍!!)
右目を閉じて、左の眼球のみに“倍加”を集中させる。
スローモーションのように映る俺の左目が、的確にタイミングを計る。
全力で振り抜いた右手でヤツの大太刀を持つ右手を殴りつける。
骨と皮が鉄で出来てるような鈍い手応えだったが、口裂け女は殴打の衝撃で大太刀を取り落す。
(左握力、六十倍!両脚力四十倍!)
次の挙動に移る前に口裂け女の首を鷲掴み、そのまま前面へ押し出す。
コイツをこれ以上静音さんに近寄らせてはいけない。
左手を犠牲にしてでも、コイツは遠ざける。静音さんから。
それにここは街中だ。そのコトリバコとかいうのの効果範囲がどの程度かはわからないが、やはり距離が近ければ女子供は死に絶える呪いを受ける。
脚力任せにヤツの首を掴んだまま三歩前に進んだところで、突然俺の足が止まった。
「あ…?」
視線を落として見てみれば、俺の両足にはいくつかの刃物が突き刺さっていた。
右足の甲には、足を貫通して小刀が地面まで刺さっていた。太ももにも草刈りの時に使うような鎌が二本食い込んでいる。
左の脛にはメスとナイフが二本ずつ、膝には包丁が一本。
「クヒッ」
左手でコトリバコを握り、俺に首を締め上げられたまま、口裂け女は右手だけで赤いコートの裾から取り出したそれら凶器を手首の返しで俺の足へ投擲した。らしい。
脚から力が抜け、口裂け女の目の前で膝を着く。右足が小刀に縫い止められているせいで後退すら出来ない。人体の限界を超えた左手は握ることも不可能。感覚で折れてはいないとわかるが、ヒビくらいは入っただろう。
同様に左目も、何も見えない。耐久度を上回った眼球からは赤い涙がボタボタと流れ落ちる。
ヤツが怯むポマードのまじないも、夕方に使ったばかりでもう通じない。
どうやって入れてるんだと言いたくなるような手斧をコートの内側から取り出し、跪き見上げる俺の頭へ振り下ろされる。
ズガン!!!
「しゅ、う…?ごほ、こほっ!」
「神門、おい神門!くっ」
嫌な音の混じる咳をしながら俺を呼ぶ静音さんの声と、焦りを含んだカナの声が、聞こえる。
そして、
「ネェ、ワァタァシィ、キレィィィイイイ?」
ねっとりと絡み付くような、そんな声も、聞こえた。

ーーー。
頭から止め処なく流れて出来る血溜まりの中に沈みながら、俺は一度途切れかけた意識をかろうじて繋いでいた。
咄嗟に発動した、頭蓋骨耐久四十九倍。おかげで骨は無事だったが、鈍器で殴られたかのような衝撃で頭が揺さぶられ、昏倒した。
「ぐ、く…っ」
「ふ、ぅ…はぁ、あっ…!ごふっ」
見えるのは地面と血、聞こえるのは犬の唸り声のようなものと、弱り切った少女のか細い声。
気絶していたわけではないはずだが、ほんの少しの時間が意識から飛んでいたようだ。
そしてそのほんの少しの間に、事態は深刻化していた。
「ぐぬ…久遠、逃げなさい。それ以上、そこにいては……!」
カナの声は濁っていた。まるで口に水を含んだまま喋っているかのように。
やられたのか。本来の力から半分程度しか出せない人面犬では、万全の口裂け女に勝てないのも無理はないが。
しかしだとすると、今静音さんはどうなった?
「ヒッヒヒ。ネェ、キレイ?キレイ?ネェ!」
「こっほ!ぅく…」
咳と一緒に、びちゃりと水音が聞こえるのが気掛かりだ。吐血しているのかもしれない。
コトリバコの呪いに冒され、静音さんは確実に死に掛けている。
近づけてはいけない。
静音さんが死んでしまう。
やめろ。
離れろ。
その人を害するな。
許さない。
潰す、ぶっ潰す、叩き潰す。
限界だ。
力があれば、きっと守れる。きっと倒せる。
力なら、ある。俺には守れる、俺なら倒せる。
なら守ろう、なら倒そう。
力の出所だの源泉だの正体だの、そんなものはこの際どうでもいい。
ここで使わなけりゃ、こんな力に意味はない。
かつて大鬼を殺した力、自身の存在が不安定になるかのような、うすら寒さを感じる力だが。
今の俺にはそんなものでも必要だ。
自覚。
自覚だ。自覚しろ。
俺には力がある。力を使うには使えることを自覚しなければならない。
どんなものでも、使えるなら俺の力だということを、俺のものだということを、嫌でも理解しろ。
そうだ。

(それがスイッチだ。カナも言ってたろ)

脳内で声がする。俺の声が。
いや・・

(今はもうそれでいい、…結局出て来ることになるわけだ、『僕』が)

俺が、違う一人称を使っている。
いや・・
『俺』なのか?お前は。

(そうだよ、『僕』は『俺』で、どっちも『お前』だ。いい加減、ちゃんと受け入れてほしいもんだ)

どういう、こと、だ……。

(どうせこのままじゃ死ぬし、『おまえ』の体、ひとまず『僕』が使うぞ)

俺の体が、自然に動く。傷だらけの体が、『あいつ』の意思に託される。
ああ。
何故だかは知らないが、俺は安心していた。よくわからない自信と共に、確信する。
これであの人を守れると。

     

体の内側に異常が起きているのがわかった。
内臓が捩れたような感覚。現実に似たような現象に襲われているのだろう。口から溢れて来る赤い液体が激痛と共にそれを証明してくれている。
一族を根絶し滅亡に至らせる怨念の具現体、『コトリバコ』。
それは将来性を秘めた子供と、子孫を残せる女に絶大な効果を現す。
その呪いを一身に受けた静音は、力の抜けていく体に精一杯の命令を飛ばして持ちこたえていた。
破壊されていく内臓の“復元”は追い付かない。
強力な呪術の圧縮体であるコトリバコには、現在進行形で侵されていく肉体を逐一“復元”したところで意味がないのだ。
戻した先から再び浸食されていく。その以上な浸食速度が最大の敵だった。
なにより、静音本人の精神が耐えられない。
既に意識は朦朧としており、異能の力を使用し続けるのも限界に達しつつあった。
自分を守る為に前に出てくれた人面犬も、今や傷だらけの体で横たわっている。時々聞こえる呻き声と、こちら側へ這ってでも近づこうとしている様子から見て、まだ大丈夫そうではあるが、少なくとももう戦える状態ではない。
目の前には凶器を手にした口裂け女が、自分を見下ろしている。
眼前の人外の向こう側、血の海に沈む少年をなんとしてでも助けなければならない。そうは思っているのに、身体はもう立ち上がることすら不可能な有様。
自分が死ぬのはいい。元々守羽の言いつけを破って外に出た、完全な自業自得。
だけど、せめて彼にだけは生きていてほしい。その為に自分は来たのだから。
力になりたかったから。
「ヒッヒヒ。ネェ、キレイ?キレイ?ネェ!」
「こっほ!ぅく…」
おぞましい形相で奇声を発しながら問い掛けてくる口裂け女に対しても、血の混じった咳しか返せない。
それを見て口裂け女も興が冷めたのか、手斧を振りかざして静音の脳天へと狙いを定める。
抵抗できる余力はない。
だが諦めるわけにはいかない。
手でも、脚でも。首だってくれてやる。
せめて死ぬ前に、守羽の体に触れられれば。そうすれば異能を介して彼を負傷する前の状態にまで“戻す”ことが出来る。
直撃の瞬間に僅かにでも体を逸らして即死を避ける。
それが静音の考えられる唯一の作戦だった。
しかしそれが実行されることはなかった。

「その人から離れろ、下衆が」

名前を呼ぶ間も無かった。
口裂け女が背後を振り返る暇すら無かった。
まず最初に、小さな小さな蝋燭の火のようなものが、口裂け女の眼前に灯った。
次にそれは一秒かからず膨張し、さらに指向性を持って口裂け女の側へと爆発した。至近にいた静音にはその爆発の熱量を僅かにも感じさせずに。
「脚力、六十倍・・・
一歩で距離を詰めた守羽が、そのまま顔面から煙を上げ仰け反った口裂け女の背中を思い切り蹴り上げる。
まるでサッカーボールのように真上へ吹き飛んだ口裂け女が落としたドス黒い立方体の木箱のようなモノを、守羽はつまらなそうな表情で片手で掴み取る。
そのまま捨てるように足元の地面へ放り、落ち切る前に投げた手を握り締め、一言。
「腕力八十倍・・・
一撃。
減り込んだ片手が道路のアスファルトを粉微塵に打ち砕き、大きなクレーターを生む。
衝撃の中心点にあったコトリバコはバラバラになり、その内側にあった臓物を思わせる不気味な肉塊もろとも千切れる雲のように霧散して消えた。
「な、静音さん。さっさと“復元”を。そのままじゃ心配で集中できない」
人体の限界値である五十倍を超えた能力使用にもまるで異常をきたしていない手足を不思議そうに眺めていた静音は、やけに落ち着いた守羽の声にすぐさま自分よりも目の前の少年の体に手を伸ばした。
その手を守羽は優しく掴んで、
「や、俺はいい。すぐ治すから。それより下がって、まだ来る」
頭部から血をだくだくと流し、両足も深手と見てとれる突き刺さった鎌や貫通した小刀がそのままにされているにも関わらず、守羽は掴んだ手を押し退けるようにして静音を下がらせる。
「ギッ…ィィィイヤヤァァアアアアアアアア!!!」
上空へ飛んだ口裂け女が、落下しながら両手に凶器を構え守羽を襲う。
「…自覚さえしときゃ、この程度の人外には手こずるわけねえんだがなあ」
呟き、守羽はダンと地面を強く踏み締める。
すると今度は足元のアスファルトを突き破って、太い土の柱が突き出る。それは落下してきた口裂け女と正面衝突し、両手の凶器を交差させて防御した口裂け女が真横に弾き飛ばされた。
「ま、仕方ねえ。『僕』が出るのはなんだ、あの大鬼を殺した時以来だから、……二年、三年?とにかくそれくらいぶりだ。なあ、静音さん?」
「…!あなた、前にも…」
「そ、あんたも知ってんだろ。『僕』のことは」
静音も関わった、かつて神門守羽が『鬼殺し』と呼ばれるに至ったあの一件。
その際に出現した彼らしからぬ彼の存在を、静音は知っていた。
「あなたは、守羽ではないの?」
「ん、その質問前にもしたな、あんた。同じ答えを返すけど、『僕』はあくまで『俺』であって、『俺』ってのはあんたの知ってる『神門守羽』だ。中身はほとんど一緒なんだけど、区別しやすいようにわざと一人称変えてんだよ。喋り方にも気を遣ってだぞ?あんたの知ってる守羽は、こんな風に久遠静音と話さないだろ。敬語使うし」
面倒臭そうにがりがりと頭を掻いて、『神門守羽』は口裂け女に向き直りながら続ける。
「言ってしまえば、僕はあんたの知ってる神門守羽の『自覚しきれていない部分』なんだよ。こっちにも色々都合があってな、僕にも存在理由がちゃんとある」
じりじりと様子を窺っている口裂け女から顔を背けて、守羽は静音とは違う方向へ声を掛ける。
「で。そこら辺は、お前もわかってんだろカナ」
「…自身の自覚にやたら疎く頑固だと思っていたら、よもやそんなことになっていようとはな…それは、私にも予想しえなかった」
視線の先。震える四本足で、所々を赤く染めた柴犬が苦々しい声色で答えた。
それに守羽は僅かに微笑んで、
「ま、安心しなよ静音さん。本物オリジナルはあんたの知ってる方の守羽だ。僕はレプリカって感じかな。超震動とかセブンスなんちゃらは使えないけどな」
茶化すように言って笑うその感じは、静音もよく知る後輩のそれと同じだった。
だけどそれでも、やはり違和感は拭えない。
そんな静音の心境に関係なく、事態は進んでいく。
「さ、ひとまずバトンタッチも済んだし。続きだゴミクズ。逃げるならまだ間に合うぞ」
「…………ギヒッ!」
取り落した大太刀を拾い、口裂け女は構えをとる。
「…続行ってわけか。これだから考える頭のない人外は嫌なんだ」
軽く首を振って、守羽も同じように腰を落として構える。
「静音さん、カナを治してやってください。タイミングを見計らって、ひとまずここを離れる」
守羽が道路を破壊した時の轟音で、周囲の家々から人の騒ぐ気配がしてきている。じきにここへも誰か来るだろう。
「守羽…」
「な、早く。僕や『俺』についてなら、きっと今後いつかわかる時がくるから。絶対に」
いつもと変わらぬ彼の横顔を見て、静音もそれ以上話を続けることはしなかった。
信じると決めていたのだから、何があっても信じる。
いつもと違う彼であっても、やはり彼は自分が信じる神門守羽なのだから。
「さ、て。続けるってんなら、相応の覚悟はしとけよ口裂け女」
カナの“復元”に取り掛かった時、前方で背中を向けている守羽が、声音を低くして威圧的に言葉を発する。
「中身に多少の違いはあっても、この身はやっぱり『神門守羽』だ。『ぼく』の大切な人に苦痛を強いた大罪、とても許せるもんじゃねえ。ぶっ飛ばす」

       

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Neetsha